第22話

 花みんの最後の配信の後――


 俺は、まだ涙が止まらない花見の隣に座り直すと、そっと花見の肩を抱き寄せた。


「お疲れ。頑張ったな」


 俺の言葉に、花見はまだ泣き顔のまま声も無く頷いた。


「そして、ありがとな。これは、視聴者としての俺の言葉。花みんの配信いつも楽しみにしてたし、楽しかったよ」


「……うん」


 花見はやっと出始めたような掠れた声で返事をする。



 実際にそうだった。俺が花みんを知ったのは花みんの配信がスタートしてしばらく経ってからだったけど、まさかリアルの本人が人見知りで片言でしか話せないとは思えないほど花みんの配信はいつも楽しかった。


「けど……本当にやめてしまってよかったのか? 配信で言ってた夢が叶ったって、なんのこと? 少し前に行ってた人見知りを直すのと、俺に可愛いって思われるようになること、か? それなら別に配信者としての活動を続けながらでも……」


 花見が今日、花みんを辞めるというのは聞いていたけど、理由に関しては聞いていなかったなと聞いてみる。


 すると花見はふるふると首を振った。


「うううん。それは今の夢。配信で言ってた夢はね、りょう君と話せるようになること。配信を始めた頃はそれが夢だったから」


 花見の言葉に、以前花見と通話した時に花見が言っていた言葉を思い出した。


“私ね、佐野君と話せるようになりたくて花みんの配信やり始めたんだー”


 確かにそう言っていた。


「佐野君と話せるようになりたくて配信始めたら、そのおかげで付き合えるまでになったから、もう夢みたいだよ」


 花見はそう言いながら、ぎゅっと俺の腰に両手を回して抱き着いた。


「そんなおおげさな……俺だって花見と付き合えて嬉しいと思ってるよ。でもさ、俺だってバイトとかもあるし、その間に花みんとしての活動も続けられたんじゃないかなって思って……」


 今更ながら聞いてみた。辞める前に言わなかったのは、俺に配信を辞めると言い出した時の花見は、すでにしっかりと自分で考えて決意した後の目をしていたから。


 決心を決めた人に向かって言うのは野暮だと思ったから。


 けれど、今聞いたのは、ひと段落した彼女の決意の理由を彼氏として聞いておきたかったから。


「うん、時間的にはりょう君と付き合いながらでも配信は出来ると思う。でも、それはあくまでも時間的な話。……でも……りょう君は、私が他の男の人から『好きだ』『愛してる』『結婚してくれ』そう言われて平気?」


「あ……」


 俺に抱き着きながら俺を見上げて言う花見の顔を見ながら、確かにと思う。正直、俺としてはいい気はしない。ましてや特定厨が実際に花見に会おうとこのカラオケまで来たこともあるくらいだし。……これは花見には話してないことだけど。


「でしょ? 私は今までの配信でも人見知りを公言してたし、“恋人なんていないから安心して” “ここのみんなが大好き” そう言ってた。だからみんな私には彼氏がいないと思っていて、恋愛的意味で好きだって言ってくれる人もいた」


「うん、それは確かにそう」


「アイドルもさ、恋愛禁止だったりするじゃん。それってやっぱりファンが悲しむからだと思うんだよね。でも、私はりょう君と付き合えて嬉しいし、ウソもつけない。かと言ってそれを視聴者さんに話したら、花みんというキャラクターに幻想を抱いてる視聴者さんのイメージを壊すことになるじゃん?」


 花見の話を聞いて、ああ、これが配信の時に言った『不器用だから』の中身なんだなと思った。


 彼氏がいたっていないと言って活動をしている配信者だっているし、彼氏がいることを公言して活動をしている配信者だっている。それはみんなそれぞれだからそれでいいと花見もきっと思っている。


 それでも花見自身はどうしたいかを考えた時、もともとの動機であった俺と話せるようになるという夢はもう達成してしまっていて、その上でまだこの先も続けるかと考えた時に、ウソもつけないし、言う事も出来ないどっちつかずのまま続けて、視聴者さんを失望させてしまう可能性があるくらいなら、いっそ引退をしようと思った……ということなのだろうと理解した。


「……花見の言いたい事はだいたい分かった。俺はとしては、花みんの気持ちを尊重したいし、花みんの幸せを願う。そして彼氏としては、配信者としての活動を辞めた事を後悔させないくらい幸せにしたいと思うよ」


 花見の真剣さに充てられたからなのか、柄にもないことを言った気がする。けれどこれは俺の本心だ。


「……それにね」


「ん?」


「りょう君……私と付き合い始めてから目に見えてモテるようになったから、心配してる。ちゃんと捕まえておかないと、逃げられちゃうんじゃないかなって不安になっちゃう」


 そう言って花見は俺の身体にさらにぎゅっと抱き着いた。



 ――けれどこれが本当の話で。


 花見と付き合い始めてから、なぜか俺はやたらモテるようになった。それが不思議で忍に聞いてみたら、忍の考えはこうだった。


『そりゃそうだろ。今まで地味で目立たなかった花見が、お前と付き合い出してからどんどん明るく可愛くなっていくんだから。しかもそれで花見もモテるようになったのに、当の花見は亮のことしか見てないのが誰から見ても明らかなんだぜ? もともと亮が優しいってのはみんなの共通認識だったわけだし、亮のカブが爆上がりするのは必然だろ、色男め』


 忍の言葉を思い出しながら、うーんと思う。花見が可愛くなったのは、花見の努力の結果なわけであって、もともとのポテンシャルゆえだと思うんだ。


「それを言ったら俺だって。花見がどんどん可愛くなっていくから俺でいいのかなって不安になるよ? それこそ俺だって、花見に逃げられたらどうしようって思うことはやっぱりある」


 花見の言葉に感化されて、俺も少し胸の中の不安を曝け出してみた。


「なんでそんなこと言うの? 私はりょう君しか無理だもん。じゃあさ、私はこうしてぎゅーってりょう君捕まえてるから、りょう君もずっと私のこと、離さないで?」


 その花見の上目遣いにグッときた。花見は俺の彼女なんだと、もっと実感できる何かが欲しくなった。だから――


「分かった。じゃあ、約束しよう。俺は花見を離さないから、花見も俺を離さないで」


「うんっ」


 俺の言葉に嬉しそうに返事をした花見に愛おしさが込み上げて、花見の頬にそっと手で触れる。そして花見の瞳をじっと見つめると、花見も俺の瞳をじっと見つめ返した。


 その瞬間、二人の間の空気が変わったような、時の流れがゆっくりになったように感じた。


 それに反して心臓はその存在を主張しはじめたのを感じながら、俺は花見の顔をこちらにくいっと持ち上げた。花見も俺と同じようにドキドキしているのだろうと感じる。そして――


「約束、な」


 俺は、花見の唇にゆっくりと俺のそれを重ねた。


 花見のぷっくりとした厚めの柔らかな唇の感触がする。その感触を感じながら、たぶん今、花見も俺と同じように思っているのだろうと感じた。


『離さないで。離さないよ。そばにいて。そばにいる。だって……俺は(私は)あなたじゃないとだめだから……』


 それはお互いにとって、人生はじめてのキスだった――。

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