番外編 鬼子の心変わり


「怪しげな陰陽師の娘など、さっさと」

「まあ、まあ。ワイに任せるって言ったでしょうに」

「……陽炎の財を減らされたくなければ、早々に対応しろ」

「はいはい。では~」


 皇城内の小さな部屋に呼び出されては、小言をもらう那由多は、鼻をほじりながら生返事をし、退室する。

 陽炎一位など面倒でしかないので、なりたくはなかった。だが一位でないと手に入らない情報は多く、ドロドロとした裏側をへらへら眺めていたりする。


「シラネーヨ」


 正直那由多にとって、陽炎などどうでも良い。財も権力も、興味がない。

 鍛えた術を披露する場所があれば、こだわらない。

 ただ――


「あ、お嬢~」

「那由多殿」

「殿いらない」

「だって一位ですもの」

「ちがうよー」

「ええ? あはは」


 時々すれ違う沙夜をからかうのは、とても楽しんでいる。


「あら? ふふ。またお腹減りましたか?」

「わかるの」

「だって。よだれ

 

 雑面で覆われているので、面貌は分からない。

 だが悪鬼や鬼子おにごと恐れられる自分にすらおくせず接し、狩衣であるのにためらわず顎を拭いてくれる彼女を――


「へへ」

 


 喰いたい。



「うまそう」

「これ? 食べますか?」


 手に持っていた握り飯を差し出された。

 那由多が涎を垂らしていたのは、沙夜自身に対してだが、本人は知らない。


「食う」

「どうぞ」


 喰ったら、優しい人がいなくなる。那由多に初めて、食欲より勝る欲があると教えてくれた存在だ。

 だから握り飯で、


「んまい。なあ。欲封じの布くれと言ったの、覚えてるか」

「覚えていますよ。ちょうどよかった、縫ってみたんです。これでどうでしょう?」


 懐から出した赤い布を、白くて細い手首の上に乗せる。

 その手首にかじりついて貪りたいのを我慢してから、布を受け取って広げてみた。

 真ん中に、封。左の端に七、右の端に二、と黒い糸で刺繍してある。


「七と二?」

「ええ。『那由多』って数えきれないぐらいの数なんですって」

「へえ」

「七十二桁らしいですよ?」

「?」

「そんなに、数えられないですよね。ふふ」


 確かに食欲は、底知れない。喰いたい。喰ったら強くなる。

 病で苦しそうだったから、母も弟も喰った。馬も牛も。とかげも蜘蛛も喰った。

 あやかしを喰ったところで、陽炎に誘われた。


「ワイの名前ってこと?」

「そうですよ」

 

 でも、この人は、喰らいたくない。


「うれしい」

「よかったです!」

「ん」


 布を差し出してから、背中を向ける。

 

「あ、早速巻きます?」

「うん」


 ちょっと膝を屈ませると、花のような香りがした。

 喰いたくないが、嗅ぎたい。


「あはは。くすぐったい」


 無意識に、手首を嗅いでいた。

 

「いいにおい」

「えー?」


 ふふ、と笑う吐息も、いい香りだ。

 ぎゅるるると腹が鳴った。


「あは、ごはん足りなかったですか?」

「ん」

「もっともらってきましょうか?」

「んん」


 口の上から布を巻いてもらったら、落ち着いた。常に飢えているような気持ちも、誰彼構わず殺したい気持ちも。


「へいき。これ、効いた」


 つんつん、と自分の口を指しながら言うと、嬉しそうに頷かれた。


「でも、わたしもお腹がすいたんです。一緒にもらいにいきませんか?」

「ん」

 


 これからは、この優しい人のためだけに、戦える。

 


「やなやつ、ワイが全部喰ってやるからな」

「え? わたし、好き嫌いないですよ~」

「狐と狸も?」

「狐と狸? 食べたことないです」

「不味いよ。たぶん」

「ええー? んじゃいらないです!」

「ははは」



 ――待ってろ、お嬢。嫌な奴はワイが、喰らい尽くしてやるからな。

 

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救国の黒姫は、瑠璃の夢に微睡む 卯崎瑛珠 @Ei_ju

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