第6話 ビューティフルワールド1

「まーたやらかしおった!」


 昼下がり、事務机にかれこれ五時間は縛りつけられていたアン・ルイスは、我慢の限界とばかり叫んだ。普段非常に温厚な彼がここまで取り乱すのは珍しい。ハイアンカー本部の事務所に詰めていた事務員たちが、怪訝さと気味悪さがないまぜと言った視線を投げてくる。ルイスは「ああ、すまんすまん…」と謝りながら、母国語で幾つか小声の悪態をつく。


 ルイスが数日前から処理していた案件は、サンフランシスコ郊外に本拠地があるらしいとある宗教団体に関する事案である。目の前のパソコンには幾つも注意事項を並べた付箋が張り付けられ、先ほどから携帯端末の着信音が鳴りやまない。

 ルイスは微かな眩暈と頭痛を感じてやれやれと首を振る。


「どれどれ」


 ルイスの後ろから手元のパソコンを覗きこんだ事務総長、ジプシーが、数秒でその内容を把握して、うっと呻いた。


「これは随分煮えてますね…」


「まったくだわ。これだから野良犬と野次馬と馬鹿だけは頂けん」


 叩きつけるようにキーボードを操作しつつ現場に指示を送るルイスに、ジプシーは心底同情したというような視線を投げると、「珈琲要りますか?」とうやうやしく尋ねる。ルイスはほっと息を吐いて頷いた。


「貰うよ。今夜は徹夜になりそうじゃからな」



 深度零が発見されたのち、社会は様変わりした。

 深度零のエネルギーを技術として取り込んだ商品が幾つも開発、発売され、人気を博す一方、深度零に無断侵入しようとする者、肝試しと称して魔女に戦いを挑む者、深度零関連の商品と偽ってガラクタをネットオークションに出す者など、新たな社会問題も多々生まれた。それらを一手に解決し、再発を防ぐ法整備の為の監査を行うのもハイアンカーの重要な仕事である。

 今回の案件も一見そうした騒ぎたいだけの人間たちの単なる愚行に思えた。


 なんでも、田舎に産まれた新興宗教が、魔女をご神体としてまつっているというのである。

 ルイスの指示でハイアンカー局員や一般の協力者が調べたところによると、彼らの信仰の概略はこうだ。

 深度零とは過去聖書の中にも描かれる「天の国」であり、いよいよ世界に終末が近付いている。そして、天使であり神の子たる魔女たちが天の国に導かれる人類を裁定している。魔女に選ばれたものだけが復活後の世界で楽園に住まえる。



「頭が痛いわね!」


 さすがにハイアンカーだけでは処理しきれない事案と判断され、法王庁にも協力要請が回って来ていた。ゲン・スクウェアをはじめとする僧正たちに現状を報告され、法王ライザ・ブラッドレイは悲鳴を上げる。然程深刻さを伴って見えないのは、彼女の仁徳と言うべきか人柄と言うべきか。

 それで多少周囲が冷静さと余裕を取り戻すのだから、ありがたくはある。


「既に教団の人間が数名、魔女に遭遇して逃げる事も通報することも無く殺されているそうです。中にはわざと人通りの多い通りまで魔女を誘導してから殺される人間もいたとか…」


「いかがしましょう、法王様、我々にも出動要請を下さいますか」


 法王庁に偶然居合わせたシルヴァ・エッヂとブラック・ホースも会議に参加していた。法王はトントンと机をたたきながら頷く。


「仕方ないわね! 私はここを離れられないけど、みんな存分にやって頂戴」


「承知いたしました」


 僧正たちがその場に頭を垂れてひざまずき、中から一人、ゲンだけが立ち上がる。


「それでは聖騎士シルヴァと陰獣ブラックにも任を命ずる。まあ二人ともお忙しいとこ申し訳ないんじゃけんど、行ってきてくれますかいの」


 シルヴァは珍しくうんざりした表情で頷いた。彼もこの数日魔女の頻出のせいで寝ていないのである。彼の肩をぽんぽんっと叩きながら、ブラックはその場に似つかわしく無いはしゃいだ声を上げる。


「久し振りの出張かー、楽しみだね! サンフランシスコ!」


 観光気分か。と誰もが思ったが口には出さなかった。

 かくして精鋭による、”邪教、天の扉”の調査が開始されたのである。




 現地に飛んだのは、銀刃シルヴァ、黒馬ブラックを分隊長、副長とする法王庁の騎士合計五名。そしてハイアンカーからは、灼獅リオン、慧眼コナーを同じく分隊長、副長とする合計五名。さらには民間からの協力者として元々現地で実地調査をしていた、覆面烏クロウの、全十一名の大所帯である。

 それも教団の規模を考えれば仕方ないと言えた。全貌はまだ把握できていなかったが、教団員数名に死者が出ても全く意に介さないだけの人数がいる。少なく見積もっても二、三十人と言ったところか。彼ら全員を拘束し、場合によっては処刑も済ませ、関係者を全て同様に始末しなければいけない。


「憂鬱だわ…」


「ほんとそれなわけねえ。オツムの鈍いボンクラどもを粛正するために十一人…」


 行きの特別旅客機の中で、リオン・スカーレットとK.I.コナーはずっとぼやいていた。シルヴァはこの所の徹夜もあって隈の濃く刻まれた目を伏せてぐっすり寝込んでおり、ブラック含む新米接続者たちは旅行気分で始終ソワソワしている。

 機内を見渡して大きなため息をついたリオンは、手元の資料にもう一度目を通しながら、


「面倒臭い事にならなきゃいいけど」


 と小さく一人ごちた。



 サンフランシスコ現地時間午後六時四分。黄昏の街に旅客機は着陸した。ぞろぞろと現地に降りる一行。出迎えたのはクロウ・マスキングである。


「お疲れさん。サポートメンバーのクロウだ。これから一旦宿に移動するが、はぐれる事無くついてくるように、特にそこの小学生みたいにはしゃいでるやつら数名」


「なんだよー、いいじゃん、途中でアイスとか買おうよ」


 シルヴァは黙ってブラックの頭を殴った。「女に手を上げる男サイテー!」と彼女が喚いていたが、全員が無視した。

 機内で眠ったおかげで多少回復したらしい、ようやく普段の冷静な面持ちに戻ったシルヴァが、すっと代表としてクロウの前に歩み出る。


「よろしくお願いします、クロウさん。こちらの紹介は大人数なので省かせてください」


「構わん。どうせ大多数は見知った顔だしな」


 こっちだ、と顎で街路のほうを差し、クロウはいつもの癖で早足で歩いて行く。一行もぞろぞろとそれに続く。


「それにしても華やかな街ですね。こんな時間なのに賑やかで…」


「そうか? ロサンゼルスのほうがやかましいと思うが」


「ちょっと、あれ”賑やか”どころじゃないんじゃない?」


 進行方向の数百メートル先、空が黄昏の名残のせいだけではなく赤い醜悪な光を放っている事に、まずリオンが気付いた。

 帯同した一同が、一斉に自らの羅患の疼きで状況を察する。前方から微かな血の匂いと共に、異界のつんと鼻を突く異臭が漂ってきていた。


「魔女…」


 


 その頃、ロサンゼルスのハイアンカー本部にて、局長ルイスは嫌な予感に駆られていた。


「これはしょうもない…しょうもないトラブルが起きる気がするわい…」


 これが”しょうもない”で済まなかったのである。

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