第32話 継承の儀 後


「お心安らかに、殿下」


 白光一位の夕星が、低い声で肩越しに声を掛ける。


呪詛じゅそ返しは、滞りなく」


 たった一言で、わざと策にはまったことを全員に伝えるのはさすがだな、と沙夜は胸の中に書き留める。

 

 目を閉じたまま軽く頷く魅侶玖の心は、いでいた。


 何が起きても、動じず。

 すべてを受け入れる。

 皇帝としての素地そじが整ったことを、自覚した。


『その意気や、よし』


 青剣が一層輝いたのをまぶた越しに感じるや、魅侶玖はカッと目を見開き、宣言をした。

 

「青剣なるを戴いて、この国を護ることを心から誓う」


 全員が見守る中、魅侶玖の耳にだけ響く声がある。

 

けがれは、なんとするか』


 迷いなく、応えた。

 

「この身にて受けよう」

『闇は、なんとするか』

「瑠璃玉にてはらおう」

『悪は、なんとするか』

「余が、すべからく呑み込もう」

『血と肉と心を、青剣へ捧げるか』

「捧げる」


 す、と青剣の光が収まる。

 

『ふ、ふ、ふ』


 楽しそうなハクの吐息が、沙夜の耳にも届いた。

 


 ――これほどまでにすべて即答する皇帝は、はじめてだなあ。迷ったら、意地悪な問答をするんだけど。


 

伯奇はくきたわむれには、いくらでも付き合うぞ」

『もういいよ~、魅侶玖。それより、ここは飽きちゃった。早く連れ出して欲しい』

「ふ。ならば、三日でなくとも?」

『だって退屈だもん。早く終わらせちゃおう』

「わかった。その代わり、離宮で蹴鞠けまりでもするか」

『うん! 沙夜も!』

「もちろんだ」


 すく、と椅子から立ち上がった魅侶玖が、振り返る。


「継承、成せり。今から青剣の望む場所へと移る」

「殿下!?」


 思わず呼んだ涼月に、ギーと夕星が同時に「陛下」と被せる。

 沙夜は、笑いそうになるのを必死で耐えたが、鼻息で雑面が揺れてしまった。

 文佐と雪代はすぐに帰りの道を整えるため戸口へ向かい、那由多は首を傾げている。


遷座せんざですよ、那由多殿」

「せんざってなに? お嬢」

「青剣様の、お引越し」

「へえ」


 陽炎一位は、真面目に打合せを聞いていない、とギーが言っていた。

 あれは鬼子おにごだから致し方ない、とも。


 もののけではないのに、もののけのように扱われてしまう、異様な容姿や力を持った、人の子。

 

 何を思ったか陽炎は那由多を引き受けたが、一位二位亡き今、彼をぎょせる者はいないらしい。

 実力は文句なしの一位であるが、常軌じょうきいっした行動を皆持て余している。

 

「どこへ?」

「離宮です」

「あ~……最初の場所?」

「はい。そうです」


 立ち上がった魅侶玖が、ギーと共に台座から青剣を持ち上げるのを見て、那由多は目を細めた。


「あれえ。あっさり持てる物なんだ~」

「いいえ。許されない者が持つと、肉体が弾け飛ぶらしいですよ」

「うひー」

「だから、触っちゃだめです」

「わかったよ~ぉ」


 ギザギザの歯を見せながら頷いたのを見て、沙夜は雑面の下で微笑んだ。

 

 様子を見ていた文佐と雪代は「那由多が素直に頷くだと?」と呆気に取られている。

 

「不思議な娘よな」


 ギーの呟きに、涼月と夕星は誇らしげに頷いた。

 誰もが心を開いてしまうのは、陰陽師として申し分ない能力で、夕星にすらなかったものだ。


「われをも超える陰陽師となりましょう」


 雑面の下で目を細めるのは、母の顔だ。


「ふう。ああして誰にも彼にも好かれると、それはそれで心配だけどな」


 青剣をまるで普通の剣のようにするりと帯剣する魅侶玖にも、全員が戦慄した。


「さあ。もう儀式は退屈だそうだ。さっさと行くぞ」


 

 ――宝剣を愛剣のごとく持ち、散歩のごとく歩き出す。稀代の皇帝魅侶玖の覇気に、全員がかしずいたのは言うまでもない。


 

「黒姫」

「はい」

「ハクが、蹴鞠けまりを所望だ」

「まあ! ふふふ。はい」


 そして、まるで昔からの夫婦のように皇帝に寄り添う、瑠璃玉の陰陽師もまた稀有けうな存在である、と誰もが思うであろうことは想像に難くない。

 微笑ましく見守っていたギーが、赤い目を鋭くし、倒れている女を見下げて放つ。

 

「文佐、雪代」

「「は」」

「それの関係、粛清しゅくせいを」

「「御意」」


 その鬼の身分は、くれない

 内大臣と同等である――




 ◇




「お疲れ様でございました」


 三日目の、午睡のころ。

 夜宮へ戻った沙夜を迎えたのは、すずだ。


「うひー! 全力で遊んじゃった!」


 汗をかいた狩衣を、丁寧に脱がせてもらう。

 


 離宮前の庭でハクを囲み、魅侶玖と沙夜、愚闇と那由多、それからギーの六人で蹴鞠けまりをした。

 涼月と夕星、文佐と雪代はそれを濡れ縁に座って眺め、「アリ」「アリヤー」「オー」と掛け声をかけてくれる。


 その後は池に小舟を浮かべて、歌を詠んだり。

 那由多を鬼にして、追儺ついな(鬼ごっこ)をしたり。


 継承の儀はどこへやら、遊びの儀となったが、最後はハクが「これからも、皇雅国が平和であるように。祈っているよ」と笑顔で戻っていった。

 これからは離宮の一室が青剣の置き場所となった。


「この儀をどう語り継ぐかは……はは、無理だな」


 封印を施し終えた夕星が笑うと、雪代もうんうんと頷いている。


「せいぜい、呪詛返しまでをかっこよく書かせろ」


 涼月が言うと、那由多が喜んだ。


「見破ったワイ、かっこよく書いてもらう!」

「あはは! 是非そうしましょう!」

「やった」


 同意した沙夜に嬉しそうな顔を向ける鬼子を、なぜか全員が複雑な顔で見ていた。


「あー、黒姫。人たらしもたいがいに……」

「でん……陛下? どういう意味です?」

「いや。なんでもない……」


 ともあれ、こうして無事に継承の儀を終え、皇帝魅侶玖が立ったことは、すぐに皇雅国全体へと伝えられた。

 強固な結界と青剣の力によって、国の端々に至るまで、平和がもたらされたのである。


 

「……皇帝陛下がお立ちになられたら、次は皇后陛下、ですわね」


 儀式の緊張から解放されて、ようやく休めると思った沙夜の心に、すずの何気ない言葉が突き刺さった。


「そういうもの、だよね」

「黒姫様?」

「うん……愚闇が言ってた。皇后候補が、これから後宮に来るんだって」


 そのうちのひとりは、呪水法師に利用され、排除されたが。

 これからも続々と入ってくると聞いている。


「よし。ちゃんと陛下になったのを見届けられたんだし。わたしは、次の道を行かなくちゃね!」

「え?」

「すず。引っ越すから。手伝って!」

「ええ!?」

「寮に入ろうかなって言ったら、ギー様がお屋敷に住んでもいいって言ってくれたんだ。そしたら毎日修行できるし。すずは通えないかもだけど、心配いらないよ、ルリがいるから」

「黒姫様!?」


 驚いて動けないすずを置いてけぼりに、沙夜は勢いでさくさくと荷造りを始めてしまった。

 傍らには、いつの間にか式神のルリがいる。


 玖狼は、それらを簀子縁で寝そべり眺めて――大きな溜息を吐いた。

 

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