第24話 脅迫

「わあっ!?」


 戻ってくるのを見計らって声をかけると、欧陽おうようぜんは子供のように叫んで飛び跳ねた。柳の木の陰から出てきたのが雪蓮だと知るや、可哀想なくらいに青くなって狼狽する。


「せ、雪蓮さん、いったいどうしたんですか……!?」

「それをあんたに聞いてるんだ。あっちで王凱の子分どもと話していたようだが、いつの間に仲良くなったんだ?」

「それは……」

「教えろ」


 雪蓮は欧陽冉の右手をつかんで壁に押しつけた。欧陽冉はそれだけですっかり萎縮してしまい、雪蓮と目を合わせることもできずに身を震わせる。


「僕は、悪いことは、していません。雪蓮さんや梨玉さんのために……」

「あくまで白を切るつもりか。じゃあ僕の推測を伝えておくが、あんたは王凱から脅されているんだ。丙三組の成績を落とすようにとな。さもなくば殴るぞ――あるいは代償として金品をもらう約束をしている可能性もあるな。いや、王凱のことだから前者か」

「違います! 違うんです!」

「さっきの会合は定期報告といったところか? 三場でもやらかすようにと指示があったんだろう? それ以外にあんたが王凱の子分と接触する理由がない」

「理由ならあります。たとえば……その……」

「図星だな。声が震えている」

「……!」


 欧陽冉はこの世の終わりのごとく言葉を失った。

 後は言葉を尽くして脅迫するのみだ。

 場合によっては暴力も辞さない。


 つまり、天秤にかけさせればいいのだ。王凱よりも雪蓮のほうが恐ろしいと思わせることができれば、欧陽冉は丙三のメンバーとして真面目に問題に取り組むようになるだろうから――


「う……ぅああ……」


 ところが、欧陽冉はすでに一杯一杯らしかった。

 全身の力がするりと抜けたかと思ったら、その場に頽れ、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めたのである。


「うああああぁああっ」

「おい……」


 これにはさすがの雪蓮も困惑するしかない。

 まさかこんなに心が脆弱だとは。雪蓮は男として紅玲国に復讐せんと誓った時、父親である雷氏から「男ならば泣くな」と厳命された。そういう信条のもと動いている雪蓮からすれば、欧陽冉の号泣は異常極まりない事態である。


(どうする? あやせばいいのか……?)


 今更そんなことをしてどうする。

 泣かせたのは雪蓮なのだから。


「ちょっと小雪!? 何やってるの!?」


 会館のほうから梨玉が駆けてくるのが見えた。

 雪蓮は少し動揺する。犯行現場を抑えられた犯人のような気分だった。


「梨玉。あんたこそ何やってるんだ」

「小雪の後を追いかけてきたのっ! それより冉くんどうしたの、まさか小雪に変なこと言われたりした!?」


 梨玉が横目で睨んできた。その通りだったので二の句が継げない。

 しかし欧陽冉は、ふるふると首を横に振って蚊の鳴くような声を漏らした。


「全部僕が悪いんです。ごめんなさい。ごめんなさい」

「悪くないよ! もしかして王凱さんにまたいじめられた? ひどいよね、今度こそ私がガツンと言ってあげるんだから!」

「丙三組の足を引っ張っていたのは、僕なんです」


 梨玉が言葉を失った。

 欧陽冉はついに真実を告げる。


「故意に最低の成績をとっていました。煮るなり焼くなり好きにしてください。すべて僕の責任なのですから……」



          □



 会館の空き室である。

 雪蓮、梨玉、欧陽冉に加え、李青龍を迎えて会議の場がもたれることになった。

 欧陽冉はこれ以上隠すのは不可能だと悟ったのか、これまで自分の身に起きたことを明け透けに語った。


「本当にごめんなさい。僕は王凱さんから脅迫されていました」

「脅迫って……どんな?」

「丙三組の点数を押し下げるようにと。王凱さんは、雪蓮さんや梨玉さんを陥れようと本気でした。言うことをきかなければひどい目に遭わせると言われましたが、僕が殴られるだけならこんな脅しには従いません。あろうことか王凱さんは、卓南県の郷里に住んでいる僕の父母まで手にかけようとしていました」

「ひどい! やっぱり王凱さんは道に外れているよ!」

「これが証拠ですよ。僕の部屋にこんな手紙まで置いていったんですから」


 欧陽冉は弱りきった様子で懐から紙を取り出した。

 そこに綴られていたのは、意外に流麗な筆跡の脅迫文。



 丙三組を落第させよ

 さもなければ白豊村はくほうそん陶陰集とういんしゅう欧陽おうようこう王蘭おうらんの命はない



「……白豊村陶陰集っていうのは僕の郷里で、欧陽光と王蘭は、それぞれ父と母の名前です。こんなものを寄越されてしまったら、従わないわけにはいかなくて」

「無視すればよかったじゃないか」

「何言ってるの小雪っ」


 梨玉に、つん、と人差し指をつつかれた。


「冉くんの気持ちも考えてあげなくちゃ! 世の中は小雪みたいに強い人ばっかりじゃないんだよ?」

「雪蓮殿、梨玉殿の言う通りだ。脅迫されているのだから軽率な行動は控えなければならない。ましてや親の命を握られているのに無視するなど道に外れているじゃないか」

「…………」


 二人に指摘され、雪蓮はすっかり縮こまってしまった。

 もう発言しないほうがよいかもしれない。

 李青龍が穏やかな口調で確認した。


「……冉殿、話は分かった。では試験で零点をとっていたのはきみだったのだね」

「はい。答案を書くフリをしていましたが、その実、まったくでたらめな文字を綴っていました。雪蓮さんにはバレバレだったみたいですけど」


 そこで欧陽冉は再び俯く。


「もともと王凱さんが雪蓮さんや梨玉さんに目をつけたのは、お二人が僕を助けてくれたからですよね。恩を仇で返すようなことをしてごめんなさい。どんなに償ったらよいか分かりませんが、まずはけじめとして院試を降りようと思います」

「待て待て! それでは我々が合格できないではないか」

「そ、そうだよ! 冉くんにはいてもらわないと困るよ!」

「でも……」

「悪いのは王凱さんなのっ! 零点を取ったことなら気にしなくていいよ、これから真面目にやってくれれば私たちは満足だから。もし王凱さんが何か言ってきても、小雪が守ってあげるから大丈夫」

「おい」

「それはいいな! 雪蓮殿なら王凱殿も小指で一ひねりだ」

「おい!」

「だから冉くんは気にしなくていいよ。今度は私たちと一緒に本気で試験を受けよう」


 梨玉は笑って右手を差し出した。

 あまりにも真っすぐだ。そして星のように明るい。

 梨玉は欧陽冉の心を開けると信じて疑っていないようだが――

 それは甘い見通しと言わざるを得ない。


 欧陽冉の表情が歪んだ。途方もない絶望によって心が砕ける音がした。

 少しでも影を持っている者なら分かるが、純粋な人間から発せられる混じりけのない優しさは、罷り間違えば他者を傷つける毒にもなるのだ。


 自分はこの人と比べたらどんなに矮小なのだろうか。

 欧陽冉の心を蝕んだのは、そういう類いの絶望に違いなかった。


「……駄目です。ごめんなさいっ」

「あっ、冉くん……!」


 欧陽冉は立ち上がって走り出した。

 梨玉でも懐柔することはできなかったようだ。

 今度は李青龍が慌てて立ち上がる。


「まずいぞ。死相が出ていた」

「死相?」

「早まるかもしれんという意味だ! 追うぞ!」

「う、うん!」


 梨玉と李青龍が大急ぎで欧陽冉の後を追った。

 雪蓮はそれを冷めた目で見送りながら溜息を吐く。


(非生産的なことをする)


 心を落ち着けて考えれば、欧陽冉はこの場で切り捨てるべきなのだ。欧陽冉は絶望の淵に立たされ、院試どころではなくなっている。あれでは脅迫したところでまともに問題を解くこともできないはずだ。


 今すべきは、使えなくなった道具に拘泥することではない。

 いかにして三人で院試を突破するかを考えなければならない。


「おい雪蓮殿! 何をやっている、はやく来たまえ!」


 李青龍が振り返って怒鳴った。

 ここで無視して伍に不和をもたらすのは得策ではない。

 雪蓮はしぶしぶ重い腰を上げるのだった。

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