第17話 ライズ・リアル3

 まるで建造物の如く巨大な魔女を見上げ、スケイルは恐怖と嫌悪感の余り嘔吐した。びちゃびちゃと胃の内容物をその場にぶちまけると、次に襲ってきたのは寒気と震えである。それを横目に見やり、無理もない、と言うでもなく呟くと、シルヴァは自身にも襲ってくる吐き気をなんとか飲み下した。

 彼までもそうなるほどに、四号の巨躯は醜悪な見た目を晒している。


「まったく、規格外にも程があるよね」


 ぼたぼたと汗を滴らせ、顔を青白く変色させながらブラックがぼやく。彼らには、羅患を通して四号の現在の危険度が骨身に知らされている。そのリスクはもはや法王庁の規格では計り知れない。間違いなく過去最大の魔女である。


「しかしこうなったらやるしかねえな」


 同じく青白い顔をひきつらせながら、ブルースはなんとか笑って見せる。しかしその笑みは慰めにすらならなかったようで、つんと鼻に来る異界の匂いに包まれて、息をするのすら憚られる有様であった。そうする間にも周囲には続々と魔女が集まってくる。その幾らかは自ら四号に飛びかかって行き、見る間に吸収されていった。

 事態は悪くなる一方だ。

 グレーの顔にすら絶望の色が浮かんでいた。


「一刻も早く処理しなければいけませんね」


 自らを鼓舞するようにシルヴァが言い放ち、巨大な刃と化した右腕を構える。彼の声と動作に推されるように、ブラック、ブルース、グレーも、やや緩慢な動作ではあったが続々と羅患を構えた。スケイル含む他二名の騎士は、もうとうに戦意を喪失して地面に転がっている。自分達がやるしかない。


 エネルギーの高まりを感じたのだろう。四号の巨躯から触手のようなものがしなりながら振り下ろされ、辺りの岩や地面を手当たり次第に砕いて行く。触手は見る間に数を増した。それを避けるのに手いっぱいで、反撃どころではない。


 まずい。このまま時間が経てば経つほど四号は増強し、その分自分達も戦力差から絶望の色を濃くする。この戦いは心が折れたら終わりだ。

 そう考えたシルヴァの体に、触手の内の一本がめりこんだ。


「ぐ…ッ」


 地面に叩きつけられ、肺の空気が強制的に絞り出される。せき込みながらその場にうずくまると、すぐに事態の収拾を図ったらしい、ブラックがシルヴァを抱えて跳躍した。


「…すみません、またこんな…」


「シルヴァは油断が過ぎるんだよっ」


「お前らいちゃついてる余裕あるのか」


 四方八方から飛んでくる触手をなんとか避けながらブルースが叫ぶ。しかし、その声音に普段のような快活さはもうない。明らかに詰みであった。


 思索する間も触手は次々と放たれる。その一つ一つがこちらに致命傷を与えるに十分な打撃だ。反撃も見込めないとあれば、このまま命が尽きるまで踊り狂うまで。


 絶望が腑に満ちた時、耳を突くような声量で、笑い声がした。




 耳障りなその嘲笑は、四号が発しているものらしかった。声に応え震えるように一瞬触手が緊張したかと思うと、急に攻撃が止み、触手が引っ込む。誰も状況を把握する暇もないまま、それは起こった。


 ばきばきと凄まじい音を立てながら四号の体が縮んで行く。…まるで圧縮されるように。

 それは急速に体積を減らし、やがて一人の小さな子どもの姿を取ると、まるで光がほとばしるように全身から深度零のエネルギーを強く放った。


「心地よい…良い体だ」


 羅患のおぞましさは欠片もなかった。それどころか神々しさすら感じるその子どもは、事態が呑み込めないブルースたちを宙から見下ろすと、涼やかにほほ笑んだ。

 ブルースたちは戦慄する。その笑顔に知らず安堵を覚えていた自分達に。


「もはや私にとってはお前たちなど…」


 最後まで言い切らず、子どもは宙に浮かんだまま踵を返す。その後に、まるで付き従うように魔女たちが続く。


「法王に報せるがいい。私はこの偽物の世界を壊す」


 その声は、天空の楽団が奏でる音楽のように澄み切っていた。


 魔王。

 法王と対を為す存在として、それが誕生した瞬間であった。

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