第10話 蒼砲
いつの間にか居眠りをしていたらしい、まどろみから徐々に覚めながら目を開く。横に視線を投げると、車窓から見える景色が伸び縮みしながら急速に吹っ飛んでいく。そうか、今は列車に乗っていたかとようやく思い出した。
ブルース・ロックは夜行列車に揺られながら、今回の出張の宛先となったシカゴ方面へと移動を続けていた。
本来であれば”聖騎士”である自分には出張用の特別旅客機があてがわれる所だ。しかしブルースは、アナクロなこの列車の旅が気に入っており、特に急ぎの用でない時は決まって寝台車を予約する事にしていた。それも貸切などではなく、一般車両の一般席である。
ブルースは”旅”が好きなのであった。ユーロの田舎育ちだった幼い時分から、青春切符を買っては様々な地へ赴いて思い出を作ったものだ。ふらふらと見知らぬ地を彷徨っている時にだけ、彼の中に”自分は生きているんだ”という沸々とした興奮が訪れるのだった。
いつの間にかロックを好んで聴くようになり、高名なロッカーの聖地を幾か所も巡礼した。あの苛烈で眩しい光に満ちた日々は、今もブルースの心を揺さぶって止まない。
いつもの癖で、”羅患”に侵された左手をさする。今は人身サイズまで”格納”されているそれは、まるで悪夢のように醜悪な身を晒している。しかしロックを愛するブルースにとって、己の「傷」でありそのまま「勲章」であるそれは、決してマイナスな感情ばかりを呼び起こすものでは無かった。
ふっと息を吐いて、先ほど食堂車で買っておいた缶コーヒーのタブを開ける。
飲み干して、眠気が冷めて行く感覚をじっくりと味わった。こういったいちいちが旅の醍醐味である。
”聖騎士”の称号を頂いたものは、現在世界に五人しか現存していない。性質上より強大な魔女になる可能性を秘めた彼らは、同じく凶悪な魔女としていつか堕天する陰獣のペアとしてあてがわれるのが通例であった。
現存する十体の陰獣の内五体は己のコントロールさえおぼつかない破綻者であり、幾重もの監視のもと、検体として今も地方の研究所に捕われている。比較的自由が許された残りの五体に聖騎士が一人ずつついているという現状だった。
ブルースは、そんなわけで自分の相方として今回の旅にも同伴している陰獣、グレー・ギースの寝苦しそうな寝顔を隣に見やり、なんともつかない奇妙な笑顔を浮かべた。
先の作戦で、陰獣ブラックが魔女へと半堕天し、それを辛くも聖騎士シルヴァが人間に引き戻したと専らの話題だった。あの人情に薄いシルヴァですら自分のバディには強く執着している。無理もない、聖騎士にとって相方の陰獣は自分の半身のようなものだ。グレーが同じようになった時、自分はどうなるのか。考えたくもなかった。
聖騎士と陰獣は、文字通りお互いに命を預け合っている。どちらかが魔女に堕ちた時、凶悪化する前に即座に命を絶てるようにという達しである。ブルースにはそれが気に入らなくてならなかったが、法王庁とバックについた国連と言う組織の巨大な闇に一人で抗える訳もない。
目に見える結果として彼に守れるものなど、目の前のグレーと彼を慕ってくれる舎弟たちくらいのものなのだった。
聖騎士などと大仰な名前で呼ばれている割に、なんと陳腐な力だろうか。
「ん…んー、着いたんか?」
グレーが眠りから覚め、西部訛りの強い英語で語りかけてくる。ブルースはもう一本買っておいた珈琲を差しだしながら、首を振った。
「すまんな、起こしちまったか」
「んー…いんや、夢見て起きたんよ。いつも見る夢」
「そうか」
珈琲をごっごっと美味そうに喉を鳴らして飲み干す相棒を眺めながら、ブルースはまた思索に沈んでいく。
その空想を割って、けたたましい音が響き渡った。直後に車両を貫いた激震で、事態を察する。
すぐさまグレーにハンドサインを出し、周囲の出来る限りの客の胴を抱いて屋根を突き破り屋外に出る。グレーも同様に両脇に数名の旅行客を抱えていた。客たちはまだ覚醒しきっていないらしく、現状を把握できないようでぽかんとしている。混乱して暴れないのであれば好都合だ。
気が付くと左腕の羅患がしくしくと痛み出していた。抱えていた人間たちを地面に下すと、車両を見やる。先頭車両がめちゃくちゃにひしゃげ、歪なオブジェとなっているその上空が真っ赤に変色しているのを目に留めた。
「出たか…」
懐から携帯端末を取り出し、法王庁のホットラインにコールする。端末とホットラインが同期され、ブルースはグレーにも端末の機動を促しながら目を閉じた。
左腕の周囲に渦巻く”深度零”の波長を手繰り寄せ、大雑把に掴む。
ブルースの左腕が膨張し、巨大な砲門へと姿を変える。
「いくぜ、グレー」
「はいよ、どこまでも」
開幕とばかりに特大の一発を魔女のいるほうへ打ち出すのを皮切りに、グレーが地を駆け、対象に肉薄する。彼女の右腕がぼこぼこと変形し、鋭い爪を讃えた異形の腕へと変わって行った。
「はあ…今回の魔女も大したことなかったんやねえ」
「リスクB++ってとこだろうな」
列車が大破したために、シカゴへの旅は行程の半分が徒歩となっていた。
とぼとぼと歩きながらぼやいたグレーに、ブルースはまた例の何ともつかない笑顔を向けると、明けだした朝もやの空に視線を流す。
赤々と、まるで血のような、魔女の叫びのような色を湛えた空は、どこまでも広く、きっと誰の元にも平等に広がっている。夜になろうと、別の誰かのもとへ朝を運んでいくのだ。
「まあ、歩き旅も偶には悪かねえさ」
ぽつりと呟いたブルースに胡散臭げな顔を向けるグレーだが、特に文句も言わず歩き続ける。
眼前に開けた遠大な田畑の峰を見て、ブルースは微かに胸が透いて行くのを感じていた。
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