第22話 昼に想い夜夢むほど

 雪玲は悩んでいた。


 朱亞の代わりに後宮に入り、雹華から天衣を取り戻すという目的は達成した。これでいつでも天界へ帰れるし、後宮にいる意味がなくなった。


 元々、潘家に迷惑をかけないよう、死んだことにして後宮を出ようと思っていたのだし、巫水に相談して策を練ればこの生活は終わりになる。


 だが、天佑は雪玲が本当は潘家の娘でないことを知っていて、心を砕いてくれたのだ。


 一体どうすればよいのだろう。


(……本当のことを少しだけ言う? 雹華から取り戻したいものがあって後宮に入った。目的は達成したし、出て行きますね。嘘をついていてごめんなさい。……なんだ、そうだったのか。はい、どうぞ、ってなるかな?)


「いや、ならないし、怒るよね……」


 雪玲の戸籍まで用意してくれたのだ。しかも巫水とは姉妹になっていると言うではないか。天佑の配慮によるものなのは疑いようもなかった。


(ユウは怒って私に出て行けって言うかな……迷惑もかけちゃったし、それならそれで仕方がないよね。はあ……怒られるのは気が重い。さっさと済ませちゃおう)


 雪玲は文机に向かい、小さく切った紙へ書きつけると伝書鳩の足へと結んだ。



 それから一刻後。


 これから会いに行きたいという文に『だく』という返信が届き、通い慣れた地下通路を通ってやってきた北極殿。


 雪玲は御書房の更に奥、皇帝専用の空間ともいえる内庭に案内されていた。よく手入れされた庭園には池があり、その先には竹林がある。


(あ……ここは凛凛の時によく連れてきてくれた庭園だ。お別れした所でもあるよね。……人間としてもここでお別れするのか……怒られるのは仕方ないけど、嫌われるのは嫌だな)


 胸がちくっと痛む。


「潘充儀」


 名前を呼ばれて振り返ったそこには、銀の仮面をつけた天佑のみ。常に側にいる影狼や護衛の姿は遠くに見える。その場で跪こうとした雪玲を止め、銀の皇帝は尋ねた。


「挨拶はいい。……体調はどうだ?」

「はい、陛下。おかげさまで普通の食事もとれるようになりました」

「そうか……。悪夢なども見ていないか?」

「? 夢は後宮に来てから見たことがありません」

「……それならいいんだ」


 しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。雪玲は足元の鋪地を見つめながら考える。


(……うん。自分から言おう)


「陛下。潘家の戸籍の件、ありがとうございました。実は、私は陛下に隠していたことが」

「それ以上言うな」


(……弁解なんて聞きたくないって言われるのかな)


「今は言わなくていい。朕も……おまえに隠していることがある。この仮面を外せる時がきたらおまえに言うことがあるんだ。だから、その時に聞くことにする」

「へ?」


 顔を上げた雪玲に、銀の皇帝は微笑んでいるようだった。


「お互い隠し事があるってことだ。だから、これでおあいこだな」


(……それって、銀の皇帝役をユウがしていることだよね。なんか、知っていてごめん……)


「こうして顔を合わせるのは饗宴以来じゃないか? あの剣舞には驚いた。潘充儀が琴棋書画に長けていることは知っていたが舞も得意だとは実に風流だな。他にも何か得意なものがあるのか?」

「……琴や笙、琵琶も弾けますが……それより陛下、あの、私は出て行かなくていいのですか?」

「何を言う。おまえは正真正銘、潘家の娘なのに出て行く必要などないではないか」

「でも、……」


(迷惑かけたのに、私のことを嫌いになってないってことでいい? でも、今は銀の皇帝の立場で話しているから、ユウじゃないし……)


 雪玲はどう聞いたら天佑として答えてもらえるのか考えていたが、ふと気づいた。


(あれ……? 私はなんでユウの気持ちを気にしているんだろう。でも、ユウに嫌われたくない)


「あの、陛下……」

「なんだ?」

「あの、……大将軍は、私のことを嫌いになっていないでしょうか?」

「……な、……きゅ、急にどうしたんだ?」


 天佑は思わず護衛の位置を確認する。……会話が聞こえない場所まで下がるよう伝えたし、聞こえていないはず。


「潘充儀は……も、もしかして、天佑を慕っているのか?」

「もちろん慕っています」


 天佑は雪玲のいう『慕う』の範囲が広いことに気づく。


「あー……、そうだな、うん。多分潘充儀は影狼や太監のことも慕っているんだろうな。なんというか……恋とか愛とかいう意味でだ」

「……恋や愛はまだよくわかりませんが、大将軍に嫌われるのは嫌だと思ったので、陛下に聞いてみようと思ったのです」

「……そうか。……大将軍は潘充儀のことを嫌っていないから、安心しなさい」



 そんな二人の様子を、護衛たちは離れたところから生温く見守っていた。



「むしろ、昼に想い夜夢よるよめむほど恋煩っています」

「……不敬ですよ」


 一角の軽口を太監が諫める。


「……潘充儀の純真手練手管が発動されていますね」

「天佑さま、焦り過ぎて私たち全員口の動きを読めること、忘れていません?」

「いや、そこは見ないふりをするだろうと信じていらっしゃるんじゃないか?」


 視界の先、銀の皇帝と潘充儀の会話は聞こえないものの、影狼や太監、一角と五虹をはじめとする隠密たちにはその内容が手に取るようにわかっていた。


 太監が一角と影狼に告げる。


「おまえたち、一刻も早く、霊力を持つ神医を見つけて差し上げなさい。このままだと、天佑さまはいつまで経ってもあのお役目から降りられぬぞ」



◇ ◇ ◇


「わあ! 鎮魂祭って規模が大きい祭祀なのね」

「もちろんです。青龍国の始祖である天龍さまを祀る宮中行事ですもの。麗容の街はもちろん、地方都市でも祭りが開かれるのですよ」


 雪玲は宮中行事である鎮魂祭に出席するため、宮廷の庭園に設置された祭祀会場に到着していた。


 青龍国の始祖である天龍に供物を備える鎮魂祭。献上する酒や料理が天まで届くよう祭祀の間中は火を絶やさず、巨大な火柱を見ながら、皇族や妃嬪、高官たちがその奉納を見守り、振る舞われる酒や料理をいただくのだ。


 舞や音楽のほか、羽林軍の猛者による演武なども天龍に捧げられ、鎮魂祭の最後は、古代弓による実演によって締められるとのこと。


 雪玲は至るところに置かれた青龍の書画や刺繍を興味深く見つめた。天界で可愛がってくれた天龍を思い出す。


(人間界だと天龍は雄々しい青龍なのね。天界だと青い髪に紺碧瞳の美丈夫で姐さんたちにモテモテだけど。それにしても、天龍は弓で射られたことがあるって言ってたから、弓の実演は嫌がりそうなんだけどな……)


 まあ、天龍を敬って行う人間界の祭祀なのだし、わざわざ言う必要もないだろうと雪玲は肩をすくめる。


 視線の先には美しい装飾が施された伝統的な弓を持つ男がいる。弓矢を手に青ざめた顔をした男は、いささか緊張し過ぎているようにも思う。


(たくさんの人の前で弓矢を射るんだもん。そりゃ緊張もするよね……。知らないお兄さん、大役だけど頑張って!)


 火柱の前にはたくさんの供物があり、その前にある舞台で芸事が披露される。凹字型に配置された席の正面からは、火柱を背景にした舞や演武が見られるのだ。


 雪玲たち妃嬪は、正面の皇帝がいる一段高い壇上の右手に席が設けられ、左手には郡王や国公、郡公などの皇族が、正面から見て左右の席には文官や武官たちがそれぞれ着席している。今日は天佑が銀の皇帝を務めているようだ。



 祭祀と聞いて堅苦しいものを覚悟していた雪玲だったが、鎮魂祭が思いのほか楽しい。


 和やかに進む祭祀は形式ばらない宴会に近いもので、宮女たちも忙しそうに配膳や酌をして回っている。文官、武官の中にはだいぶ酒が回っている者もいそうだ。


(スン……あれ? 両隣の妃嬪にはお酒が振舞われているのに、私のこれは桃を絞った果汁だよね?? 私もお酒を飲みたいのに……でも私のだけ糕点の種類が多いからいっか。巫水が御膳房にお願いしたのかな?)


 もちろん、雪玲が酔うことを心配した天佑の指示であるのだが、知る由もない。


 舞台では龍にまつわる舞や音楽の奉納が続く。色鮮やかな衣装を纏った伎女たちの踊りが終わると、その後は羽林軍の剣による演武が始まった。


(あれっ? もしかして影狼も出るの?)


 二人一組による対戦が続き、最終組として出てきたのは影狼と見るからに強そうな大きな男。体格のいい影狼よりさらに一回りは大きい対戦相手に、さすがに分が悪いのではと緊張する。


(影狼、大丈夫かな……)


 特別に設えられた舞台の上、黒い武官服を纏った二人が対峙する。


「始めっ」


 キンッ!


 積極的に攻め合う二人の剣は何度もぶつかり合い、次々と技が繰り出される。剣舞とはまた違う熱い男の闘いは高揚感があり、武官だけでなく文官たちからも歓声が上がる。


 妃嬪たちも男らしい勇姿を目を細めながら見つめつつ、満更でもなさそうな顔をしている者ばかりだ。


(わぁ! 影狼強い! あっ、危ないっ)


 気づけば雪玲も拳を握りしめて魅入っていた。


 最終的に勝利したのは影狼だった。見応えのある演武に惜しみない拍手と歓声が送られていた。


(盛り上がったな~、私も胸がどくどくってしてる! 天龍もこれは喜びそうだなあ。……ん? 射手が出てきた。そろそろ祭祀も終わりってことね)


 盛り上がった祭祀は酒が進んだ者も多く、高官たちも楽しそうだ。


 火柱の前に用意された的。


 的の真ん中に当たったらこれまた盛り上がりそうだと、雪玲はわくわくしながら弓矢の行方を待つ。


 真っ青な顔をした射手は舞台に進み皇帝に一礼をすると、こちらに背を向け火柱の前に立つ的を見据えた。弓矢を持ち狙いを定めてギリギリと弓を引く。


 比較的和やかな雰囲気で、皆がその様子を見つめている時だった。


 男は突然半回転すると、正面席に座る皇帝に向かって狙いを定めたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る