第3章 ワルプルギス
第18話 ワルプルギス1
ワルプルギスの夜、再来。後の世まで延々語り継がれる事になるその夜が、刻々と近づいているのを誰もが感じていた。
十数年前に起きた最初のワルプルギスの夜は、一人の羅患重症者によってもたらされたと記録にある。本名も性別すら今もって公開されない最初の魔女は、身よりも知り合いもいない、どこにでもいる社会の落伍者が堕天した姿として語られていた。
一人暮らしの部屋で羅患を重症化させていき、ついには魔女に堕天して、より多くの魔女を生み出し引き寄せるに至った。大衆にはそう知らされている。
そう、大衆には。
その事実を胸に秘め、法王ライザ・ブラッドレイは唇を噛み締めた。微かに血が滲み、なんとも言えない不快な味が口いっぱいに広がる。
今回のシルヴァ達の報告は、更なる事態の深刻化を優に理解させた。
検体四号――正式に「魔王」と呼称する事になったその個体のリスクはもはや測り切れず、しかも報告に依れば、魔王は魔女をある程度使役できるものと推測される。
今まで法王庁がのらりくらりとかわし続けてきた魔女たち、そして異界との決別たる最終決戦。最期の戦いの火ぶたが正に切って落とされようとしているのだった。
「失礼します、法王様」
軽いノックの後、しずしずと部屋に入ってきたのは、聖騎士の一人レイであった。
「まだお休みにならないのですか? もう夜も遅いですし、その…」
「そうね、今は体力を蓄えるべきね。特に私は」
「いや、あの…」
言い出し辛そうにもごもごと口を動かすレイを見て、ライザはふっと笑うと、コツコツと靴音を鳴らしながら窓際に歩み寄った。防弾のすりガラスで外は良く見えないが、それでも真っ暗に暮れた夜空に多くの星が光っているのがぼんやりとした光点として臨まれる。
「私は心配ないわよ! こういう時の為にここに来たんだもの、それに騎士さんたちの就任式で毎回大口叩いてる分くらいには働かないとね」
「法王様…」
レイは元々色素の薄い顔を、更に青白く萎縮させていたが、何かを決意したようにライザの前に回ってひざまずいた。
「私の命は元よりライザ様に捧げる為に本日まで生きて参りました。あなたが天国に召されようと、地獄に堕ちようと、いつまでも一緒です」
思わず噴き出したライザである。
ぎょっとして目を丸くするレイに、ライザはぶんぶんと手を振って見せると、
「ごめんごめん、まあそうよね、今回の一件はそういう顛末になるわ」
と、言葉の割にまるで可笑しそうに囁くと、レイの手を引いて立たせ、今度は自身がその前に頭を垂れてひざまずく。
「私こそ、これまでこんな私について来てくれて感謝してるわ。あなた達の為にこの命、最後まで有効に使わせて貰うわね」
最後まで聴くや否や、レイはひしっとライザを抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫ですよ、ライザ様」
それは、まるっきり自分の為に言い聞かせるような声音であったが、それでもライザは閉塞していた気持ちが軽くなるのを感じていた。
その晩、ライザは夢を見た。カリフォルニアの農村で村娘として過ごしていた頃の夢である。
家の外に施設された粗末なベンチに腰かけていると、村の子ども達がわらわらと寄って来て、そこらの泥で真っ黒になりながら遊び始める。その内の一人、まだ年端もいかない少女が、泥団子を作ってそれをいとも快活な笑顔と共にライザに差し出してくる。
真っ黒なそれを、まだ元の名前を名乗っていた頃のライザは受け取り、食べるふりをしてから美味い美味いと囁く。嬉しそうに声を上げる少女。
直後、少女の体が何度か痙攣したのち、ばたりと地面に倒れる。波が広がるように、次々と周りで遊んでいた子ども達が倒れて行く。
そして、がくがくと体を揺らしながら、巨大な異形の姿へと変容して行った。
ライザは声にならない声を上げて呻く。その間にも、波はどんどん広がり、異変を感じて顔を出した村人たちを次々と飲み込んで行く。
気が付くと上空が真っ赤に染まり、辺りには酷い異臭が漂っていた。
体を揺らしながら、「それら」が一斉に周囲に散って行く。
「待って、待って、皆…」
ライザには無関心なように去って行く異形の後ろ姿に、ライザは縋りつく。
「置いて行かないで…」
ぶつりと夢が途切れ、ライザは汗びっしょりになって身を起こした。窓から眩しい朝の日の光が差してくる。
魔女は深度零のエネルギーを浴びて生まれる。
すなわち、最初の魔女とは、ワルプルギスの元凶となる魔女たちを生み出したライザ自身の事。
ライザは冬の予感のせいだけではなく悪寒に身をひきつらせながら、寝室に差し込んでくる朝日をぼんやりと受け止めた。
諸悪の根源たるライザが今日まで活かされた理由は一つ。”力”の行使に依り、命と引き換えに魔王を止める為である。
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