第25話 霊力を持つ神医

 雪玲が去って一か月が経った。


 銀の皇帝、羽林大将軍として采配を揮う天佑は変わらず忙しくしていたが、その顔からは笑顔が消え、常にピリピリとした雰囲気を纏っている。


 後宮へも相変わらず顔を出すことはなかったが、あまりの鋭い雰囲気に右丞相も娘の昇格を言い出せず。側近たちでさえ、銀の皇帝への進言を憚るほどの緊張感が漂う中、天佑へ客が尋ねてきたとの報告が上がってきた。


「……羽林大将軍への謁見希望だと? それを忙しい俺に言う理由は明確にあるんだろうな」


 冷気を纏ったような低く不機嫌な声が銀の仮面の奥から響く。なぜわざわざ些事を報告に来たとのだと明らかに機嫌が悪化した。


 ただの下っ端の宦官は、一生接する機会がなかったかもしれない皇帝を前に、青白い顔をしている。


 天佑の悪かった機嫌がさらに悪化するのも致し方ない。影狼が見かねて宦官へ苦言を呈した。


「突然訪ねてきた者が大将軍に会えるわけがなかろう……。官吏や宦官は揃いも揃ってなぜおまえに直接報告をさせようとしたのだ?」


「ええ、も、もちろん、このような面会依頼は通常全てお断りしています。で、ですが……その方が、潘雪玲さまからのご紹介だと申すので、上に報告したら皇帝に報告するべきだと。そのまた上がいや、やはりそれはやめた方が良いと相談を繰り返した結果、関係各所にたらい回しにされ、私はとうとうここにいる次第で……」

「……何だと?」



 身なりを整え、天佑が急いで向かった謁見室には、中年の男性が一人いた。


 知的な文官という雰囲気で品がある。すらっとしていて体格が良いように思ったが、近づいてみるとそうでもない。凛とした雰囲気がそう見せるのだろうか。


 謁見室の中でも一番狭く、かつ質の良い部屋を選んで案内させ、影狼と一角を近くに控えさせる。


(大切な客人が圧を感じて居心地が悪くなってはいけない)


 天佑は羽林大将軍として、最大限の配慮をしながら対面した。



「お待たせして申し訳ない。羽林大将軍の龍天佑と申します」


 男は天佑の挨拶を受けると、名を名乗った。


「……秦越人と申します。さっそくですが、本題に入りましょう。雪玲の頼みで参りましたが、皇宮は好きではない。できれば早々に帰りたい」


 その物言いに影狼と一角は眉を顰めたが、天佑は気にせず問いかけた。


「……雪玲の頼みとは、……一体どのようなことでしょうか」

「大将軍が霊力を持つ神医を探しているから、助けてやって欲しいと頼まれたのだ」



 ◇ ◇ ◇



 龍安堂へ案内した秦越人は、昏睡状態の天誠を見るやいなや医者の顔に変わった。望診と切診で丁寧に状態を調べると、天佑へ告げた。


「雪玲から蒼の霊薬を預かっているとか。霊薬を飲ませた後、三日間金針を打ち続ける。私が出てくるまで何人たりとも近づかないでほしい」

「……その御方はやんごとなき身分の方だ。二人きりにするわけにはいかない」

「やめろ、影狼。秦大夫、護衛だけでも外に配置させてもらえないだろうか。もちろん入室は絶対にしないと誓う」


 雪玲が寄こした医者なのだ。疑う余地もない。


 妥協案を提示した天佑を秦越人はじっと見つめた。


「……よかろう」



 こうして三日後。


 今か今かと待ち構えていた天佑たちの前、ようやく龍安堂の扉が開かれた。疲れた顔をした秦越人が姿を現す。


「秦大夫! 状況は……」

「……やんごとなき御方は目を覚まされた。短時間であれば話しても構わない」

「「「!!!!」」」


 室内に駆け込んだ天佑の前に、横たわったまま目を開けた天誠の姿があった。


「兄上……」

「……天女かと思ったら天佑か……おまえ、やつれたな」

「……兄上こそ。それに、誰のせいだと?」

「ふっ、迷惑を掛けた……私は生き延びたんだな……。これが天命だというのなら、皇帝として為すべきことをせよということなのだろう……」


 秦越人の徹底した管理の元、鍼や投薬、薬膳、運動療法が施され、皇帝は驚異的な早さで回復した。金針を打ってから一か月後に、秦越人はもう自分は必要ないと言い出し、皇宮を去ることになった。


 謁見室の玉座には仮面をつけていない天誠が座り、その傍らには天佑の姿がある。


 あるべき姿に戻った瞬間だった。


「秦越人、此度はまこと大儀であった。そなたは朕の命の恩人であり、青龍国を救ったのと同義である。伏せっていた事実を内密にしていた関係でおおやけにその功を労うことはできないが、望む物があれば、その願いを全て叶えよう」


 臣下の礼を取りながら、秦越人は言った。


「何も望む物はございません。私は既に全てを手に入れております。ただ、……大将軍にお願いがございます」


 皇帝と天佑が顔を見合わせる。


「私に、ですか……? 私にできることであれば尽力いたします」

「難しいことではありません。縁を大切にしていただきたいだけでございます。……合縁奇縁、人と人の巡り合わせは縁ですから」


 そういうと、秦越人は一切の褒美や報酬を受け取らず、皇宮を後にした。


(……雪玲との関係を聞きたかったが……いや、聞いたら未練が残ってしまうな。聞かなくて正解だった)


 皇帝や天佑たちも謁見室を後にしようとしたところに、医官たちが押しかけて来た。


「陛下! 一か月もの間、私たちはお側に近づくこともできませんでした。どこの馬の骨ともわからない男に玉体を委ねるなど、御医を軽んじていらっしゃいます!」

「私たちにはひと言の挨拶もなく……! 一体どんな高名な医者が来たというのですか! ひと目、その方に会わせてください!」

「そうです! その男に会わせてください! 私たちはその流医に劣らないということを証明してみせます!!」


「静まれ」


 霊力が乗った皇帝の穏やかな声に、御医たちが口を閉じる。


「おまえ達が寝る間も惜しんで朕の病状へ向き合っていたことには感謝している。朕もそなたたちに紹介したかったが、神医は既に去られた」

「……陛下、せめてお名前だけでもお教えいただけないでしょうか」


 皇帝はふむ、と考えるとそれで納得するのなら、とその名を伝えた。


「神医の名は秦越人と言う。驚異的な知識があり、神がかった手腕であったということは身をもって保証しよう」


 侍医たちはその名を聞いた途端、天を仰いで涙を流しはじめた。


「な……そんな、まさか……」

「ああ、生きておられるのですか……、そうか、きっと功徳を積まれたから仙人になられたのだ……! 確かに、あの御方なら神医というのも納得できる……」


 御医たちが泣きながら跪く。つい先ほどまで矜持を傷つけられたと騒いでいた者たちだ。その変わりように皇帝や天佑たちは呆気に取られた。


「な、……何なんだ? どういうことだ?」


 おいおいと泣く姿に困惑していると、一人の御医が答えた。


「ううっ、秦越人さまは……数百年前に亡くなった伝説の名医でございます。民を慈しみ多くの病を治してくださった彼は妬みによって暗殺され……、非業の死を遂げたのでございます」

「医療の礎を築いてくださった名医でございます。かの方は、別名、扁鵲へんじゃくとも呼ばれていらっしゃいます」


 扁鵲は医学の祖とされる伝説的な名医。あらゆる分野の医術に通じ、死んだ太子を蘇らせた逸話などがあるが、その才能を妬んだ秦の太医令によって暗殺されたのである。



 ◇ ◇ ◇



 天誠は無事に回復し、皇帝としての職務に復帰した。滞りなく回るよう天佑が尽力してきたこともあり、内政、外交ともに万事うまくいっている。


 天佑が放置していた後宮に関しても、天誠は早々に手をつけた。四妃はゆっくり決めるとしながらも、貴妃から九嬪、二十七世婦まで精力的に渡っているようだ。皇太后とも相談しながら新たな妃嬪を迎える予定とのこと。中央や地方問わず、高官からの推薦も積極的に受け入れることになるだろう。


「……兄上のこういう所は正に皇帝たるやだな……。毎晩違う妃の元へ行くなど俺には無理だ」


 こうして、天誠が本調子を取り戻すのと同時に、天佑は自分の屋敷へようやく帰ることになった。


 麗容の街にある天誠の郡王府には羽林の鍛錬場もある。皇帝の代理としての生活が終わり、本業である羽林軍の統制に精を出す日々。来る日も来る日も鍛錬を行い、街の見回りをし、皇帝の警護や皇宮の警備などを請け負う。


 季節はいつしか春を過ぎて長雨が終わり、夏の盛りを迎えていた。



 昼間よりは幾分暑さを凌ぎやすくなる夕暮れ過ぎ、その日、皇帝に誘われた天佑は龍安堂へやってきた。


 内庭に面する凉台に席を設え、池に浮かぶ月や竹林を眺めながら二人で杯を交わす。


 爽やかな白い装いの天誠に対し、天佑は勿忘草わすれなぐさ色の軽やかな衣。顔立ちはよく似ているものの、天女と称される天佑に対し、兄である天誠は幾分男らしい骨ばった顔つきをしている。


「天誠。報告書も一通り読んだが、俺が眠っている間の出来事を教えてくれ」


 内政、軍事、後宮……天佑は関わってきたことをかいつまんで報告した。特に後宮に関しては報告書に残せなかったことが多く、天誠が興味深そうに頷いている。


「ほぅ、そんなことが。ずいぶん妃たちには手を焼いたようだな。特に胡桜綾に関しては悪かった。おまえが色々と証拠を揃えてくれたし、胡桜綾も右大臣もきちんと躾をし直すよ」

「……もう関わることはないから躾はいらない。胡桜綾は殺してくれれば万事解決だ」

「まあまあ、あれでも皇子の母だからな。死刑は回避するが、おまえが納得する形に落とし込むから少し待っていてくれ。

 それより天佑、お前の話も聞きたい。雪玲と言ったか? 小耳に挟んでいるぞ」


(雪玲か……その名を聞くのは久しぶりだな……)


「最初の出会いは、……麗容の夜店でした」


 天佑は雪玲との出会いや思い出、凛凛のことも正直に打ち明けた。話の腰を折ることなく、天誠は弟の話に耳を傾ける。


「……俺はあいつが何者であろうが構わなかった。だけど、あいつは神仙の血を引く高貴な存在で……俺ごとき人間が愛するなんて烏滸おこがましい。……兄上、この胸の痛みもいつかは薄れるのでしょうか……」


 天佑は杯に入った酒を握りしめると一気に煽った。その様子を見ながら、天誠が口を開く。


「天女のような顔をして何を言っているんだ、天佑」

「顔は関係ないだろ……」


 ふむ、と言うと天誠は腕を組みながら、興味深そうに弟の顔を見つめた。


「よくわからないんだが……俺たちにも神仙の血が流れているのに何が問題なんだ? ああ……、もしかして、お前は習う前から使いこなしていたから学んでいないのか……? 

 天佑、おまえも声に力を乗せられるだろうが、その力こそ霊力だ。つまり、この力は神仙の血筋所以ゆえんということだな」

「……え?」

「俺たちは天龍の子孫だ。すでに代を重ねて血は薄まっているが、神仙の血が流れているよ。それでもおまえはその子とは釣り合わないとまだ思うのか?」



 ◇ ◇ ◇



 その頃天界では、雪玲が鬱々と泣き暮らしていた。


 大理石の卓子には色とりどりの果物や酒、花を模った美しい点心が並ぶが、雪玲は手をつけようとしない。


 円卓の周りにいる美人画から飛び出してきたような九尾狐の美女たちは、落ち込む雪玲を慰めていた。


「雪玲~、それこそが恋ってものよ。あ~あ、気が付かないうちに初恋が破れちゃったのね。でも大丈夫。女は恋を重ねて成長していくのよ。ひとつ大人になったってことね」

「あらあら、泣くほどその相手のことを愛していたのね。可哀想な小狐ちゃん」

「莫迦ねぇ、そんなに好きだったのに想いを伝えなかったの? けじめをつけなかったから、いつまでも泣く羽目になるのよぉ」


 雪玲が姐さんと慕う九尾狐の三姉妹たち。九尾狐はその美貌で様々な武勇伝を持ち、人間と九尾狐の恋物語が伝承として各地に残っていることも珍しくない。


 恋愛の猛者だとされる九尾狐だが、雪玲は例外だ。


 ひときわ妖艶な栗色の髪の美女、貂月ちょうげつが人差し指の先で雪玲の顎を持ち上げる。


「そうよ、可愛い雪玲。九尾狐の名にかけて、その男を落としてきなさい。これは命令よ……うふふっ」

「ぐすっ……母上……」


 目元を真っ赤にして真珠のような涙をぽろぽろ落とす雪玲に、九尾狐たちは作戦を立てようと話し合う。


「純真さが響かないなら大人の女の魅力でいくしかないわ」

「まずは胸に詰め物からかしら」

「額には花鈿かでんを描いて、べにの色も濃くしてみましょう」

「そうね、それから実技ね。天龍を呼んで来て。あれを練習台に私たちが実演すればいいわ」


 美女たちが盛り上がる中、呆れた声が響く。


「おまえたち、やめなさい。全く、少し目を離すとこれだ」

扁鵲へんじゃく! 寂しかったわ~! 帰って来たのね」


 貂月が扁鵲の首に両腕を絡め、熱い口づけをせがむ。


「……ああ。こら、貂月抱きつくな。後で構ってやるから離れなさい。雪玲、青龍国の皇帝は治してきた。……話があるからついて来なさい」

「ぐすっ、はい」

「扁鵲……! わかったわ。湯あみをしておくから寝室で待っているわね。うふふふふ」

「はぁ、湯あみはしなくていいから、三姉妹とお茶をしながら待っていてくれ。 ……雪玲、行くぞ」


 雪玲は眉間にしわを寄せた扁鵲についていく。


 医術にまつわるあらゆる物が納められた扁鵲のいおり。扁鵲は雪玲を座らせると温かい茶を入れ、優しく諭した。


「雪玲、母上や九尾狐たちの言うことは聞かなくていいから、自分の本心に向き合いなさい。天界でいつまでも泣き暮らしていたって何も変わらないよ?

 大将軍との未来を考えてもいい、想いを断ち切る方法を探してもいい。後悔しない道を自分で探すんだ」

「……ぐすっ、……はい、父上」


 当初は慰めてくれた神仙たちだったが、意外としつこく鬱々としている雪玲へ次第にイライラし出す。初恋を遠い昔に忘れてしまった神仙たちに、傷ついた雪玲の乙女心はなかなか共感できなかったのだ。


 それでも、雪玲はまだ幼いからと多くの神仙が気長に見守る中、短気で知られる女禍がとうとうキレた。


「ったく、じれったいわね。人間界へ行って、その男に振られるなり新しい恋を見つけなるなりして来なさいよ!」

「え? あ、ちょっと待って!! 行くなら天衣を」


 女禍は有無を言わせず、雪玲を雲の間から突き落とした。



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