第27話 ゆらぎ、迷い、行きつく寄る辺


「黒姫、ねぇ」


 夜宮でだらりと寝転がる沙夜は、玖狼を枕に天井を見上げている。

 すずは後宮を整えるのに駆り出されているし、愚闇は護衛のお役目を今後どうするかも不明なため、一旦皇雅軍に戻るということで、不在だ。

 

 日が昇り、本来なら稽古や歌にいそしんでいるか昼寝をするかであるが、そのどちらでもなく、ただ時を過ごしていた。


「どうした、不満か?」

「ん~」


 あれほど欲しかった居場所を手に入れた今、今度は心の置き所がないような感覚に襲われている。

 贅沢な悩みだろうかと思うと話す気にもなれず、ただひたすらに悶々もんもんとするしかない。

 

「玖狼は、どうしてこちらに来ようって思ったの? 現世うつしよのことなんて、放っておいても良かったんでしょう?」

「そうさなあ」

「母様、そんなに怖い?」

「はは! 怖いのもあるが……わしは、門番だ」

「うん」

「現世と幽世かくりよは、隔たれているべきものだ」

「そう?」

「命あるものと、失われたものが混ざれば、すべてを失う。あとに残るは、無だ。門があるからこそ、お互いが成り立つのだよ。そしてそれがわしの役目だ」

「うーん」

「難しいか」

「難しい。けど玖狼の役目なんだね」

「そうさ」

「役目……わたしの役目は、なんだろう……」

 

 玖狼は一度尻尾を持ち上げるが、またパタリと落とした。

 何かを言おうとして、躊躇ためらい、やめた。沙夜はもうその仕草の意味を知っているが、あえて言わない優しさもあるのだろう、と見てとった。

 

「瑠璃玉……母様に、返すべき……?」

「戻そうと思って戻せるものではない。はらに宿るものだからな。一度産んだ子が戻れないのと同じ道理よ」

「そ、……」

「過去には、使わずに継承するだけの者も居た。気に病むな」

「ん」


 玖狼は、いつでも沙夜に寄り添う。ありがたいことだとは分かっている。

 だが温かい毛に顔を埋めても、心は晴れない。


「わたし次第、なんだよね」

 

 生かされた。生き残り、懸命に走って来た。遺言通り『正しきものを門へ導いた』からこそ、皇雅国は無事だったに違いない。


 ならば、その後はどうしたらよいのか? などと、星影は残していないのだから。

 

「自分で、決めなくちゃね……」


 頭では分かっているものの、動けない。立ち上がれない。

 そのまま、いたずらに時を過ごした。




 ◇




「えっ!? 魅侶玖殿下が、そんなことを!?」

「ですねぇ」


 愚闇は、二日ぶりに夜宮を訪れたかと思うと「とりあえずしばらくは護衛しときます」と沙夜へ告げてきた。

 なんでも、黒雨一位と二位が『継承の儀を無事執り行うまで現状維持せよ』と正式に命令を下したのだと言う。

 無事執り行う、の文言に違和感を持った沙夜が問い詰めると――龍樹に皇帝を継がせたいなら、三日以内に立たせろと宣言したと聞いて驚いた。


「何考えてるのよ、わざわざ火種を」

「火種があるから、でしょうね~」

「……性懲しょうこりもなく?」


 いきどおりながら沙夜が話していると、ふっと几帳きちょうに人影が写った。

 

「あはは。ひどい言われよう」

「!?」

 

 聞き覚えのある、耳心地の良い、軽やかな男の声だ。


「性懲りもなく、来たよ」


 几帳越しにすっと座る気配がした。


「っ、龍樹殿下」

「覚えててくれたんだ。嬉しいな」

 

 沙夜の脳裏には、一度見たきりの第二皇子の容姿がありありと浮かんでいる。

 

 それほどまでに強烈な美をまとっていたからだが、立烏帽子たてえぼしから胸元まであるつややかな黒髪や、少し赤みがかったとび色の目に白磁のような肌だった。彼が、今どのような姿なのかは布越しのため、窺い知れない。


「畏まらないで。兄の寵姫ちょうきに手を出す気はないよ。話に来たんだ」


 寵姫という単語には全力で否定を投げかけたかったが、身の安全のためと思って無理やりに言葉を飲み込む。


「わざわざのお越しをたまわり」

「そういうのも、いらないよ。肩凝っちゃうし」

「では、お言葉に甘えて」

「うん」


 そよそよと、秋風の音がする。

 夜宮の前の『壺』と呼ばれる小さな庭には、小さいが紅葉もみじが植えてあった。日当たりの悪いところから徐々に葉が赤く色づき始め、時折部屋の中にひらひらと舞い落ちるのが雅な季節になってきた。


「肌寒くは、ございませんか」

「大丈夫。はあ。ここは……なんだか落ち着くね」

「そうでしょうか」

「兄者が通うのも分かるなぁ。静かだもん」

「果ての宮ですから」

「ふふ。そうじゃないよ」


 龍樹はおかしそうにくつくつと笑う。


「どろどろとした欲や騒がしさがない。ただの、余……ぼくでいられる。そんな気がする」

「居心地が良い、ということでしょうか?」

「うん。そう」

「嬉しゅう存じます」

「あは。そんなこと言われたら、ぼくも通っちゃうよ」

「? よいのでは?」

「あっはっはっは」

 

 あまりに笑われるので、なんだか恥ずかしくなった沙夜は、手遊びで作った蝶々の紙にふーっと息を吹きかける。

 

 すると、それらは青い蝶となって羽ばたくのだ。


 今も、何羽もの青い蝶が庭に向かってふわふわと飛び、龍樹の膝に戯れるように止まる。


「わあ! これ、黒姫がやってるの?」

「ええ。式神というのですが。陰陽術の一種を、勉強しているのです」

「綺麗だなぁ」


 あまりにも素直な反応をされると、どう答えてよいか分からない。


「……心配しなくても、ぼくはもう皇帝になる気はないよ」

「っ」

「知ったのだろう? ぼくは大事な人をふたり……母もいれると、三人か。も失って。どこに行けばいいのか分からないんだ」

「殿下」

「それを付け込まれたのは、ぼくが悪い。償う方法もわからないけど。死んだ方が良いなら」

「いいえ!」


 沙夜は几帳をかなぐり倒す勢いで、簀子すのこ縁に飛び出た。

 驚きで、龍樹が目をまん丸くしている。

 やせ細り顔色は悪いが、以前見た美貌そのままの皇子が、綺麗な姿勢で座っていた。

 

「生きているんですから! これから、やり直せばいいんです!」

「黒姫」

「はい!」

「顔、隠した方がいいよ?」

「あっ」


 沙夜は慌てて袖を持ち上げるが、時すでに遅しであることが分かり、諦めて下ろした。

 

「ふふ。内緒にしとくね。ぼく、兄者に殺されたくないもん」

「え!?」

「あのね~ここで姫の素顔を知ってるっていうのはね、ねやを共にしたって意味なんだからね。寵姫なら自覚しとく。分かった?」

「げげげげ」


 すると、渡殿わたどの(壁のない廊下)の向こうから「きゃあ」と短く高い声が響いた。

 ふたりして振り返ると、大きな扇で顔を隠した、赤地に桜の刺繍が入ったひとえ姿の女性がいる。すぐに沙夜は、その名を呼んだ。


桜宮さくらのみや殿」

「!」

「ででで殿下がおわすだなんて!? というか夜宮殿、今かんばせをっ!? えっ!?」

「ぎゃあ! 違うよ!? ほらわたし、庶民だったから! そういうの、無頓着で!」

「なんと! いけませんっ! すぐにお隠しになって!」

「でも見せちゃったし、もういいかなって」

「だめです!」

「見られてても?」

「だめなんです!」


 仲のよさそうなふたりのやり取りを見て、龍樹はひとしきり笑った後、桜宮に向き直った。


「桜宮。もののけに力を借り、無理やりにあなたを参内させたのは、このぼくだ。いずれ謝罪に行こうと思っていた」


 真摯しんしな声で話しかける第二皇子に、かつてのワガママな片鱗はわずかもない。

 

「できることがあれば、なんでも言って欲しい」


 はた、と動きを止めた桜宮は、しゅさりと単の裾を整えてから簀子縁すのこえんに座すと、扇で顔を隠したまま深く頭を下げた。


「……殿下。すでに、わが家へは多大なる補償金をいただいたとのこと」

「うん。それぐらいしかできないし」

「また、のちの調べで……わたくしの許嫁いいなずけは……ずっと不義を働いていたと」

「あー、うん。人の口に戸は立てられないってほんとだよね。前からぼく、桜宮の作る歌が好きだったからさ。ならぼくがもらおうって思って」

 

 すると、桜宮が、扇を下して顔を上げる。

 当然、龍樹に素顔を晒すことになった。


「うえ!?」


 驚いたのは沙夜だ。

 あれほどまでに怒っていたのに、自分がそれをするとは。


「ならば、責任取ってもらってくださいまし」

 

 息を呑む龍樹は、口元を震わせながら、ようやく言葉を吐き出した。


「ぼ、ぼくは、おろかで」

「はい」

「なんの、後ろ盾も……もうないよ」

「存じております」

「ただの、ぼくだ」

「ええ。お心優しく、ふらりふらりと人に求められるがまま振る舞ってしまわれる」

「!!」

「ひとつ、申し上げます」

「な、に?」


 くしゃり、と桜宮が笑った。


「わたくしも、殿下の作る歌が好きなのです」

 

 ぼたりぼたりと落ちる、美しいとび色の目から溢れる涙が、紅花色の束帯の上にいくつもの円を描く。


 それらを見守っていた沙夜の心の内には、いくつものがともった。

 過ちと悲しみを乗り越えて、人はまた生きていく。



 そのことを目の前で、見ることができたから。

 

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