第19話 潘充儀の秘密
巨大な南極殿で開かれる饗宴は妃嬪だけでなく皇族や高官などの姿もある。
妃嬪たちはお目通りのない皇帝の目になんとか留まり、この機会に自分へ興味を持ってもらいたいと必死だ。宴会場にはいつも以上に着飾った艶やかな妃嬪たちが揃い、壇上には銀の皇帝や側近の影狼の姿があった。
天佑は他の郡王たちと共に卓についたが、羽林大将軍かつ皇帝の同腹として、壇上に最も近い上座に席が用意されている。
「まあ……天佑さまの
「ええ、本当に。なんでも、陛下とはよく似たお顔立ちなのだとか……」
「早く銀の仮面の下のご尊顔を拝みたいわね」
妃嬪たちがヒソヒソと天佑の容姿を誉めそやす。お目見えのない皇帝の銀の仮面の下に隠された容姿も、きっと天佑に似た麗しいお顔立ちなのだろうと期待感が高まっている。
天佑は今日、羽林大将軍として皇帝を守るという立場で出席していた。銀の皇帝役は一角が務めている。
(……雪玲がいない)
位の高い妃嬪が壇上に近い。芸を披露する広々とした中央の空間を挟み、郡王たちは妃嬪たちの対面。
ちょうど真ん中辺りにいるはずの雪玲だが、ひとつだけぽっかり席が空いている。序列から言って、あそこが充儀の席なのだろう。
堅苦しい祭祀とは異なり、奉花祭の饗宴は酒や食事、舞を楽しむ華やかな席。雪玲がいないまま既に宴は始まり、高官たちは皇族たちへ酌をしたり、妃嬪たちはお互いを牽制したりしながら、皇帝の目に留まる機会を伺っている。
伎女たちの一糸乱れぬ歌舞が披露される中、浮かない顔の天佑の元へも何人かの高官が酌をしに来たものの、心ここにあらずだった。
(雪玲は他の妃嬪と顔を合わせるのが怖かったんだろうか。それとも、体調が悪いとか? ……いや、体調を崩したらすぐに連絡が入るはず。やはり虐められるのが嫌で……)
答えが出ない問いを延々と自分の中で繰り返しているうちに、雪玲が入ってくるのが目に入った。
(! 顔色も……悪くないよな? 良かった……万が一、妃嬪たちが雪玲を虐めるようなら……周囲が何と言おうが俺は止めに入るぞ)
天佑がそんな過保護を発揮していると露知らず。
雪玲が宦官に案内された席に座り、卓上のご馳走へ目を輝かせた矢先、あちこちから嫌味が飛んできた。距離があることに加え口元が見えず、天佑に届いていないのが幸いである。
「まあ、裳州の田舎者は時間も守れないのかしら」
「あら、時間の概念がなかったのではなくて?」
首を傾げた雪玲だったが、あ、というと頭を下げた。
「支度に手間取って遅れてしまいました。時間を守れず、遅刻してごめんなさい」
にっこり笑う雪玲に毒気を抜かれた妃嬪もいたが、ごくわずか。
「……潘充儀、わかっているわ。わざと遅れて陛下の目に留まろうとしたんでしょ? あざとい女ですこと!」
「なんてこと! そんな厚顔無恥なことをする妃嬪がいるだなんて!」
延々と続く嫌味を聞き流しながら、雪玲の視線は広い饗宴場の中央で芸を披露する明明に釘付けになった。
(雹華に言われた通り、素直に舞を踊るんだ。他に得意なことがあるなら、明明はそれを披露すればいいのに)
「ちょっと! 聞いてるの?」
必死の形相で踊る明明の姿は優雅にはほど遠く。案の定、明明の『あまり得意でない』という舞はつたないもので、見ている者はほとんどいなかった。
場を辞した明明と入れ替わりに中央へ進み出たのは雹華だ。
「参見陛下、万歳、万歳、万万歳。
陛下、青龍国のますますの繁栄を願い、雹華が舞を奉納いたします」
雹華は
薄緑色の
(自信があるだけあって雹華は舞が上手ね。花の枝を揺らさずに踊れるなんて。舞の名手と言っても過言ではなさそう)
軽やかな舞が終わるとどこからともなく拍手が鳴り響き、銀の皇帝までもがゆっくりとした手つきで拍手を送っていた。
満足そうな雹華は皇帝へにっこり笑うとお辞儀をして席へと戻った。
見事な舞の前で止まっていた雪玲への口撃が再開する。
「裳州の田舎者は舞なんて習っていないのではなくて?」
「遅刻した罰よ。崔昭媛の後は私の番だったけど、あなたが何か披露しなさいよ」
「……芸を披露したら、食べてもいいですか?」
しゅんとした雪玲の姿に、
「うっ。い、いいわよ、楽か舞を披露したらもう何も言わないわ」
「……わかりました」
すっと立ち上がった雪玲は中央ではなく壁側に控える護衛の下へと向かう。等間隔に配置された羽林軍の精鋭の一人は自分に向かってくる妃嬪に困惑していた。
護衛の前に立つと、雪玲はお願いをした。
「剣を貸してくださいますか?」
「え? け、剣ですか」
ダメに決まっている。
護衛は身分の高い妃嬪からのお願いをどう断ればよいのかわからないし、そもそもこんなに綺麗な女人に近づかれたらいろいろな意味で困る。どうしたものかと目を泳がせて上司の姿を探した。
広い饗宴場の向こう側、上座に座る羽林大将軍の姿が目に入る。頬杖をついた麗しき大将軍は無表情のまま大きく頷いた。
「え? お渡ししていいんですか?」
口の動きを読み、改めて天佑が頷いている。……渡して構わないようだ。
護衛が恐る恐る差し出した剣を受け取り、雪玲は踵を返す。妃嬪たちの席へ戻ると、雪玲を詰っていた妃嬪たちが一斉に大騒ぎを始めた。
「きゃあ! 乱心したの!?」
「は、早まらないで!!」
「悪かったわ! 謝るから止めて!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ妃嬪たちに、雪玲が首を傾げる。
「剣で誰かを傷つけたりなんてしませんよ?」
九嬪の席を過ぎ、下座に座る二十七世婦の元へ向かう。見慣れた頼もしいお姉さんたちの前に座るとお願いをした。
「石婕妤、楊美人、舞を踊りたいので曲を弾いてもらえませんか?」
「あら。私たちに? いいわよ。何がいいの?」
ひそひそと話す雪玲に、二人は微笑みながら大きく頷いた。
「参見陛下、万歳、万歳、万万歳。私、潘雪玲は石婕妤と楊美人の演奏で剣舞を奉納いたします」
しんと静まり返る饗宴の席。
やがて、二つの琴による協演が始まった。雄大な曲はゆっくりと流れる川のような旋律を奏でる。
雪玲は剣を鞘から取り出すと剣舞を披露し始めた。白の衫襦に細かな刺繍が施された水縹色の裙。差し色の
磨かれた刀身が会場の灯りを反射し、動く度に煌めいた。
剣はまるで体の一部かのように自由自在に動き、見る者を魅了する。しなやかに繰り出される型の数々は美しく、その姿は仙女のよう。
羽林軍では節目の祭祀で剣舞を披露することもあったが、力強い演目ばかり。清らかな水が流れるようなこんなにも美しい剣舞もあったのかと、思わず護衛たちも魅入る。
くるくると舞いながら剣を回す雪玲に天佑も見惚れていた。
(雪玲……美しいな)
二人の視線が絡まり、天佑の心臓が大きく鼓動した。雪玲が天佑に向かって柔らかく微笑んだのだ。
(ふっ……そういえば、雪玲。銀の皇帝でもユウでもなく、天佑として会うのはこれが初めてなんだな)
すっと立ち上がった天佑は剣を手に中央へと進む。雪玲の動きに合わせ、天佑も剣舞を舞い始めた。
合わせたこともないのに息がぴったりの二人。雪玲が次に何をしたいのかを天佑が汲み取り、二人の剣が重なり合う。
シャキーン ビュン
徐々に早くなっていく琴の旋律に合わせ、二人の舞も激しさを増していく。
背中を合わせ同時に剣を繰り出し、お互いに向き合って剣を絡める。くるりと舞いながら寄り添い、剣を重ねて一緒に点く。
「ほう……まるで天女と仙女の舞だな」
「なんて美しいのかしら。天佑さまの白と紫紺の衣装も潘充儀の衣装とまるで合わせたようだわ」
(すごく楽しい! ユウは何でこんなにびったり合わせられるの? あ、またぴったり!)
舞の最中、忙しく態勢を変え剣を繰り出しながら、何度も目を合わせ微笑みあう。二人の素晴らしい剣舞が終わると、会場からは割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
天佑がこっそり雪玲に伝える。
「……雪玲、ユウと名乗っていたが、私の本当の名前は龍天佑だ。羽林大将軍の位を授かっている。覚えておいてくれ」
(うん、知ってた。ごめん)
「はい、大将軍。剣舞を共に披露させていただけて光栄でした。ありがとうございました」
こうして、大絶賛された美しい剣舞だったのだが。
息ぴったりで舞を踊る二人の様子を苦々しく見つめ、雪玲に不穏な視線を向ける妃嬪がいた。
雹華だ。
(私の舞が絶賛される予定だったのになんて忌々しい! それにしてもあの娘、どこかで会ったような……)
記憶を辿っていた雹華がはっとする。
(もしかして……私が取り上げた紺碧の披帛の娘? ……でも、おかしいわ。あの時、妃嬪の話を散々していたのに、雪玲は後宮入りするなんて一言も言っていなかった)
――潘充儀には何か秘密がある
にやりと笑った雹華が侍女をこっそり呼ぶ。
「急ぎで調べてちょうだい。潘雪玲の身元と妃嬪になった経緯を知りたい」
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