第20話 宿縁 ~左大臣の視点~
左大臣である俺は、いつも通り黒い
その眼前には、並んで
「用意した『替え玉』が先程、
口を開くのは、黒雨一位。野太い声で、存在自体に威圧感がある。
「俺ではない。
茶を口に含んでから、
「国宝の力には限りがあるに違いないと、ずっと訴えていたからな。その証拠に、年々
「
隠密が感情を荒らげることは珍しい。それほどまでに、希代の陰陽師の作った盤の上で事が進んでいるようにしか思えず、そら恐ろしいのだ。
両袖口に反対の手を差し込んで、腕を組む。過去の記憶を、脳裏に映す。
「俺も半信半疑であったがな……まさか娘に力の一部を託して、
「っ、ギー様の
「うむ」
ふー、と眉間に深いしわを寄せ、目を閉じる。
夕星の、低く朗々と唱える真言の数々を思い出す。強い意思を内包した音は、いつでも俺の心をざわつかせた――ひょっとして、人あらざる者なのではないかと。そんな女が選んだのが、涼月という
実際、試合稽古であれギーに片膝を突かせたのは、数百年の中でも彼のみだという。
「老いたものよなぁ」
楽しそうに笑って紫電一位を譲ったギーよりも、悔しそうに肩を震わせる夕星の方を覚えている。
そんな過去から現実へと、思考を無理やりに引き戻した。
「とはいえ、
夕星の一人娘である沙夜に危機が迫った場合、黒雨の者が皇都へ導く手筈を整えたのは、他でもない、俺自身だ。皇太后である夕宮――夕の字を夕星に与えるほど可愛がっていた――の印をついた書状を預け、後宮
ところが、愚闇はなぜかギーの元へと連れていった。
想定外であったものの、離宮で会った沙夜は、顔立ちこそ涼月によく似ていたが、意思の強そうなところが夕星に似ていて思わず微笑んでしまった。
「未来を切り開こうぞ。そのためには」
「……粛清はこちらにて」
暗黙の了解とばかりに、隠密ふたりが深く頭を下げてから姿を消す。
何もない空間に向かって、誰ともなく言を放つ。
「龍樹殿下は、殺しすぎた……直接でないにしろ、恨みは穢れを助長するぞ。皇帝の座に近い魅侶玖殿下の方が先かと思うておったが」
その身に皇帝の血を受け継ぐものは、過去数百年の穢れをも受け継ぐ――実際先に倒れたのは、魅侶玖の方だった。
「早く決着をつけねばな……いくらそなたの『
◇
とっくに日が昇っているはずの時間であるのに、未だ薄暗い。
朝の空気の中で、チュルチュルと鳴く
秋を迎えようかという皇城天守閣にある小さな書庫は、不便な場所にあって滅多に使われない。おまけに入り口の狭い密室であるので、人払いに最適だ。
そこで、第一皇子である魅侶玖殿下は腕を組んで
その向かいには、膝を突き合わせて座す、紫電二位。こちらも胡坐をかいているが、対照的に優雅な笑みを浮かべている。
左大臣である俺は二人に挟まれて、とにかく居心地が悪い。とりあえず愛想笑いを浮かべておくことにする。
「やはり死の呪いだったよ、夢。無事でなにより」
「だが影武者には申し訳ないことをした」
「われが、迷わないよう冥へ送ったよ」
「かたじけない」
ギーとそのような会話をしていると、魅侶玖殿下は待つ間も惜しいとばかりに声を荒らげた。
「おい! 沙夜が
「うえっ!? オイラただの道案内兼護衛ですもん……思いついて、ギー様に会わせただけですよ。いくら殿下でも、
ギーの斜め後ろで縮こまっていた愚闇が、
産まれてわずか十年で烏天狗に成るなどと、前例のない速さゆえに当然幼い。まだ十歳そこそこかと思うと、誰もそれ以上は何も言えない。
「っ……おい、ギー。お前、
「おやおや。今度はわれに八つ当たりとは」
あれほど具合の悪そうだった紫電二位は、なぜか気力
そのビリビリとした空気に、愚闇は嫌そうな顔をして割って入る。
「あーのー! それより夜宮様は、ご自身が『餌である』と察していらっしゃいましたよ」
「う」
「殿下の
「!」
たちまちボッと赤くなられる理由が分からないのか、愚闇が首を傾げているのがまたおかしい。
ギーがころころと楽しそうに喉を鳴らした。
「これはこれは。熱烈なこと」
「? とにかく、めっちゃくちゃ怒ってたので、早めに何かしら」
無邪気に指摘する愚闇の意見を、殿下は焦って遮る。
「
珍しく感情を抑えず素直に怒っているのが、おかしくてたまらない。
しかも愚闇は恐れることなく「殿下のそれって言い訳ですよね」と言い切るのだから、
「違う!」
だが、言い争いは時間の無駄でしかない。
――パンッ
乾いた音が、白熱したふたりの空気を切り裂いた。
ギーが強く手を振って
「さて。そろそろ愚かな
愚闇が、ふうと息を吐いた後で襟を正して向き直る。
「は。予想通り龍樹殿下が先ほど、皇帝位に就き継承の儀をと
それを聞いた第一皇子は、ぎゅっと眉間にしわを寄せながら、思考を整理するように天井を仰ぐ。
「やはり陽炎はあちらにつくか……結局、
病で弱っていく正妃。ひとり皇子。有力貴族からの圧。
前皇帝は心優しい気質のため、それらの状況に
そうして授かった龍樹が第二皇子となり、彼を
その状況を憂い、裏で皇雅軍の結束を強めたのは、他でもない紫電一位である
ギーとの模擬試合であれ、『鬼に片膝を突かせる』ほどの豪勇と、
ただ、式や術の道具で湯水のごとく
皇雅国最強の夫婦が、突然消息を絶った。
「十二年、か」
魅侶玖殿下の呟きで紫電二位の気が鋭くなり、俺の背に冷たいものが駆け抜けた。
「十二年? ということは……一周、か!」
「ギー? 一周とは」
「十二方位・
「? もうすぐ四十九日だ。喪が明ける」
『黒』狩衣の良く似合う殿下は、戸惑っている。
「ふく、ふくくく。げに恐ろしきかな、陰陽師。やはり龍樹の蜂起すら織り込み済みよの」
ギーが確信を持った目で、告げる。
「
「贄とはなんだ」
「
――ぞっ。
「
魅侶玖殿下は思わず片膝を立てた。たとえ小憎たらしく相容れない存在であろうとも、血を分けた弟だ。
そのようなまっすぐな心が、眩しく、そして
「
どこかのんびりとした愚闇の声が、余計に焦燥を駆り立てるようで、若い皇子は拳をぎりぎりと握りしめる。
その横で、鬼がニタリと笑った。
「ふくく。いよいよハク様ご来臨の機、整ったり」
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