第16話 皇帝の解毒方法

 結局、胡修儀が拷問にかけられることはなかったが、雪玲の行方がわからないことを知っている時点で襲撃に関係があると言っているようなもの。恐らく、暗殺者の手配をしたがうまくいかなかったのだろうというのが天佑やその周辺の見立てだった。


 娘のしでかした事の重さに礼部尚書も反論はできず、本人の役職や家門にお咎めがなかっただけでも良しとせざるを得ない。


 髪飾りも巫水に確認した結果、雪玲のものではないことが判明し。


 そのひと言を聞くや否や、天佑は大切に包んでいた髪飾りを池へと投げ捨てた。



 こうして天佑の唇の怪我も癒え、凛凛の傷も塞がり痛々しかった包帯が取られた頃、皇帝への献上品として珍しい贈り物が届けられた。


「ほう。右丞相の家門から珍獣が贈られてきただと?」

「はい。近頃、陛下が白狐を溺愛しているとの噂を聞きつけ、珍しい動物を献上したいとのことでございます。何でも、虎に似た猫のようにおとなしい動物だとか」

「右丞相ということは……」

「ええ。お嬢様は九嬪で一番位の高い、唐昭容でございます」


 天佑がげんなりしたのとは反対に、白い小狐はどう見ても興奮している。


「キュウ!キュウ!(見たい!見たい!)」 

「なんだ? 凛凛は見に行きたいのか?」


 優しく微笑む天佑は天女のようで、先日の悪鬼羅刹のような姿は幻だったのではと思うほど。


「よし、凛凛が見たいのなら今すぐ行こう」


 天佑の懐に入れられた凛凛こと雪玲は、北極殿の中庭へと連れていかれた。



 よく手入れされた中庭には至るところに吉祥文様が配され、美しい鋪地は色鮮やかなものも多い。回廊から見える景色を眺めていると、鋪地の先、開けた所に檻が見えた。


「ほう。白虎に似ているような……成虎だろうか」

「見た目は獰猛ですが、大人しい気性とのことです」


「キュ!?」


(え? もしかして騶虞すうぐ?)


「あっ! 凛凛!」


 天佑が止めるのも聞かず、懐から衣を伝って降り、檻へと走る。


騶虞は白い虎のようで体に黒い点があり、体より長い尾を持つ、現れると吉兆の兆しとされる心優しい仁獣だ。殺生や穢れを嫌い徳を好むというのに、檻の中にいるだなんて雪玲は信じられなかった。


『騶虞! 騶虞! 私だよ、雪玲だよ! どうしてこんなところにいるの?』

『……雪玲? ……あ、九尾狐のお嬢さん? あなたこそどうして人間界にいるの? しかも、小狐になってるじゃないか』

『私はちょっと遊びに来てすぐ帰るつもりだったんだけど、西王母さまからいただいた天衣を盗まれちゃって……。で、いろいろあって怪我をして、霊力が足りないの』

『そうか。私は病の友達のために千年雪花を取りに降りてきたら罠にかかってしまったんだ。それでいつのまにかここに……。霊薬を届けないといけないんだけど』

『騶虞はいつだって優しいね』


 騶虞は慈愛に満ち、青々と生い茂る草を見ると踏むことを忍ぶほど。生きている生物を決して食べない彼は仁獣だ。人間がただの好奇心で側に置いていいい獣ではない。


(騶虞を解放させないと、そのうち神仙の誰かが人間に天罰を下すかもしれない)


「凛凛。その動物と仲良くなったみたいだな」


(ユウ、騶虞はここにいたらダメだよ。解放してあげて?)


 裙の裾を口で咥え、檻の前へ連れて行く。檻をよじ登り、鍵を前足でとんとんする。


(これ、開けて? ユウお願い)


「……凛凛、まさか檻を開けろといっているのか? 貴重な動物だし、だいたいここで解放するわけにも……」

「キュウ!キュキュ~……(ユウ、お願いだよ~)」


「う~ん、右丞相からの贈り物でもあるしなぁ……」

「キュウ……(ユウ……)」


 檻の隙間からするっと中に入り、騶虞の側に寄り添う。


『騶虞、怪我はしていない? ……血の匂いがするよ? 大丈夫?』

『足首が……』


 見れば虎鋏に挟まれた足首が流血している。


「キュゥ!キュゥ!(酷い!酷い!)」


 檻から勢いよく走り出すと影狼によじり登る。


「え? り、凛凛?」

「凛凛! なんで影狼なんだ?」


 ガサゴソと影狼の衣に入り込み、探し物をする。


「おふっ、り、凛凛、くすぐったい……」


 口に小瓶を加えて出てきた凛凛に皆がはっと息を呑む。止血薬だ。凛凛は急いで檻の中に戻り、傷口を舐める。


 その様子を見て天佑が呟いた。


「怪我をしているのか……」


(騶虞、痛くない? これをかけると血が止まるから、ちょっと待っててね)


 ペロペロと血を舐めて傷口を綺麗にしたいが、小さな口では追いつかない。白い小狐の口周りが赤く染まっていく。


「キュゥ、キュゥ……(酷い、酷い……)」


(優しい騶虞がどうしてこんな目に遭わないといけないの?)


 その時、ピリッと空気が張り詰めた。


「陛下! なりません!!」

「おやめください! 私が参ります!」

「何を言う。おとなしい動物だと献上されたのであろう。問題ないはずだ」


 銀の皇帝が檻に近づき、鍵を開けさせる。


 ガチャン


 中に入ると騶虞の傍にしゃがみ、自らの手で治療をし始めた。


(ユウ……ありがとう)


 影狼にお湯や布を持って来させると、騶虞の傷口を綺麗にし止血する。

 天佑は立ち上がると檻の扉を開けたまま、押さえている。騶虞に出てもいいと目で促しているようだ。


『……雪玲、いい人間の元にいるようだな。私は霊薬を届けに行くからそろそろ行くよ』

『うん、騶虞、怪我が早く治りますように』

『雪玲、私の霊力を分けてあげるよ。これで人間の姿に戻れるはずだ』


 騶虞が凛凛の額に口づけると、小狐に霊力がみなぎった。


『ありがとう、騶虞』

『どういたしまして。それから……北の方角に覇王の気運を持つ子が伏せているね。あの毒は……玄武の子らが悪さをしたか。彼は青龍の子だから、蒼の霊薬を飲み、霊力を持つ神医が三日間金針を打てば目覚めるよ』


 騶虞の瞳からポタリと落ちた涙は地面に落ちる寸前で青く発光し、蒼玉に姿が変わる。


『蒼の霊薬はあげるけど、神医は探してね。じゃあ、雪玲。また天界で』

『うん、ありがとう、騶虞。またね』


 騶虞は大きく地面を蹴り上げると屋根に跳び乗り、身を屈めると天に向かって高く跳び上がった。


 その姿はそのまま雲の彼方へ消えて行った。


 その場にいた天佑や影狼、羽林や隠密をはじめとする側近たちは、騶虞すうぐが蒼天へ飛び立つ様子を呆然と見つめていた。


「……虎が飛んだ……」

「……これは夢なのか?」


 だが、その場には空になった檻がそのまま。それに、直接手当てをした天佑は夢ではなかったことを身体で理解している。


 皆と一緒に空を見上げていた天佑だったが、蒼玉の前に佇む凛凛に気づくと歩み寄る。小さな白狐を抱き上げると、赤く染まった口元を優しく拭きながら話しかけた。


「あの白虎は神獣だったんだな……だからおまえは必死になって檻を開けろと言っていたのか。教えてくれてありがとな。この蒼玉も後で首に通してやろう」

「キュウ キュウ(うん。神獣じゃなくて仁獣だけどね)」



 御書房へ戻った天佑はさっそく凛凛の首紐に蒼玉を通す。革紐に並んだ2つの玉。菫青石と蒼玉が白い毛並みによく映える。机の上にちょこんと座った凛凛と向き合い、頬杖をつきながら天佑が独り言ちた。


「白虎も男だったのかな……。凛凛の愛らしさに一目惚れして贈り物をしていったのかもしれないな」

「キュ(違うよ)」


(騶虞はああ見えて三百歳は越えているし、蒼玉は皇帝のお薬だよ。それにしても霊力を持つ神医か……この国にいるか調べないと)


「思い返せば俺はあいつに贈り物をしたことがないな……願い事の札がわりに腰佩を預けた以外、菓子しか与えていないだなんて」

「キュゥ?(お菓子は最高の贈り物だからその人も喜ぶんじゃない?)」


 何やら天佑は悲しそうな顔をしながら憂いている。


 すっかり慣れてしまった天佑の側。檀香の香りがする懐が恋しくなりそうだけど、人の姿でないとできないことが多い。


 美しい顔に似合わず、ごつごつと節くれだった天佑の手。武人らしく手のひらは固く、タコがたくさん並んでいることを知っている。机に置かれた天佑の手に頬ずりをした。


「ふっ、急に甘えてどうしたんだ?」


 見上げた天佑は相変わらず天女のようではあるものの、眠れていないことで目元には濃いクマができ、疲れた顔をしている。


 早くこの人から憂いを取り除き、ゆっくり寝かせてあげたい。


(ユウ……、雪玲に戻るね。皇帝の解毒方法を教えるから待っていて)


「キュウ キュウ(ここを開けて?)」

「ん? 凛凛。外に行きたいのか?」

「キュ(うん)」


 天佑は立ち上がると、凛凛を外の庭へと連れ出した。そっと下ろした庭園には池が静かに月を浮かべていた。その先には竹林がある。


「……そういえば、凛凛と最初に出会ったのは竹林だったな」

「キュウ キュ (龍天佑、またね)」

「……凛凛? 凛凛っ!」


(お別れじゃないよ、人の姿でまた会えるから)


 竹林に向かって走っていく。


 天佑が名前を呼ぶ切ない声に後ろ髪を引かれる。一旦、その場に立ち止まってしまった。


 でも、天佑のためにも人の姿になって皇帝を助けた方がいい。


 白い小狐は振り返ることなく竹林に消えて行った。


「凛凛……」


 寂しそうな主の背中を影狼が慰める。


「天佑さま、そのうち戻ってきますよ」

「……いや、今日の凛凛は様子がおかしかった。怪我も癒えたし、きっと旅立つ時が来たのだろう……」


 半刻ほど庭園に佇んでいたが、天佑は部屋に入るために踵を返した。


「凛凛がいなくなると寂しくなるな……。一応、いつ戻ってきてもいいように、足元や物音に注意を払うよう皆に伝えておいてくれ」

「承知いたしました」


 どうせ眠れないのだ。


 凛凛がいたことで一緒にうたた寝をする時もあったが、今夜はなかなか寝付けないだろう。


 寝殿へは行かず、御書房へ入り腰を下ろした時だった。


 誰もいない室内の気配がザワザワとし出し、隠密たちの動揺が手に取るようにわかる。緊張感が伝わるが殺気立ってはいない様子。


「……一角。何事だ」

「……」

「一角っ!」


 姿を現した一角が跪く。


「天佑様、まだ確認が取れておらず、確実な情報ではありません」

「構わない。あんなにざわつかれたらこっちが落ち着かぬ」


 躊躇ためらいがちに一角が言った。


「……潘充儀が見つかったとの報せが入り、急ぎ確認しているところでございます」

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