第14話 白い小狐

 自室へ戻った天佑は白い小狐の手当てを自ら行った。傷口を温かい布で丁寧に拭い、粉薬を振りかけたがなかなか血が止まらない。圧迫法など影狼とともにいろいろ試し、ようやく止血はできたものの、小狐の容態はよくなかった。血を失ったことで体温が低下し、その呼吸はか細く、かなり衰弱していた。


「……温めた方が良さそうだな」


 小さな籠に柔らかい布を敷き詰めると布でくるんだ小狐を寝かせ、体温が下がらないように季節外れの温石でその身体を囲む。


「小狐、がんばれよ」


 中指で優しく頭をなでながら語りかける。


 ようやくひと息つき天佑と影狼が小狐を見守っていると、寝室の前が騒がしくなった。外から太監の声がする。


「陛下、お休みでございますか? 火急の知らせがございます」

「入れ」


 真っ青な顔をした太監が小走りで入ってくる。


「……どうした」

「陛下、睡蓮宮から報せがございました。襲撃があり、潘充儀が行方不明でございます。恐らく負傷しており、宮の中に姿がなく、地下通路から逃げたのではとのこと。現在、捜索中ですが羽林や隠密の力もお借りしたく……」


 太監が何を言っているのか、天佑の頭がその言葉をなかなか受け入れようとしない。


 雪玲は今日も書斎へ来ていた。睡蓮を模った糕点をあんなに喜んでいたではないか。古書を半分読み進めたところで、今のところ毒の記載はないが、健康に関する記載は役立ちそうだから書に残しておくと言っていたではないか。


(……あの、食べることに目がない、聡明な雪玲が、行方不明?)


「……下、……陛下!」


 太監の呼びかけにはっとし、意識が戻る。なりふり構わずに雪玲を探しに行きたいが、銀の皇帝としても、羽林大将軍としても、そうするべきではないことはわかっている。


(くそっ! 俺が動くことで多くの視線が注がれてしまう……。襲撃が誰の指示なのか、雪玲が無事なのかがわからない今、無闇矢鱈に動くのは下策だ)


 ぐっと拳を握り、指示を出す。


「……一角、総力を挙げて捜索を。影狼、内密に羽林を動かせ。大事おおごとにして雪玲の体面を傷つけることがないよう気をつけろ」

「「承知いたしました」」


(……雪玲、雪玲、……どうか、無事で)


 ◇ ◇ ◇


 捜索は難航を極めた。


 血がついた上衣は庭に落ちていたが、その他の衣は地下通路の中で次々と見つかった。いずれも大怪我を追っていることを思わせる血痕がついた状態で、隠密の見立てではその位置から『肝の蔵の損傷』。おそらく大量出血をし、生死を彷徨っているだろうとのことだった。


 痕跡は地下通路の途中でぱたりと消え、どこへ向かったのかわからない。


 引き続き広大な地下通路の捜索も行うが、どこかの出口にたどり着き、地上に出ているという可能性も捨てきれない。

 怪我を負った状態で後宮を抜け、麗容の都で身を隠していればいいのだが、どこかに囚われている線もある。天佑に執着している徳妃の動きも気がかりだった。


(俺があの子に関心を向けたから標的になってしまったんだ……。もっと完璧に守るべきだったのに、俺はなんて中途半端なことをしてしまったんだ)


『……天佑、あなたはきっと後悔するわ。私の前に跪いて許しを請うはず……その時になっても今日みたいな態度がとれるかしら?』


 玫瑰宮を訪れたあの日の、徳妃の言葉が思い出される。


(あいつに囚われたのなら、雪玲は無事では済まないはず……貞節は弄ばれ、愛らしい顔に傷をつけられていることだろう)



 天佑が苦悩する様子を影狼や隠密は黙って見守った。


 万が一、雪玲が囚われているようなことがあっても、体面を守るためにその事実は伏せなくてはならない。捜査は慎重に行うと同時に、『潘充儀は体調を崩して療養している』ことを周知させた。巫水には睡蓮宮で看病しているふりをさせている。



 だが、日にちだけが過ぎ、捜索の進展もないまま時間が流れていった。


 表面上は何一つ変わらない毎日が繰り返されている。だが、天佑の心は日に日に打ちのめされていった。


(朗らかなあの笑顔が涙で濡れているのではないだろうか……清涼な春風のようなあの娘が酷い仕打ちにあってはいないだろうか)



 『ユウ、助けて……』


 『痛いの、ユウ、どうして私がこんな目に遭うの?』



 思い浮かぶのは雪玲が自分を責める声だ。



 落ち込む天佑の心の支えになったのは白い小狐だった。傷ついた小狐の看病をすることで、天佑の心の傷もほんの少し癒されるような錯覚があった。


「俺もよく暗殺者を送られたから傷だらけなんだ。おまえより大怪我をしたけど生き延びたんだぞ? おまえも頑張れ」


 小狐に話しかけ、湿らせた綿で口元を拭い水分を与えてやる。


「眠り姫、そろそろ起きたらどうだ? 白狐の瞳は何色だろうな」

「あっ……天佑さま、小狐が……」


 小狐の瞼がぴくぴくと震える。やがて、ゆっくりと持ち上げられた瞼の奥には赤みがかった栗色の瞳が揺れていた。



◇ ◇ ◇



 朦朧とする意識の中、雪玲は優しい声に励まされていた。低く落ち着いた声が心地よい。


(父上じゃない……北斗星君? 劉猛将軍?)


 温かな手で頭をなでられる。


(気持ちいい……)


『頑張れ。おまえが元気になったら雪玲も無事な気がするんだ』


(しゅうりん? 偶然ね、私も雪玲って名前なの)



『可愛いお姫様。腹が減っただろう。そろそろ起きたらどうだ?』


(お腹? 不思議とあんまり空いてないんだけど、食べたいな。でもなんだか脇腹が痛いの)



『俺もよく暗殺者を送られたから傷だらけなんだ。おまえより大怪我をしたけど生き延びたんだぞ? おまえも頑張れ』


(そうなの? 私が会った暗殺者は、自分で『頭のおかしな暗殺者』って言ってたよ。変な人だった……。あなたも大変な思いをしたのね)



『眠り姫、そろそろ起きたらどうだ? 白狐の瞳は何色だろうな』


(私の瞳は丸々とした栗と同じ色よ。見てみる?)



 瞼が重たい……でも、開けられそう


 まだぼやけているけど……あなたは天女? 違う、……男の人?



「小狐、よく頑張ったな」



 あれ? ユウ? 影狼もいるの? ここはどこ?


「影狼、狐は何を食べるんだろうか」

「木の実や果物でしょうか? 厨房で何か見繕ってきます」

「ああ。興味を示すだけでもいい。食欲は生きる力になる」


 あ……血を失って霊力が弱まったから小狐になっちゃったんだ……力が出ない


 ん……ユウがそうやって頭をなでてくれてたんだね。それ、気持ちいいから、もっとやって?


「ふっ、目を閉じて気持ちよさそうだな。温石も新しいのに取り替えよう」



 ぽかぽかして気持ちいい。……あ。あっちの方から大きな男の人の足音と上品な重たい人の足音がするよ?


「天佑さま、太監が参りました」

「執務の間へ通せ。小狐も一緒に行こう」


 執務の間? ユウはお仕事してる最中なんだ。


 あれ? ここ、私知っているよ? 古語の解読を……


 ユウ、そこに置いてある銀の仮面……


 ユウが陛下だったんだ……、気づかなかったな……。あ、太監さまが来た。影狼、その手に持っているのは桃?


「捜査の進展は?」

「これと言ってございません……潘充儀の手掛かりはなく、徳妃さまの周辺も特に変化はありません」

「そうか……」


 私を探してくれているんだ。ユウ、ありがとう。狐のまま忍び込んで天衣で帰ってもいいけど……小狐だから難しいか。それに、ユウが気に病むなら一旦人間になった方がいいのかな。とりあえず、体力と霊力を取り戻さないと。影狼、桃ちょうだい。


「天佑さま、小狐が俺のことをじっと見てきます」

「影狼、語弊がある言い方はやめろ。おまえが持っている食べ物を見ているに決まっているだろう。こっちに寄越せ」


 ぷっ。影狼、そんな不貞腐れた顔をしているとまた揶揄われてしまうわよ?


「……はい。厨房から今すぐ食べられそうな物をとりあえず持ってきました。桃、菜っ葉、胡桃、棗、糕点もあります」

「糕点なんて雪玲でもあるまい……、っ……!」


 確かに、糕点が一番いいな


「天佑さま……」

「いや、大丈夫だ。さあ、小狐、まずは桃にするか。おまえ、喉も渇いているだろう?」


 ……ユウ、心配かけてごめんね。たくさん食べて早く元気になるからね。


 桃、皮を剥いて小さくしてくれる?


「ふっ、そうそう、頑張って食べるんだぞ。……そうだ、小狐。お前に名前を授けてやろう」


 天女の如く美しいユウが私のことを見つめる。


「……りん……、凛凛。お前の名は凛凛にしよう。これはお前が俺の庇護の下にある証だ」


 どこからか取り出した、小さな菫青石きんせいせきを通した革紐が首に巻かれる。


 天佑さまの瞳の色……と誰かが呟いた。



◇ ◇ ◇



「天佑さま。玫瑰宮を極秘に調査しましたが、囚われている者はおりませんでした。地下通路の捜索もほぼ終わりましたが、潘充儀の姿はありません……」

「……残す可能性は、麗容の都に逃げ伸びたか、徳妃の関係先か」

「さすがに礼部尚書も人攫いの真似事は……」


 雪玲の捜索についての密談が執務室で行われている間、雪玲は凛凛として居心地の良い籠の中からその様子を見守っていた。


(みんなに悪いけど、まだ霊力が足りないみたいなんだ。ごめんね。巫水も心配しているだろうな……)


 人間の姿になって探さなくて大丈夫だと伝えたいのに、もどかしい。それに、五虹の闇を携えたような目が気になる。


(五虹は隠密だったんだ! かっこいいなぁ……ねえ、五虹、自分を責めないでね? あの頭のおかしい暗殺者と依頼した人が悪いんだから……。隠密の長の一角は厳しくもいい人そうだから、うまく慰めてくれるといいんだけど)


 執務室に入れ替わり立ち替わり出入りしていた者たちが一段落すると、天佑は部屋へ戻って着替えを始めた。


(あれ? 外出着に着替えたの? これからお出かけするの?)


 薄縹うすはなだ色の落ち着いた衣を羽織った天佑が凛凛を懐に入れる。


「天佑さま、私の懐に入れましょうか?」

「いや、構わない。凛凛、これから麗容の街へ行くから大人しくしているんだぞ?」


(わあ、連れて行ってくれるの? うん! 大人しくしてる)



 天佑が凛凛を連れてやってきたのは麗容の街だった。



(ユウはいい匂いで落ち着く……)


「人探しをしているのだが。琥珀色の髪に栗色の瞳をした年頃の娘を見たことはないか? おそらく怪我をしている」

「そんな変わった髪色の娘は見たことがないねぇ」


「腹を刺された娘の治療をしたことはないか?」

「面倒事はごめんだよ! え? 金子をくれるのかい? ……もらっておくけど、そんな娘は見たことはないね」


「あらぁ、いい男。こちらの勇猛なお兄さんも素敵だわ。……え? 女を探している? う~ん、まあ、一応気にしておくわ」


 天佑と影狼は時間を見つけては麗容の都へ行き、雪玲を探しているようだ。天佑の懐の中から二人の必死な様子を見上げ、心地が悪い。


「キュゥ……(ここにいるのにごめんね……)」

「ん? 凛凛、腹が減ったか? あと一軒確認したら今日はもう戻るからな」


 しらみつぶしに全ての店へ声をかけている様子。雪玲は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「凛凛、北極殿に着いたが先に龍安堂に寄る。おまえを紹介しようと思うんだ」

(? 誰に紹介してくれるの?)


「天佑さま」

「変わりないか?」


(ん? この人たちは医官?)


「お変わりございません」

「……そうか」


 部屋の中には影狼もついてこない。


 上質な物ばかりだけど物が少なく、落ち着いた部屋。寝牀に横たわる男の傍らに座ると、天佑が話しかける。


「兄上。凛凛を紹介しますね。凛凛、俺の兄上で龍天誠。この国の皇帝だよ」


(へ? そういえば巫水が皇帝の名前は天誠だって言ってた。天佑は皇帝の弟ってこと? つまり……この人が未知の毒に侵されていて、事情があってユウが銀の仮面を被って代役をしているのね)


 ユウ……天佑によく似た顔立ちの天誠。顔色もいいし元気そうなのに目覚めない。本当に毒なのだろうか。奇病や呪術の線もあり得る。


(もうちょっと近くで見たら何かわからないかな?)


 凛凛は天佑の懐を出てしがみつきながらじりじりと降り、寝牀へ飛び乗ろうとした。が、届かない。


(あ、あれ? 届くと思ったんだけど……)


「……凛凛、おまえはつくづく野生でどう生きていたんだ?」


 天佑が持ち上げて凛凛を寝牀に乗せる。


(ユウ、ありがとう)


 スンスン スンスン


 皇帝の顔の横でじっと見ても匂いを嗅いでもよくわからない。


(毒、なのかなぁ?)


 振り返って天佑を見ると寂しそうな悲しそうな顔をしていた。


 雪玲は胸がズキンと痛む。


(うっ、痛……くない。あれ? でも、胸がなんだかぎゅぅって……。まあ、いいや。それより、ユウには迷惑かけちゃったし、解毒だけでもなんとかしてあげたいな)


 古書には何か、手がかりが書かれているだろうか。


(とにかく、今できることをしてみよう)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る