第20話 宿縁 ~左大臣の視点~



 左大臣である俺は、いつも通り黒い束帯そくたい姿で、皇城内のとある部屋に居た。陰陽術であらゆる目から隠れる仕様になっている、特別な部屋だ。

 

 その眼前には、並んで跪坐きざ(片膝立ちでひざまずくように座ること)する黒雨くろさめ一位と二位が居る。一位は大きな体に太い骨格、二位は子供と見紛みまごう程小柄で華奢であるが、ふたりとも覆面と忍装束でその面貌は分からない。


「用意した『替え玉』が先程、致しました。何らかの術であるとのこと。全てお見通しとは……げに恐ろしいですぞ、左大臣殿」


 口を開くのは、黒雨一位。野太い声で、存在自体に威圧感がある。

 

「俺ではない。夕星ゆうつづだ」


 茶を口に含んでから、懸盤かけばんの上に碗をとん、と置いた。口の中をゆすぐようにしてから、また口を開く。

 

「国宝の力には限りがあるに違いないと、ずっと訴えていたからな。その証拠に、年々けがれの強まる陛下へ密かに解毒げどく術を施しておった。さらには、継承の儀をせぬまま冥界へ渡られることも見通していた。陛下の情は龍樹にあるが、素養は魅侶玖であるからして、決断せずかれるのではと」

涼月りょうげつと夕星が姿を消したのは、十年以上前のことでありまするぞ!」


 隠密が感情を荒らげることは珍しい。それほどまでに、希代の陰陽師の作った盤の上で事が進んでいるようにしか思えず、そら恐ろしいのだ。

 両袖口に反対の手を差し込んで、腕を組む。過去の記憶を、脳裏に映す。

 

「俺も半信半疑であったがな……まさか娘に力の一部を託して、賭けに出るとは思わなんだ。それもこれもみな」

「っ、ギー様の御為おためであらせられる」

「うむ」


 ふー、と眉間に深いしわを寄せ、目を閉じる。

 

 夕星の、低く朗々と唱える真言の数々を思い出す。強い意思を内包した音は、いつでも俺の心をざわつかせた――ひょっとして、人あらざる者なのではないかと。そんな女が選んだのが、涼月という類稀たぐいまれな武人なのもまた、頷ける。いったい誰が、鬼より強い人間がいるなどと想像できただろうか。


 実際、試合稽古であれギーに片膝を突かせたのは、数百年の中でも彼のみだという。


 

「老いたものよなぁ」

 

 

 楽しそうに笑って紫電一位を譲ったギーよりも、悔しそうに肩を震わせる夕星の方を覚えている。


 

 そんな過去から現実へと、思考を無理やりに引き戻した。


「とはいえ、青剣あおのつるぎまでお隠れになるとは想定外であった。民の犠牲はとどまるところを知らぬ。まったく胸の痛むことよの……」

 

 夕星の一人娘である沙夜に危機が迫った場合、黒雨の者が皇都へ導く手筈を整えたのは、他でもない、俺自身だ。皇太后である夕宮――夕の字を夕星に与えるほど可愛がっていた――の印をついた書状を預け、後宮司所つかさどころへ現れたらそのまま自身で囲うつもりで。


 ところが、愚闇はなぜかギーの元へと連れていった。

 想定外であったものの、離宮で会った沙夜は、顔立ちこそ涼月によく似ていたが、意思の強そうなところが夕星に似ていて思わず微笑んでしまった。

 

 女嬬にょじゅとして預かる訳にはいかない、さてどうしたものかと悩んだのもひと時のことで、魅侶玖殿下の心の機微きびを悟った。試しにと――まさか更衣に召し抱えるとは思ってもいなかったことだが、嬉しくもあった。第一皇子の頑なに閉じた心を、俺なりに心配していたからだ。

 

「未来を切り開こうぞ。そのためには」

「……粛清はこちらにて」


 暗黙の了解とばかりに、隠密ふたりが深く頭を下げてから姿を消す。



 何もない空間に向かって、誰ともなく言を放つ。


「龍樹殿下は、殺しすぎた……直接でないにしろ、恨みは穢れを助長するぞ。皇帝の座に近い魅侶玖殿下の方が先かと思うておったが」


 

 その身に皇帝の血を受け継ぐものは、過去数百年の穢れをも受け継ぐ――実際先に倒れたのは、魅侶玖の方だった。


「早く決着をつけねばな……いくらそなたの『先見せんけんめい』あれど、間に合わなくなるぞ。夕星よ」

 



 ◇

 


 

 とっくに日が昇っているはずの時間であるのに、未だ薄暗い。

 朝の空気の中で、チュルチュルと鳴く百舌鳥もずが、早くも縄張りを主張している。

 

 秋を迎えようかという皇城天守閣にある小さな書庫は、不便な場所にあって滅多に使われない。おまけに入り口の狭い密室であるので、人払いに最適だ。

 そこで、第一皇子である魅侶玖殿下は腕を組んで胡坐あぐらをかき、これ以上ないぐらいに険しい顔をしている。

 その向かいには、膝を突き合わせて座す、紫電二位。こちらも胡坐をかいているが、対照的に優雅な笑みを浮かべている。


 左大臣である俺は二人に挟まれて、とにかく居心地が悪い。とりあえず愛想笑いを浮かべておくことにする。


「やはり死の呪いだったよ、夢。無事でなにより」

「だが影武者には申し訳ないことをした」

「われが、迷わないよう冥へ送ったよ」

「かたじけない」


 ギーとそのような会話をしていると、魅侶玖殿下は待つ間も惜しいとばかりに声を荒らげた。

 

「おい! 沙夜が夕星ゆうつづの娘だと、なぜすぐに言わなかった! 知っていたんだろう、そこのからす!」

「うえっ!? オイラただの道案内兼護衛ですもん……思いついて、ギー様に会わせただけですよ。いくら殿下でも、からす呼ばわりやめてください」


 ギーの斜め後ろで縮こまっていた愚闇が、ねる。

 産まれてわずか十年で烏天狗に成るなどと、前例のない速さゆえに当然幼い。まだ十歳そこそこかと思うと、誰もそれ以上は何も言えない。


「っ……おい、ギー。お前、はなから気づいていたんじゃないのか!?」

「おやおや。今度はわれに八つ当たりとは」


 あれほど具合の悪そうだった紫電二位は、なぜか気力みなぎり、存在だけで恐ろしさを覚えるほどだ。目力だけで相手をひるませるような迫力だが、第一皇子の矜恃きょうじか、魅侶玖殿下も負けてはいない。

 そのビリビリとした空気に、愚闇は嫌そうな顔をして割って入る。

 

「あーのー! それより夜宮様は、ご自身が『餌である』と察していらっしゃいましたよ」

「う」

「殿下の逢瀬おうせがなくなり、ふみも来なくなったって愚痴ってましたけど。会わなくて良いんですか?」

「!」


 たちまちボッと赤くなられる理由が分からないのか、愚闇が首を傾げているのがまたおかしい。

 ギーがころころと楽しそうに喉を鳴らした。

 

「これはこれは。熱烈なこと」

「? とにかく、めっちゃくちゃ怒ってたので、早めに何かしら」

 

 無邪気に指摘する愚闇の意見を、殿下は焦って遮る。

 

さといからこそ、黙っていたのだぞ! 知るほど危険ということもある。護衛がいるなら問題なかろうが!」

 

 珍しく感情を抑えず素直に怒っているのが、おかしくてたまらない。

 しかも愚闇は恐れることなく「殿下のそれって言い訳ですよね」と言い切るのだから、殊更ことさら

 

「違う!」


 だが、言い争いは時間の無駄でしかない。



 ――パンッ

 


 乾いた音が、白熱したふたりの空気を切り裂いた。

 

 ギーが強く手を振ってみやびな赤い扇を開いた音である。それでゆるやかに顔を扇ぎつつ目を細めた。

 

「さて。そろそろ愚かな傀儡くぐつが動いた頃であろ」

 

 愚闇が、ふうと息を吐いた後で襟を正して向き直る。

 

「は。予想通り龍樹殿下が先ほど、皇帝位に就き継承の儀をと蜂起ほうきされました。皇城内を陽炎かげろうの一部が占拠している模様です」


 それを聞いた第一皇子は、ぎゅっと眉間にしわを寄せながら、思考を整理するように天井を仰ぐ。


「やはり陽炎はあちらにつくか……結局、夕星ゆうつづの手のひらの上だなあ」


 

 病で弱っていく正妃。ひとり皇子。有力貴族からの圧。

 

 前皇帝は心優しい気質のため、それらの状況にあらがえず、有力貴族筆頭の娘である清姫きよひめを、側妃として迎えざるをえなかった。

 そうして授かった龍樹が第二皇子となり、彼を清宮きよみや派が出来上がる。


 その状況を憂い、裏で皇雅軍の結束を強めたのは、他でもない紫電一位である涼月りょうげつの力だ。

 ギーとの模擬試合であれ、『鬼に片膝を突かせる』ほどの豪勇と、稀代きだいの陰陽師を妻にする度量でもって、個々が強い者たちすらもまとめあげていた。

 ただ、式や術の道具で湯水のごとく陽炎だけは、取り込めない。しかも立て続けに皇太后、正妃と身罷みまかり、いよいよ皇帝自身もとこせることが多くなってしまったという時に――


 皇雅国最強の夫婦が、突然消息を絶った。

 

「十二年、か」


 魅侶玖殿下の呟きで紫電二位の気が鋭くなり、俺の背に冷たいものが駆け抜けた。

 

「十二年? ということは……一周、か!」

「ギー? 一周とは」

「十二方位・方違かたたがえの術を施したに違いない……殿下! 陛下が冥へから、何日経ちまするか」

「? もうすぐ四十九日だ。喪が明ける」


 『黒』狩衣の良く似合う殿下は、戸惑っている。

 

「ふく、ふくくく。げに恐ろしきかな、陰陽師。やはり龍樹の蜂起すら織り込み済みよの」


 ギーが確信を持った目で、告げる。


にえ、成りらむ」

「贄とはなんだ」

皇雅こうがの民と、宝剣を者の血であるかと」


 

 ――ぞっ。



龍樹りゅうじゅ……っ」

 

 魅侶玖殿下は思わず片膝を立てた。たとえ小憎たらしく相容れない存在であろうとも、血を分けた弟だ。

 そのようなまっすぐな心が、眩しく、そして


いくさの匂いがしてきました」

 

 どこかのんびりとした愚闇の声が、余計に焦燥を駆り立てるようで、若い皇子は拳をぎりぎりと握りしめる。


 その横で、鬼がニタリと笑った。

 

「ふくく。いよいよハク様ご来臨の機、整ったり」

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