第14話

 いつも断固として外さないメガネを花見が外しているなんてと驚いたものの、授業中の花見の姿を見るようになったのが最近のことだから、俺が知らなかっただけで今までにもそういう事があったのかもしれない。


 そう思った俺には、それが花見の意を決した瞬間だっただなんて、知るすべもなかった。



――そして翌日。


 今日は花みんの誕生日配信の日。花見は、俺がバイト入りする前にすでに入室していた。


 こないだ、『配信の前後にカラオケ店のバイト中の俺に会えるかな』みたいなことを言っていたけれど、考えてみれば俺がバイト中に花見に遭遇したのは花みんが配信中のところにたまたま入ってしまった日だけだったし、あの時だって花見は俺がバイト入りする前には入室してしまっていたのだから、そりゃそうだよなと今更気付いた。


 たぶん花見は、いつもの格好でカラオケに来て、部屋の中で花みんの姿になって配信をして、配信が終わったらまた部屋の中で元の姿に戻って退店しているのだろう。


 だからきっと今日もそうで、時間的にもきっともう配信が始まっている頃。


 帰ったら絶対アーカイブを見よう。そう思いながら受付の仕事をしていると、一人の男性客が入店してきた。ラフすぎる格好に不釣り合いなバラの花束を持っていて、一人でカラオケを楽しみに来たとは思えないような雰囲気。


「いらっしゃいませー」


 声をかけてみるがその男性客は俺の方を見ることもなく、受付をする様子もなく、まっすぐにカラオケルームの方に歩いて行ってしまった。


 その様子が気になったので目で追っていると、まずは手前にある1号室、次いで2号室と、順にすりガラスの間から部屋の中を覗き込みはじめた。


 おいおい、何者なんだよ。不審者か? そう思い声を掛けた。


「お客様、お待ち合わせでしょうか?」


 俺の声に、男は小さく口を開けたままこちらを向いた。


「いや、ここに花みんちゃんが来てると思って」


 あっさりと、まるで悪気なんてないというようなその言い方と、その独特な呼び名に異様さを感じてゾッとした。もしやこの人が先日うちの高校にきた特定厨なのだろうか。


「……花みんちゃん?」


 けれどむやみにこちらの情報を与えるのも危険だ。ひとまず慎重に対応しなくてはならない。だから俺は無知を装って問いかけた。


「えー、知らない? 金髪ボブの可愛い配信者。今日が花みんちゃんの誕生日だから、どうしても花束を渡したくて。このお店に来てない?」


「いえ、見てませんが……。どうしてこのお店にいると思われたのですか?」


「だって、この沿線沿いで背景が白色のカラオケ店って言えば、ここと北口店くらいかなと思って。北口店はさっき行ってみたけどいなかったから、こっちかなと思って急いで来たんだ」


 ……そこまで話してやはり俺はゾッとした。『背景が白色』そんなことでここと北口店の2択にまで絞れるのか特定厨は。そんなの一般人なら気にも留めないことだろう。



 この男はただ花束を渡したいだけかもしれないが、花見の立場になって想像すれば、突然知らない男が会いに来て花束を渡して来たら怖いんじゃないだろうか。


 何としてでもこのカラオケ店が、花みんの配信場所だと知られるわけにはいかない。


 そう思った時。カラオケルームから一人の女の子が出て来て俺は一瞬心臓が止まった。


 それはまさに配信終わりの花見だったからだ。


 けれどその格好は花みんの格好ではなく、髪は下ろしているけどそれ以外はいつもの花見の格好で。前髪重めの黒髪に黒縁メガネにマスクという姿。花見は俺の方をチラリと見たものの、素知らぬ顔してセルフレジを済ませて退店して行ってしまった。


 無論、至近距離で花みんの中の人……というより本人が、すぐ傍を通ったわけだけれど、やはり花みんの時の雰囲気とはまるで別人の花見の姿では、その男は気付くこともなく。


(ふう……バレなくてよかった)


 ただただ安堵しつつ、この男にはもうここに来ることがないように、“ここにはいない” と思ってもらいたい。万が一にも花見の身に危険が及んだり、嫌な気持ちになることは避けてやりたいと思う。


「そうですか。でも、俺、ずっとここでバイトしてますけど、金髪ボブの可愛い女の子がこのお店に来ているところは見た事ないですよ? このお店ではないんじゃないですかねー?」


 だからそんな事を言ってみる。


「えーおかしいなぁ。こないだ絶対ここだと思った高校にも行ってみたけど、誰も見た事がないって言うんだよなぁ」


 男は頭を掻きむしりながらそう言い出した。高校……やはり先日、俺の通う高校に来た特定厨もこの男なのだろうか。むしろそうであって欲しい。こんな特定厨が何人もいたんじゃたまったもんじゃない。


「さっきこの沿線沿いでって言いましたけど、その根拠はなんですか?」


 もっと情報を引き出さなくては。


「あぁ、花みんちゃんの配信中、踏切の音が入ってたことがあって。そこから割り出したんだよ」


 特定した理由も、あっさりと自分の手の内を晒すあたりも学校に来た特定厨と一緒だなと思う。褒めればさらに気を良くして話してくれそうだ。


「それはすごいですね。それっていつ頃ですか?」


「お? このすごさ分かってくれるの? 嬉しいなぁ。何回も音を聴き比べて、各路線の音が鳴る時間とか間隔とかも調べて、やっと割り出したんだよ。いつ頃……そうだな、言われてみればもう1年くらい前になるのか……」


 男はにやにやと得意げな顔をした後、やっぱり小さく口を開けたまま、遠くを見つめながら考え始めた。


「……1年前なら、引っ越しちゃった可能性もありますね」


 一緒に考えているふりをして、さらっとそんな事を言ってみる。


「引っ越し? あー。引っ越したから配信場所変えたのかな。えー、そうなると俺の見立てがすべて狂ってくるじゃん」


 男はぶつぶつと何かを考え始めた。なんとかミスリードすることに成功したようで、内心ほっとする。けれどそれだけじゃ終われない。


「ところで、配信者の居住地や学校を特定して会いに行くのって、プライバシーの侵害とかストーカーと見なされることもあるから、警察呼ばれたらめんどくさいことになるみたいですよ?」


「え、うそ、マジ? 俺はただ誕生日プレゼント渡したいだけだよ?」


 本人に罪の意識はなかったらしいことが分かった。かと言って、決して看過できる問題でもない。


「その気持ちは分かりますが、ひとまず……他のお客様のいらっしゃるお部屋を覗き込む行為は、迷惑行為にあたります。恐れ入りますが身分証のご提示をいただけますか?」

 

 あえてにこやかに、ゆっくりと伝える。すると男は。


「え、身分証? 嫌だよ。俺はだぞ? 客に身分証出せとか言うのかよ」


 表情を引きつらせて急に声を荒げ始めた。


 ロビー近くにあるドリンクバーに飲み物を取りに来た客は、不安げな表情で視線を向けている。


「そうですか、カラオケを楽しみに来られたお客様ですか。でしたらなおの事、身分証のご提示をお願い致します。カラオケのお客様にはみなさんにご提示していただいておりますので」


 けれど俺はそんな事では怯まない。ここで引き下がって、もしもこの男がこれからも花見に付き纏ったらその方が嫌だから。


「え!? あー、俺、今日財布持って来てなかったなー。忘れたみたいだから帰ろうかなー」


 男はたじろぎながらごにょごにょと言い訳をし始めた。けれど、ここでみすみす逃がすつもりもない。


「そうですか、身分証をご提示いただけないのでしたら、やむを得ませんが迷惑行為を行う不審者として警察に通報することになりますね。特定の女の子を探して高校へ行った件、北口店に行った件と、当店の防犯カメラの映像を添えて」


「え?」


 男はあわあわとし始めた。


「もう一度お伺いいたします。身分証のご提示をお願いできますか? それともこのまま退店されますか?」


 笑顔を崩さず、けれど今度は低い声で言った俺の言葉に、男は観念したように身分証を提示したので、俺はすかさずコピーを取った。

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