第20話 皇族を欺いた罪

 夢のような剣舞の共演からすっかり機嫌がいい天佑。


 雪玲も無事に戻り、昏睡状態の天誠の治療にも希望が見えたのだ。疲れ切っていた以前とは比べ物にならないほど生き生きとしている。銀の皇帝こと天佑を支える影狼をはじめ、事情を知る太傅や太監、一角たち隠密もその様子を喜んでいた。


「あとは霊力を持つ神医を探すのみだが……」


 今のところ、隠密や地方へ出向かせている部下からもめぼしい報告は上がってきていない。


 そして、とうとう古書の解読が終わってしまったのだ。


 雪玲と共に過ごす口実が欲しいものの、ちょうどいい名目がなかなか思い浮かばない。


「はぁ、凛凛がいれば誘わなくても毎日来てくれただろうに……」

「天佑さま、可愛らしい小動物を探してきましょうか?」


 影狼の提案も悪くないと思ったのだが。


「……いや、神医探しに集中しよう。天誠が目覚めれば万事解決なんだ。まどろっこしい状態を早く整えたい。今は伝書鳩のやり取りで耐え忍ぶことにする……」


 執務室の机には黒塗りの箱が用意されていた。蓋を開ければ指先ほどの紙が並んでいる。……雪玲からの文だ。


 毎日会うことは叶わぬものの、毎日伝書鳩を通してやり取りをしている。これなら下手に北極殿に呼んで、他の妃嬪に攻撃材料を与える心配もない。


 天佑はことあるごとに蓋を開けては文を眺めていた。


 一枚一枚丁寧に皺を伸ばした文には、惚れ惚れする達筆でたわいもない報告が書かれている。


『今日は石婕妤と楊美人と琴を弾きました』

みん美人と仲良くなって白磁の器をもらいました。皇帝にはより高価な白磁を献上するそうです』


 他の者にとってはつまらない内容でも、常に神経を尖らせている天佑の癒しになっていた。


「陛下、今日の文が届きました」

「……あぁ」


 平静を装いつつ、明らかにそわそわしている天佑を皆が温かく見守る。


 太監から受け取った文を開くなり、天佑の顔が崩れていった。


『五虹が剣舞を一緒にやりたいと言って試してみたのですが、饗宴のようにうまくできませんでした』


「くっ……五虹、いい仕事をしたな」


 文の内容を知っている太監は知らぬ顔をしながらも内心ではほくほく顔だ。


(やれやれ、純真な潘充儀の手練手管には恐れ入る)



 だが、そんな穏やかな日々は嵐が起こる前触れに過ぎず。


 後宮を揺るがす大事件が起ころうとしていた。



 ◇ ◇ ◇



 それは朝議でのことだった。いつものように上訴を聞きながら銀の皇帝が適時采配を執り、その日も問題なく終了の時刻を迎える頃――


「陛下! 申し上げたいことがございます!!」

「兵部尚書か。申すがよい」


 腹に一物を抱えた狸のような男だ。軍を統括する立場にありながら軍用品の流用や火薬の談合を行うなど悪しき噂が絶えず、私腹を肥やしては家門の力を蓄えているという。


 羽林軍は独立した組織のため天佑は影響を受けていないが、兵部尚書とは敬遠の仲。もちろん、そんな彼が銀の皇帝を天佑が務めていることを知る由もない。


「私の娘である崔昭媛さまから文をいただき、大変胸を痛めていらっしゃいましたのでお調べしたのです。昭媛さまは勘違いならよろしいのですがと何度もおっしゃっていましたが、まかりなりにもそんなことがあったとしたら一大事だと言うことで」

「兵部尚書。要点を言え」


 平身低頭ぺこぺことしていた兵部尚書はにやりと笑うと顔を上げ、絶望的な顔で陛下へ訴えた。


「潘充儀は潘家の娘ではありません! 五男一女の潘家の娘は朱亞という名前でございます! 裳州より美姫をという令旨を受け、麗容に向かっていたのは潘朱亞でございます!!」


 百官たちがざわざわとする中、兵部尚書が声を張り上げる。


「ここに証人を呼んでおります! おいっ、お連れしろ!!」


 侍女らしき女性に手を添えながら百官の間を進んできたのは美しい娘。白地に金の刺繍を施した衫襦に色鮮やかな緋色の裙。豪奢な金の歩揺を挿す娘は随分と豪華な衣装に身を包んでいた。垂れ目がちな大きな目は長い睫毛に縁取られ、額には赤い花鈿が描かれている。


 壇上の前まで進み出ると膝をつき、皇帝へ頭を下げた。


「参見陛下、万歳、万歳、万々歳」

「……こやつは誰だ」


 顔を上げてもいいと言われていないのにも関わらず、銀の仮面を見つめながら女はしゃなりと名を口にした。


「潘、朱亞でございます」


「なんと? では後宮にいる潘充儀とは一体誰なのだ?」

「どういうことだ? この娘が本当の潘才人だったと?」


 百官たちが混乱する中、天佑は静かにその状況を眺めていた。


「静まれ」


 霊力を載せた低く冷たい声に皆が固まり、沈黙が落ちる。


 最前列にいた潘朱亞は驚き、目を見開いていた。


「……潘朱亞に尋ねる。仮におまえが妃嬪になる予定の娘だったとして、なぜ今頃になってのこのこやってきた?」

「朱亞が本当は来るはずだったんだけど……途中でとかいう女が現れて監禁されていたの」


 しくしくと鳴きまねをする朱亞に対し、百官の意見は二分されているよう。その様子を見ながら天佑は勢力を把握する。


(ほう……兵部尚書と右丞相が組んだか。娘たちの利害一致だな……雪玲を追い出したい一心か。反対勢力の筆頭は……左丞相か。さもありなん。こんな礼儀のない娘、美姫だろうが後宮に入れられるわけがない)


 まるで将棋でも行うかのように、娘たちを駒として戦略を立てていく重鎮たちに辟易する。


 潘朱亞の資質について天佑が問おうとしたその時だった。


「陛下! これは後宮を揺るがす一大事でございます! 身元がわからぬ潘雪玲を招き入れてしまったばかりでなく、才人から充儀にまで上り詰めるなど、強力な呪術の類に陛下も翻弄されたのやもしれません! 仮に黒蛇国の間者であれば由々しき事態でございます!!」


「陛下。私たちは陛下を心配してこそ、こうして進言しているのです……! それに、後宮は皇后さまが未だおらず、現在四妃には郭貴妃さましかおられません。事態を重く見た昭媛さまが何度も相談しましたが、全く動いてくださらなかったとのこと。そこで……」


 兵部尚書は右丞相に目配せすると銀の皇帝に報告した。


「九嬪の中で一番位の高い唐昭容と二番目に位が高い崔昭媛さまが協力し、女官たちに指示を出してくださいました。潘充儀とその侍女、巫水を皇族を欺いた罪で捕縛して投獄済みでございます! ご安心くださいませ」


 朝議の場に、一瞬にして殺気が満ちた。



 壇上の上、さっと払った天佑の右手を合図に壁の向こう側の気配がいくつも消える。


 天佑は娘たちの活躍を誉めそやす兵部尚書と右丞相を前に、はらわたが煮えくり返っていた。


「後宮を統括するためには行動力が必要でございます! 郭貴妃さまは思慮深いお方ではありますが、いささか足りぬかと。その点、今回のことをご覧いただきますように崔昭媛はその類稀なる統率力を活かして女官を見事に動かしました」

「な、兵部尚書、抜けがけは……! 陛下! 唐昭容の働きもお忘れなく!」


(おまえらのくだらない諍いから守るために雪玲を避けていたのにこれだ。会わずに我慢していた俺の苦労は何だったんだ……腹黒狸と狡猾な猪め。おまえたちは一線を越えたんだ……俺のもの雪玲に手を出したことを後悔させてやる)


 銀の仮面越しの冷たい視線に、朝議の場の気温が下がる。


「ほう……ひとつ尋ねようではないか。兵部尚書。裳州への令旨には何と書いてあったのか知っているのか?」

「裳州より美姫をひとり後宮へ、とあったそうでございます」

「ふむ……高官は先の饗宴で天佑と潘充儀の見事な剣舞を見たかと思うのだが……彼女は美姫で間違いないのではなかろうか」


 百官たちの中、饗宴に参加していた高官たちがあの日の光景を思い浮かべて悦に入る。


「ああ、確かに……正に天女と仙女の舞だった。大枚をはたいてでもまた見たいほどだ」

「あの美しさは筆舌しがたい高尚な舞だ……」


 聞こえてくるのは雪玲に対する賞賛ばかり。優れた容姿に関しては兵部尚書も右丞相も認めざるを得ないようだ。


「ですが、陛下。妃嬪には容姿だけでなく血統も大事でございます。二十七世婦、まあ現在は九嬪まで出世なされましたが、後宮にいる女人は皇太后さまがお選びになった優れた血統の方ばかり! どこの馬の骨ともわからぬ潘充儀をこのまま止めおくわけにはいきません!!」


 同調する声があちこちから上がる。


「……そろそろこの茶番も飽きてきたのだが。影狼、名書きは終わったか」

「はい。潘充儀を憶測で貶めた官僚の名を全て書き終わりました」


 はっとした官僚たちが見た影狼の手には筆が握られ、何やらを書き付けている様子。


 雲行きが、怪しくなってきた。


「はあ、……兵部尚書よ。朕がそんなに無能に見えるのか?」

「め、滅相もございません……な、何をおっしゃいますか。私は陛下の憂いを取り除き、この国の未来を害する者を排除しようとしただけで……」


「太監、あれを持って来い」


 太監が恭しく運んできた一枚の紙。兵部尚書や右丞相たちも潮目が変わってきたことを感じ、顔色が悪い。


「潘充儀に限らず、全ての妃嬪は血統は元より、その素行も調査済みだ」


 太監が読み上げる。


「潘家当主によると、本家嫡流の朱亞は駆け落ちをし出奔したため潘家とは絶縁しているとのこと。皇宮からの令旨に従うため、本家の朱亞との関係にあたり、容姿教養ともに優れる雪玲を才人へと推した経緯を確認済みである。

 潘充儀は潘家傍流の潘容の三女雪玲である。侍女には本人の姉である次女巫水を送ったと確認が取れている」


「え……」


 朱亞の顔色が悪い。甘やかされて育ってきた末娘だ。若気の至りで駆け落ちしてしまったが過ちはなかったことに、裕福な潘家のお嬢様に戻れると思っていたのだろう。


「潘朱亞よ。駆け落ちした身でありながら後宮入りを望むとはれ者め! こいつを今すぐ捕らえよ!」


 羽林軍たちが朱亞を取り囲む。


「陛下、陛下! お許しください!! 崔家がお金をくれるって言ったんです! 書生との貧乏な暮らしから抜け出せるって言われたから私はっ!」


 いとも簡単に経緯を暴露する朱亞に兵部尚書が狼狽える。


「そんな……、そんなはずは……! わ、私が調べた時は……! い、いえ、そんなことより、あの娘が言うことは全くの出鱈目です! 私は潘朱亞がてっきり騙された気の毒な娘なのだと思って手を差し伸べただけです! 私の方が被害者なのです!」

「黙れ!!」


 ひときわ大きく霊力の乗った声に、兵部尚書と右丞相は身体が動かない。


「お前たちの魂胆がわからないとでも?」


 静まり返る場、銀の皇帝の声が重く響く。


「不確かな情報で皇宮を混乱に陥れる兵部尚書に兵権を任せるわけにはいかぬとは思わぬか? 耄碌もうろくされているではないか」


 霊力の乗った冷たい声が裁きを下す。


「兵部尚書は病にて正常な判断がつかぬ故、その任を解き、正三品から従五品の二十四四朗中へ降格、一か月の自宅謹慎とす。……ああ、娘に看病をしてもらうがよい。

 後宮を混乱に陥れたその責は重く、そなたの娘に昭媛の地位は荷が重いと見受けられる。よって、崔昭媛は廃妃とし、一両日中に蝴蝶宮からの追放と課す。それから……」


 冷や汗をびっしょりかいている右丞相へと顔を向ける。


「唐昭容は随分偉くなったものだな。たかが九嬪で威張り散らされては今後が心配だ。皇后が立后し四妃が加わった時、そなたの娘が身の程に見合った振る舞いができるとは思わぬ。……越権行為も甚だしい!

 憶測だけで勝手に妃嬪を処罰した罪の重さを鑑みて、昭容から二十七世婦の婕妤へと降格させる。慎ましさを学び直すがよい。右丞相、異論あるまいな?」

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