第21話 遺言のお導き

 

 魅侶玖への報告のためと、ギーは愚闇を伴って皇城へ戻った。

 一方の沙夜は、桜宮を安全な場所へ移すため、後宮護衛方の到着を待っていた。

 玖狼の毛並みに顔を埋めて、先ほどまでの恐ろしい光景を消化しようと努めながら。


おごるな、か……」

「キツイ言い方をしてすまなんだ」

「ううん。玖狼の言う通り。強い力を持っただけのわたしは、傲慢だった。あんなのを倒せるだなんて、錯覚してはダメ」

「正しい心の在り方も術も、徐々に修行や修験しゅげんで得ていくもの。焦るなよ、沙夜」

「うん」

「夜宮殿……」

「あ! 気づいた?」

「ええ」


 気絶をしたまま寝かせておいた桜宮が、身を起こす。

 顔色はいくぶんかましになったように見える。


「大丈夫? 巻き込んでしまって、ごめんなさい」

「そんな! わたくしこそ、見当違いの恨みをぶつけに来たのですから……むしろ、あのような恐ろしいものを退治していただき、感謝をいたしております」


 布団から流れるように下りて、すっと礼をする。

 桜宮の言葉や仕草を目の当たりにして、沙夜は『姫とはこうあるべき』と教わった気分になった。

 

「綺麗……」

「え?」

「あ。うんと。女のわたしから見ても、桜宮殿はとっても綺麗だなって」

「まあ」


 嬉しそうに微笑む様を見て、ようやくホッと一息を吐いた沙夜へ、玖狼が厳しい声を投げかけた。


「息つく暇もないとはこのことだ。いくさの匂いがしてきた」

「え!」


 驚く沙夜の一方で、桜宮は険しい表情をする。

 

「戦……まさか、龍樹殿下が……」

「ちょ、どういうこと!?」

「以前から、皇帝の地位を手に入れるために画策している、という噂があったのです」

「なるほど! だから魅侶玖は、わたしを餌にしたのねー?」


 厭味ったらしく黒狼を見やると、びくん、と体が跳ねた。


「殿下がそのようなことを!?」

「あーいいのいいの。ほら、特別に護衛とかつけてもらったし、そんなことだろうと……あとで叩きのめすけど!」


 沙夜の言葉に、桜宮は目を丸くする。


「叩き!?」

「ん?」

「あの、怖くは、ないのです?」

「全然怖くないよ。なんかすごい不器用な人ってだけだよ」

「っ」


 絶句した後で、眉尻を下げられた。

 

「……それほどまでに、夜宮殿にはお心を開かれているのですね」

「え?」


 どういう意味か問いただそうとしたが、異様な気配にはばまれた。



  

 ――ねちょり。



 ――ねちょり、ねちょり。


 

「ひ!」

 

 恐ろしさに強ばる桜宮を気遣いながら、沙夜は目を鋭くする。


 

 ――うぞうぞうぞ……ねちょり、ぺたりん



「玖狼は、桜宮殿を」

「沙夜っ」

「大丈夫。今度はきちんと、やってみせる」


 

 昼前だというのに、目の前の庭に、今度はうぞうぞとうごめくあやかしが、何体も浮かんでいた。




 ◇

 

  

 

 鮮やかな青の小袖こそでに黒い打袴うちばかま姿の後宮の更衣がひとり、部屋から簀子すのこ縁へ踏み出す。動きやすさのため、うちきひとえは身に着けていない。強い意志でもって唇を引き結び、目を閉じてから深く息を吸って吐く。

 

 それからカッと見開いたその瞳は、瑠璃色に輝いていた。しゅさり、と衣擦きぬずれが鳴る。カアッと遠くで烏が鳴く。


「……まよいあやかし、はよかえり。めいのもんは、とじかけり。るりのまもりにゃかなわんて」

 

 低く穏やかな声で歌い、複雑な手の印を結ぶ沙夜は、落ち着いていた。


おごらず。清らかに)

 

 目の前には多数のあやかしがと浮かんでいる。普通なら泣き叫んでもおかしくはない状況であるのに、その心の様はまさになぎであった。


 左足をすり足で前に出し、次の右足を先の左足に引き寄せて前に出すことを、三度繰り返す。

 これもまた祖母に教わった。大切な歌を歌う時の歩き方だよ、と。

 


 後宮へはべり、正しきものを門へ導け――


 

 今沙夜の頭に浮かんでいるのは、星影ほしかげの笑顔だ。厳しい暮らし、温かい手。一度も「あれをせよ」「こうあれ」とは言われなかったが、共に居るだけで背筋の伸びる思いがしていた。所作、立ち居振る舞い、物の見方考え方。思い出の中に、全ての教えがある。


「ねえばあば……正しきものって? 門って、どこ?」


 喉も、手も、記憶も。

 連綿と続く血を感じ、それをたぎらせ、沙夜はただひたすらに舞う。


「分からないけど。わたしは、わたしにできることを!」


 

 ――ねちょり

 

 ――ぺたり、ねちょん

 


「わおおんっ!」

 

 一体のあやかしが沙夜の肩に触れようとしていたのを、玖狼は威嚇する。


 動きの鈍ったあやかしをふわりと舞って避けたが、すぐにまた追ってくる。宙をさらりと飛んでいく広袖が、かわす。絡めとらんと、懸命に伸びてくる。ひらり、ひらりと歌いながら、舞っている。

 

 うぞうぞとしたがこぞって追うは――たなびく黒髪に青いころもの、華麗に羽ばたくオオルリアゲハ蝶のような陰陽師の娘だ。

 

「いと、うつくし……」


 恐怖を忘れたかのように、桜宮さくらのみやがほうっと感嘆の息を漏らす。

 その横で、玖狼はぐるると唸りながら言う。


「あれこそが、瑠璃玉を受け継ぐ陰陽師だ。舞っているように見えるは、悪鬼あっき調伏ちょうぶくのための反閇へんばい(特有の足さばき)」

「おん、みょうじ……」


 やがてうごめく黒いものたちが、一箇所に吸い寄せられる。

 

「まよいあやかし、はよかえり」

 

 先ほどまでとは違い、甲高く強い言葉を発した沙夜が、パン! と大きく一度柏手かしわでを打つ。



 ――ろーろろろろろ……



「っ! 消え……」


 桜宮が驚くのも無理はない。

 あれほど醜悪な存在感を放っていたあやかしたちが、満足げに鳴いたかと思うと、徐々に薄まってやがて消えたのだ。


「見事なり! あおおおおおん」


 玖狼の遠吠えが、後宮に響き渡った。


「ふあ~疲れた! 暑い!」


 汗みどろの沙夜が、部屋の前にへろへろと戻ってきて、どさりと腰を落とした。

 普段着とはいえ、小袖こそで姿で舞を舞うのは重労働だったに違いない。

 

 桜宮がささっと駆け寄り、額に手ぬぐいを当てる。その顔が安堵しているのを見て、沙夜の疲れは吹き飛んだ。


「素晴らしき調伏ちょうぶくでございました」

「えへへ」


 そうして気を抜いたのも束の間、ばさりと大きく黒い翼をはためかせて降り立ったのは、烏天狗の愚闇だ。


「沙夜、無事か!」

「無事。遅いよ愚闇ー」

「すみません……」

「! 怪我、してるの!?」

「あー、大丈夫です。すぐ治ります」


 愚闇の右腕が、痛んでいる。刀傷の上から焼かれたような――


「術の匂いがするな。陽炎かげろうか」


 玖狼がすんすん鼻を揺らすや、隠密は硬い声を発する。


「はい。ここも危険です。桜宮様、安全な場所へ」

 

 いつの間にか沙夜たちの背後に、黒雨と思われる忍装束がふたり、静かに立っていた。沙夜はそっと立ち上がり桜宮の移動を促す。

  

「夜宮殿は、いずこへ?」

 

 不安そうな彼女に、真摯しんしに向かい合う。

 

「うんとね……迎えに行かなくちゃ」

「迎え?」

「うん。心配いらないわ! また、おしゃべりしましょうね!」

「……約束、よ?」

「はい!」


 沙夜が笑顔で頷くとようやく、桜宮は歩き出した。

 その背を見送ってから、きりりと眉間に力を入れ直す。

 

「離宮へ。きっと、そこだ」

 

 短く発するその音には、覚悟が乗っていた。

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