第2話 麗容の街での出会い

 天龍の加護を持つ青龍国ではこの度第三皇子が即位したばかり。齢二十五を迎えたばかりの新皇帝は幼い頃から神童と呼ばれ、その大器と人徳で多くの者に慕われているとの噂もあれば、鬼神の生まれ変わりと見まごうほど血を好み、その残忍たるは人の所業ではないという噂もある。


 が、どちらにしても、その容姿は定かではない。


 ひとつ確かなことと言えば、彼が陰謀渦巻く皇宮で生き残り、八人に及ぶ皇子の中から皇帝の座を掴んだということだ。


 何代にも渡って小競り合いを続けてきた黒蛇国との関係も、和平を結んで早半年。新皇帝の手腕もさることながら、同腹である第五皇子による獅子奮迅の活躍があったことも有名で、青龍国の民は優秀な皇族の元で暮らしていることを我がことのように喜んだ。


 そんなこともあり、青龍国では新皇帝の即位を祝い、あちらこちらでお祭り騒ぎが発生しているところである。



 花樹の枝がようやく芽吹き始めた都の麗容れいようでは、南北に貫く大通りに多くの商人が店を構え賑わう。都には多くの物売りが溢れ、即位に便乗した商いが横行していた。


「さあさ、そこのお前さん! 新皇帝にあやかって装身具を新調したらどうだい?」

「今あるだけで終わりだよお! 新皇帝へも献上されたことがきっとある! 桃や李、杏が揃っているよお!」

「そこの可愛いお嬢さん、良い縁が結ばれる札はどうだい?」



 市が立ち並ぶ活気ある大通りを、雪玲は物珍しそうにキョロキョロしながら歩いていく。


 面紗で口元は見えずとも、栗色の大きな瞳を瞬かせる様子は好奇心そのもの。どこぞのお嬢様のお忍びのようにも見える。


 白藍しらあい色の襦裙の上に陽の光で煌めく披帛ひはくを羽織り、すれ違う女人たちの羨望を集めていた。うすものの披帛は夜空のような紺碧で、まるで星を散りばめたような美しさだ。


ヒソヒソとした声があちらこちらから聞かれる。


「まあ、あの披帛はまるで織姫が紡いだような美しさね」

「真珠を砕いて糸に織り込んだのかしら」


 色気より食い気、雪玲は香ばしいタレの匂いに誘われ、串焼きに目を輝かせる。


「わあ、おじさん、いい香りね~」

「だろう? 可愛らしいお嬢さん、ちぃっと焼き過ぎたのがあるんだが食べるかい? おいしそうに食べ歩いて宣伝してくれるならタダでいいよ!」

「やったぁ! まかせて!」


 タレがついちゃうかな?と言うと、雀の串焼きを食べるために雪玲は面紗を外した。


 身に着ける披帛の煌めきに注目が集まっていたが、その顔立ちに周囲は息を詰める。


 目撃した者は呆けてしまい、人とぶつかる男、鼻の下を伸ばす男が後をたたない。妻や愛妾が窘める姿があちこちで見られ、皆正気に戻る。


 不特定多数に向けて呼び込みをしていたつもりの札売りも、雪玲の美貌に驚き、しばらく時間が止まっていた。



「た、たまげたなぁ、こりゃあ、……えれぇ別嬪さんじゃねえか。お嬢さんは新皇帝の妃候補なんだろう? こんだけ上品で綺麗なんだ、そうに違いねえ。良縁に恵まれるこの札があれば新皇帝の寵姫になること間違いなしだよ! 札を買わないかい?」


 串焼きをもぐもぐと食べながら、雪玲が聞き返す。


「ひょうひ(寵姫)?」


「ああ、そうとも! あんたなら別嬪だからきっと寵愛されるさ! この札があればだけどな! これは俺の田舎にある縁結びの神様を祀った寺で、それはそれは有難~いお経をあげてもらったものなんだぜ? さあさ、買った買った!」


 雪玲はそれを聞くと急いでごくんと嚥下し、驚きを隠せない表情で札売りに尋ねた。


「縁結びのお仕事をされているってことは、あなた月下老人のお弟子さんってことなのね? ……まったく、人出不足だなんて言いながら、ちゃんと弟子がいるんじゃない。あのおじいさんったら、やれ目がかすんで名簿が見えないだの、赤縄結びの端と端が遠くてつらいだの、手伝え手伝えってしつこく言う癖に」


 雪玲は美しい顔の眉間を寄せ、何やら独り言ちたが、札売りはさっそくご利益がありそうな口上を述べながら売り込みを始める。


「そうそう、俺はその老人の弟子だからこの札は効果があるよ! そこのお姉さん! ご利益がある良縁の札、どうだい? 月下老人のお墨付きだよ! さあさあ、買った買った!」


(やっぱり! この男は弟子なのね)


 悪びれず嘘ぶく男に雪玲は本物なのだと感心した。月下老人は恋愛と縁結びの神様だ。



「月下老人の酒代になってしまうんだろうけど、まあいいわ。姐さんたちのお土産にするから一番高い札をちょうだい。さっきの串はタダでもらっちゃったから、うーん、札っていくらだろう? 多分、このくらい……」


 自信なさげに袋から銀貨を覗かせる。


 目を細めて様子を伺う雪玲と見つめ合う、訝し気な札売りの男。


 ちらと、銭袋へ目線を落とした男は、雪玲が指でつまむ貨幣が銀貨であることを確認すると目を輝かせ、勢いよくコクコクと顔を縦に振った。その様子を見て、ホッとした顔で雪玲は銀貨を取り出す。


「ふう、合ってた。じゃあこれで」


 男は雪玲に札を手渡し、素早く金を受け取った。


「毎度あり~!!」


 雪玲がうれしそうに去っていくのを見送ると、両隣の商人が札売りの男にすり寄る。


「……なあ、あのお嬢さん、銭を使ったことないんじゃないか?」

「まったくだよ。銀貨一枚で札百枚は買えたのに」



 雪玲が買ったのは何のご利益もないはずの良縁祈願の札。


 ぼったくられていたはずのこのお札、どうやら本物だったようで合縁奇縁が発生するのである。


 ◇ ◇ ◇


「さあさ、今日は新皇帝の即位を祝って大変価値のあるお宝を揃えてきたよ! 麗容で買えるのは今日が最後だよ!」

「あら! なんだか楽しそう」


 雪玲が次に目を留めたのは胡散臭い壺や小物を売る我楽多屋だ。遠目から見ると不用品を並べているようにも見えるが、廃品を拾い集めては磨いて売っているのかもしれない。


 商品が並ぶむしろの前にしゃがみ、雪玲はじっくりと品定めをする。


 木彫りの観音立像から耳付の籠花入れ、繊細な模様が入ったしゃくの茶壷など、統一感のない品物が並ぶ。が、贋作もしくはさほど価値がないものが多い。雪玲は近くにある書物を手に取り、中をパラパラとめくってみた。


(へえ、書物が売っているなんて、青龍国は字が読める人が多いのかしら。どれどれ……あらま。これは誰かの日記じゃない。読むのは悪いわ)


 首を小さく左右に振り、別の書物を開く。


(ふむふむふむ……。ん? これ、青龍国の地形が書かれているのね。へえ、面白そう! どれどれ……都市の名前に山の高さと距離、河川の正確な位置に深さ、兵の配置箇所とその数、各軍の指揮官の名前、指揮系統……んんん?)


 書物をぺらぺらと一通り見た雪玲は小父さんに尋ねる。


「これも売り物?」


 狸のような顔をした男は人の良さそうな顔で力強く頷く。


「お嬢さん、お目が高い! その書物は俺が顔を洗っていたら、川の上流からぷかぷか流れてきたんだ。蓮の葉に包まれてたから中は食べ物だと思ったのによ、なにやら有難てぇ書物じゃないか。きっとどこかの偉いお坊さんが書いたんだ。なぁに、字が読めなくても側に置いておくだけでご利益があるさ。どうだい、買わないかい?」


(これ、天龍へのお土産にしてあげよう! 青龍国がどうなっているか、私が説明するよりわかりやすそうだもの)


「買うわ!」

「待て」


「ん?」


 ふと横を見ると雪玲の隣に大柄な男が同じようにしゃがみ、雪玲が持つ書物をじっと見ている。


 濡羽色の艶やかな髪をたぶさで括り、瞳は紫がかった紺青色にも見えるし、淡い青色にも見える。まるで菫青石きんせいせきのようだ。上等な白の衣は裙が黒で、銀の刺繍が入った白の紗を羽織っている。涼やかな美丈夫は天女と見間違う者もいるかもしれない。


 ふと、雪玲は何かが引っかかった。


「あら? あなたと私、どこかで会ったことがあったかしら?」


 首を傾げる雪玲に、美丈夫の後ろから殺気と怒気が飛んでくる。


「無礼者っ! お主のような下々の者とうちの若様に面識などあるはずなかろう!」

影狼かげろう、やめろ」


 若様と呼ばれた男がよく通る低い声で制すと、影狼がぐっと唇を噛み締めた。


(ん? 声に霊力が乗ってた? 気のせいかしら……そして私は下々ではなくて上々のものなんだけど。まあ、いいや)


「確かに私は今日この都に来たばかりだし、面識があるはずなかったわ。影狼のいうとおりだからあなたも許してやって?」


 雪玲の言葉を聞いた男は一瞬目を見開き、堪えきれないというように肩を震わせた。


「んん? 私、何かおかしいこと言った?」

「ふっ、肝の座ったお嬢さんだ。影狼が怖くないのか?」


 そう言われて影狼という男をもう一度しっかり見ると、暗い藍色の髪と黒瞳、左目の下から口にかけては大きな傷があり、左の口元が引きつっている。なるほど、服を着ていてもわかるほど身体は鍛えられている上、三白眼にこの傷だ。若い女性には少しばかり威圧感があるかもしれない。


「怖くないわ。私は勇ましくていいと思う。影狼、もしかしてその傷のせいで怖がられてしまうの? だったら笑った方がいいわ。そうしたら優しく見えるもの」

「ぶはっ」


 とうとう麗しい美丈夫が笑い出した。雪玲が首を傾げていると、たまらないとでもいうように声を上げて笑っている。


(この人、笑うと随分幼く見えるのね)


 そんなことを考えていた雪玲に、濡羽色の美丈夫が言う。


「影狼、影狼って。君はまるで自分の部下のようにあいつを呼ぶんだな。普通のお嬢さんはそんな風には呼ばない。恐ろしくて固まるか、悲鳴を上げて失神するのが関の山だ」

「ああ、私が失礼だってことなのね。……影狼、馴れ馴れしく名前を呼んでごめんなさい」

「ははっ! 全然悪いと思ってないじゃないか」


 楽しそうに笑う美丈夫に苦虫を噛み潰したような顔の影狼、きちんと謝ったのになぜ笑われているのかよくわからない雪玲が首を傾げる。


 成り行きを見守っていた店主が痺れを切らして口を挟んだ。


「……で、お客さんたち、それ、買うのかい? 買わないのかい?」


「買うわ」「買う」


 ん?と思って雪玲が横を向くと、美丈夫が真剣な顔をしていた。


「お嬢さん、俺にはその書物が必要なんだ。金子はいくらでも払う。譲ってくれないか?」


 雪玲はじっと男の瞳を見つめる。嘘は言っていないような気がするし、……そもそも天龍へのお土産にしたかっただけだ。青龍国の話は自分の見聞を語れば良いだけの話。


 そう考えたら、雪玲は必要だというこの男に譲ってあげた方がいい気がした。


「いいわよ」

「助かる! 恩に着るよ」


 影狼が代金を払うと美丈夫は雪玲から本を受け取り、中身をパラパラとめくった。


 徐々に蟀谷こめかみの血管がくっきりと浮き上がっていくのを見るに、この男の逆鱗に触れる何かが載っているらしい。


 そのうち、男は書物を懐にしまうと雪玲に顔を向けた。


「約束通り、いくらでも払おう」

「いらないわ。買う前だったし、そこまで欲しいってわけでもなかったから」

「いや、俺は一度口に出したことを曲げない主義なんだ。そうだな……」


 腕を組み、男は片手で顎をさすりながら雪玲を見下ろした。


「……この書物はずっと探していた大切な物で、君は俺の恩人なのだから」


 そういうと、美丈夫は革帯から下げた腰佩を取り外し、雪玲に手渡した。影狼が若様!と驚愕した顔で叫んでいる。


「まあ。岫岩玉しゅうがんぎょくの腰佩ね」


「ああ。岫玉しゅうぎょくとも呼ばれる。よく知っていたな? 五大玉のひとつで翡翠に似た軟石だ。おまえの頼みごとをいつかひとつだけ聞いてやると約束しよう。これはそのための札がわりだ。だが、また会えるとも限らない。売ればそれなりの値段になるだろうから、金に困った時は売ればいい」


(あら。今日はなんだか札と縁があるみたい。それにしても相手のことをよく考えたいい申し出だわ。この人、好感が持てるわね)


 雪玲はにっこり笑って受け取った。




 その後、大通りを反対方向へと分かれると、雪玲は一度振り返って大きく手を振り、楽しそうに人混みに消えていった。


「ふっ、可愛らしいお嬢さんだったな」

「主上、あの娘をお手元に置かれますか?」


 美丈夫は懐の書物に手をあてながら、側近へ殺気を向ける。


「影狼、戯れはやめろ。天誠が戻るまでそんな暇はない。それに、ようやく黒蛇どもの極秘調査書を奪還できたんだ。やる事は腐るほどある」


 合縁奇縁、この美丈夫が天龍の子孫、龍天佑りゅうてんゆうであることを雪玲が知るのは、もう少し先の話である。

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