第5話 雪玲の後宮入り

 馬車の中から御簾みすを上げ、近づいてくる皇宮の大きさに雪玲は独り言ちる。


「わぁ……、皇宮って広いのね。そりゃそうか。何てったって贅を凝らした後宮には美女三千がひしめいているんですものね」


 三千人……!と繰り返す雪玲の声に解説が入る。


「いえ、恐らくはまだ二十人弱かと。新皇帝の後宮には未だ皇后が不在、皇子の頃に婚姻した皇子妃たちが郭貴妃と胡徳妃になりましたが、淑妃、賢妃はまだおりません。有力な大臣や皇族の外戚たちが競って姫を送り出しているのに加え、皇太后の指示で全国から選りすぐりの美姫が集められているところ。雪玲さまもその一人でございます」


 こう雪玲に話すのは巫水ふすい。潘真がつけた侍女だ。


 今年二十歳になるという巫水は藍みを帯びた墨色の髪と瞳を持つキビキビとした女性で、理路整然とした口調と知性の高さがとても頼りになる。元々、本来後宮入りするはずだった朱亞のお目付け役だったそうで、なるほど、彼女ならその娘の手綱を握れたかもしれないと雪玲は納得した。



 数日前、寺院で潘真と出会った雪玲は潘家が泊まっていた宿に連れていかれ、一部の人間たちにのみ情報が共有された。実のところ、雪玲の身代わり案は反対の声も上がったのだ。


「身元もわからぬそのような娘に潘家の命運を任せて大丈夫なのか? 仮に他国からの間者であったとしたらどうする!? 出会ったばかりのその娘が裏切ったらどうするのだ!?」

「だからと言って期日までに裳州の代表を連れて行かねばどうなるかは火を見るよりも明らか! 

 新皇帝に『裳州に叛意はんいあり』とされたら豪勇無双ごうゆうむそうとされる天佑さまに滅ぼされかねん……

 ここまで二か月もかかったのだ。裳州へ戻って他の娘を連れてくるのも間に合わぬではないか!」


 喧々諤々けんけんがくがくと続く話し合いを聞きながら宿名物の鴨の丸焼きを頬張っていた雪玲だったが、お腹が満たされたところでようやく発言をした。


「もしかしたら私は間者かもしれないけど、私が行かないと九族皆殺しは決定。私が行ったらみんな助かるけど間者かもしれないから不安。でも私は間者じゃないから大丈夫よ。それなら、疑念が拭えなかったとしても、望みがある方を選んだ方が良いと思うのだけど」


 男たちはぐっと唇を噛み締める。その通りだ。


「まあまあ、そんな顔しないで。時には自然の成り行きに身を任せてしまった方がうまくいくこともあるものよ」


 結局、代替案もなく雪玲が後宮入りすることとなり、雪玲に紹介されたのが巫水だ。


 猫のような丸いつり目にすっと伸びた鼻の形が良く、横顔が美しい。着飾ればその辺の妃嬪にも勝てる気がするが、年齢的に難しかったのだろうか。


「まあ。凛とした女人ね。巫水が裳州の代表でも良いんじゃないの?」


 驚いた顔をした巫水がふっと笑い、婚姻歴があるのだと打ち明けた。夫とは死別したらしい。


「そっかあ、旦那様をまだ思っているんだね。うんうん、きっと旦那様も天から巫水を見守っているよ」


 悲しそうな顔で巫水を慰める雪玲だが、巫水が入宮できないのは生娘ではないことも大きい。皇宮は処女性を重要視しており、新皇帝の妃になるための検査が入宮の際に設けられている。他の血が混ざっては困るのだ。


 潘真や巫水たちはふと一抹の不安を覚え、確認をする。


「あの、雪玲さん。もしも陛下に見初められたら、その……房事ぼうじの心構えは大丈夫ですか?」

「房事?」

「閨事、つまり子づくりのことです……雪玲さま、一応確認ですが、子どもがどうできるのかご存知ですか?」


 いとも簡単に後宮入りを引き受けた雪玲に不安しかない。婚姻は一生の一大事なのだし、そもそも後宮に入る妃たちの務めと言えば、子を成すことである。宮女が仕事をするために後宮に入るのとは訳が違う。


 念のため、その知識があるのかないか確認をしたいのだが。


 不安と緊張でドキドキする潘家を前に、雪玲は不服そうな顔をする。


「私、こう見えて物知りなのよ? ふふん、陰と陽をちょうどいい塩梅で混ぜればいいってしっかり教わってます」


 でしょ?と胸を張る雪玲に全員が言葉をなくし、固まる。


 そして、悟った。


(((これは……知らないんだな)))


 潘家の者たちがヒソヒソと話す。


「お、おい、十五って言ってたよな? それなのに未だに子を成す方法を知らないなんてことあるのか??」

「遠~くにある小さな集落の長の娘だそうだ。箱入りなのかもしれないな」


 ……独特な風習がある地域なのかもしれない。婚姻が遅い土壌なのだろうか?


「子どもか~、私の子どもは可愛いだろうなぁ」

「……」


 なぜか雪玲は乗り気のようだか、方向性が違う気がする。


 それはさておき、幸いなことに新皇帝は即位後、未だ誰にもお渡りがないというのは金を握らせた宦官からの情報だ。


 急いで教育をする必要はなさそうだが、房事に関する知識が全くないのもそれはそれで、まずい。


 こうして、機を見て少しずつ閨事を教えることも、巫水に課せられた任務なのである。


 兎にも角にもどこか抜けている雪玲にとって、巫水はこれ以上ない頼もしい味方であり、朱亞の代わりに後宮入りすることになったことを知る、数少ない人物だった。



 ◇ ◇ ◇



 宮廷に到着し名を名乗ると宦官が迎えにやってきた。


 重厚な門の前で不安そうな潘真たちとあっけなく別れ、いくつもの門をくぐってようやく到着した内廷。


 そこには朱塗りの壁と白大理石の基壇が果てしなく続いていた。


 興味深そうに歩く雪玲をちらちらと振り返りながら、宦官が気の毒そうに案内したのは紫花しか宮だった。


 雪玲たちに割り当てられたのは広い後宮の中でも多くの妃たちが住む宮殿。つまり、雪玲はその他大勢の下級妃の一人というわけだ。


 自分の部屋という場所に案内されると、雪玲はさっそくあたりを見渡し物色を始めた。


 十分な広さのある部屋は奥に大きな寝牀しんだいがある。文机や飾り彫りの入った箪笥など、一通りの物が揃っていた。


「わあ! 狭いけど狭すぎず、なんか……イイ!」


 きらきらと瞳を輝かせる雪玲を見て、巫水はほっとしていた。……朱亞だったら狭いだの、待遇が悪いだの、大騒ぎしていたはずだ。


 できない子ほど可愛いのか、身内贔屓なのか。朱亞の父親は「朱亞はやればデキる子だから後宮に入れば新皇帝の寵を得ようと躍起になったはず」と言っていたらしい。だが、問題やいさかい事も絶えなかっただろう。……どっちにしたって、九族皆殺しだ。


 結局のところ、期限に間に合わずお咎めを受ける可能性だけでなく、無事に入宮してもお咎めを受ける可能性があったのだ。つまり、潘真をはじめとする同行者たちにとって、朱亞が駆け落ちして雪玲が後宮入りしてくれたことは願ったり叶ったりだったともいえる。


(成り行きで巻き込まれた気の毒な雪玲さま……。彼女の義侠心に真心込めて仕えよう)


 そんな誓いを巫水が立てているとも知らず。


 雪玲にはさっそく、紫花宮での初めての洗礼が待ち構えていた。


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