第2話 覆面烏
本日も晴天、並べて世は事も無しである。クロウ・マスキングは根城であるアパートの狭いワンルームから見える空をふっと数秒一瞥すると、いつものようにパソコンを起動してネットに接続する。
ほどなく立ち上げたグループチャットアプリの履歴に、相も変らぬ通知が赤い文字となって浮かんでいる。
灼獅:ロサンゼルス裏通りにて魔女を一体討伐、リスクはC+と思われる。民間人の犠牲者、目撃者は無し。特に対象に変化も見られない。注意事項は無し。
銀刃:法王庁に魔女一体が侵入、法王の手に寄り無力化、私が駆除しました。器物が損壊しただけで被害の程度は軽いです。
最近の魔女発生事案をざっくりと目で追って行き、次の仕事のアタリを付けるのが彼の朝の日課であった。手元に置いてあるハーブティをくいっと煽るが、それはもう酷く冷めきっており、せっかくの風味が失われてしまっていた。ふっと短い溜息を吐く。
異界”深度零”発見当時、急に街中に現れた”魔女”によって、民間人に多数の死傷者が出た。戦車や戦闘機まで動員して辛くも事を納めた人類側であったが、事の重大性をすぐさま認識、国連で連日協議が繰り返され、魔女討伐のスペシャリスト育成の為に、”法王庁”が再編成された。
ほんの十数年前の出来事である。
そこから、世界は急速にその形態を変えていく事になる。最たるものが自分の右腕と顔にも表れていた。
形ばかりの小さなバスルームに移動すると、ひび割れだらけの鏡に姿を映してみる。顔が焼けただれたように変質し、シャツの袖から覗く右腕ももはや原型が解らない程にゆがめられている。深度零からもたらされた脅威の元凶である、奇形嚢腫”羅患”であった。
深度零発見後、異界に繋がるワームホールが世界中に無数に開き始めた。ホールの数は現在も増え続けている。そこから漏れ出してくる深度零の空気が、人間にとって害になるらしく、羅患はそうして発症する異界からもたらされた新たな病なのであった。
日常生活に右腕が使えなくなってしまったため、利き手でも無い左腕で所用を済ませる癖がついた。歯ブラシを左手で取り、変質した歯をガシガシと磨く。羅患に侵された歯が果たして虫歯になるものか解明されていなかったが、クロウにとってはこうして毎日のルーティンを間違いなく実行する事が大切なのである。
口をゆすぐと、顔を隠すための仮面と腕を覆うローブを羽織って部屋を後にした。
空は雲一つなく晴れ渡り、気持ちの良い快晴と言ったところである。クロウは太陽の眩しさにいささか目を細めながら、携帯端末を操作しつつ街路を巡って行く。グループチャットで引き続き情報収集をしてみた所、一件気に成る事案が目に入った。
ハイアンカー公式:ロサンゼルス北東部にて、気に成る動き有。羅患の治療薬を安価で譲ると言う売人と接触。取り逃がす。引き続き調査されたし。
羅患と魔女のせいで、この手の案件には事欠かない世の中になった。こういった端役の事案を処理して行くのが、何でも屋として生計を立てているクロウの、目下の仕事となっていた。
端末から音声チャット機能を呼び出し、見慣れた番号にコールする。ほどなく相手が着信を受けとった。
『もしもーし、”覆面烏”君?』
「もしもし、”黒馬”か」
『いえーす、どうやら君も例のハイアンカーからの情報を見たようだね』
相変わらず話が早い。電話の相手である”黒馬”、ブラック・ホースは、仲間内では名の知れた情報屋であり、界隈の下手な情報通よりも深度零案件に関しては余程詳しい。
『そういえば先日贈ったハーブのお茶はどうだった? なかなかの逸品なんだけどね』
「ああ、美味かった。しかし数が少なすぎるな、すぐに飲み切ってしまいそうだ」
『クロウ君がっつきすぎー!』
雑談を交えつつ、ブラックから送られてきた座標に向かって移動する。
「で、今回の話は確かなのか」
『まあねー、座標送ったから解ると思うけど。まあいつもの個人の暴走だから、一人殺せばおしまいだよ』
「楽な仕事で助かる」
二つ送られてきた座標の一つである、廃ビルに侵入する。長い事使われていない建物らしく、コンクリの壁にも床にもひびが入り、運び込まれたままの資材がそこらに散乱している。それらをひょいひょいとよけながら階段を上って行くと、ほどなく屋上に出た。
もう一つの座標位置を臨める位置である。
ローブを翻しながら右腕を構え、座標位置に狙いを定める。仮面の眼孔部に付属された望遠レンズを通してみると、座標が示す場所でやけに周囲をきょろきょろと伺いながらぶらついている男の姿が目に入った。
「人類に栄光あれ」
呟き、右腕に力を込める。埋め込まれた狙撃銃から音もなく弾丸が発射され、売人の男の頭を貫いた。
「…終わったぞ」
『お疲れー。迅速なお仕事だねえ』
「後始末をハイアンカーに依頼しておいてくれ。俺は帰って寝る」
『了解了解、報酬もハイアンカーに請求しておくね』
もう一度見上げた空は、あっけらかんと高く、人類を遥か高みから見下ろして嗤っているように思えた。
クロウはふっと短い溜息を吐くと、帰ったら今度こそ熱いハーブティを飲もう、と、帰り道に向かって廃ビルを下りだした。
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