第14話 四号
目を覚ますと、いつもの如く確かめるように周囲を見回す。しかし一度たりとて景色が違って見える事は無く、相も変らぬ地下室の暗い独房がそこにあった。
陰獣計画検体四号――もう自身の名も忘れてしまった彼はぼんやりと光の差してくるほうを見やる。
独房の天蓋に一部設けられた光取の窓から、まばゆい朝の日の光が強くなだれ込んで来ていた。怠く、動かすのもおっくうな体をなんとか捻って寝返りを打つ。
この独房中心の生活に入ってから、どれだけの日数が経っただろう。
最初の数か月間は、自身の正気を保つために朝日を確認するたび日付を記録していたが、自分はここで一生を終えるのだと否応なく理解させられてからは、そんな希望にすがる行為ももはや面倒くさくなってしなくなった。
間もなく研究員が自分を独房から研究棟に移送して、観察という名の人体実験を始めるであろう。だからと言って今更何の感慨も湧かなかったが。
”法王庁”が行った最悪の人体実験と称される”陰獣計画”は、当然のように秘密裏に、非公開で行われていたものの、法王が計画自体を解体し、その闇を白日にさらしたために、衆目のよく知るところとなった。かと言って計画が生みだした多数のハイエンド”接続者”、陰獣たちを野に放つ訳にもいかず、結局安定性の高かった六号から十号までの五体を法王庁の犬として飼いならし、残りの五体は引き続き”羅患”の研究の為の検体に充てる事になった。
世間では、羅患者はまだまだ異質な存在であり、迫害や差別の対象となる事も少なくない。そんな経緯から、「化け物」である自分たちがどんな目にあっていようと、わざわざその体制に異を唱える人民もいないのである。
冷たい床の上に一枚敷かれたゴザの上に横たわっていると、視界の端をネズミが一匹、もぞもぞと這いずって行くのが見えた。どこへ行くのかと目で追うと、壁に一か所小さな穴が開いており、そこに潜って見えなくなる。ネズミですら生きようと必死で足掻くと言うのに、自分の様はなんであろう。
相変わらずモヤモヤと考えるものの、答えの出ない問いであった。
「起きてるか、四号」
いつの間にか時間になっていたらしい、全身を防護服で覆った研究員が独房の前にやってくる。この研究員もいわば捨石であり、自分が謀反を起こした時切り捨てて全体を守れるよう、わざわざ一人でここによこしている。
それが解っているのだろう。研究員は入口の強化アクリルの扉をあけ放つと、手にした拘束具を苛立たしげにじゃらじゃらと鳴らした。
「立ってこっちにこい。お遊戯の時間だ」
自分が何のせいでそんな気まぐれを起こしたのか、今もって解らない。ネズミの姿を見て少し世の中に希望めいたものを抱いてしまったのかもしれない。或いは完全に望みを失って自暴自棄になってしまったのか。
気が付くと、研究員が血だるまの死体となって目の前に横たわっていた。自分がそれをやったのだ、と気付いたのは、地下施設内に響き渡ったアラートを聴いた後だった。
『検体四号が脱走。拘束具は付けていない模様。非戦闘員は全員退避してください。非戦闘員は全員…』
その瞬間、体がかつてないほどに軽くなり、気が付くと彼は分厚い天井を破って上層階へと躍り出ていた。避難が済んでいなかったらしい、研究員たちが二、三人その場に居合わせ、恐怖と混乱で立ちすくむ。
彼にはこれからどうすれば良いのかよく分かった。
脈動する両腕に力を込めると、めきめきと腕が増長し、異形に変って行く。余りにも心地よくて自然と笑顔と笑い声がこぼれた。
げらげらと笑いながら研究員たちの命を蹂躙して行く。変質した腕で軽く触れただけで、容易くそれらははじけ飛んだ。壁にべったりと張り付く赤いシミを見て益々愉快になる。
なんだ、この程度の脆いゴミを、自分は今まで恐れ従って来たのか。
全てが解けて行くような恍惚感を味わいながら、両腕をめちゃくちゃに振り回す。
研究所がその骨組みから破壊されていく。壁が崩れる音なのか、研究員たちの悲鳴なのかももうわからなかった。
気が付くと天からまばゆいばかりの赤い光が差し、四号を照らしていた。研究所の最上階まで全て貫通したらしい。元は堅固な建物であったはずのそれは、ただの瓦礫の山となって自身の足元に伏していた。
四号は誰かに呼ばれた気がしてすっと明後日のほうに目を向けると、ふらふらとその方向に去って行った。静かに木枯らしが吹き、冬の訪れを告げていた。
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