第24話 凛凛の正体

 ある日突然現れ、去って行った真っ白な小狐。両の手のひらにすっぽりと収まるほど小さく、その賢さと愛らしさに天佑のみならず側近たちも虜になっていた。


 執務を行っている間も常に一緒にいたし、麗容の街へも懐へ入れて連れて行った。徳妃から貞節を守ってくれたこともあった。


 雪玲が行方不明の間、天佑の心を支えてくれた大切な存在を思い出す。


 怪我が治り、去って行った凛凛。どこかで家族が待っていて、今頃幸せに暮らしているのだろうと信じていた。


(……凛凛は雪玲が飼っているということか? いや、そんな話は聞いたことがない)


 ……ひとつの考えが頭を浮かぶ。でも、そんなことはあるはずが……。


(凛凛の首には俺が革紐を巻いた。ほどけないように変わった結び方を選んだが……)


 緊張しながら雪玲の足元を見た天佑の目に、固結びではなく機結びが目に入る。天佑が好む結び方だ。


「ははっ……、いや、そんな……だって、雪玲は……」


 頭の中では否定したいのに、雪玲が失踪した時期と凛凛が現れた期間が被るのは事実だ。それに凛凛の瞳を見て思ったことも確かにあった。雪玲と同じだと。

 愛らしい赤みがかった栗色の瞳は同じ色をしている。



 寝牀で眠る雪玲は夢を見ているようだ。穏やかな顔をしているし、悪い夢ではないのだろう。意識が混濁している今なら、もしかして質問に答えるのではないだろうか。


 確認したい気持ちと知らない方がいいという自分がせめぎ合う。


 悩んだ結果、天佑は恐る恐る問いかけた。


「凛凛、……この胡桃を食べてみるか?」

「……うん。……でも蜂蜜をかけて欲しいの」


(! ……いや、雪玲は食べることが好きだから……食べ物の話に反応しただけかもしれない)


 天佑の心臓がかつてないほどの速さで脈打つ。


「……凛凛、何を一生懸命読んでいるんだ?」

「ん……古書だよ……早く読み解いて、……皇帝に目覚めてもらわないと。ユウが倒れちゃう。クマがひどいもの……」


(っ……、嘘だろ……?)


 事実を知ってしまったら、何かが変わってしまうかもしれないという恐怖を感じる。


 だが、もう後戻りはできない。


 核心を突く言葉が零れた。


「……凛凛、お前は……雪玲なのか?」


「うん、そうだよ。……凛凛のままユウの側にいたかった……、でも騶虞すうぐが……、皇帝の治し方を教えてくれたから……人の姿にならないと……」


「騶虞……?」


「ん……みんなが白虎って……仁獣だよ。普段は天界にいるんだけど、降りてきて……」

「あの獣は以前から顔見知りだったのか……」


(……天界だと? まさか、雪玲は神仙なのか……?)


「ユウの懐……、あったかくていい匂い……また凛凛になって入りたい……」


 呆然としていた天佑の顔がみるみる赤くなる。


 天佑は混乱と嬉しさがないまぜになり、その場に居たたまれなくなった。


 寝室を出ると控えていた影狼が尋ねる


「天佑さま、どうしてそんなに顔が赤いんですか?」

「……影狼、俺の衣は匂いがするか?」

「香を焚かせているんだから香の匂いがすると思いますけど」

「そうか……、そうだよな……」



 ◇ ◇ ◇



 (うふふ、いいにおい……あったかい。ユウの懐にいるみたい……)


「!」


 はっとして目が覚める。見慣れない天蓋……それより、身動きがとれない。何かに抱き締められているような……


 ふと身体を見ると衣でぐるぐる巻きにされていた。


(この香りはユウの……それじゃあ、この衣も?)


 巻きつけられていた衣を解き、身体を起こして辺りを見渡してみる。見覚えのある景色は凛凛だった時に過ごした皇帝の私室だ。



「……おまえは後宮にいると怪我ばかりだな」


 声をした方を向くと、天佑が腕を組みこちらをじっと見ていた。


 眠る時以外、皇帝の代役を務めている間は常につけていた銀の仮面はその傍に置かれていた。


 いつもと雰囲気が違う。天女と称されるその美貌が何を考えているのか、感情が読めない。


「気分はどうだ?」

「あ……大丈夫……、です」

「そうか……」


 なんとなく気まずい雰囲気が漂い、嫌な予感がする。居心地の悪さに身じろぎしたが、天佑は雪玲を見据えたまま目を逸らさない。


「……おまえは鎮魂祭で暗器を使って毒を仕込まれたんだ。高熱が出たがもう大事はないそうだ……。俺に関わったせいでまた怪我をさせて……本当にすまない」


 記憶を辿ると女官に何かを刺されたような気もする。二の腕がだるいのはそのせいだろうか。


「ユウのせいじゃないよ」


(だからこんな変な雰囲気なの? なんか、怖い……)


 いつもにこにこと話を聞いてくれるユウの姿はそこになく、仮面で表情はわからなくても穏やかな雰囲気を纏っていた銀の皇帝もいない。天佑は厳しい顔をしていた。


 二人は長い間黙っていたが、沈黙を破ったのは天佑だった。


「知っていたんだろう? ……俺が皇帝じゃなく天佑だって」

「……え?」


「おまえは……人なのか?」



 雪玲の胸がどくんと脈打つ。


(……何がバレたの? わからない……、寝ている間に何があったんだろう……。でも、もうユウは知っているってことだよね……。

 私は人間と神仙の間に生まれたから、半分は人なのかな? あ、でも父上はすでに仙人だから人じゃない……? よくわからない……なんて言えばいいんだろう)


 雪玲は何が正しい答えなのかがわからず、言葉が出てこない。


(ユウ、半分だけ人の血を引いているんじゃダメ? ううん、それよりも、たくさん嘘をついてたからきっと嫌われたんだ。ユウのあんなに怖い顔、見たことない……なんでだろう、涙が出そう……。ユウ、ごめんなさい……)


 天佑に嫌われたと思ったら雪玲は胸が息苦しくなり、切なくなった。


(嫌われちゃったけど、……私にはユウのためにできることがまだある。……いずれ後宮を出ようと思っていたんだし、今が潮時なのかもしれない)



「ユウ、霊力を持つ神医は見つかった?」

「……急になんだ? 見つかっていない」


「ユウ、本当はこの蒼玉が皇帝を治す霊薬なの。騶虞がくれたから渡しておくね」

「……」


 雪玲は足首に巻いていた蒼玉を外し、寝牀の横に置く。そこには鎮魂祭で身に着けていた簪と懐に入れていた岫岩玉の腰佩が綺麗に並べられていた。


「……ユウ、ひとつだけ、お願いを聞いてくれるんだよね」

「……ああ、約束は守る」


 雪玲は岫岩玉の腰佩を手に取った。


 コトッ


「……腰佩の願いを使うわ。……私を後宮から出してくれる?」

「……それがおまえの願いなのか?」

「私は……行かないといけないの」


 ぎゅっと唇を噛み締めた天佑は視線を落とした。


「……おまえが望むのなら、叶えよう」



 ◇ ◇ ◇



 雪玲が廃妃になるという噂は後宮中を駆け抜けた。誰よりも銀の皇帝に目をかけられ、寵妃として溺愛されているという噂だったはず。そのせいで睡蓮宮には嫌がらせが続き、二度の襲撃を受けたのだ。


 それなのに、なぜ廃妃になったのか――憶測が憶測を呼び、様々な噂が飛びかわったが、どれも信憑性がなく決め手にかけた。


 そのうち宮中では有力筋からという触れ込みで、潘充儀は暗器による毒を受け体調が著しく悪化し、治療に専念するため後宮を辞することになったという噂が流れ始めた。


(……きっと天佑が流してくれたのね)


 あの日以来、顔を合わせていなかったが、細やかな気配りをする天佑のことだ。雪玲の体面を守る形で後宮から送り出そうと思ってくれたのだろう。



 そして、いよいよ雪玲が睡蓮宮を出宮する日がやってきた。


「潘充儀……いえ、もう充儀ではなくなったんですね……。雪玲さま、潘家のために今までありがとうございました。潘家は末代までも雪玲さまのためでしたら火中の栗をも拾う所存でございます」

「巫水……こちらこそ、ありがとう。女官として残れることになって良かった。昨日お別れの挨拶はしたけど、石婕妤や楊美人のこともよろしくね。五虹もいままでありがとう。あなたがいてくれて頼もしかったわ」

「雪玲さま……寂しくなります。楽しかった睡蓮宮での日々、私は忘れません」


 初めて後宮に来た日に見た、果てしなく続くように思われた朱塗りの壁や白大理石の基壇を通り過ぎていく。


 後宮との境にある重厚な門の前、雪玲は見送りに来ていた巫水と五虹へ振り返った。


「ここまでで大丈夫。巫水、五虹、元気でね」

「雪玲さまこそ……どうぞ、お元気で」

「雪玲さま、どうかお幸せに」


 寂しそうににっこり笑った雪玲は宦官の案内で門をくぐると後宮を後にした。



 その頃、北極殿の執務室では――


「……陛下、署名のお名前が間違っていらっしゃるようですが」

「え? あ……、すまん」


 常に淡々と執務をこなしていた天佑が、今日に限って間違いが多い。その原因に心当たりがある分、執務の間にいる者たちは誰も天佑を責められない。


 誰もが喉まで出かかっていた言葉を、一角が口にした。


「陛下。今日は睡蓮宮から潘雪玲さまが出宮される日です。今から向かえば別れの言葉を送れますが、どうされますか?」


『一目会わなくていいのですか』と言えば天佑は拒否するだろう。『別れの言葉を送る』という理由でなら向かいやすいのでは、と一角なりに気を遣ったのだが。


「……見送りには行かぬ。今は神医探しが最優先だし、やることは山積みだ」


 霊薬は手元にあるのだ。神医がいれば天誠はいよいよ目覚める。


 それに、暗器を使った女官はどれだけ拷問しても口を割らず、鎮魂祭で皇帝に弓を向けた射手の謎も調べが捗っていない。皇帝の代理に羽林軍の統制と、天佑は相変わらず多忙を極めていた。


(……行けば引き留めてしまう。人であるか尋ねたが、雪玲は答えなかった。つまり、あいつは神仙だから……この世界から去らないといけない存在なんだ。この思いを断ち切るためにも顔は合わせない方がいい……これで良かったんだ)

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