第4話 盗まれた天衣
(やられた……まさか天衣を狙っていたなんて)
あれから披帛を盗まれたと騒いだ雪玲だったが、一人が何を言ったところで信じてもらえない。長身で細目の女自体がいないことになってしまったのだ。
大騒ぎした雪玲は茶楼を出入り禁止となり、護衛の二人に両腕を抱えられ追い出される始末。
雹華や明明と話をさせてほしいと店主に頼んだが、ようやく聞き出せた頃にはすでに裏口から帰った後。この街に来たばかりで右も左もわからず、雪玲は途方に暮れた。
(……あれがないと帰れないのにどうしよう。西王母からもらったのに……)
雪玲の披帛は天衣無縫、天女が編んだ羽衣だ。人間界と霊界を行き来するためにはあの披帛が必要不可欠。一年に一度だけ天界と人間界に橋が架かる七夕まで、天界に渡る方法がない。
(はあ、なんてこと……。下手な義侠心なんて持つんじゃなかった。母上……おっしゃっていた通り、人間界は世知辛いですね。父上、慎重に行動しろとあんなに言われていたのに、思うがままに行動してしまいました)
とぼとぼと歩いていた雪玲は、いつの間にか街の外れの寺院に辿り着いていた。石の階段に腰掛け、頭をもたげ項垂れる。
しばらくそのままでいたが、ふと隣を見ると離れたところで同じように項垂れている中年の男がいる。あの人も何かあったのだろうか。
しょぼくれていた雪玲だったが、俯いたままちらと横を見ると、くたびれた男の顔色が悪い。天界にどうやって帰るか、自分の天衣に集中するべきではあるのだが、男が纏う悲壮感がただならない雰囲気を醸し出していて、気になる。
先ほどまで父から言われた「慎重に行動するように」という言葉を反芻していたはずなのに、鬱々とした陰気な男が気になって仕方がない。雪玲はついつい話しかけてしまった。
「小父さん、顔色が悪いけど大丈夫? あんまり思いつめちゃだめだよ?
「お嬢さん……そうは言ってもどうにもならないこともあるさ」
さめざめと泣く男の身上が気の毒になり、雪玲は話を聞いてやることにした。
「私で良かったら聞くよ? 慰めの言葉を探してあげるから言ってみて?」
「あなたは良いご両親の元で育ったのでしょうね。優しいお嬢さんだ……。私は
潘真は一枚の紙を雪玲に手渡す。
『つがいの鴨が仲良く出会いたちまち一羽となり
つがいの燕が再び並んで飛び立っていく
愛の喜びを知った鶴もまた高々と空を飛んでいく』
雪玲には鳥の観察日記にしか思えず、首を傾げる。
「……つまり?」
潘真はため息をつきながら下を向く。
「姪は一目ぼれした書生と駆け落ちをしたってことですよ」
「わあ! そんな歌劇のようなことって本当にあるのね」
(人間ってすごいわ……! 神仙たちは若い頃に恋愛し尽くしたとかで、あんまり色恋の話がないんだもの。みんな達観しちゃってて仲良しなのはうちの両親くらいだし。やっぱり、人間ってなんかいい……!)
キラキラした顔で頬を染める雪玲を尻目に、潘真は真っ青な顔で口を開いた。
「あんた、何言ってんだい……裳州から美姫を一人選抜しろという皇太后さまからの
どうやらのっぴきならない状況のようだと雪玲は眉を顰める。
「ふ~ん、新皇帝は随分たくさんお嫁さんを集めているみたいね。さっき私が会った雹華と明明も妃嬪に選ばれたって言ってたわ」
(思ってたより彼女たちはいいところの娘さんたちだったのね)
そんなことを考えていた雪玲はピンときた。
「……そうよ、そうよ! 雹華と明明は妃嬪に選ばれたって言ってたわ。後宮に行けば雹華に会える! 盗むほど気に入った天衣もきっと持っていくはず!」
雪玲は勢いよく立ち上がると項垂れる潘真の前にしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「潘真さん、令旨の内容をよ~く思い出してみて? 裳州から美姫を一人選抜したらいいの? それとも朱亞を連れて行けばいいの?」
「え……? 令旨の内容? 裳州から美姫を一人出せばいいんだが」
「ってことは、朱亞じゃなくてもいいのよね?」
「ああ。だが、裳州までは今から急いで戻っても二か月かかるんだ。間に合わないよ……」
項垂れる潘真に、雪玲が提案する。
「潘真さん、私が代わりに行くっていうのはどう? 私は妃嬪になる人に奪われたものがあって、どうしても取り返さなくちゃならないから後宮に入りたいの。潘真さんは九族皆殺しや潘家の危機を免れるじゃない。どうかしら?」
雪玲は天衣を何としてでも取り返さなくちゃいけないのだ。お互いの利益が合致するし、これは良い取引じゃないだろうか。
潘真は青白い生気のない顔を上げ、雪玲の顔をじっと見る。あっ、というと雪玲は面紗を外した。
「どう? 深窓の令嬢に見えるでしょ? おほほほほ」
あ、こんな風に笑わないのかな? うふ、と笑う雪玲は、その名の通り雪のような白い肌にサラリと流れる琥珀色の髪。栗色の瞳は輝き、よく見ると化粧はしていないと言うのに唇には朱がさし、頬はほんのり色づいている。
……口の周りに串焼きのタレがついていなければ深層の令嬢には見えなくはない。いや、それがなければ仙女のような美しさだ。
潘真は頭の中であらゆる未来を巡らせる。
この美貌なら四妃も狙えるのではないだろうか。
……口を開かなければだが。
年の頃は朱亞とも同じくらいのようだし、聞けばしばらく住む場所が必要とのこと。皇宮で見初められるようなことがあれば、この娘にとっても良いのかもしれない。女なら誰もが憧れる栄華を極めた暮らしが約束されているのだ。だが……
潘真はごくりと唾をのみ込む。
「……後宮は
「でも遅刻しただけで九族皆殺しなんでしょ? それなら誰でもいいから、とりあえず人を送らなきゃ」
潘真さん、死んじゃうんでしょ?と首を傾げる。その通りだ。
……気持ちはもはや雪玲に傾いている。
「……『読み書き』『舞』『琴』『詩歌』『刺繍』なり、何かしら令嬢っぽいことはできるかい?」
「任せて! 大丈夫よ」
潘真はしばらくの間目を閉じ、眉根を寄せて考えた。が、どう考えても今は雪玲にお願いする以外の案がない。
「……一度後宮に入ってしまえば簡単には出られないよ?」
(あ。天衣を取り戻しても急にいなくなったら、潘家と裳州の民が困るのか。……じゃあ毒でも煽って死んだふりをして後宮を出ればいいのかな? ま、なんとかなるでしょ)
「大丈夫! 考えがあるから潘家に迷惑をかけないように何とか出るわ」
潘真はぐっと唇を噛み締めると雪玲に向き直り、拱手した。
「一蓮托生だ。潘家もできる限りあなたを助けると誓おう」
こうして。
雪玲はひょんなことから後宮に入ることになったのだ。
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