第11話 仮面皇帝からの依頼

 静まり返る執務の間。その場にいる全員が息を詰めていた。


 天佑は雪玲と再会できた喜びが半分、妃なのに後宮を抜け出した無鉄砲さへの腹立ちが半分を締めていた。見つかれば殺されていたかもしれないのだ。


 挨拶をしたきり皇帝から何も言われない雪玲は、床の継ぎ目を見つめながら困惑していた。勝手に動くと目を繰り抜かれ手やら何やらを切られるというのだから、うかつに話すことさえできない。


 雪玲をじっと見ながら固まっている天佑を見かね、太監が咳ばらいをした。


 はっとして意識を戻した天佑が雪玲に問いかける。


「ごほん。潘才人。見事な返信であった。聞きたいことがあって呼んだのだ。そなた、古語を読めるのか?」


 雪玲は床の継ぎ目から目を離し、ちらっと太監を見る。頷いたのを確認して答えた。


「お答えします、陛下。私は古語を読めます」

「……そうか、実は折り入って頼みがある。こちらに古書があるのだが、どうやら知りたいことが載っているようで解読して欲しいのだ。単語を拾い上げて作業していたのだが理解できない単語が多い。文脈が掴めずなかなか進んでおらぬのだ」


 雪玲は未だに床を見つめたまま。ちらっと横目で太監を見る。頷いたのを確認して答えた。


「お答えします、陛下。はい、私でよろしければ」

「……なぜお前はいちいち太監を見るのだ。こちらを見て直接話せ。太監の許可はいらぬ」


(これって引っかけ問題? 本当に見てもいいのかな?)


「……」


 困って太監を見ると頷いている。言うとおりにして良いようだ。


 雪玲がゆっくり目線を上げると、艶やかな黒髪に暗碧あんぺきの衣を纏った皇帝が不機嫌そうな空気を醸し出していた。ひときわ目立つ銀の仮面に釘付けになる。


(文人というより武人って感じの皇帝なのね。戦になれば自ら先頭に立っていそう。側近も武将みたいに大きいな……あれ? 髪型も服装もなんだかきっちりしているけど、もしかして影狼?)


 ぱちっと目があった雪玲と影狼。雪玲が口を開きかけた瞬間、影狼が鬼の形相で睨んできた。


(あ、仕事中だから話しかけるなってことか。ごめん、ごめん)


 雪玲と影狼が目線でやりとりをしているのが気に入らない天佑が割り込む。


「んんっ! さっそくだが、この古書と訳しかけのこちらの紙を見てほしい。……近くに来い」

「はい、陛下」


 手招きされるがまま、しずしずと机の前まで進み、机を挟んで向かいに座る。机の上には大量の古書が山積みにされ、その横に数枚の紙が重ねてあった。


 銀の仮面をつけた皇帝が顎で古書を指し示す。読んでみろということのようだ。


 雪玲は一番上にあった古書を手に取り、ぱらぱらとページをめくってみた。


(どれどれ……これは調理法が書いてあるわね。こっちは……健康法について。これは大陸を旅した時の思い出話か……)


 訳しかけという紙を手に取ると、植物や動物の名が脈絡なく書かれている。


「あの、陛下。質問してもよろしいでしょうか」

「ああ」


 雪玲は皇帝が言っていた『知りたいことが載っているようだ』という言葉が気になっていた。


「どのようなことをお知りになりたいのでしょうか? 旅行記から日常生活に役立つ知識までこちらのある古書には様々な記述がございます」

「そうなのか? てっきりここにある古書は全て医術に関連があるものかと。ならば……ふむ、まずは口外しないと誓えるか?」

「はい、陛下」


 まっすぐ目を合わせてくる雪玲に、天佑は意志の強さを感じ取る。


「では、信じよう。……潘才人には毒と解毒に関する記述を探してほしいのだ」

「毒と解毒、ですか……」


(古書の記述を探しているということは、一般的に知られていない珍しい毒を探したいのかな? 誰かを脅したり悪いことに使うのなら、古語の解読をしたくないんだけど……)


 雪玲の目が泳いでいることも天佑は見逃さない。


「ふっ、潘才人。古代の毒の知識を悪用しようと思っているわけではないから安心しなさい。……実は、未知の毒に侵された者がいる」

「へ、陛下!」


 太傅が驚いて声を上げるが、天佑は片手で制した。


「太傅、構わない。潘才人には状況を知った上で協力してもらった方がいいだろう。そういう事情があって、潘才人には古書を読み解いて欲しいのだ」


(誰かを助けたいってことなのか。それなら)


「はい、陛下。喜んで協力いたします」



 重要な古書は持ち出しができないため、雪玲は皇帝の私室である御書房へ日参することが決まった。


 毎日、江宦官が迎えに来て太監へ引き継がれ、北極殿の御書房へと案内される繰り返し。日によって銀の皇帝がいたりいなかったりだったが、常に誰かしらの気配がした。



 通い出して数日後。その日の執務の間には銀の皇帝と影狼がいた。


 新しく設置された雪玲専用の文机には古書が山盛りに積まれ、紙の束が置かれている。

 雪玲は執務の間の隅で黙々と古書を読んでは毒の記述がないかを探していた。


「……人、……才人、……潘才人っ!」


 ふと顔を上げた雪玲の前に、影狼がいる。


「潘才人。陛下が休憩をそろそろ入れてはとのことです。茶菓子を用意させましたので、こちらへ」


 そう言われてみれば、甘い香りが漂っている。


「はい、


 ぎゅっとした顔をする影狼が面白くて雪玲はついニマニマしてしまう。


 銀の皇帝の手前、影狼と知り合いであることがバレるのはまずいと思い、しおらしくしている雪玲。とっくにバレているとも知らず、しずしずと案内された椅子に座り、茶と菓子が運ばれてくるのを待つ。


 宦官が運んできたのは、色とりどりの果実や種が入った糕点だった。


(あ! 今日のおやつは竜眼肉と果実が入ってる! 作ってくれたんだ!)


 ぱっと顔を上げ銀の皇帝を見上げると笑っているような気がする。仮面で表情はよくわからないが、食べろと手で促している。


「いただきます!」


 うれしそうに糕点を食べる雪玲は、この頃になると銀の皇帝とも普通に会話ができていた。


「潘才人、進捗状況はどうだ?」

「はい、陛下。三分の一ほど読み終えましたが、毒の記載はまだ見当たりません。訳しかけのものの続きを解読しましたが、毒ではなく食中毒の記述でした。治療法は上から下から出すのみだと」

「んんっ!」


 影狼が盛大に咳払いをする。


「影狼さま、喉の調子が悪いのですか?」

「違っ……違います。お気になさらず」


 首を傾げながら振り向く雪玲に、銀の皇帝が言った。


「そうか……。残り三分の二に記述があれば良いのだが。苦労をかけるがよろしく頼む」

「はい、陛下。お任せください」



 ◇ ◇ ◇



 ――雪玲が退出して半刻後。


「太監、潘才人は無事に戻ったか?」

「はい、陛下」


 当初よそよそしかった雪玲も今ではすっかり普通に会話ができるようになったのだが。


 天佑は雪玲が自分が『ユウ』であると気が付かないことに苛立つ半面、銀の皇帝の前では見せない一面をユウは知っているのだという優越感もあった。影狼も知っているのだが。


 それにしても、後宮を抜け出したことがどれだけ危険なことなのか。


 理解できていない雪玲を叱りたい気持ちもあるが……。好奇心旺盛な雪玲を後宮に閉じ込めていること自体が間違いなのかもしれない。


 そんなことを考えていた天佑は、太監の言葉で現実に引き戻される。


「陛下、ご報告がございます。江宦官、こちらへ」


「参見陛下。実は、潘才人が北極殿に出入りしていることが後宮の妃嬪たちに漏れました。不在の多さからいずれ紫花宮から明るみになるのではと危惧しておりましたが、少々厄介なことに」

「どういうことだ?」


 天佑は眉を顰め続きを促す。


「噂の出所が下級妃ではなく、どうやら上級妃のようなのです。おそらく北極殿を見張らせていたのでしょう。頻繁に運ばれる茶菓子から察したようでございます」


 北極殿の中でも一定の場所からはごく一部の者しか入室を許可していなかったが、雪玲のためにと思った気配りが裏目に出た形だ。


 確かに、茶菓子を食べるような人物は周りにいない。日々目新しい菓子を作らせていれば疑われるのは当然のことだった。


「……盲点だったな」

「つまるところ、今後潘才人は嫌がらせの的になるかと」


 ……古語の解読は終わっていない。それに、あの雪玲が虐められるだと? 純真さが影を潜め、泣き暮らす顔は想像できないし、したくない。


 ……黙ってみているわけにはいかない。


 天佑はしばらく考えると、隠密である一角いっかくを呼び寄せ、耳打ちをした。一角は顔色を変えずに答える。


「睡蓮宮が条件に合います」


 その言葉を聞き、執務の間にいた者たちはおおよその考えを察した。


「古語の解読が終わるまで潘才人を守らなければならない。それに、巻き込んだのはこちらなのだ。身の安全を補償するべきだろう。

 ……よって、潘才人を正五品から正二品、充儀じゅうぎへと昇格させ、居を紫花宮から睡蓮宮へ移すものとする」


「「「承知いたしました」」」


「一角。隠密から腕の立つ女人を潘充儀の侍女として付けよ。それから、裳州にいる潘家のこともつぶさに調べてくれ。家門の弱みを握られ、その方面から充儀が攻撃されることもあるやもしれん。芽は摘んでおきたい」


 雪玲に対する天佑の思い入れに太傅と太監は色めき立つ。充儀に昇格と言えど九嬪の中では下から三番目の中級妃。下賜されるにしても二十七世婦の才人より肩書もほどよい。


 いい塩梅だと、天佑を子供の頃から知る太傅と太監は好々爺の顔を覗かせた。


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