第21話 雪玲の素性と戸籍

 一方で、雪玲と巫水は理由もわからず、見知らぬ女官たちによって牢に連れていかれていた。


 困惑する雪玲を前に、巫水はおおよその想像がついていた。恐らく、雪玲の素性に調べが入ったのだろう。潘家が急ぎ手続きをしたとしても、人の口に戸は立てられない。裳州に降り立ったことのない雪玲の存在は穴だらけだ。

 

こうなることも巫水は心のどこかで覚悟していた。


「潘充儀、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」

「なに? なに言ってるの? 巫水、全然迷惑なんて掛かってないよ。大丈夫だよ、きっと何かの間違いだよ」


 薄暗く冷たい牢の中、隣の房に入れられた巫水を鉄格子越しに励ます。


「うぅ、そのような後ろ手に括られるなど……潘充儀、手首は痛くありませんか?」

「巫水こそ! 連れて行かれる時に手や膝を擦りむいたでしょう?」


 ガチャガチャと音がする方を見ると、巫水の牢が開けられたようだ。覆面をした者たちが両脇から巫水を立たせ、引きずるように連れて行く。


「巫水に何するの!? 怪我をさせたら許さないんだから! お願い、やめて!」

「潘充儀……いい子で待っていてくださいね。きっと陛下が助けてくださいます。気を確かにお待ちくださいね」

「巫水! 巫水! 連れて行かないで! やめて!」


 ガチャン


 無機質な金属の音が石の壁に反響する。


 複数の足音が遠のき、辺りがしんと静まり返る。


(ああ、巫水、巫水……どうか無事で……)



 その時、足音が近づいてきた。侍女を引き連れた雹華だ。


「潘充儀。お久しぶりね」

「雹華……」

「やっぱり! あなた、あの時の雪玲ね。……がなくなってたわ。これは私の部屋に忍び込んだお返しよ」


 紗の団扇で牢の鉄格子をコツンと叩く。


「ふふふ。あなた、潘家の娘じゃないんでしょ? 調べたからもう知っているわ。自業自得よね、身の程知らずが陛下や天佑さまの目に留まっていい気になったから、あなたの大切な巫水が痛い目にあうのよ」

「巫水に何をしているの?」

「武人でも耐えられないような酷い拷問よ。我慢強い巫水はかなり痛い思いをするかもね。早く口を割ればいいけれど。次はあなたの番よ。……うふふ、じゃあね、雪玲。あの衣はあなたが死んだ後にゆっくりいただくわ」

「お願い、やめて! 何でもするから! 巫水に酷いことをしないで!」


 雹華は笑いながら去っていった。


(あぁ、私は半分神仙の血を引いているというのに、なんて無力なの? 小狐になったところで巫水を助けるどころか箸で突き刺されたって死んでしまうわ)


 雪玲は無力な自分に打ちのめされていた。


 何もできない。


「うっ、う……うわぁぁぁぁん! 誰か、誰か巫水を助けて! ふ、ふぐっ、うわあぁぁぁん!!」


 真っ暗な牢の中、雪玲の鳴き声だけがこだまする。泣いても泣いても、状況は変わらない。


「父上! 母上! うわああん! 西王母! 姐さん! うわあああん!」


 長い間泣き続けて、声が枯れても巫水は戻ってこなかった。


「ユウ、……ひっ、助けて、ひっく、巫水を、ひっく、助けて」



 ◇ ◇ ◇



 急ぎ駆けつけた隠密たちが目にしたのは、着衣のまま鞭で叩かれ、ぼろぼろになった巫水だった。


 尋問ではなく拷問であり、明らかに行き過ぎた越権行為。その場で官吏や女官たちは捕まり、巫水は急ぎ治療のために運び出された。


 更に地下に降り薄暗い牢へ到着すると、ぶつぶつと何かを呟く声が聞こえた。


「……ユウ、……巫水を……、助けて……」


 そこには石壁にもたれ、泣き腫らした顔で巫水の救出を願う雪玲の姿があった。


 一角と五虹が駆け寄る。


「潘充儀! 私がわかりますか!? 五虹です! すぐ縄を切りますね」

「五虹……? 五虹! 巫水が、巫水が!」

「大丈夫です、巫水は助けました。もう外に出てますよ。さあ、潘充儀もここを出ましょう」

「ふ、ふぇ、ご、五虹……! うわあああん!」


 五虹に抱きついたまま雪玲は泣き止まず。その姿に一角は心を痛めた。


(随分心細い思いをさせてしまったようだ。ユウと呟いていらっしゃったな……

 天佑さまは捕らえただけで危害を加えるはずがないと思っていたようだが……妃嬪たちには思いのほか行動力があったようだ)


 結局雪玲は五虹に抱きついたまま気を失ってしまった。


 一角の報告を聞いた天佑は愕然とした。少しだけ不安な思いをさせてしまうが、牢に入れられるだけだと思っていたのだ。


 まさか巫水が拷問され、雪玲が泣き果てて気を失うほど助けを呼ぶ事態になっていたとは想像していなかった。


「……四半刻でいい。雪玲の顔を見に行かせてほしい」


 天佑の顔を見れば、誰も反対できるはずがなかった。


 銀の皇帝としては正しい采配をした。 


 後宮の秩序を正し、天誠の治世の足を引っ張る高官の失脚に成功した。


 はっきりしない雪玲の身元に多少の不安はあれど、皇家に忠誠を誓う潘家を守り、潘充儀の立場を守った。


 だが、雪玲を顧みていなかったのだ。



 地下通路から睡蓮宮へ向かうと五虹が出迎えた。


「……雪玲の様子は?」

「眠っていますが、悪夢を見るようで泣いていらっしゃいます……」



 寝台に横たわる雪玲の顔は青白く、目尻から涙が溢れていた。


「父上……、母上……、助けて……」


 寝牀の横の椅子に腰掛け、天佑は雪玲の涙を拭った。


「……ユウ、……巫水を……、助けて……」

「……! っ、すまない……雪玲、遅れて悪かった」


 雪玲の頭を撫でながら、何度も伝える。


「雪玲、もう大丈夫だ。巫水も無事だから今は休みなさい。大丈夫……、雪玲、もう大丈夫だよ」


 加減を考えたことなどなかったが、自分の声に乗せる力を柔らかくしながら、雪玲の心に届くように願う。


 天佑が力を調整しながら大丈夫と言い続けることしばらく。


 雪玲に伝わったのか、悲しそうな顔には笑顔が浮かび、助けを求める声も聞かれなくなった。


「天佑さま、そろそろお戻りにならないと……」

「ああ……。雪玲、改めて一度話をしよう」



 極度の緊張と不安で雪玲は丸一日寝込むことなった。


「ん……ここは……」

「お目覚めですか? ここは睡蓮宮ですよ」

「……五虹。巫水は?」


 ぴたっと止まった五虹はこちらを振り返った。


「潘充儀、目覚める前のことを覚えていらっしゃいますか?」

「……うん。巫水は? 無事なの?」

「もちろんです。ただ、少し怪我をしたので休養を取ってもらっています」


 五虹は寝牀の横に跪くと雪玲の目線の高さに合わせた。


「……事の顛末をお話しいたします」


 ひと通りの出来事を時系列に沿って完結に、五虹は事実のみを淡々と告げた。


「つまり……陛下は私が潘家の血統でないことをご存知で、万が一に備えて戸籍を用意してくださっていたと」

「はい。ですがこれは潘家の希望でもありました。巫水さんの実家に養子縁組されています。つまり、雪玲さまは巫水さまの戸籍上の妹ということです」


 表情を失っていた雪玲が満面の笑みを浮かべる。


「え? 本当? うれしい!!」


 うそみたい、巫水の妹かぁ、やったぁとにこにこする雪玲に五虹も笑みが零れる。


「お見舞いに行く前に雪玲さまも元気になりましょうね。まずは食べましょう」

「うん!」

「今日は重湯です」

「……重湯かぁ」


 黙々と重湯を食べる雪玲に五虹が躊躇いがちに伝えた。


「……陛下からの文も届いています。こちらに置いておきますね」


 匙を持つ手が止まる。


(陛下って……ユウからだよね)


 匙を置き文に手を伸ばした雪玲が、憂いを帯びながら目を通す姿を五虹は見守っていた。




 その頃、蝴蝶宮では宮女たちの手により私物が全て撤去され、廃位となった雹華が宮を出て行くところだった。


 怒りで眉間にしわを寄せ、遠巻きに噂する宮女たちへ罵詈雑言をまき散らす。


「なんで私がこんな目にっ……!」


「……雹華」


 そこへ現れたのは明明だった。


「……ふん、あんたも私を嘲笑いに来たの? はっ、大した容姿でもなく芸事も今一つ、あんたなんかが九嬪に入るこんな国の後宮なんて、こっちから願い下げよ! せいぜい一生来ることのない陛下のお渡りを夢見て老婆になればいいわ! あっはっはっは!!」


 既に廃妃となった雹華に対し、明明は九嬪である陶充媛。決して許されるような物言いではなく、周囲は雹華の品位の低さに呆れた。


「……確かに、私にできることは少ないけど、もしも陛下の目に留まることがあれば子を産み、大切に育みながら誠実に皇帝をお支えするわ。……じゃあね。さようなら、雹華」


 こうして、後宮でも一、二を競うと言われた美貌の雹華は、本物の皇帝にお目見えすることなく後宮を後にした。


 そして、この日から数年後。明明は淑妃となって一男一女に恵まれ、その穏やかな気性は多くの人に慕われたそうだ。



 ◇ ◇ ◇



 一方、後宮の外では休養中の巫水が痛む身体を押し、大理寺を訪れていた。ここには罪を犯した者たちが刑罰を待つ牢がある。


 太監が手配した付き添いの護衛と共に、巫水は囚人が収監されている牢をひとつ、またひとつと過ぎていく。


「ここです」


 刑吏が案内したのは『十五』と書かれた木札が掛かる牢。そこにはかつての義妹、朱亞がいた。


 色鮮やかな襦裙を好み、花を模した簪や歩揺を重そうに挿していた潘朱亞はもういない。生成り色の木綿の上下を纏い、その上衣には大きく『欺』と書かれている。人を欺いたという罪なのだろう。


 巫水の姿を見つけると駆け寄ってきたが、薄汚れた朱亞は湯あみもしていないようだ。饐えた匂いは牢にしみこんだ匂いなのか、朱亞のものなのか、巫水にはわからなかった。


「ふ、巫水! 来てくれたのね? 早くここから出してちょうだい! まったく、いつまで待たせるつもり? 本家に嫁いだ嫁なんだから嫡子の言うことには従ってよね」

「……朱亞。聞いたでしょ? あなたはもう潘家の戸籍から抹消されたわ。あなたの駆け落ちの件を知り、当主様は一族へ謝罪行脚をしたそうよ。大奥様は寝込み、奥様は自死しようとしたとか。……あなたはそのくらいのことをしたって自覚、あるの?」

「……え? そ、そんな、だって、……恋もしてみたかったし、あんなにかっこいい人はもういないと思って、あの時は……」


 巫水は背筋を伸ばし、毅然としながら淡々と朱亞に告げた。


「ここから出たら自分の力で裳州まで帰り、頭を下げることね。そうしたら当主様も許して下さるかもしれないわ。これは、かつてあなたの義姉だった私からの助言よ。……もう会うこともないと思うけど、さようなら、朱亞」

「ま、待って! 巫水、見捨てないで! 巫水!!」


 巫水はそのまま、振り向くことなく大理寺を後にした。


(あの子のわがままで百数十人の親族が死ぬかもしれなかった……! それなのに、その元凶である朱亞が恩人に砂をかけるなんて! 麗容から裳州までは馬車で二か月かかる。朱亞ひとりの力では戻ることは不可能だし、一週間で野垂れ死ぬかもしれない……でも、それでもかまわない。あの性根は死ぬまで治らないもの。……朱亞、私たちの縁もこれまでよ)



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