第23話 狙われた雪玲
「きゃああ!!!」
「いやぁ!! 助けて!!」
「痛っ!」
正面席から悲鳴が上がり、席を立ち逃げようとする妃やその場で身を屈める皇族などで大騒ぎだ。だが、壇上の上、銀の皇帝は頬杖をついたまま射手の顔をじっと見つめたまま。至って冷静にその様子を見つめている。
そんな中、正面席の裏や武官席から羽林軍たちが飛び出してくるより早く、皇帝の前に両手を広げて立ちはだかった妃嬪がいた。
「陛下! 私がこの命に変えてもお守りいたします……!」
唐婕妤だ。堂々とした姿で射手を睨みつける。
射手は真っ青な顔から滝のような汗をかきながら、突如、天に向かって矢を放った。
ビュンッ!!
轟音のする矢の行方に皆が一瞬気を取られた僅かな間、射手は持っていた匕首で自らの喉を掻っ切ると自決した。
すぐさま羽林軍が男に駆け寄ったが、どうやら即死だったようだ。壇上へ向かって小さく首を振ると男の亡骸を運び出したが、舞台には血だまりが残ってしまった。なかったことにはできない状況ではある。
銀の皇帝が静かに片手を挙げると逃げまどっていた皇族や妃嬪、ざわついていた高官も落ち着き、会場が静まり返った。
「各々、席へ直れ」
霊力の乗った声が皆を冷静にさせる。席を立った者たちがそれぞれの席へと戻ると、銀の皇帝が告げた。
「射手は具合が悪くなったようだ。影狼、射手の代理を」
影狼は舞台に上がり一礼すると古代弓を引き、的の中央をなんなく射抜いた。ドスッという音を合図に、空には九つの花火が打ち上がった。
皆が空を見上げ、始祖である天龍へ平穏を願う。きっと花火が見える麗容の街でも民たちが天を仰いでいることだろう。
「これにて鎮魂祭を終了する」
祭祀の終了が宣言されると、ざわざわと高官たちが話し出した。
「どうなることかと思ったが、さすがは我らが皇帝だ。うまく場を収められましたな」
「それにしてもあの射手は一体何をしたかったんだ?」
「唐婕妤の勇気あるお姿は素晴らしかったな」
(……それが狙いか)
退席しようと立ち上がった銀の皇帝は、うんざりした顔で妃嬪の席を見下ろす。
雪玲の身元騒ぎを主導した兵部尚書とその娘の雹華へは制裁を加えたものの、右丞相の娘である
(妃嬪と六大尚書くらいはどうにでもなるが……さすがに丞相への処罰となると、天誠のあずかり知らぬところで勝手はできない)
兄が何を思ったのかはわからないが、先王の治世から引き継がせた高官もいれば、新たに任命した者もいる。天誠にも何か意図があって右丞相を彼に任せたのかもしれない。
(それより……どうやら唐婕妤はこの場で身を挺して皇帝を守ったという美談にしたかったようだな。あわよくば皇帝の寵愛を、それが難しくても世論を利用して早々に九嬪への復帰を狙っているというところか)
銀の皇帝の関心が自分へ向かずとも、周囲へは良い印象を与えらえたはず。恐らく、次の朝議で右丞相の息が掛かった百官が九嬪への復帰を進言してくるのだろう。
唐婕妤へ目をやると、きらきらした顔でこちらを見つめている。労いの言葉を待っているのは誰が見ても明らかだった。
(……あの演出のためだけに右丞相が射手を買収したのか? 彼は弱みを握られていたのかもしれないな……射手の家族が拘束されていないか急ぎ調べさせよう)
とりあえず、唐婕妤へは適当な言葉をかけてこの場を辞そうと天佑が考えた時だった。
雪玲を呼ぶ声を耳が拾う。
「あら、こういう祭祀は興奮して喜びそうなのに酔ったのかしら。潘充儀、終わったわよ。帰りましょう」
「まだ本調子じゃなくてお酒が回ったのかも。人の移動が落ち着いたら、巫水を呼んでくるわ」
ふと妃嬪たちの声がする方へ目をやると、雪玲は座ったまま石婕妤の肩に頭を預けている。顔色が悪い。
(そんなはずはない。料理と酒は厳しく毒味の手配をしたから問題ないはずだ……それに、雪玲には酒は出さないよう指示をしてあったから酔うはずもない。一体どういうことだ……?)
天佑は嫌な予感がし、雪玲に駆け寄った。
「潘充儀の様子は!?」
「陛下!? あ、あの、少し飲み過ぎたようで反応がないのです」
「叱らないでやってください、ようやく元気になったところで……」
叱るはずもない。が、明らかに雪玲の様子がおかしい。陛下がいらしたわよ、と楊美人がゆさゆさと肩を揺らすが、雪玲は石婕妤に
意識がない。
「っ! 意識がなくなる前、何か変わった様子は?」
「え? 確か……あの射手がこちらへ弓を向け、席が一次混乱して……。あ。そういえば、宮女が潘充儀にぶつかったようで、痛いって言ってたような」
「ああ、そうそう。私は斜め後ろの席だったけど、潘充儀が二の腕を抑えてて、謝る宮女に大丈夫って言ってたわ」
天佑の胸がどくんと嫌な音を立てる。
「言えっ! どちらの腕だ!?」
「ひっ! え、えーっと、……確か、左腕だったと……」
急いで雪玲の腕を取り、衣の袖を捲し上げる。
「へ、陛下! このような場所でおやめください!!」
「陛下! 陛下は見慣れているとしても、潘充儀の貞節のためにも衆目の中、肌の露出は……!」
不敬も覚悟で苦言を呈していた石婕妤や楊美人の顔色が変わる。
雪玲の左の二の腕は真っ黒に変色していた。青かった顔色も生気が抜け、既に白くなってきている。
「なんてこと! こんなに色が変わって……しかも腫れている?」
「潘充儀! しっかりして!!」
「くそっ、やられた! 羽林! 宮女を一人残らず捕まえろ! 毒を仕込んだ暗器を持ってるやつがいる!!」
羽林軍たちが直ちに動き、宮女たちが次々と拘束される。
天佑は雪玲を抱きかかえると立ち上がりながら指示を出した。
「太監! 妃嬪たちに護衛をつけて宮へ送り届けろ。それから医官を呼べ!! 北極殿へ向かう!!」
◇ ◇ ◇
天佑は意識のない雪玲を抱きかかえながら、北極殿の中を私室へと早足で向かっていた。
その後ろには関係各所へ指示を出す影狼と一角が続く。途中、羽林から『暗器を持った女官が見つかった』と耳打ちされた影狼は、決して自死させぬよう念を押して下がらせた。
潘充儀の容態が安定し、天佑が落ち着いてから伝えた方が良さそうだと、影狼と一角はどちらともなく目を合わせ小さく頷く。まずは治療が先だ。
執務の間を過ぎると官吏や宦官、女官の姿はほぼなくなり、立ち入りが禁止されている皇帝の私的な空間に入った。天佑は自分の寝殿へ連れて行くと、雪玲を寝牀へそっと横たわらせた。
顔からは血の気が引き、呼吸も浅いようだ。温かく柔らかな光が手のひらから零れ落ちていくような心地に、天佑は恐怖を感じた。
「……医官は、……医官はまだかっ!!」
「陛下っ! 連れてまいりました!」
太監が医官を連れてやってきた。皇帝の寝牀へ寝かされている雪玲に一瞬驚いた顔をしたが、太監も既に天佑への苦言は諦めた様子。一刻を争う事態なのだ。
医官は周囲の圧を感じて緊張しながらも脈を取り、針を刺して雪玲の血を慎重に調べた。やがて、一通りの確認を終えると銀の皇帝へ報告した。
「陛下、楽観はできませんが、潘充儀は毒の耐性が強く、命に別状はないかと。恐らく今夜あたり高熱が出ると思いますが、熱が下がれば峠は越えると思われます」
「……毒の種類は特定できるか?」
「はい。少々お時間をいただきますが……複数の強い毒が用いられたようです。それにしても、他の者でしたら即死だったかもしれません。潘充儀の特異な体質で乗り切れたのだと思われますが、……とりあえず、煎じ薬を作ってまいります」
「……ああ、頼む」
天佑は医官が退出するのを見届けると、天に向かって長く息を吐き、目を閉じて安堵した。
周囲も命に別条がないことにほっとし、室内の空気が幾分和らぐ。太監が天佑の顔色を窺いながら尋ねた。
「……陛下。潘充儀の看病をさせる者を寄こしましょうか?」
「いや、いい。俺がやる」
雪玲が銀の皇帝と関わったことで命の危険に晒されるのは、これで二度目。贖罪のつもりで自ら看病したい気持ちもわからなくもない。
一度目の襲撃の際は一か月もの間、行方不明だったのだ。今回こそは片時も離さず手元に置くつもりなのだろう。太監をはじめ影狼たち側近も、貞節云々を持ち出すことは諦めることにした。
「……そうしましたら、陛下。さすがに着替えなどを陛下が手伝われるのは潘充儀も目覚めた時にお困りになるでしょう。五虹を外に控えさせておきます」
「……ああ、そうしてもらえると助かる」
お湯や布巾、火鉢など必要と思われる物がいくつか運び込まれると、太監や影狼も静かに部屋を退室した。
「雪玲、少し苦いが薬を飲もう」
匙で煎じ薬を口元へ運んでいく。飲み込めず零れる方が多いが、医官は少しでも飲んでいるようならそれでもいいと言っていた。天佑は根気よく口元に運んでは零れた薬湯を布巾で拭う。
「偉いぞ、雪玲。……起きていれば薬の褒美に菓子を用意するんだが、さすがに今は難しいな……」
以前として顔色は悪いまま。集中しなければ聞き取れないほどのか細い呼吸は天佑を不安にさせた。
「……雪玲、まだおまえに話していないことがたくさんあるんだ。……頼むから早く良くなって、いつものように笑ってくれ。指切りした約束だってまだ果たしていないじゃないか」
◇ ◇ ◇
数刻の間に三度、雪玲に薬を飲ませたが、夜になるといよいよ熱が出始めた。医官に容態を見せると良い兆候とのこと。確かに、白んでいた顔には生気が戻り、熱で赤みが指してきたようだ。
「毒を出すために身体が闘っていると申しましょうか……。一晩の間、熱が出ると思われます」
医官の言葉通り、雪玲の熱はみるみる上がっていった。赤い顔をして苦しそうに荒い呼吸をし、額には玉のような汗が浮かぶ。
布巾で汗を拭き、水差しで水分を取らせるなど、天佑はかいがいしく看病を行った。
「……雪玲、つらいよな。でも、これはおまえの身体が毒と闘っているからだそうだ。もう少しで勝てるから頑張れよ。俺がついている」
額や首筋の汗を拭き、冷たい水で絞った布巾で額を冷やす。だが、布はすぐに温まってしまい、雪玲の熱が高いことを感じさせた。
何度も汗を拭き、冷たい布巾で冷やし続けて一刻。
滝のようだった汗もようやく落ち着き、熱が下がってきたことを思わせた。
汗で湿った衣服や敷布では、身体を冷やして風邪を引かせてしまいそうだ。
「……五虹、いるか? 雪玲を着替えさせてやってくれ」
「はい」
五虹に着替えを任せる間、天佑は寝殿の外に出て影狼や一角から報告を受けることにした。
「暗器を使った女官はまだ口を割りませんが……身元から胡家と関連が深いことが判明しました」
「また、胡修儀なのか……? 冷宮に入れたからと油断した俺のせいだ……」
「天佑さまのせいではありません。あの女は潘充儀を逆恨みしたのでしょう」
「……あいつを確実に死刑にしたい。確固たる証拠が必要だ。口を割っても、たった一人の女官の供述だけでは足りない。暗器と毒の出所、女官の周辺も洗ってくれ」
「「承知いたしました」」
話が終わった頃を見計らい、五虹が天佑へ声を掛ける。
「天佑さま、お着替えが終わりました」
「……ああ。それでは影狼、一角、後は頼んだ」
寝牀で眠る雪玲は頬の赤みも和らぎ、苦しそうな表情も消えた。額に手を当てると未だ微熱はあるようだが、一刻前よりは確実に下がってきた。規則正しくなった吐息に安堵する。
敷布や衣服の肌あたりが良いのか、雪玲も穏やかな顔で眠っている。汗をかいた衣服は五虹が持っていったが、簪や腰佩が寝牀の横に置かれていた。見覚えのある腰佩だ。
(……これは雪玲と初めて会った我楽多屋で預けた
肌身離さず、自分の腰佩を持っていたのかと思うとじわじわ胸にくる。
「ん……、あつい……」
はっとして寝牀を見ると、雪玲が掛布を蹴り飛ばしていた。足が出てしまっている。
「……寝言か。雪玲、身体が熱いだろうが冷えた布巾を頭に充ててやる。だから足を冷やすのは駄目だ」
寝牀に近づき掛布から出た雪玲の素足を見て、天佑の手が止まった。
「……この足首に巻かれたのは菫青石と蒼玉……凛凛ものじゃないか? どういうことだ?」
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