第28話 母と、娘


 沙夜は今、ギーと共に牛車ぎっしゃに乗っている。

 着ているのは、皇都に来たばかりの時に買った小袖こそで裳袴もばかま。念のため、被衣かづきと呼ばれる頭の上から羽織るころもも持っている。

 

「ふくく。われを使うとは、末恐ろしいおなごよえ」

「ごめんなさい、ギー様」

「よいよい。沙夜……黒姫か。夕星ゆうつづは怖いからのぉ」

「えっ、ギー様でも!?」

「まっこと恐ろしい。あれが怒るとな、取り返しがつかぬぞ。ゆめゆめ忘れるなよ」

「ひええええ」


 向かったのは、皇都の丑寅うしとら(北東)の方角にあるギーの屋敷だ。

 鬼門を守る強い結界を持つという鬼の住処すみかに行く理由は、ふたつある。


「愚闇とともに来た黒姫を見た時、妙に懐かしい気がしたのを思い出すよ。夕星の娘ならば納得よなあ。えにしが繋がるのは、うれしいことよの」

「ギー様……」

「良いのか? 義務ではないゆえ」

「はい。決めました」

「そうか」


 瑠璃の陰陽師として修行をはじめるための儀式が、ひとつ。


「それにしてもなぁ。姫という地位があるのだから、わざわざ」

「それなんですけどもね。魅侶玖殿下はあくまでもハク様の手がかりのためにわたしを囲ったまで。姫でいられるのも、正式な皇妃をめとられるまでの短い間となりましょう。ならば次の道はと。あ、黒姫って名前は気に入ってるので、使うのはいいですよね?」

「……ああ」

 

 皇雅軍四隊のうちのひとつ、白光入隊のための儀式が、ひとつ。


「われに異論はないが。殿下と話はしたんかえ?」

「いいえ。忙しいみたいで」

「ふうむ」

 

 結局三日経ったところで、龍樹は「皇帝になる気はない。妻をめとって静かに暮らす」と桜宮と祝言しゅうげんを挙げると正式に宣言し、引っ込んでしまった。

 肩透かしとなった右大臣と内大臣はめげることなく、また次の画策を始めたというのだから、懲りないなと沙夜は溜息を吐く。

 

 騒がしい皇城内を整え一刻も早く継承の儀を行うため、魅侶玖は政治体制の再編に忙しく、夜宮に顔を見せることもなくなった。


「さあ。着いた。我が邸へようこそ」


 手を引かれ、牛車を下りたそこには、質素な門構えの屋敷があった。


「遠慮せず」

「はい」


 築地ついじと呼ばれる、石垣の基礎の上の木枠に練り土を入れて固めた塀は、上に瓦屋根がつけられていて、中を窺い知ることができないようになっている。

 木の門をくぐると左手に車宿くるまやど(牛を外した牛車を入れておく建物)、右手に侍所さむらいどころ(従者が詰める建物)がある屋敷で、中門を入ると庭と母屋のみの簡素な造りだった。それほど広くはないのが意外だな、と沙夜はきょろきょろする。

 

「われひとりで住むには、これで十分」


 そんな沙夜の心の内を見透かしてか、くつくつとギーは笑う。

 導かれ、庭に面した簀子すのこえんに座らされると、右手に小さな池があるのが分かった。竹に囲まれ、他にも背の低い常緑の植栽、白い玉砂利に、鯉が泳ぐ。


「夜、月を眺めながら、ここで酒を飲む」

「……素敵です」

「飲めるようになったら、来たら良い」

「はい、ぜひ!」

 

 すると突然、男の声がしてきた。


「ギー、ずるいぞ。俺のことは誘わないくせに」

涼月りょうげつと飲んでも、つまらぬ」

「なんだよぉ」


 濃い紫の直垂ひたたれ姿の、涼月が屋敷の中から現れた。そしてその半歩後ろには、白い狩衣かりぎぬ姿の夕星がいる。


「父様、母様」

「沙夜~! なかなか会えなくてすまんなぁ」


 両腕を広げて抱きしめようとする涼月だったが、夕星が背中の布をぐいと引っ張ってそれを止める。


「黒姫。涼月殿、夕星殿と呼びなさい」


 白絹の雑面ぞうめんの向こうから冷たい声がして、沙夜は背筋を震わせた。


「ゆーつづ、厳しすぎるぞぉ」

「黙れ涼月。ただでさえ身内贔屓びいき揶揄やゆされるのだ」

「いや俺らの前に魅侶玖殿下の」

「黙れと言っただろうが」

「涼月殿! 良いのです、自分で決めた道です」

「さよ……」


 大きく眉尻を下げる涼月も、厳しく突き放す夕星も、どちらも親の愛だと今の沙夜にはわかる。


「ふっくっく。なあに案ずるな。代わりにわれが甘やかそうぞ」


 ギーが、沙夜の背後からふわりと抱きしめた。


「鬼の寵愛ならば、誰もなにも言えんよなあ?」

「ギー様!?」


 驚いた沙夜は、思わず自分の前にあるギーの腕を上から掴む。

 

「おや。嫌かえ?」

「そんな……もったいなくて」

いのぉ」


 それを見た涼月が、鬼の形相だ。


「俺の好きな奴、全部ギーに取られる! 夕星取り返したと思ったのに! 次は沙夜!」

「ふっくっく」

「また勝負しろ!」

「え!? ちょ、ちち……涼月殿っ!」


 ずんずん近寄ってくる紫電一位の迫力に、沙夜は後ずさりしたいが背後からギーに抱きしめられていて、動けない。

 

「止めるな。取り返す」

「いや、ちがくて! ぎゃーーーーー!! 儀式! 儀式ーっ!!」

 

 

 鬼の住む屋敷に、若い女の悲鳴が響き渡ったことは――またあやかしか? と近所を震え上がらせてしまったらしい。

 

 のちのち、住民を安心させるためと、紫電一位自らが「罰とかさぁ、ひどいよぉ」とぶつくさ言いながら、周囲を巡回したとかなんとか。


 

 

 ◇



 

「オン マリシエイ ソワカ。瑠璃の陰陽師たるは、沙夜。これにて名を封じ、黒姫と名乗るがよい」

「はい」

「式神をんでみよ」


 沙夜は懐から紙を取り出すと左手のひらの上に持ち、右人差し指と中指をそろえて下唇に当てながら何かの文言を唱える。

 青い蝶がひらひらと飛んだ後で地面に止まり、やがて青い童子どうじ水干すいかん姿でかむろおかっぱの女児が現れた。

 

「ルリ」


 沙夜が名を呼ぶと、にこりと微笑んで「はい、黒姫様」と返事をする。

 ギーと涼月はそれを見て目を細め、夕星は頷いた。

 

「……確かに、認めた。以後、修行に励め」


 白光一位が腰から鞘ごと短剣を引き抜き、なんらかを唱えると、その短剣がルリの中に吸い込まれる。


「わたしの術の一切を授けてある。ルリから学べ」

「はい」


 母から直接学ぶのではないのだな、と沙夜が残念そうな顔をしたのが分かったのか、見守っていたギーが一歩進み出た。

 

「黒姫。こやつは人に教えるには向いていない。そも、夕星を鍛えたのもわれなれば。いつでも稽古しよう」

「っはい!」

「またそやってえ~! どんどん取られるぅ~~~~~」


 仁王立ちで天を仰ぐ涼月に、夕星は容赦なく次の指示を出す。

 

ねてないで、道具を持て、涼月」

「へいへい」

 

 そうして巨体がいったん屋敷の奥に引っ込んだかと思うと、両腕で支えるように紫の布で包まれた何かを持ってきた。

 

「黒姫」

「はい」


 沙夜を呼ぶ白光一位の声には、今までは何の感情も乗っていなかった。

 

「……沙夜」

 

 だが、改めて呼んだ後おもむろに雑面ぞうめんを手でまくりあげると、そこには瑠璃の瞳で涼やかな目を持つ美しい女の顔が現れる。


「わたしがこの名を呼ぶのは最後になるかもしれない……沙夜」

「っはい」

「だから、今だけ母として抱かせておくれ」

「!」

「幼いそなたを放り出した。もう母とは言えぬかもしれんが」

「そんなことはありません! いつでも、この胸には!」


 あたたかな力を、くれていた。


「ああ。優しい子に育って。玖狼に感謝をせねばならぬ」

「ばあばも。わたしを、まもって」

「うん。聞いた。迷わず逝けるよう、送ったよ」

「愚闇も」

「烏天狗だな。あれも幼いくせに無茶をした。あとでねぎらおう」

「うううう」

「そなたが、誇らしい。ようがんばった。ようがんばったな」

「ああああああああああああ」


 白い狩衣へ、今までの辛さや悲しみの痕を残していくように、沙夜は泣いた。

 夕星はすべて受け止めるように、泣き止むまで、いつまでも背を撫でてくれた。



 ――涼月の手にあった白い狩衣を身にまとい、ここに新たな白光が誕生したことは、すぐに皇都中に知れ渡る。



 皇帝魅侶玖の寵愛ちょうあい、紫電一位と白光一位の血を引き、紫電二位であるくれないの鬼に鍛えられ、黒雨に眷属といえる烏天狗を従え。

 さらに冥の門番とあらゆる術を持つという式神・ルリを使役する。


 

 救国の姫であり、伝説の陰陽師である黒姫が、母である夕星から生まれた。その瞬間であった。

 

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