第29話 寂しさ、弾けて


 皇都は今や平和になったも同然で、愚闇は黒雨くろさめの任務に戻っているはずが――突然空から夜宮へやってきた。


「黒姫様」

 

 侍女のすずは、桜宮の祝言しゅうげんに備えてバタバタと忙しそうにしており、不在。どんな支度も、今は式神のルリがいるので問題はない。

 玖狼は、常に昼寝をしている。

 

 そんなゆるりとした雰囲気の中、愚闇のまとう空気が重いことに気づいた沙夜は、姿勢を正して迎えた。

 

「愚闇。何があったの?」

「は~。お伝えするか迷っていたのですがね」

 

 がりがりと後頭部をかく忍装束が、もそもそと言う。


「皇帝即位に合わせて、公家方くげがたから皇妃候補を何人か後宮に送るそうです」

「っ」

「そのなんていうか、身元の調査的なやつで、オイラも動いていたんですが」


 黒雨の任務は、隠密おんみつ諜報ちょうほう活動も当然含まれる。


「魅侶玖殿下に本気で心を寄せる姫がいましてね。厄介だなーって」

「……そう」

「でも、オイラは黒姫様こそ」

「ううん、愚闇。皇后陛下ともなると、貴族としてのふるまいやしきたりにも詳しくないと。わたしは到底なれないと思う」

「え」

「幸い、白光に入れたから、寮に移れる。引っ越しの準備でもしようかしら。ね?」

「でも」

「いいの。いずれそういう時が来るだろうなって思ってた」


 愚闇がおろおろと玖狼を見つめるが、昼寝の姿勢を崩そうとしない。


「あーあ。黒姫って名前にしなきゃよかったかな~」


 魅侶玖が「良い名だ」と言ってくれた。だからなるべく変えたくはなかったが、後宮から出るのなら『姫』は使えないかもしれない。

 

「桜宮殿は、幸せになって欲しいな」

「黒姫様……」

「愚闇、忙しいのに教えてくれてありがとう。慌てずに済むわ。さ、ルリ。荷物の整理、しましょうか」




 ◇




 皇城にある、大広間。

 

 白光詰所での他の隊員たちとの顔合わせ(といっても素顔を晒さず雑面ぞうめん越しだが)を終え、左大臣と他の皇雅軍幹部との挨拶に臨む沙夜は、玖狼を従えているものの、場の雰囲気に圧倒されていた。


 魅侶玖は言わずもがな、左大臣九条とは、離宮で会っている。紫電一位の涼月、二位であるギー、白光一位の夕星とは懇意であるからと、油断していた。


 正面に魅侶玖と九条、両側に紫電・黒雨、陽炎・白光の一位二位で挟まれ、ひとり座位すると――あまりの圧に腹の底が冷える思いがする。さすが皇雅国を支える軍を統括する者たちだ、覇気が違う。

 

 黒い束帯姿の九条が、おもむろに口を開く。

 

「わざわざ集まってもらったのは、他でもない。継承の儀を成す条件に、『瑠璃玉の忠誠』が必須であることは皆知っていよう」

 

 全員に目配りをするように首を巡らせた後で、宣言のように大きく声を発した。


「そこにいる黒姫こそ、『瑠璃玉』を持つ者である」


 ――しん。


 さすがの幹部らも、息を呑む様子を隠さない。

 沙夜は、自ら受け入れたものの大きさを今、実際に目にしている気分だ。事の重大さを自覚し、口角が震えてくる。

 雑面で表情が隠れているのを幸いに、不安と緊張を押し出すかのように少しずつ息を吐く。


「黒姫、それぞれを紹介しよう――紫電一位と二位、白光一位は割愛」

「はい」

「黒雨一位、文佐ぶんざ。二位、詩雨しう


 全体が大きい涼月と違い、黒雨一位は熊のような体格の一方、二位は子どもと見紛みまがうほど小さく華奢である。


「白光二位、雪代ゆきしろ。陽炎一位、那由多なゆた、二位、えん


 雪代は男性であると言われるまで、女性だと思っていた。黒く長い髪に、細面ほそおもて。色白で殿上てんじょう眉(いわゆる、まろ眉)に赤い紅なのが余計に中性さを醸し出している。


 一方の陽炎は、燃えるような髪色でギザギザの歯である那由多と、ねずみのような前歯の円。げっ類の集まりかと思ってしまう。

 

「皆、黒姫をよろしく頼む」

「あのぉ~」


 左大臣の締めの言葉を遮るように、那由多が手を挙げた。


「なんだ」

「よろしくって、具体的にどうすれば?」

 

 ぴくりと九条の片眉が上がる。

 

「なにが言いたい」

「いやだから~。ワイ、お嬢に何してあげたらいいんです?」


 口を開きかけた左大臣をさえぎって、魅侶玖が声を発した。

 

「那由多」

「はい」

「『瑠璃玉の陰陽師』は我が国になくてはならない存在だ。何が起きても、死守しろ」

「なるほど」

「それから、お嬢などと呼ぶな。黒姫だ。いいな」

「はあい」


 雑面越しに、魅侶玖へ感謝の視線を投げる。

 目が合ったような。微笑まれたような。そしてそれを見た那由多がさらに「へえ。殿下の寵愛ちょうあい付きとは。なかなかやるなあ~女陰陽師」とケラケラ言う。


寵愛ちょうあいなんて、もらってない!)


 ところがこの場で発言して良いか、分からない。

 どう振る舞えば良いのか。権謀術数けんぼうじゅっすう渦巻く皇城は、沙夜にとって未知の戦場のようで、恐ろしいだけである。

 

「われの愛弟子に、なんぞ文句でもあるんかえ?」


 助け舟を出したのは、銀髪の鬼であった。

 

「げげ!」

「他も、覚えておくがよい」


 ギーの赤い目がすっと細められる。

 

「涼月と夕星の娘というのを差し引いても、この娘は青剣の眷属とのえにしを結び、冥門を開いた。その能力に疑いなし。われはこれからこの者に修行を課す。白光にさらなる力をもたらす者であるゆえ、手出し無用」

 


(人間よりも、鬼の方が優しいだなんて……)



 沙夜はギーへ深い感謝の念を覚えると同時に、人であることに寂しさを感じてしまった。




 ◇



 

 夜宮へ戻ろうと、後宮の渡殿わたどのを歩いていると――


「ふん。田舎娘が」


 壺庭を挟んだ向こう側を、絢爛けんらんひとえ姿の女性が、侍女たちを引き連れ歩いているところだった。一方の沙夜は、白い狩衣に立烏帽子たてえぼし姿で、後宮に足を踏み入れる際雑面ぞうめんは外している。


 愚闇の言っていた『皇妃候補』のうちの一人であろうことはすぐに分かった。後宮では、聞こえよがしに悪口を言う決まりでもあるのだろうか、と無視して歩いていると、さらに「相応しくない格好」「野蛮」と言われた。相手をするのも疲れる、と聞こえないフリをしたものの――ああいうのが魅侶玖の隣に並び、この国の皇后となる? と考えたら段々腹が立ってきた。


 沙夜の中で、龍樹の強引な策略による呪いを受けたにも関わらず、それを水に流したばかりか寄り添うことを決めた桜宮の存在も大きい。真の姫とは、ああいうものだと思っている。


 以前までなら、どうせ私など、と黙って耐えただろう。だが今は――


「ねえ玖狼」


 ぴたりと足を止め、前方を睨んだまま傍らの狼に告げる。


「ああいう姫が皇后候補って、魅侶玖殿下大変だね」

「そうか?」

「後宮の空気って、変えられないのかな」

「自分で変えたいなら、それこそ皇后にならねばならんぞ」


 それから玖狼は、最も大事なことを言った。


「もし愚闇が言っていた姫が、桜宮のような者だったらどうする。その時は譲るのか? もう少し、自分の気持ちをよく考えろ。最近の黒姫は、周りに振り回されすぎだ」

「振り回されすぎ……」

「焦るな」

「焦ってるのかな」

「そう見える。大体、引っ越しもそうだが、魅侶玖と話さずに決めるな」

「! 玖狼、怒ってる?」

「怒っていない。心配している」


 ちろり、と黒い目が沙夜を見上げ、それからまた前を向いた。


「そうか、まだ十六だものな……幼くて当然よな」

「え?」

「なんでもない」

「玖狼……」


 それ以来口を閉じてしまった玖狼に、沙夜は寂しさを募らせる。



 ようやく居場所と地位を得たはずが、言いようのない不安に押しつぶされそうになった沙夜は、それから悪夢にうなされるようになった。



 何日目かの晩、夢の中に現れたのは、白髪で白く濁った目の、水干すいかん姿の少年だ。


『ハク……』

『さよは、ふあんなの?』

『わからない』

『両親、ギー、魅侶玖、玖狼に愚闇。すずや桜宮。なにが不満なの?』

『っわかってる! 恵まれてるって、分かってるよ!』

『どうして欲しいの?』

『わからない』

『わがままだなあ』

『なんでそんなこと言うの、ハク』

『わがままだよ。じぶんの中身を大して見ずに。周りのせいにする』

 

 喰らうてやろか。

 喰らうてやろか。


『ひ!』

『ああ、餓鬼に目をつけられたよ……彼奴きゃつらはいつも腹をすかせているからね。女の肉は大好物だ。いっそ死んでしまえば、楽だよ』

『いやよ!』

『なんで?』

『だって……わたしがいなくなったら、瑠璃玉が』

『ぼくの術で、夕星に戻すよ』

『魅侶玖殿下は』

『他の姫を寵愛するんじゃない? 候補はたくさんいるよ』

『父様は、母様は』

『任務で忙しい』

『玖狼は、愚闇は』

『山に帰ればいい』


 ずぶずぶと、沙夜の足が闇に沈んでいく。


『さあどうする。さよはどうする』

『いや、ここにいたい』

『なんで? さびしいんでしょ? どこかの村へでもいけばいい。誰かと夫婦になればいい』

『いやよ! わたしは、ここで!』


 青い光が沙夜を覆う。



 ――目が覚めた時、両眼からは大量の涙が溢れていた。



「ハク……心配かけてごめんね……わかった。わかったよ……」


 玖狼の言っていたことも、分かった。

 どんどんと周りに引きずられて、自分が見えなくなり、孤独を感じていた。そのことに、気づいた。


「勝手にひとりになっていたのは、わたしの方だね。ひとりじゃないのに」


 胸に手を当てると、体の中に宿った力が、優しく温めてくれる気がした。


「わたしの人生を、行くよ。わたしの意思で」



 寂しい夜を自身の力で打ち払った沙夜は、ようやく本当の意味で、次の道を歩き始める――

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