第21話 ワルプルギス4

「降れ」


 ライザの体がほんのりと発光し、不可視の力で魔王を組み伏せようとする。しかし、魔王は瞬きだけでその力を打ち消した。


「…降れ。降れ…!」


 連続での力の行使。自身の体に甚大な負荷が掛かっているのを知りながら、それでも辞める訳にはいかなかった。鼻の奥がつんと熱くなったかと思うと、どろりとした液体が口のほうに滑り下りてくる。それを舌先で舐め、ライザはただただ力を使う。


 その間に魔王の威勢を少しでも削ごうと、リオン、コナー、レイの三人が繰り返し繰り返し攻撃を仕掛ける。しかし、魔王が空中に手をかざすだけで彼女らは吹き飛ばされ、一矢報いる事すら敵わない。


「退屈だな、法王」


 一歩、また一歩と魔王は距離を詰める。ライザの両耳から血が滴った。


「お前なら私の気持ちを理解して、多少便宜を図ってくれるだろうと期待したのだぞ」


 ライザの目の前まで迫った魔王は、右手をすっと差しだし、ライザの唇に触れる。びくりと身を震わせるライザ。その体が力を失ってその場に崩れ落ちるのだった。


「興ざめだな、余興に過ぎないとしても酷過ぎる」


「…どうかしらね…」


 ガタガタと震えながら、それでもライザは言葉を絞り出した。喉がかきむしられたように痛い。この遥か高位の存在を前にすると、不遜な言葉そのものが自身に振り返り身を削ぐかのようだ。

 既に焦点の合わなくなって来た眼で、ライザはそれでも魔王を睨み据える。


「あなたは力を手にして子どもみたいにはしゃいでいるだけじゃないの…その力を誰かの為に使おうともしない。全て自己完結の自己満足。余興に過ぎないのはどっちかしら…?」


「なかなか面白い事を言う」


 相変わらず涼やかな笑みを浮かべたまま、魔王はライザの首に触れる。皮膚が見る間に焼け爛れて行き、ライザはさすがに呻いた。魔王は大して興味も無さそうにライザの苦痛を見やると、先ほどから突撃してははじかれ、を繰り返している接続者たちのほうを心底うんざりしたという表情で眺めた。


「しかし事実はどうであろう。私に手も足も出ないお前たちこそ現実ではないか?」


「それもどう…かしら…」


 ライザは最後に残った希望を自ら手放した。もう、自分たちには手が無い。他には。

 後ろに回していた左手に握ったナイフで、自らの右手を切裂く。ほとばしる赤い鮮血。


 これは予想外だったらしい、魔王の顔が一瞬歪み、そしてその全身にライザの血が降りかかった。


「…? これは…」


「あなたの敗因は…私の力を甘く見たこと…」


 失血で倒れそうになりながら、ライザは力を振り絞った。


「何よりも、人類の進歩の力を信じなかった事」


 自分の喉をナイフで掻き切る。動脈が裂けたらしい、おびただしい量の血が魔王の体を染める。


「私の力は”血”に宿るのよ」


 そう言い置いて、ライザの意識は途絶えた。




 なにもない白い空間に、魂の様に形のない二人だけが浮かんでいた。


「魔王…いえ、四号。それとも本名のほうで呼んだほうが良いかしら」


「どっちでも良いよ。それよりも、迷惑掛けたね」


 ライザの目の前に浮かぶ魂の欠片は、ゆらゆらと炎のように揺らめきながら言葉を発する。”彼”の眼から見た自分も、そんな様子なのだろう。


「いいわよ。私はね、あなたに会うずっと前から、いろんな人間を犠牲にして生きて来たわ。それが終わるのだから、悪くはないってものよね」


「でも、周りは悲しむでしょう」


「どうかしら…それはあなたも同じじゃない?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 声だけがわんわんと空間に響く。


「だけれど、やっぱり君は戻るべきだ」


 視界に靄が掛かったように、徐々に世界が白濁し、離れて行く。


「ここから先は僕に任せて。僕が責任を持って魔王を…」


 そこから先は良く聞こえなかった。



 気が付くと、ライザは布団の上に寝かされ、ぼんやりと天井を眺めていた。反射的に喉元に手をやったが、包帯がぐるぐると固くまかれているほかは異常ないようだ。そして、あれだけの血を失ったのにむしろ心地よい気分なのだった。

 ライザが目を開けたことに気付いたらしい、看病してくれていたのであろうリオンが、はっとして身を起こし、そのままはらはらと涙を流し始める。


「…良かった。もう目が覚めないんじゃないかと…」


「…が、ば」


 返事をしようとしたが、唇も舌も上手く動かない。そんなライザを見てリオンは少し微笑んだ。


「無理もないわ。あなた、三か月は眠りっぱなしだったのよ。眠り姫になっちゃったんじゃないかってそりゃあ…」


 言葉を切り、リオンは腫れた目でライザを見やった。


「おかえりなさい、ライザ」

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