第15話 天佑を助けるために
天佑の一日は忙しい。朝議から始まり大臣や役人たちの訴状に耳を傾け、山のような決済をし、慣習として残る数々の儀式に銀の皇帝として参加する。また、大将軍として羽林軍の統制を行い、寝る間を惜しんで雪玲の捜索もしているのだ。
よく眠れていないことは誰が見ても明らかで、天女と称される美貌は健在なものの凄みが増している。仮面越しでもわかるほど気が立っているのは、天誠に回復の兆しがないのに加え、雪玲の消息が全く掴めないからだろう。
まるで全身が鋭い刃かの如く、下手に触れれば切り付けられそうな雰囲気がありありと漂っている。
側近たちでさえ軽口を叩くことが許されない張り詰めた空気の中、救いとなったのは小さな白狐、凛凛だ。
天佑によく懐き、天佑もまたことのほか可愛がり、心の癒しになっているのは一目瞭然。自らの手で包帯を変え、食事を与え、片時も側から離さない。
今日も天佑がいる執務室には凛凛の姿がある。
「……凛凛はまるで書を読んでいるようだな」
天佑が執務の手を休め目を向けたその先には、腹に包帯を巻いた小さな白狐が机の上にちまっと座っている。開いた古書を眺めている姿は奇っ怪でもあるのだが。
ペチ
「はいはい、捲りますよ。凛凛は賢いなぁ」
ペチ
「もう捲っていいのかい? はい、どうぞ。凛凛は可愛いなぁ。古語を解読して天佑さまのお役に立とうとしているのか? 健気だなぁ」
凛凛と影狼の仲睦まじい様子が天佑の癇に障る。
「……影狼。古書と凛凛をこちらへ」
「……天佑さま、なりません。その目の前に積まれた諸々は昼が決済の期日でございます。凛凛は私が面倒を見ますゆえ、なにとぞ、なにとぞ……」
「……」
不機嫌そうな天佑の雰囲気に緊張が走る中、顔色が悪い太監が報告にやってきた。
「天佑さま、胡徳妃から文でございます……こちらは必ず読むようにと何度も念を押されまして……」
「……やはり……胡徳妃かっ!!」
ガチャン!!
大声をあげて立ち上がると、天佑は壁にかけてあった刀を持ち、鞘からその刀身を抜く。
「殺してやる!! 今すぐあいつの首を刎ねてやる!!」
すぐさま影狼が駆け寄り、天佑を羽交い絞めにする。どこからともなく隠密までもが次々と姿を現し、御書房の中には一気に緊張が走った。
「天佑さま!! お平に!!」
「天佑さま!! なりません、落ち着いてください!!」
(わ、わぁ、天佑、どうしたの? かわいそうに、太傅はもうおじいちゃんなのに殺気で息が苦しそうだよ?)
完全なる文人である太傅は殺気にやられ、真っ青な顔をしている。呼吸がしづらそうだ。
(あの文が原因なの?)
床に投げつけられた文の近くまで行き、覗き込む。
『雪のような白肌に映えそうな美しい音色の髪飾りが手元にあれど、記憶をたどっても私の物ではないような気がいたします。
後宮の主であるあなたなら、どなたの物なのかご存知かもしれませんね。今すぐ玫瑰宮に来て確認してくださいますか』
「玲は玉の美しい音を意味する! 雪玲の髪飾りが手元にあると! 雪玲を返してほしくば言うことを聞けとあいつが遠回しに言っているんだ! 殺してやる!! あいつを殺して取り返してやる!!」
「天佑さま、なりません! 胡徳妃は礼部尚書の娘! 憶測だけで手打ちにするようなことがあっては国の根源が揺らぎます!」
(ユ、ユウ……)
あまりの剣幕に呆気に取られていたが、周囲の必死の説得に天佑も徐々に落ち着いていった。
片手を額に充てたまま強い怒りで目元を赤くしつつ、側近たちに離れろと手を挙げて制する。瞳に仄暗い闇を携えたまま、天佑は静かな声で告げた。
「……太監。今すぐ玫瑰宮へ向かう。影狼はここで凛凛を見ていてくれ。……今日は恐らく戻れぬ。あいつが雪玲を返すと言うのなら従ってやる。だが、取り返したらあいつは殺す」
(ユ、ユウ!)
白狐の身体はまだ傷口が完治しておらず、走ると脇腹が引き攣る。それでも天佑の足元まで全力で向かい、その足元に縋りついて訴える。
「キュウ! キュウ!」
(ユウ、行かないでいいよ。だって、私はここにいるもん。胡徳妃は嘘を言っているよ? 嫌な予感もするもん、行かないで! 私と一緒にいて?)
「凛凛。大人しく待っていてくれ。おまえを連れていったらきっと欲しがられる。おまえまで奪われたら……俺はきっと人の心を失くしてしまう」
優しい手つきで抱き上げると凛凛を影狼の手のひらへ載せ、天佑は行ってくると御書房を後にした。
(ユウ……)
◇ ◇ ◇
「徳妃。髪飾りを見せろ」
「まあ、陛下。来てそうそう慌ただしいこと。うふふ。陛下、今日はお越しになると聞いてご馳走を用意させましたのよ? さあ、まずは食事をしましょう」
「……徳妃っ!」
仮面越しでもわかる強い怒り、今にも飛び掛かりそうな皇帝の姿に、徳妃の侍女たちはオロオロとする。徳妃はにっこり笑いながら天佑に近づき、耳元に顔を寄せ囁いた。
「天佑。私にそんな態度を取っていいの?」
「きさま……!」
「うふふ。陛下、お疲れが溜まって顔色が悪いですわ。今日は精のつくものばかり作らせましたから、しっかりお召し上がりくださいね。さあ、お掛けになって」
徳妃を睨みながら座る天佑の下へ、侍女たちが酒を片手に寄ってくる。
「蓬莱春酒も用意させましたの。陛下に献上をと実家から送られてきましたのよ」
スン……香りを嗅ぎ、異臭がしないことを確認してから口をつける。
「ふふふ。そんなに警戒しなくても。食べ物にも飲み物にも何も仕込んでいませんわ」
「おまえの言葉は信じられん」
「まあ、ひどい。うふふふふ」
心底憎い徳妃と向き合いながら、酒を煽っていく。天佑は食べ物には箸をつけない。そのうち、酌をしていた侍女たちも下がらせ、徳妃が自ら酌をし出した。
天佑が言葉を発することはなく、徳妃の楽しそうな声だけが響く。
「……おい、一刻もの間この茶番に付き合ったんだ。そろそろ髪飾りを見せろ」
「あなたったら本当に邪険なんだから。ふふ、その美しい顔に冷たい態度が女を虜にさせているってまだ気づかないの? ……銀の仮面で麗しい顔を眺められないのが残念だわ」
「胡徳妃」
うふふと笑いながら徳妃が天佑の手を取る。
「ついて来て。こちらにあるわ」
天佑がその手を払い立ち上がると、一瞬眉を顰めたものの、徳妃は何事もなかったように微笑んだ。その背について部屋の奥へと進んでいくと、やがて寝室らしき部屋へたどり着いた。
多くの花が飾られた部屋はむせ返るような香りがし、天佑は仮面の上から鼻と口を袂で塞ぐ。百合の花の香りが強い。
「……天佑。この髪飾りなの。見たことはないかしら」
手渡された髪飾りは紅玉と真珠が控えめに配された金の髪飾り。派手過ぎない意匠は雪玲らしい気もするが、この髪飾りをつけていた記憶はない。だが、あの子の持ち物を全て把握しているわけでもなく、雪玲のものと言われればそうなのかもしれないような気がしてくる。
「……とりあえず、これは預かって……」
目の前が二重に見え、頭がぼんやりしてくる。
(うっ、身体が……。くそっ、一体どこで? 食べ物は口にしていないし、酒にも媚薬は入っていなかった……)
「ふふふ。天佑、疲れているみたいだから少し眠るといいわ。お酒を飲んで気持ちが和んだのかもしれないわね。それとも、この部屋に焚いた迷魂香が聞いたのかしら。うふふ」
「きさま……」
徳妃が天佑を寝牀へ座らせる。銀の仮面を外し、寝牀の横に置いた。
「諦めて、天佑。もう少し香を嗅いでもらった後に媚薬を飲ませるわ。あなた、身体が大きいから暴れたりしたら怖いもの。……それじゃあ、私も支度をしてくるわね。もう少ししたらまた来るから、今夜は楽しみましょう」
……パタン
朦朧とする意識の中、天佑は身体から力が抜け、寝牀に靠れた。握りしめた髪飾りがぽとりと落ち、目を閉じる。
(くそっ……。だが、雪玲……お前が助かると言うなら……)
トッ トッ トッ サワ
ドテッ
「キュウン……」
(……! この声は、凛凛か……?)
寝牀の足元を見ると凛凛が見上げている。なんとか身体を屈め、手を伸ばすと腕にしがみついてよじ登ってきた。
「凛凛……影狼はどうした? 来てはダメだと……」
これから起こることをこの小狐に見せたくない。そう思った天佑は残った力を振り絞り、凛凛を外へ逃がすために立ち上がろうとした。
「キュ!」
凛凛はジタバタすると天佑の顔へ飛び乗った。
ガブッ
「痛っ!」
凛凛に思い切り噛みつかれ、天佑の下唇から血が流れる。
「り、凛凛、おまえ……!」
手の甲で口元の血を拭った天佑は、はっとした顔で凛凛を見た。頭に掛かった靄が晴れている。迷魂香の効果が解けたのだ。急いで窓を開け、換気をする。香炉を見つけると、燻る香を酒で消した。
「凛凛、お手柄だ! さて、どうするか……刀剣は後宮に持ち込めなかったのでな」
天佑は部屋の中を見渡したが、隠密の気配がない。寝室はいつ何時も来るなと言ってあったが、徳妃の宮は例外とするべきだったと後悔する。凛凛のおかげで助かった。
懐に凛凛を入れると「ちょっと暴れるぞ」と言い、手当たり次第に部屋中の物を破壊し始めた。官僚の一年分の給料でも買えない高価な壺が割れ、書画が破られる。天蓋の布は裂かれ、家具は折られ、玻璃をはめ込んだ家一軒の値がある窓枠は粉々に砕け散った。
これで気が済むわけではないが、皇帝の逆鱗に触れたという噂は瞬く間に広がるだろう。
大きな物音に気づき徳妃や侍女たちが駆け付けると、部屋の中はめちゃめちゃ、銀の仮面をつけた皇帝が殺気を纏っている。
「皇帝に薬を使うとは……徳妃よ。
宮の外で待機していた太監が指示を出し、宦官たちが入室してくる。徳妃をはじめ、侍女たちを拘束し、跪かせた。
「陛下! 陛下! お許しくださいませ! 私は陛下のことを愛しているからこそ……! 皇子のこともお考えくださいませ! ち、父も許しませんわよ!?」
「はっ、自業自得だ。母が修儀だろうが皇子は皇子だ。何も変わらん」
呆然とする胡徳妃だったが、うすら笑いを浮かべる。
「ふっ、ふふっ。……潘充儀の居場所を知りたくはないの?」
天佑は跪く胡徳妃を上から見下ろす。
「胡徳妃……いや、胡修儀よ。おまえは歴史を学ばなかったのか? 女人ひとりのために国を傾けた君主が何人もいたことを知らぬとは。……最初からおまえと取引をする必要はなかった。俺がおまえの立場や皇子、礼部尚書に気を遣ったのが間違いだったんだ。
その爪を一枚ずつ剥がし、顔の皮膚を破き、肉を削るうちに潘充儀のことも何か思いだすだろう。……太監、連れて行け」
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