第13話 深まる闇は、穢れ(けがれ)を呼ぶ
※血の苦手な方は、ご注意ください。
◇
「
「ごめ……申し訳ござりませぬ」
「言葉遣いからしてそのありよう。恥をかくのはこのわたくしぞ?」
沙夜は、額が赤くなるぐらい畳に擦った姿勢で、座礼をしている。
目の前の花瓶に
(差したら、みるみる花の元気がなくなったんだよ……あきらかに水が悪いんじゃないか!)
叫びたいのをひたすらに我慢して、
「げに恐ろしき出自よな。全滅した村の生き残りだそうじゃないか。……そなたがやったのではないか?」
「な! ちがいます!」
これにはさすがに、憤って上体を起こした。
「ほぉ、このわたくしに逆らおうてか」
「逆らうとかっ、ただ、事実ではございませんと申し上げ」
「だまれ」
「!」
はあ~、とこめかみを押さえる彼女の顔色がすこぶる悪いことに、沙夜は気づく。
中でもぼこりと額に浮かび上がる青筋は、異様だ。
イライラを隠そうともしない気難しい中年の女は次に、鋭い視線を部屋の隅に控えている愚闇に投げる。
「そこの隠密。殺気をしまえ。これは、
「……指ひとつでも
「はん、言葉ではどうとでも」
が、控えめな隠密には珍しく、あからさまに脅し文句を言った。
「それ以上調子に乗るな。後悔することになる。身分をわきまえろ」
「ぐ」
「愚闇」
まだ何か言いそうだったので、沙夜は止めた。あまり脅してもよくない。こういった
「……当然のことを言ったまでですよ」
しれっと言ってのける忍装束に、尚侍はこれ以上関わる気はないらしい。
「っ、気を
しゅさり、とたちまち立ち上がったかと思うと、ドスドスと足音を鳴らしながら、去っていく。
その後ろに慌てて付き従う者どもも、誰一人として例外なく沙夜へ侮蔑の視線を投げながらだったので、姿勢を直すフリをしてパタパタと袖を振る。
受け止めません、という自分なりの意思表示だ。
沙夜は部屋にひとり残されてから、ようやく次の言葉を発した。
「んもー、愚闇~ひやひやしたよ~~~」
「さすがに腹立ったんで。よく我慢してますね」
「だって。しょうがないもん。どこにも行くとこなんてないしさ」
「っ」
「だから、あんまり喧嘩ふっかけちゃだめ。分かった?」
「……はい」
渋々頷く愚闇に微笑みかけてから、沙夜は差す前の百合と花瓶を持って、濡れ縁へ出る。
「おん!」
ギーの
そんな彼は、黒いつぶらな瞳で
「玖狼~。この水、なんか変だよね?」
沙夜が花瓶を鼻先に持っていくと、玖狼はその中を軽くすんすんした後で、やはり「ぐるるるる」と唸った。
「あーあ。やっぱり。
「性格悪いっすね。よくそんなこと思いつくなあ」
横からその花瓶をひったくる愚闇を見上げて、沙夜が「それ、どうするの?」と聞くと――
「尚侍の部屋の花瓶に、中身ぶっこんどくっす」
隠密が、覆面越しでもニヤリとしたのが分かった。
「愚闇!? 本気!?」
「本気っす。やれって思ったっしょ?」
「あっは! 思った!」
沙夜にとって、玖狼とこの気安い隠密、さっぱりとした性格である侍女のすず、そして
「今日も変わりはなかったか?」
と一日おきに必ず訪れる
どれだけ嫌なことがあっても、彼らに接することで、乗り越えることができた。
後宮全体が、ヒョウヒョウと鳴く謎の声に、
◇
ヒョウ、ヒョウ。
小娘め……馬鹿にしおって……
ヒョウ、ヒョウ。
平民から
ヒョウ、ヒョウ。
気に食わぬ。気に食わぬぞ……!
ヒョウ、ヒョウ。
ひひひ、ひひひ。ならば、くびりころせばよいなあ。
◇
(ああ苦しい。
なんだろう?
息が、できな……)
「沙夜!」
「はっ!」
目が覚めた沙夜の目の前に、焦る魅侶玖の顔があった。額から流れる汗の粒が、ぽつぽつと沙夜の頬に落ちてくる。
「無事か」
「え」
どうやら上半身を抱きかかえられているようだ。たくましい腕の中で、訳が分からず頷く。無事ではある――けれど周囲の気配がおかしい。
首をめぐらせようとした沙夜に、
「見るなっ!」
と強く叫ぶ魅侶玖の声は、それでも遅かった。
「ひ!」
白目を剥いて仰向けに倒れている女は、首元を切られている。
「ないしの、かみっ!」
事切れた尚侍から飛び散った赤が、沙夜のいつも使っている布団の色を変え、畳をどす黒く染めていた。
その傍らに片膝をつくのは、愚闇。手には赤黒く濡れた忍刀を逆手に持っている。
(そうだ、ここはいつもの寝室だ。間に玖狼を挟んで、魅侶玖と並んで眠って、それから――
赤い……
血の、匂い……
ああ、これ……あのときとおなじだ。)
「ばあば」
(なんで死んじゃったの?
なんでみんな食われちゃったの?
なんでわたしをひとりにするの?)
「ああ、憎しや憎し」
「沙夜!」
「うつしよも、かくりよも」
「沙夜! いかん、様子がおかしい。今すぐギーを呼べっ、ぐ」
「殿下っ!」
「な、んだこれは……」
うつろな目をした沙夜を抱きかかえた魅侶玖の体から、黒い
それを見た愚闇は、たちまち戦慄する。
「まずい、
血のついた忍刀をさっと
「呼んだか、愚闇」
玖狼が、唐突に
「は」
「なるほど穢れとはな……厄介なことよ」
にやりと笑うその口元から犬歯をのぞかせ、彼はその体をいつもより二回り大きくする――その様は、犬ではなく狼だ。
「
「は! 玖狼様!」
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お読み頂き、ありがとうございます!
古文では謝罪の時に「ごめんなさい」「申し訳ございません」は出てこないですよね。
「畏れ多い」「かしこし」「かたじけない」のような表現だそうですけれど、読み辛いので現代口語で書いております。
他も色々そんな感じで、スルーいただければと思いますm(__)m
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