第4話 銀刃
夕暮れの空を見ていると、何とも言えない物悲しい気持ちと恐怖感に襲われる。異界からの脅威”魔女”が夜を奔るようになってから植えつけられたイメージなのか、自分が元々夜に抱いていた印象に依る物なのかはもうわからなかった。
シルヴァ・エッヂは広大な法王庁本部の庭を横切りながら、夕飯はどうしようかと一人ごちる。
右腕に奇形嚢腫”羅患”が発症してから、羅患にひっきりなしに異界のエネルギーが流入する為、食事で必要な栄養素もそれまでとは取って代わった。めっきり肉や魚には興味がなくなくなり、代わりに糖分や炭水化物を多量摂取するようになった。
果ては食事すら面倒になって、現在はブドウ糖を甘く固めたサプリを常用し、食事は一週間に一度くらいしか摂らない。
今日は前回の食事から大体五、六日目と言ったところだ。そろそろ何か食べなければ、胃が収縮して何も消化できなくなってしまう。
「今週もお粥、ですかねえ…」
夕闇に散り出した星を数えながらぼやく。
魔女が毎夜のように出現するようになってから、燈火管制と夜間外出自粛の要請が出され、結果として夜空は随分綺麗になった。皮肉な話である。
魔女の集団による大量殺戮「ワルプルギスの夜」から数年、事件を隠しきれなくなった国連は、ようやく事の顛末を公式会見で発表した。世界は恐怖に震撼した。無尽蔵のエネルギー資源が異界で見つかったかと思いきや、その異界が病や謎の生物兵器を生む事が知らされたのである、無理もない。
そこからは、不安に駆られた人民と、当時既に発足していた我らが”法王庁”との、気が遠くなるほどの「対話」の日々であった。
不安を取り除くために最も有効かつ必要な手段は、包括的で網羅的な説明と問題の大きさに比例した時間である。そして今回の場合、人民の不安を掬い上げたのは、裏で手を結んでいたアメリカと中国が秘密裏に出資し合って結成したもう一つの勢力”ハイアンカー”の存在であった。
それが現在の、魔女、法王庁、ハイアンカーの三すくみの状況を作り、世界はどうにか仮の安定を取り戻した。
「シルヴァ様」
自分の名を呼ぶ声に振り返ってみると、元老院の僧正の一人であるゲン・スクウェアが、下手をすると戦闘要員である自分よりガタイの良い姿を堂々と晒している。
「ゲンさん、様付けは辞めてくださいって…」
「いや、そう言われてもここじゃシルヴァ様のほうが階級が上ですけんね」
カッカッ、と気持ちの良い笑い声を上げると、ゲンは手にしていた上着をはたき、肩に掛ける。
「今日もトレーニングですか」
「ええ、ええ。まあ私らが多少鍛えた所で、”接続者”の皆さんの戦闘力に敵いやせんのですが。でも、昔から言うでしょう、”健全な精神は健全な肉体に宿る”」
「ですね、まさしく」
ゲンを見ていると本当にそんな気がしてくるから不思議である。ゲンはまたカッカッと大声で笑うと、急に眉をひそめてすっとこちらに顔を寄せた。
「ところで、先日のここへの魔女侵入の件なんですけんどね」
「ああ、その節はまたご厄介をお掛けしました。国連への根回しは上手く行きましたか」
「ええ、まあまたお偉いさんから苦情を頂戴しましたけんどね、あれらは口ばかり達者で…」
「いや、申し訳ない」
ゲンはブンブンと手を左右に振る。
「とんでもねえす、それが私らの役目ですけん。”銀刃”シルヴァ様がそのお役目を見事に果たしていらっしゃるのと同じように、す」
「そう言って頂けると救われます」
「で、元老院で警備の強化に関する対案が幾つか出てましてね」
「ああ、それはまた経費やら人員やらで揉めそうですね…」
ひとしきり仕事の話をしたのち、ゲンは鍛え抜かれた体をパシパシとはたきながら引き上げて行った。
「”銀刃”か…」
自分も因果な名を背負ったものである。シルヴァは、自分の”力”で今は人身サイズまで抑え込んでいる変質した右腕を見やり、逡巡する。その二つ名も”聖騎士”という称号も、自分にはなんとも分不相応に思えてならなかった。
それでも、力を持つ者にはそれを正しく振るう義務があると思っている。
シルヴァは久し振りに身を正される気分になると、とりあえず食事だ、と踵を返した。
その耳に、けたたましい警告音が響き渡った。
『アラートC。法王庁騎士の体に異常。間もなく”深淵者”に堕ちると思われる、即刻処理してください。アラートC…』
電子音の指示を聞くや否や、シルヴァは上着から携帯端末を取り出しながら駆けだしていた。
魔女――”深淵者”の正体とは、感染した羅患が体中に広がった者の末路である。羅患は感染後、確実に体をむしばんで行き、いずれ必ず魔女に堕天するものとされていた。羅患に流入する深度零のエネルギーの気が狂う様な甚大な波長により、意識が徐々に浸食されていき、魔女になる頃には一切の自我も理性も感情も失われる。結果周囲に当り構わず攻撃を仕掛ける個体がほとんどであった。
深度零のエネルギーによって強化された魔女の肉体に致命傷を与えられるのは、同じく深度零のエネルギーで強化された羅患者、”接続者”のみ。
羅患者が、いつか自分も必ずそうなる、魔女にとどめを刺す。
この冗談のようなシステムが、国連が数週間連日協議を続けた末に出した結論なのであった。
「冗談じゃないですよッ」
また一人ごちながら、シルヴァは強化された自身の肉体をバネに、法王庁の建造物の壁を蹴って跳躍し、最短距離で現場に向かう。
今まで何人もの仲間をこの手で屠って来た。その度、いつか自分がこうなるのだというひたひたと冷たい予感が胸をよぎる。どうせなら自分も、仲間の手によってこの命を散らしたかった。悪夢のような戦いの日々の中で、そんな妄想だけがいつしか唯一の安寧に思えてくるのであった。
現場のすぐそばまで来ると、混乱した衛兵たちが逃げ惑っているのが見える。彼らのほとんどは”堕天”の瞬間を見たことがない。おぞましい変体を目の当たりにすれば、心が折れるのも良くわかる。
端末で割り出した現場の座標位置に、どろっとした異界の匂いが漂い、上空が赤く色づき始めているのが臨まれた。直下に、変質をなんとか耐えている同僚の姿が見える。
シルヴァは右腕に力を込め、いつものように一薙ぎにして終わらせようとして、辞めた。
対象の目の前に降り立ち、ゆっくりと近づく。
「し…ルヴァ…さま…」
まだ理性が残っているらしい、顔が涙とよく分からない液体でどろどろになったその同僚は、こちらに懸命に手を伸ばす。
「すみま…せん…。すみませ…」
「良いんですよ」
左腕を差出し、すっと体を抱える。
「あなたは悪くない」
シルヴァが貫通する右腕を引き抜くと、同僚はほっと息をついて、静かに絶命した。
「悪いのは、この世界です」
今日も騒々しい夜が訪れようとしていた。
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