第19話 ワルプルギス2

 世界はまるで終末の様相を呈していた。シルヴァ、ブルースらがボロボロになって帰還してから数日、毎夜のように魔女の大量発生が起きている。それも世界中、同時多発的にリスクの高い魔女が多数出現し、法王庁とハイアンカーだけでは事態の収拾もおぼつかない。既に旧時代の兵器となりつつあった、武装艦隊や戦闘機まで持ち出し、世界はさながら巨大な戦火の中に放り込まれたようであった。

 そしていかに強力な軍事兵器を用いようとも、魔女の殲滅率は決して急激に上がりはしない。そもそもそれら兵器の代わりに対魔女の特使として結成されたのが法王庁やハイアンカーなのだ。

 彼らの手に負えないと言う時点で、負け戦なのは誰の眼にも明らかであった。


 シルヴァとブラック、ブルースとグレー初め聖騎士と陰獣のコンビは、戦線に送り込まれては本部に戻され傷の治療を受けた後また出勤、を繰り返していたし、それは他の階級の騎士たちとて同じであった。異界踏査に特化した訓練を受けてきたハイアンカーの接続者たちも、法王庁の要請でぐるぐると戦地をたらいまわしにされている。

 明らかな消耗戦。このまま何事も無ければずるずると人類は滅びの道を辿るだろう。


 法王庁本部の元老院にも日夜重苦しい雰囲気が立ち込め、鳴りやまぬ電話とメールのコール音がつんざくようにその場を支配している。僧正ライト・イーヴィスは、メールの返信を粗方済ませるとデスクの上にどさっと身を伏した。


「まさかこんなことになるなんて」


「仕方なかったんじゃ、誰にも予期は出来んかったが、これはいつか必ず訪れる未来じゃった」


 隣のデスクで資料整理に追われながら、同じく僧正のゲン・スクウェアが呻くように漏らす。元老院の僧正たちも、あれからほとんど休みもとれずに世界中の魔女発生事案を捌いていた。ハイアンカーとも今までになく密接に連携し、データベースを共有してまで事務処理と魔女事案の解決に当っていたが、お互いがお互いの組織に隠してきたあれこれが露出する事になり、却って混乱を極める有様である。

 そもそも陰獣計画の顛末に関しても、陰獣や聖騎士と言った強力な羅患を有する尖兵に関しても、ハイアンカーは不問を貫いてきた。ある意味でだからこそ世界は安穏と平和を受理できたと言える。

 ハイアンカーはハイアンカーで、法整備や羅患の実地研究に関して幾つも黒い実態を持ち、それを隠して活動してきた。それら膿が一気に噴出した形である。


 しかし事は急を要した。

 今こそ人類が、その損得や立場の垣根を越えて一致団結すべき時だ。


 昨晩国連と米中を併せた全世界会議の場でそう息巻いたゲンである。


 それでも、今まで人間の薄暗い本性に度々触れてきたゲンやライトだからこそ、”それ”は非常に困難な事だと身に染みていた。


「ゲン様、ライト様…お疲れ様です。ハーブティーを入れたのでどうぞ、落ち着きますよ…」


 背後からぬっとメガネの顔が突出し、次にお茶を注いだティーカップを差し出した。第二位の僧正、マリアである。


「ああ、マリアさん、ありがとさん」


「頂きます、マリアさん」


「マリアマリアって連呼しないでくださいよ…私が名前気にしてるの知ってるでしょ…」


 マリアはメガネをくいくいっと押し上げながら消え入るような声で言う。彼女は某国の外務省から引っ張ってきた人材であり、人当たりはこの通りだったが非常に優秀な事務員だと法王庁でも定評がある。それでいてどんな雑用も進んでこなす、なんとも殊勝な娘であった。そんな自分の性格に、「マリア」という大仰な名が似つかわしくないと思っているらしい、ミドルネームである「ハーバー」と呼んでほしいと度々直訴している。


 いつも通りのマリア・ハーバーの態度を見て、いくらか気持ちが柔らかくなり、ライトはほっと息を吐いた。そのまま飲み下してみれば、いやに高価な味のするハーブティーだ。しずしずとティーカップを眺めていると、ああ、と合点してマリアがまた小さな声で言った。


「このお茶、ブラック様がこの前元老院に寄付して下さった残りなんです…。かなり評判が良かったので…こういう時にこそ平常心ですし…」


 では私も仕事に戻ります、と呟くように言うと、マリアは足音も立てずに居なくなった。顔を見合わせ、ふっと笑いが漏れたライトとゲンである。


「頑張らにゃいけませんな。このハーブティーがこの世から無くなるような事になれば、世界の損失ですわい」


「マリアさんみたいな人が居なくなることもね」


 久しぶりに冗談を交わし合って、二人は仕事に没頭して行った。




 その翌日の朝である。

 魔王を名乗る少年が、全世界に向けて動画を配信したのは。



 動画は、大した機材が使われていないらしく、ノイズが混じりカメラワークもガタガタな酷い物であった。そんな低品質な動画でも、カメラを自ら手にしているらしい少年が人知を超えた力を有している事は楽に実感出来た。奏でる声音の一つ一つ、少年の仕草の一つ一つ、その目にちらつく支配者特有の光まで、どれをとっても人を遥かに凌駕した存在であることを匂わせていたのだ。だから、その動画を見た者はすぐにその意図を察した。

 自分たちの日常がもう手の施しようがないほどに崩れ去ってしまったのだと。


「あー、私だ」


 動画の中で、少年は心持けだるげにマイクに向かって呟いた。


「今夜、最後の侵攻を開始する。これが意味するところは各人考えてくれて構わん。しかし我々がやる事は単純だ。全て壊す、この世界のあらゆるものを、だ」


 そして、その動画を見た者の手で、少年の言葉は瞬く間に拡散され、世界はまるで原初の混沌に還ったかのような様相を見せる事になる。


「各人、最後の祈りでも捧げるがいい。お前たち人間どもに味方する神もおらんだろうがな」


 その一日の内に、世界では過去累を見ないほどの件数で犯罪数と自殺数が増加し、罪を犯さない人間は少年の言うようにただただ絶望を噛み締めて祈った。


 世界最後の一夜の幕開けであった

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