第19話 蜂起 ~龍樹 抄~


「お美しい」

「清宮様の美貌を想像するに難くないかんばせであらせられるなあ」

「並みの姫では太刀打たちうちできぬであろう」

「いやはや」


 幼心に、男への誉め言葉だろうかと首を傾げながら、濡れ縁にかしこまって座り、ただ口角を上げていた。


 庭では狩衣姿の男たちが、まりを蹴っている。


 部屋の奥、御簾みすの向こう側から声を掛けられる。


「龍樹。こなたは皇帝になる者ぞ」

「はい、ははうえさま」

「あれらは皇城の中枢におわす者どもじゃ。ようよう、覚えめでたく振る舞うのじゃぞ」

「はい」

 

 覚えめでたく振る舞う。

 覚えめでたく振る舞う。

 覚えめでたく振る舞う……



 誰もかれも、余の顔しか見なくなった。

 



 ◇


 

 

 後宮主殿にある三之間さんのまと呼ばれる広い部屋。

 調度品はぜいを尽くしたものが多く、皇帝が貴族や役人と接見するのに、好んで使っていた部屋である。黒漆に蒔絵まきえ螺鈿らでんの細工が施された、唐櫃からびつや二階棚が並べられていた。

 

 は、御簾みすの下がった御帳台みちょうだいの手前に二帖にじょうの畳を置き、その上のしとね胡坐あぐらをかいて座っていた。胡乱うろんな目線を投げる先にいるのはだ。猿のような顔をした水干すいかん姿の少年で、余の私室にひょうひょうと紛れ込んできたのを陽炎かげろう部隊が捕らえたならば、あろうことか「国宝・青剣あおのつるぎ眷属けんぞくである」と名乗ったのである。

 

「ウキャキャ、龍樹りゅうじゅ様。これにて信じていただけたでございましょうか?」


 目の前に置かれているのは、金銀財貨の山だ。黒い鉄箱に雑多に入れられている。


「国宝の眷属というだけはあるか。本物ならばな……大蔵おおくら、鑑定せよ」


 脇に控えていた紺色の束帯そくたい姿の男に声を掛ける。皇城の金庫番と言われる『大蔵おおくら』の役人だ。名は、知らない。

 

「はっ」

「キャキャ、手厳しいっ」


 ぬえと名乗った怪しげな存在をそのまま鵜呑うのみにするほど、余は馬鹿ではない。

 

 国宝の眷属であるのならそれを証明しろと言うと、無理難題を三つまで叶えると言われたので――ひとつめは雨を晴れに、ふたつめは首を縦に振らなかった姫を後宮に参内さんだいさせよと願い、どちらも叶った。

 

 みっつめは、確信を得るためと言うよりも、皇雅国こうがのくにの中枢を掌握するための財を集めるのに利用した。


「そちが真に青剣あおのつるぎの眷属と仮定して。目的はなんだ?」


 御簾みすの向こうには、母である清宮きよみやが居る。

 

 金銀を見て目の色を変えているであろうが、ここから見えないのは幸いだと自嘲の笑みを噛み殺す――実の母が欲望に目をギラつかせている姿は、子として見たくはないものだ。


「主君を見定め、その欲を叶えることにございまする!」


 ぬえは、少年らしい無邪気な笑顔で言い放つ。


「見返りは、なんだ」

「我が欲は、主君の欲をずいまで喰らうことにございますれば」


 なんだそんなことか、と内心でほくそ笑む。

 大蔵が、本物であると目で合図したのを確認し、鷹揚に告げる。

 

「そなたを眷属と認める。我が欲、喰らいつくしてみよ」


 それを聞いたぬえは、正座して声を張った。


「ちぎり、なせり!」



 その日から、夜の闇が訪れるたび、不気味なヒョウヒョウと鳴く声が後宮にこだまするようになり、次々と姫や女官たちが病んでいった。




 ◇


 


 余の心は、乱れに乱れていた。

 自室でひとり、しゃくを振り回しながらぐるぐると歩き回ってみるが、落ち着かない。


「なんで! なんでっ……」


 あれほど周りをうろちょろしていた、が消えた。

 いくら呼んでも現れないことに、一人で焦っていた。

 

 皇都近郊にもいよいよあやかしが出没したとのしらせが、何度も来ている。城内は慌ただしく、早くも屋敷に引きこもって参内さんだいを拒む貴族が出て来ている。

 

 腹違いの兄である魅侶玖は、皇帝の座にまるで興味がない態度だったから油断していた。おまけに「龍樹様こそふさわしい」「栄華の世を、共に過ごしましょうぞ」などと持ち上げられ、満更でもなかったのもある。

 

 

 ところが、あやかしが出没し始めてから、状況が一変する。


 

 地方官吏かんりから手紙だけならまだしも――

 

「できるだけ早く軍を派遣してくれ」

「陰陽師はもういないのか」

「補給はまだか」


 何度も焦燥した様子の使いが直接皇城までやってくるようになると、皆が皆震えあがったのである。


 お喋りや歌、楽器をたしなむ優雅な日々は、平和であればこそ。

 

 次々と舞い込んでくる逼迫ひっぱくした状況は、皇都に暮らす貴族たちの不安を煽るのに十分で、魅侶玖に鞍替えする勢力が続発した。

 

 幼少時から武家筋の稽古に交じり、剣の腕を磨いてきた第一皇子は、当然紫電を動かすのも容易たやすい。

 恵まれた身長や体躯、泰然とした雰囲気は、皇帝というよりは武人と言われた方がしっくりくる。

 

 そのことが、余計はらをざわつかせる。

 遥か昔に国宝青剣をいただいて、皇雅国こうがのくにを平定したという皇帝『羽玖はく』は、体格良く勇猛果敢であったと伝わっているからだ。


「いやだっ! 余が、皇帝になるんだっ、……ならなくちゃっ……」

 

 魅侶玖、魅侶玖と皇城では兄の名しか聞こえない、自分は呼ばれない。もはや自分の居場所すら分からない。

 だから『皇帝』という地位に固執こしゅうするしかなかった。何も手に入らない。この手のひらからは、全部流れていって消えてしまう。愛する人さえも――



 ちりりん。



 ぶるぶると震えが止まない手で、どうにか手元にある鈴を鳴らすと、紫の束帯そくたい姿で狐顔の男が、いくらもせずやって来た。しずしずと入室し慣れた様子で立礼後、たおやかに座す。


「内大臣。九条は?」


 振り乱した頭髪を整えもせず、上から睨みつける。

 

になりました。手筈てはずは整っておりますゆえ、今こそ、お立ちになるべきかと」

 

 内大臣は狐目を一層つり上げて微笑んでから、かしこまって深々と座礼をする。その仕草を見て、満たされたような気持ちになった。

 

「あいわかった」


 

 ――兄者。誰もがあなたのように、強いわけではない。余の居場所を、どうか取らないで。



「内大臣よ。術は敷いてあるな? く陽炎を配備せよ」

「兄君はいかがいたしまするか」

「……捕らえる」

「は」

 

 後戻りは、もうできない。

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