第12話 徳妃の執着

「ふんっ、陛下に興味ないように振る舞ってたのに、所詮あなたも女ってことね」

「まあ、潘充儀に? 紫花宮を去るのは寂しいけど、いつでもおやつを食べにいらっしゃいね」


 後宮では雪玲の昇格が大騒ぎになっていた。反応はさまざまである。


 一気に三品もの昇格。遠方にいる力のない潘家の手腕とは到底思えない。だとすれば、どこかで見初められたのだろうと噂する者も多く、皇后の座を狙う者たちは不穏な視線を向ける。


 雪玲は二十七世婦が住んでいた紫花宮から単独の宮である睡蓮宮を賜るにあたり、引っ越しの手配や挨拶などやることが山のようにあった。巫水の手配で妃嬪たちへの贈り物や返礼もつつがなく行ったが、直接会っていない妃も多い。そして、ようやく雪玲は雹花と明明がどこにいるのかを突き止めたのだ。


 雹花は九嬪の中でも上から三番目の昭媛、明明は九嬪で一番下の充媛。訪問したい旨の手紙は送っているが、ふたりからは忙しい、体調不良とそれぞれ断られている。


(私があの披帛の娘だってことは知らないだろうけど。とりあえず雹花がいる胡蝶宮の構造を調べて忍び込めばいいかな。充儀になったこと、銀の皇帝に感謝しなくちゃ)


 それに、新しく侍女もひとり付けてくれたのだ。


 巫水とともに侍女として雪玲の世話をすることになった五虹ごこうは二十代前半のすらっとした女性で、とにかくよく働く。口数は少なくとも気が利く人で、巫水ともすぐに打ち解けたようだった。


 一方で五虹は睡蓮宮に来てから困惑の連続だった。隠密としてあらゆることを学んであるものの、雪玲は想定外のことが多すぎる。


「……潘充儀はいつもこのような?」

「五虹。そのうち慣れるわ」


 雪玲のおやつ時は巫水に五虹、いれば江宦官も卓を囲む、賑やかな時間だ。


「他の妃嬪は使用人と席を共にされませんが……」

「え? そうなの? でもみんなで食べたほうが楽しいしおいしいじゃない」


 でしょう?という雪玲の言葉に江宦官は力強く頷き、巫水は諦めたかのように頷く。


 かと思えば書を嗜み、そうを弾き、舞を舞う。それなのに、刺繍や裁縫の類は一切できない。食べることと風流なことがお好きなようだ。


 主である天佑が気にかける仙女のごとく美しい少女。抜けているようで聡明、令嬢としては今一つ。


 そんな温厚で風変わりな雪玲に、五虹もすっかりハマっていった。



 ◇ ◇ ◇



 そして、雪玲は今日も北極殿で古語の解読を行っている。休憩をと声を掛けられ、銀の皇帝と共に茶で寛ぐ。雪玲の今日のおやつには緑豆糕も用意されていた。


「睡蓮宮はどうだ。不便はないか」

「はい、陛下。紫花宮のように周囲に隠れて地下に降りる必要がなくなり、こちらに来やすくなりました。驚いたことに、睡蓮宮は物置ではなく貯蔵庫に出入り口があるのですよ!」


 まずは粉の袋を五虹が退けてからですね、と緑豆糕を手に楽しそうな雪玲の顔を見て、銀の皇帝の顔も綻ぶ。仮面で見えないが。


「紫花宮にいた頃より北極殿への移動距離も短くなっただろう。先々代の頃、睡蓮宮にいた充儀は寵愛を受けていたそうだ。ふたりは仲睦まじく外出もよくしていたらしく……」


 ちらっと雪玲の表情を窺う。実のところ、雪玲とまた街に出かけたいと思ったのだ。


 天佑が一角に尋ねたのは「最も北極殿に近い空いている宮」。偶然にも、睡蓮宮は地下通路を使って最も外に出やすい場所でもある。


(仮面をつけたまま皇帝として外出するわけにはいかないし、ユウとして会うのがいいだろうか。それとも大将軍である龍天佑であることを打ち明けた方がよいだろうか……いや、やはり打ち明けよう。というか、打ち明けたい)


「潘充儀。古語の解読をよく頑張ってくれている。褒美として気晴らしに外へ連れて行ってやろう。朕は行けないが、代わりに弟を付き添わせる。護衛もつけるから安心して行ってきなさい」

「わあ、本当ですか? うれしいです! ありがとうございます!」


 皇帝の許可のある外出ならなんの杞憂もない。思う存分楽しめると雪玲の顔から笑顔が絶えない。


「ふっ。昼間に出かけなさい。面紗は必ずつけること。見たいものや買いたいものはあるか? ああ、そなたなら食べたいものを聞いたほうが良いか。弟に店の場所を調べさせておこう」


 麗容の都はそれなりの規模だ。雪玲が行きたい店が休日なら開ける手配をしないといけない。それから、あの店は確か、休みがなかったはずだし問題ないだろう。


『おいしい串焼きを食べたいです』


 雪玲はその一言を言うだろうと思っていた天佑だったのだが。


「うーん。特別ありませんが、街歩きをしながらおいしそうなものを探してみたいと思います」

「へ? そなたなら麗容で一番おいしいナニかを食べたいと言うと思ったのだが」


 雪玲の中で串焼き流行ブームはもう去ってしまったのだろうか。


「うーん、麗容で一番おいしい串焼きを食べたいのですが、それは一緒に食べる指切りをした人がいるので他の物にしようと思っています」


「……!」



『うふふ。麗容で一番おいしい串焼き、連れて行ってね』



 雪玲がユウとの約束を守ろうとしていることに気づき、天佑の顔がみるみる火照っていく。


 いや、実際は後宮に上がった妃嬪として露店で食べる約束をしている云々は問題があるのだが、天佑にとってはどうでもいい。自分との約束なのだ。深く追求できるはずもない。


 天佑は仮面をつけていて良かったと思いながら、じわじわとせり上がってくる感情に耐えられそうもなかった。


「……そうか、わかった。日にちや時間はまた連絡させよう。あー、うん。今日はそろそろ戻りなさい」

「はい、陛下」


 太監が雪玲を連れて行くのを見送り、天佑は仮面を外すと口元を押さえて俯いた。


「くっ……」


 女性の気配が全くなかった主の変化に、影狼も隠密もこそばゆい思いで見守る。


「天佑さま、あの串焼き屋の店主に指定した日は休むことがないよう念を押しておきます」

「……あぁ、影狼。それから、五虹を呼んでくれ」



◇ ◇ ◇



 一刻後。五虹は北極殿の御書房にいた。


「天佑さま、お呼びでしょうか」

「ああ。睡蓮宮の様子を聞きたい。問題はないか?」

「……実は、日に日に嫌がらせが酷くなっています。ネズミの死骸や傷んだ食べ物が投げ込まれることは日常茶飯事、贈り物の中に血まみれの人形が入っていたこともあります。差出人不明の菓子は以前なら媚薬や腹下しの類が含まれていましたが、今は堕胎薬や致死量の毒入りに変わりました」


 報告を聞くにつれ、天佑の顔が険しくなっていく。


「……潘充儀も知っているのか?」

「いえ。私と巫水さんで処理をしています。ですが、いつお怪我をされてもおかしくない状況かと。聡明な方ですが、少し不用心なことがありますので目を離さないようにしています」


 なんとなく、わかる気がする。雪玲はおやつを餌にすれば、簡単に釣れてしまう。


「天佑さま、私からもよろしいでしょうか」

「一角か。話せ」


 隠密の長である一角が五虹の隣で跪く。


「徳妃さまの宮へ人の出入りが激しくなっています。礼部尚書も尋ねたとか。何か動きがあるかもしれません」

「ちっ……徳妃からは玫瑰まいかい宮へ来るよう、矢のような催促がきてる」

「天佑さま、ですが、そろそろ貴妃さまと徳妃さまの所へは行くべきかと。皇子さま達が皇帝から蔑ろにされていると言われかねません」


 確かに。天誠はそれぞれの皇子を可愛がっていた。今のままでは冷遇されているように見られてしまう。それに、お渡りのない二妃たちも、後宮で立場がなくなってしまうことは天佑もわかっていた。


「……はあ。これも天誠のためだな。貴妃を先に、二人の宮を訪問する。太監、日取りを決めておいてくれ」

「承知いたしました」


(郭貴妃はいいとして、問題は胡徳妃だな。あいつと顔を合わせなければならないなんて最悪だ……。雪玲との街歩きを楽しみに、さっさと済ませよう)


 ◇ ◇ ◇


「ねえ、聞いた? この間、貴妃の所に陛下のお渡りがあったらしいわよ」

「まあ。数か月ぶりじゃない? じゃあ寵を失ったのではなく、ただお忙しかっただけなのね」


 陛下のお渡りは日中の多くの人目がある時にわかりやすく行われ、百合宮では幼い皇子の楽しそうな笑い声が漏れ聞こえていたという。親子団らんのひと時を過ごしたのだろうと瞬く間に噂が広がり、早朝まで帰らなかったことで夜も仲睦まじく過ごしたことを思わせた。


 そして今日、銀の陛下は徳妃の元を訪れていた。


「ちちうえ~!」

「おっと、二皇子、歩けるようになったのだな。すごいぞ」


 昼は庭園でお茶を飲みながら甥である皇子と楽しく遊び、久しぶりに会う皇子の成長に目を細める。


(天誠。兄上の息子はみるみる大きくなっています。早くお目覚めにならないと成長を見逃してしまいますよ)


 愛らしい二皇子は一歳半を迎えたところ。無垢な皇子は天佑にとっても可愛い存在であるのだが、毒蛾のような徳妃が横にいる状態では気が抜けない。


「徳妃、朕はそろそろ」「陛下」


 席を立とうとする天佑の腕を金の指甲套しこうとうをつけた白く細い手が押しとどめる。


「陛下、いつものように桜綾ようりんとお呼びくださいませ。……百合宮貴妃の元で一晩を過ごされたとか。それなら玫瑰宮にもお泊りいただかなくては」


(……貴妃と徳妃の間に波風を立てないためにも仕方がないか)


 天佑は玫瑰宮にも泊まっていくことにした。



 食事を共に取り、最高級の酒を振る舞われ、夜も更けた頃。


 人払いをした寝室には天佑と徳妃だけになった。周囲に徳妃の配下の気配がいないことを確認し、天佑は席を立って扉へ向かう。背を向けたまま徳妃に告げた。


「徳妃。俺は部下が待機している部屋で寝る。これでおまえの体面も守れただろう」

「天佑……」


 パサリと言う衣の音がし、嫌な予感がする。そして、大抵の場合、嫌な予感というものは当たる。


 背中に柔らかいふくらみが押し付けられたと思ったら、腰に細く白い腕が回された。徳妃があられもない姿で自分に抱き着いていることは想像に難くない。


「……おい、いい加減にしろよ? おまえは兄の妃だ。天地がひっくり返ってもおまえを抱くことはない」

「天佑! あなた、私のこと綺麗だって言ったじゃない! 私、本当はあなたのことが……」


 渋々振り返った天佑は、徳妃が深紅の心衣下着を身に着けていたことに内心ほっとした。


 豊満な胸と尻に細い腰。美姫と呼ぶにふさわしい徳妃は後宮に三千人の妃がいたとしても一、二の寵を競う美しさだろう。だが、天佑にとっては価値がない。


「天佑、お願い……抱いてちょうだい。経験がなくても大丈夫よ、私に任せて。天国を見させてあげるわ」


 身体を押し付けてくる徳妃に、天佑は辟易する。


「おまえを綺麗だと言ったのは俺が五歳、おまえが十歳の頃だ。一体、いつまで持ち出すんだ?」

「天佑……」


 心衣を自らほどこうとする徳妃にぎょっとする。


「やめろと言っているんだ!」


 霊力を載せた天佑の声に、徳妃は立っていられなくなりその場に膝をつく。


「っ……!」

「徳妃。おまえは天誠の容態を一度たりとも聞いたことがないな? 薄情な女め!」


 美しい顔を歪め、徳妃が悔しそうに天佑を見上げる。


「……天佑、あなたはきっと後悔するわ。私の前に跪いて許しを請うはず……その時になっても今日みたいな態度がとれるかしら?」


 天佑は大概にしろ、と捨て台詞を吐くと徳妃の部屋を後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る