第16話 ライズ・リアル2

 八百メートルほど前方の空が、どろりと血のような赤に染まっていた。

 それを目に留め、ブルースは軽く舌打ちする。自分が先程行った索敵の結果に間違いがないと解ったからだ。ブルースは手早くハンドサインを出して自身の部隊に散開を指示した。このような圧倒的強者を前にしてまず避けるべき事は、纏まって動き一網打尽にされる事だ。

 羅患は、流れ込む深度零のエネルギーを感じる事で、周囲の羅患の規模や位置関係を大まかに把握する事が出来る。聖騎士の羅患ともなると索敵の精度は研ぎ澄まされ、今回のようにかなりの距離に力が及ぶ。

 今回の敵、検体四号の危険度は、既にS+++を優に超えていた。


 こちらが敵を感じる事が出来ると言う事は、同時に敵も自分達の動きを把握している事を意味する。当たり前のようにぐるりと目を見開きこちらを凝視する四号を前に、ブルースは冷や汗が背中を滑り落ちるのを感じながら、策を巡らせる。


 敵は、何と言っても一人だ。手数には限りがある。つまりこちらの優位性とは数の差である。それを最大限に活かす必要がある。


 四号に走り寄るついでに携帯端末を起動し、部隊の四名とこの一帯を観測する衛星の回線を同期した。端末を衣服の胸の位置にあるフックに掛けて固定すると、さあ開戦だとばかり四号の至近距離で質量弾を放つ。

 四号のプレッシャーで左腕の羅患ががくがくと震えた。それを抑え込むように右手で握りしめながら、質量弾を連続して発射して四号の意表を突こうとする。


「なんだ、お前」


 砂煙の向こうから、巨大な腕が伸びてきた。それはブルースを易々と抱え込むと、ぐっと力を込める。自分のアバラが数本逝く音を耳にしながら、ブルースは、こいつはまずいな、と心中ぼやく。質量弾が弾幕の役目すら果たさない。

 めちゃくちゃな叫び声を発しながら、ブルースを掴む腕にグレーが切りかかった。その鋭い爪が腕に掛かるか掛からないかと言うタイミングで、四号は鬱陶しそうにもう一方の腕でグレーを払うと、興味を失くしたかのようにブルースを放り捨てた。慌てたようにスケイルともう一人の騎士がブルースとグレーの着地点に駆け寄り、その身を支える。


 まるで悪夢だ。聖騎士と陰獣が子どものように弄ばれている。


 スケイルの腕に抱きかかえられて、ブルースは溜息をついた。自分たちの役回りは全く損しかないというものだ。

 砂煙が晴れて行き、その中心地に立った四号は、既に人の形を保っていない四肢をだらりとぶら下げたまま、こちらを一瞥する。そして、いかにも耐えきれないというようにげらげらと笑いだした。


「ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ。ゴミが四匹」


「腹が立つぜ」


 まあこいつにとっちゃ俺達なんて正にごみクズだろうが…。そう呟き、ブルースはスケイルの腕を借りて立ち上がる。隣で、グレーも同じように騎士の手を借りて立ち直ったのがエネルギーの揺れで感じられた。


「当初の目的通り、ここからはこいつを法王庁本部まで誘導しながら、周囲の魔女を削る。いいな」


「ブルース、うちこいつ許せへん…殺してやる…」


「抑えるんだ、グレー」


 手早く自身の体に応急処置を施しながら、ブルースは呻くようにグレーを諭した。


「こいつにゃお前の爪も届かねえ。このまま突っ込めば犬死だ」


「でも…こいつ、ブルースを…」


「俺にお前を失う悲しみを味わわせる気か」


「…」


 毛を逆立てて逆上していたグレーの熱が冷めて行くのが解った。それでも尚荒い息を吐きながら、彼女はなんとか頷く。ひとまずほっとしたように首を振ると、ブルースは左腕の羅患を構える。


「ここからは消耗戦だぜ」


 その時、四号が体をぶるぶるっと震わせた。直後、突き刺すように見つめた先から、何かが凄まじい速度で飛んでくる。それは四号の肩を捉え、半身を消し飛ばした。


「おーまたせっ」


「…派手な登場だな」


 バネの様に体をしならせながら着地したのは、黒馬、ブラック・ホースであった。彼女は禍々しく脈打つ下半身を目いっぱい使いながら、四号に更に蹴りを繰り出す。残った片腕で受け止めた四号であったが、勢いを殺しきれず吹っ飛び、砂まみれになって転がった。その上に影が差し、巨大な銀の刃が四号を刻む。


「ふうッ、やっと追いつきましたね」


「シルヴァ、良いとこ持ってくねー」


「あなたは先行し過ぎです、加減をしなさい加減を」


 まるで戯れのついでのように囁き合うバディを前に、その場の空気が一気に緩むのをブルースは感じていた。全く、敵わない。

 銀刃、シルヴァ・エッヂは、自身とブラックの端末を回線に同期させながら着地すると、ちらりと背後を見やる。目が合ったブルースは小さくうなずいた。


「よーし、てめえら、予定変更だ。このまま四号を魔女として処理する」


「ゴミ、もう二匹」


 あれだけの損傷を受けたと言うのに、まるで意に介していないように四号が立ち上がる。傷口がぼこぼこと泡立ち、すぐさま再生を始めている。


「さすがに規格外の化け物ですね」


「狩り甲斐があるだろ」


「まったくだね」


「殺してやる…ブルースの傷の分…切り刻んでやる」


 二組の聖騎士と陰獣のプレッシャーに、否応なく押されたらしかった。四号は下半身が回復すると見るや、踵を返して走り出そうとする。その退路を、強靭な脚力で先回りしたブラックが抑えた。四方を囲むようにシルヴァ、ブルース、グレーが、そしてそれを更に遠巻きにするようにスケイルともう一人の騎士が構える。

 四号の顔に、恐らく初めてであろう狩られる側の獣のような恐怖が浮かんだ。

 つんざくような四号の悲鳴が辺りに響く。

 すると、一同の頭上の赤い空が、その版図を急速に拡大した。周囲から多数のプレッシャーを感じ、ブルースたちが事態を察するのが先だったか後だったか、その場に何十体もの魔女が舞い降りた。


「こいつら…」


「まずい…ッ」


 はっとしたシルヴァが右腕の羅患を振り抜こうとする。しかしそれよりも早く四号は地を蹴った。

 たった今再生した部位を広げ、集まった魔女を次々飲み込んでいく。その度に彼の姿がめきめきと音を立てながら増長する。


 僅か数秒間の後、その場に姿を現したのは、あの半堕天したブラックよりもはるかに巨大な羅患の塊であった。

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