第13話 燈帯

 ライト・イーヴィスがここ、”法王庁”の事務を牽引する”元老院”にやってきたのは、直接所属し正式な僧正となる前の、十五、六歳のみぎりであった。ライトの父親の家系は、代々ユーロのとある国の国家主席を歴任する、いうなればエリート一家である。ゆえにライトは幼いころから非常に裕福な家庭で、しかし規律と将来の彼女への期待にがんじがらめに成って育った。

 そんな家庭であったから彼女も表向き立派な淑女として成長した。それでも心の内に吹きすさぶ両親への不満と、何かと自分を持ち上げてくる周囲への不信感に抗えないまま、つい高慢な態度を振るう「お高く留まった」娘という評価を得て生きてきた。その評価は歯に衣着せぬ人間たちの口づてに彼女自身の耳にも届いており、彼女のプライドを益々逆なでにした。

 中学を卒業するころには、周囲には彼女のおこぼれを預かろうとして近づいて来る者か、彼女を心から崇拝して近くに居ようとする者か、そのどちらかの人種しかいなくなっていた。

 ライトにしてみればどちらも全く有り難くは無い。


 そんな彼女が両親に帯同して最初に元老院の視察に訪れた時、丁度彼らの接待に当った僧正、ゲン・スクウェアは、大人しく両親の株を落とさないよう振る舞うライトを見て、眼を丸くして言ったものだ。


「いやあ、こりゃたまげたもんですな、なんと落ち着いた大人びた娘さんで」


「いやいや、じゃじゃ馬で困っているよ」


 父親が笑って謙遜する所まで、全く同じようなルーティンである。彼女は退屈そうに思わず眉根を寄せた。すると、ゲンは意外な言葉を口にした。


「娘さんをうちに預けてみる気はありゃしませんかい?」


「…ライトを?」


 今度は隣でしっとりと佇んでいた母親が口をはさんだ。しかしその口調はいかにもゲンと、そして元老院を馬鹿にした感情が滲み出た物で、父が少しきまり悪そうにごほんごほんと咳払いする。ゲンは構わず続けた。


「見た所お嬢さんには、もっと広い世界を見せたほうが良いように感じますもんでね。よく言うでしょう、”かわいい子には旅をさせろ”。きっとここでの経験は娘さんにとってプラスになりますわい」


 こう言われてしまうと両親も無下にしてはおけなかったのだろう。とんとんと手続きを踏まえ、一年後にはライトは僧正の証である鼻っ柱への紋を入れられて、再び元老院の門を叩く事となった。

 任命式の当日、講堂の壇上に上がり、新しく拝命された騎士と僧正たちを見回したのは、ライトと五歳も離れていないような、それも教養もしとやかな振る舞いも持ち合わせていないようなただの少女であった。


「ええー、一応ここの主席をやらせてもらってるライザ・ブラッドレイと言います! 法王って呼んでね」


 頭の悪いジョークのような挨拶に、一同騒然となる。ざわざわとざわめきだした群衆の中で、ライトは注意深くその女性を観察した。あちこちにはねた癖の強い髪に、動き易いスリットの入ったドレス。意志の強いまなざし。どちらかと言えば権力者というよりはスポーツ選手だとでも言われた方が納得できる。

 それでも次のライザの一言で、その場は静まり返る事になる。


「ここに来たからには命の重さもあなた達のご立派な家系も意味をなさないわ。せいぜい毎日を楽しんでください。いつ”その日”が来ても後悔しないようにね」




「たまげたじゃろ」


 ゲンがかっかっと豪快な笑い声を上げるのを、ライトはちっともおかしくない、と思いながら眺める。


「まあ法王様にも悪気はないんじゃ。あれはいわゆる洗礼というやつでな、法王庁に所属するからには法王様の言うように命をなげうつ覚悟がいる。しかしそういう覚悟は、穏やかで知的な言葉だけではなかなか問えんのよ」


「理屈は解ります」


 ライトはつい口をはさんだ。


「でも、ああいう人がトップにいるとゲンさん達も大変じゃないですか?」


「さすが聡明なお嬢さんじゃ」


 ゲンは野太い眉を片方だけくっと上げて見せる。


「しかしの、もとより私らの役目はああいう奔放で怖い物知らずな法王様を手取り足取りサポートする事にある。ここに来たからにはライトさんにもそれをよくよく学んでもらうからの」


 まあ、法王様の本当の魅力はそのうちライトさんにも身に染みて解るじゃろ。そんな事を言うとはなしに囁いて、ゲンはぽんぽんっと不躾にライトの肩を叩いた。


「それにな、ライトさんにとってもあの堅苦しいご両親の元に居るよりは、よほど刺激的な日々になると思うわ」


 最初からそこまで見越して自分をここに呼んだのか。さすがにぎょっとした顔をしていたらしい、ゲンはライトの表情を読み取って、またかっかっと豪快に笑った。



 それから半年ばかり過ぎた。十七を超えたライトは、持ち前の気の強さと高い処理能力を発揮し、元老院の最高峰、第一位の僧正まで上り詰めていた。そもそも元老院は少人数の精鋭体制である。仕事は身を切られるように忙しかったが、遣り甲斐はあったし、何より自分が誰かの役に立っていると言う事を身に染みて感じられた。ゲンがここに彼女を招いた理由を深く深く思い知る事となる。


「ライト様ー」


 気の抜けた声で回想から引き戻され、振り向くと、最近この法王庁本部に転任してきた三等騎士、スケイル・サイズスがまだ若い顔を心持こわばらせながらこちらに向かってくる。


「ああ、スケイルさん。何か御用?」


「いや、ブルース様からの言伝なんスけどね、ブラック様のご自宅兼カフェに、多少警護要員を付けるべきなんじゃないか、と」


「その話は元老院でも上がっています。現在法王様と聖騎士シルヴァも交えて協議中なので、決定し次第そちらにも結果を下す、とブルースにお伝えくださる?」


「解りましたッス」


「それよりあなたね…その中途半端な敬語、何度も注意してるでしょう。だらしのない」


 スケイルはライトより年上であるが、階級はずっと下である。それが解っているのだろう、スケイルはまたこわばった顔をもじもじっと動かしてから、恥ずかしそうに息を吐いた。


「すんません、自分田舎の出なもんで、ライト様のように出来が良く無くて…気を付けます」


「…わかれば良いんです」


 逆に居心地が悪くなってしまい、ライトはふいっとスケイルから顔をそらした。彼女にしてみれば、スケイルのようにあけすけに、それも心からの敬意を表してくるものなど幼少からなかなか接した事がない。ここ元老院も、そもそもが各国からの要人を人質に置くような部署であったから、実はゲンも含めなかなかの曲者揃いなのだった。

 珍しく次の句が継げなくなるライトに、スケイルははっとしたように一つ花束を差し出した。


「あの、これ、ついでといっちゃなんなんスけど」


「…これは?」


「いや、ホントに申し訳ない事に、先日シルヴァ様に送った花束のついでなんスけどね。ゲン様が偶にはライト様も労ってやれ、なんて仰るもんスから」


 目を丸くして花束を受け取ると、スケイルは更にあーだこーだと言い訳のような弁明を始める。その様を見て、ライトはふっと笑みを漏らした。


「ありがたく頂きます。その内またお礼をしますね」


「そんなそんな」


 体のあちこちを掻きむしりながらスケイルは逃げるように去って行った。


 ライトは手元の花束の芳醇な香りを吸い込むと、すっと顔を前に上げた。この法王庁にこそ、自分の居場所が確かにある。そして、それはこれから自分で守って行くべき物なのだ。

 とりあえずゲンに余計な事を言わないようくぎを刺しに行くか、と思いながら、ライトはスケイルの消えたほうをちょっと見やって踵を返した。

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