第20話 ワルプルギス3

 その夜はひっそりと、まるでいつもと変わらぬ夕暮れが来るかのように始まった。日が傾き、徐々に空が茜色に染め上げられていく。

 その赤が、引かない。

 かと思う間に空の赤は天蓋全体に広がり、煌々と、まるで昼間のようにまばゆく地を照らした。今朝まであれだけ醜悪に見えた赤は、魔王が関わっているからだろうか、一転して神々しく我らを導く光かと見えた。


「…始まったね」


 粗い呼吸をしながら、ブラックが声を絞り出す。それに応えるために一つだけ頷くと、シルヴァは右腕を大薙ぎにして今しがた自分たちに群がっていたリスクの低い魔女たちを一掃する。しかし後から後から湧いてくる魔女を相手に、二人とも疲労の色を隠せないでいた。


 先日の四号討伐作戦の失敗を受け、シルヴァは真っ先に「自分が責任を取る」と法王に直訴したものである。しかし、法王ライザに時と場合を心得るように説かれ、自分の不甲斐なさを飲み下して魔女との戦いに身を投じていた。

 それはブラックとて同じだ。今まで彼女に屠れぬ魔女などいなかったのだ。それが魔女を遥か超える存在、魔王の誕生に加担してしまったと言う事実が、二人だけでなく法王庁全体の士気をただ下げている。ブルースともあれから何も情報や感情を共有できず、全ての騎士は単に義務感から魔女の討伐に当っている有様なのだった。戦果が思わしくないのも仕方がない。


 現在、世界中で同時多発的に起こるであろう「ワルプルギスの夜」に対応する為、全世界の拠点にそれぞれ聖騎士・陰獣コンビと騎士たち、ハイアンカーの接続者たちを配備し、恐らく魔王が現れると思われる法王庁近辺はわざと守りを薄くしてある。

 そもそもが魔王の前にどれだけ有能な接続者を揃えても意味がないであろうことと、魔王に対抗できるのが法王以外に居ない事を見越した、薄く伸ばされた盾なのである。


「ブラック」


「…なんだい?」


 肩が触れ合うほどの距離まで接近、連携して魔女を捌きながら、シルヴァとブラックはぽつぽつと言葉を交わしていた。


「法王様の元に居なくて、本当に良かったのですか」


「くどいよ、僕はシルヴァのパートナーだからね」


 どれだけ魔女を殲滅しようとも、一向に空の赤が明ける気配はない。もはや五感も鈍り勝ちで、感じるのは魔女たちの気配と、かけがえのない互いのよく馴染んだエネルギーの波長だけだ。


「最後まで一緒に戦うさ」


「…」


 何か言いかけたように口を開いたが、すぐ閉じる。そうしてシルヴァは、言葉を飲み込むのだった。




「大丈夫なんか、ブルース」


 右腕の変化した巨大な爪で魔女をえぐりながら、先ほどからちらちらとブルースを伺うグレーである。

 ブルースとグレーも、大陸北西部の拠点の守りに回されていた。拠点とは言っても、人を収容できるスペースが数ある簡易の砦であり、しかも守りの兵の数が少なすぎた。ドームやホテルに分散して収容されている人民がパニックになれば、もはや歯止めは効かないだろう。

 そして、そんな事にすらかかずらっている余裕がないほどのペースで凶悪な魔女がどんどん集まってくる。

 ブルースはふっと息を零すと、左腕に力を込め特大の一発を魔女に向けて放った。


「なあに、俺たち接続者はそもそも傷の治りが速い。それに、ンな事言ってる場合でもねえしな」


「…でも」


「はは、魔女を前にこんなに不安そうなお前を見るのは初めてだな」


 わざとおどけたようにからかう口調で言い放つと、グレーがかっと顔を赤く染める。


「…わかった、もう知らん!」


 ずんずん前に出て魔女に接近して行くグレーの背中を見やり、ブルースは昔を思い出す。

 初めて会った時のグレーからは、感情以外の凡そすべての要素が抜け落ちていた。彼女の頭に残った語彙を手繰りながらたどたどしい会話でのコミュニケーションを繰り返し、どうにか一般社会に適応できる程度まで認知力を回復させたのだ。

 彼女には…せめて彼女には。幸せなフィナーレを見せてやりたい。


 そのためには、俺がどうなろうと。


 我ながらセンチメンタルな思考に苦笑いを浮かべながら、ブルースは左腕の大砲を存分に振るうのであった。




「ライザ、準備は良いわね」


 ロサンゼルス、法王庁本部。最期の決戦の舞台となるべき場所。

 法王ライザの傍らには、灼獅リオンと慧眼コナー、そして聖騎士レイの三名のみが控えていた。この少数精鋭で、恐らくここに現れ法王を討とうとするであろう魔王を迎え撃つ体制である。


「いいわよ! っていうかもうさっさと終わらせたいくらいの気持ちね!」


「強がらなくていいわけよね。”そう”ならずに済むのであればそれが一番良い事に代わりはないんだから」


 コナーが珍しく苛立ちの混じる声音でたしなめる。ライザはそれでも常のようににこにこと笑みを絶やさず、手元のハーブティーをくいっと煽った。


「それにしてもこのハーブティー美味しいわ。ブラックさんに仕入れ元を聞いておかないと」


「ライザ、いい加減にするわけよ」


「いいじゃない、コナー」


 リオンが助け舟を出す。彼女だけではなく、ライザにもレイにもよく分かっていた。手堅さを好むコナーにとって、ライザと言う犠牲ありきの今回の作戦は余りにもお粗末で話にならなかったのだ。

 それを解って、ライザは普段通り振る舞っているし、大体が寡黙なレイはライザのすぐわきでいつでも羅患を発動できるように構えるのみ。必然的にリオンが取りなす役目を負う。


「ライザにも思う所はあるわよ。むしろ私たちも見習わなくちゃいけないくらいじゃない?」


「そりゃ分かってるってやつなのよ。だけど、こんな作戦あんまりじゃないのよさ」


 コナーがリオンに当らずにはいられない理由も、皆よくよく知っている。

 だから、その場に降りたのは沈黙だった。


「…あのね」


 意を決してライザが口を開くと同時、ほとんどの騎士が出払って人もまばらな法王庁にアラートが響き渡る。


「来ましたね」


 ようやく言葉を発したレイの声がかき消され、一瞬のうちに法王庁の建物は吹き飛び、瓦礫の山となっていた。




「やあ、法王」


 瓦礫を掻き分けて月下に臨む一行を出迎えたのは、ただ一人空を歩きやってくる少年であった。


「世界がどちらのものか、決めようか」


「…いいわよ」


 周囲が羅患を発動させ、構えるのを待って、ライザはゆっくりと歩を進めた。

 一歩一歩その少年に近づくたびに、自分の生き物としての本能が酷く喚き出し、逃げ出そうとするのを感じる。冬がやってくる時節だというのに、全身から冷や汗が噴き出て上着をじっとりと濡らした。

 それでもライザは笑みを絶やさずに、少年――魔王を真っ直ぐに見据える。


「あなたには壊させない。何も、ね」

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