第3話 慧眼

 右腕に握った刀を水平に薙ぐ。切っ先に僅かにかかった魔女の皮膚が一直線に裂け、そこからどろりとした体液が染み出す。


(浅いか…)


 やはり”眼”を使わなければ魔女の生き物離れした動きを捉えきる事は出来ないようだ。しかし、ここは異界”深度零”の浅層である。周囲には何ともつかない奇妙な匂いが漂い、浮かされるように数体の魔女がフラフラと自分を遠巻きにしながら隙を伺っている。

 現実界で見る魔女とは明らかに動きが違う。”眼”の力を解放したとして、この魔女たち全てを仕留め切る事が出来るかどうか。


 なぜ、こんな状況になってしまったのか。

 K.I.コナーは刀を笠懸に振り回しながら回想する。




 コナーの属する組織”ハイアンカー”は、便宜上「異界踏査団」という形態を取ってはいたが、実際は異界深度零に関するあらゆる問題に対処する萬屋である。

 主目的である深度零の踏査は勿論の事、異界がもたらす病”羅患”の医療方面の研究、羅患を魔女との戦闘に活かす為の技術研究、魔女の駆除、現実世界に異界がもたらした新たな悩みの種に対する対応まで、幅広く有志を募り事に当っている。局員はほぼすべてが羅患者であり、組織で開発された羅患の弱性鎮静剤を求めてハイアンカーの門を叩く者がほとんどであった。


 彼女、コナーもその一人だ。

 彼女がまだ女学生であった数年前、魔女や羅患の実例は世間に知られていなかった。初めて大量の魔女との接触が起きた、通称「ワルプルギスの夜」の実態も、民間人には急に勃発した国際紛争として語られ、国連はまだ驚異と真実を一般人から隠し通せると信じていた。

 結果として、多くの人民の危機意識は低いままであり、既に世界中に開きはじめていた深度零へのワームホールの存在も大抵の人間が無知であった。


 ワームホールは見た目、空気の揺らぎのような微かな現象である。その頃にはホールだと知らず近づき、異界の空気に触れてしまう人間が幾らでも居た。コナーも過たずその部類であり、その時異界のエネルギーによって左目に羅患を発症したのである。



(当時は母さんと父さんが喚き散らして大変だったわけねえ…)


 戦闘中だと言うのに、コナーはいまいち集中しきれないでいた。考えないように、ただ戦闘に一心不乱になろうとすればするほど、異界の謎の香りに混じって強い血の匂いが鼻を突いた。彼女と一緒に深度零に潜っている仲間の血の匂いだ。


 踏査団はハイアンカー局員五人以上からの万全の体勢で組織される。三人以上の戦闘員と、本部との連絡や補給を行うサポートメンバーが一人以上、ハイアンカーお抱えの医者が一人以上、という配分である。しかしコナーを含む戦闘員は、残り全てが魔女の爪に掛かり、生きているのかどうかすら確認する暇がない。補給メンバーは先程から余りの恐怖に震えて何も出来ないでいるし、一人しかいない医者は懸命にけが人の治療に励んでいたが、これも期待できそうになかった。


 一人で複数の魔女を相手取るなど、どう考えても自殺行為である。


 そうする間にも、異界のエネルギーを直に浴びて、魔女の体がめきめきと少しずつ増長して行く。早く絶命させなければこちらが危うくなる一方だ。


「仕方ねえわね…」


 誰に聞かせるでも無くぼやくと、コナーはすっとその場に立ち尽くし目を閉じた。


 異界に充満するエネルギーが渦を巻きながら自分の周りに漂っているのをはっきりと感じる。それを手繰り寄せるようなイメージで、思い切り吸い込んだ。先ほどから魔女の反応を受けずきずきと痛んでいた左目が、裂傷を受けたかと思うほど冷たい疼きを生じる。



 目を開けると、まるでスローモーションのようにすべての魔女の動きがはっきりと見えた。沸々と煮えたぎるような興奮の中で「イケる」と確信する。


 その衝動に任せて腕を正確無比に振り回す。それだけで周囲の魔女に傷が増えて行く。


 あと一息…。その最後の一体の魔女まで肉薄した時、彼女の視界は暗転した。




「はっは、あの時は”こりゃ死んだ”と思ったわけねえ」


 ハイアンカーの医務室に縦横無尽に置かれたベッドに横たわり、コナーはけたけたと笑った。傍で呆れた顔をしてリンゴを剥いているのは同僚のリオン・スカーレットである。見舞いの果物はリンゴに限る、というのが彼女の謎の持論らしかった。


「まあ、ここでも1、2を争うくらい手堅いあなたが、こんな危機に陥る事も滅多にないわよね」


「手堅いって言うなし。私は勝てる勝負しかしないだけなんよ」


「それを手堅いって言うのよ、そう言う所が信頼されてるわけだけども」


 リオンは剥き終わったリンゴの皮をびろびろと弄びながら、苦笑のような失笑のような微妙な笑いを漏らす。コナーは変わらずけたけたと笑いながらリオンの剥いたリンゴをかじる。


「まあでも、今回はさすがに助かったわけねえ。まさか”灼獅”を筆頭に派遣してくれるなんて、さすが局長アン・ルイス、英断だわね」


「間に合ったから良かったようなものの…生存者だけ連れて撤退するっていう選択肢はなかったの?」


「無理無理、あんな足手まといを複数連れてあの数の魔女を潜り抜けながら撤退とか、普通に死ぬる」


 喋りながらリンゴを貪るコナーを見やり、リオンは大げさに溜息を吐くと、果物ナイフと空になった皿を手に立ちあがった。


「ま、”慧眼”K.I.コナーの見納めに成らなくて良かったわ。あなたもこれに懲りて多少養生するのね」


「へいへーぃ」


 手をぶらつかせて返すと、リオンはもう一度大きなため息を吐いてから立ち去って行った。腹が膨れたからだろうか、急に眠気が押し寄せ、コナーは目をこする。

 ちなみに残りの戦闘員も、傷は深かったものの命に別状はなかった。結果としてあれだけの参事に見舞われながら死者はゼロ。自分が「手堅い」と言われる以上に、何か不思議な縁が働いていたように思えてならない。


「すべては神のはかりごと、なわけね…」


 また誰に聞かせるでもなく呟いて、コナーは眠りの淵に落ちて行った。

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