第18話 天衣を取り戻す

「参見陛下。ご心配をおかけいたしました。今日からまたよろしくお願いいたします」

「潘充儀、身体はもう大丈夫なのか? くれぐれも無理はしないように」


 一か月不在だったことを感じさせないほど、皆の態度は変わらない。


 銀の皇帝こと天佑や影狼たちが忙しそうにしているのを視界に入れながら、雪玲は以前のように執務室の隅で古書の山を広げた。毎日小狐の目線から眺めていたけど、人の姿から見るのは久しぶりだ。


(さて……騶虞すうぐに霊薬をもらって手元にあるけど、どうしたらいいかな……。それっぽい薬を集めてもらって、神医を探してもらえばいいか。古書には何も書いてないし、適当に話を作っちゃおう。薬は何にしようかな……)


 何気なく部屋の中を見渡すと、太傅が難しそうな顔で何かを読んでいる姿が目に入る。


(……そうだ。滋養強壮の薬だったら集めても役に立つからいいよね。お年寄りの太傅や太監が飲めばいいし。うーん、天界で神仙たちは何を好んでたかなぁ……)


 医術の知識がある父へ生薬を強請っていた神仙たちの言葉を思い出す。何となく、身体に良さそうな物を思い浮かべては紙に書きつけていく。


『鹿茸、五八霜、益智、海馬、菟絲子、巴戟天、黄耆、玄参』


(とりあえず、このくらい集めてもらえばなんとなく薬っぽいかな。よしよし)


「陛下! 万能薬の記載が見つかりました!」

「何? 詳しく話してくれ」


 仮面越しでもわかる喜色と興奮に雪玲も心がぽかぽかする。もう少しで皇帝の目が覚めるはず。


「はい、でもその前に……これは門外不出と書かれています。これが万能薬だと知られると……」


 雪玲は目を細め、銀の皇帝をじっと見つめる。しばらくして銀の皇帝が答えた。


「なるほど、承知した。この薬は目的のこと以外には使わず、記録は抹消すると誓おう」


(ほっ。よかった。私が適当に並べた薬じゃ治らないもの)


「では、生薬が書かれていたのでまずはこちらを集めてください。薬を飲ませた後、霊力を持つ神医が三日間金針を打てば良いそうです」

「……とうとう、とうとう解明した……! 太監! 急ぎ薬房から責任者を呼び寄せよ。それから、霊力を持つ神医か。聞いたことがないがこちらも全力で探させよう。影狼、一角たちと相談して捜索してくれ」

「「承知いたしました」」


 しばらくして、太監に連れられ薬房の責任者がやってきた。銀の皇帝こと天佑が紙に書かれた生薬を集めるよう、指示を出す。


「この生薬を集めろと……」

「ああ。薬房にあるだろうか?」

「少し珍しいものもありますが、手に入らなくはないかと……」


 入手困難な秘薬でもあるのではと思っていた天佑はほっとした。


「そうか。それならば取り揃えてもらえるか? 急いではいないがゆっくりでもいけない。よろしく頼む」

「承知いたしました」


 部屋を辞し、薬房へと戻った責任者は、書きつけられた生薬を見て唸った。


「陛下のお話は何だったのですか?」

「……生薬を集めて欲しいとのお話だった」

「そうでしたか、何事かと思いましたね。良かったです。手伝いますよ?」

「いや、大丈夫だ。私がやるから仕事へ戻りなさい」


 周囲に誰もいなくなったことを確認し、薬棚から今ある物を一つずつ確認する。


 陛下に渡された紙に書かれた生薬は精力増強の薬ばかり。それも強力なものばかりだ。よほど夜の消耗が激しく、妃嬪たちと頑張っているのだろうと責任者はほくほく顔になる。来年にはたくさんの皇子皇女が誕生するかもしれない。


「……青龍国の未来は明るいな」


 雪玲が滋養強壮と思っていた強力な精力増強薬の数々は、盛大な勘違いを引き起こしていた。



 一方、執務の間では天佑が複雑な気持ちを抱えていた。


 やっと天誠が目覚めるきっかけを掴めたのだ。天佑はうれしくて叫び出したい気持ちだったが、それは雪玲との時間がこれで終わりを迎えるということでもあり、寂しくもあった。


「あー……、潘充儀、本当にご苦労だった。褒美を何か与えよう。欲しいものがあれば何でも言ってほしい。それから……せっかくだから古書は最後まで解読してもらってもいいだろうか」

「はい、やらせていただきます。多分、あと五日もあれば終わるかと」

「……早いな」

「え?」

「いや、何でもない」


 どうしたものか。休憩を増やして少しでも時間を引き延ばそうかと考えたが、雪玲なら遅れた分を取り戻してしまうだろう。


 このひと時が終わることは諦めるしかなさそうだ。


 気持ちを切り替えようと、ふと手元にある紙を見つめて固まる。



「……潘充儀、来週祭祀の後に饗宴が開かれるのだが……体調が悪ければ欠席しても構わないぞ」

「饗宴ですか? それは、琴や舞を見ながらご馳走を食べる宴のことでしょうか」

「うん、まあ、目的はそれじゃないが、そうとも言える」


『ご馳走』に惹かれてしまったか、と部屋にいる者たちが雪玲へ生温い視線を送る。


「それは妃嬪が全員出席されるのですか?」


 天佑は雪玲が虐められるのを怖がっているのではないかと捉えた。


「……ああ、冷宮にいる者以外、多分誰も欠席はしないだろう。でも、病み上がりなのだし、来なくても構わないぞ?」

「? 陛下は私に来てほしくないのですか?」


 天佑は配慮したつもりだったのだが。来てほしいかと言われれば、視界に入っていてほしい。


「いや、そんなことはない! ただ……」


 言いかけて天佑は思い直す。自分が守ると決めたばかりではないか。


「うん、その、なんだ。体調が悪くなければ出席してほしい」

「はい! 万全の体調で出席したいと思います」


 雪玲が喜びそうな食事が並ぶか御膳房にも確認をしなくてはと天佑が考えている頃、雪玲は後宮がもぬけの殻になる状況に機をとらえていた。


(天衣を取り戻す機会が巡ってきた……!)



◇ ◇ ◇



 ――蝴蝶宮が無人になった時に忍び込めばいい


 そんな風に単純に考えていた雪玲だったが、巫水が待ったをかける。


「潘充儀。蝴蝶宮は四妃に劣らぬほど使用人がいる宮です。饗宴に連れて行ける侍女は数名のみ。恐らく他の侍女や下女は蝴蝶宮に残ったままです。つまり、無人にはなりません」

「へ? そんなにいっぱい人がいるの?」


 雪玲がこう思うのも無理はない。睡蓮宮の侍女は巫水と五虹のみで、後は洗濯や掃除の手伝いとして宮廷に属する下女が日中に来るだけ。


「……私が蝴蝶宮の者たちをうまく外へ誘導してみます。全員は難しいかもしれませんが、隙はできるはずです。潘充儀は機を見てうまく忍び込んでください」

「ありがとう、巫水……」


 眉を下げる雪玲に巫水が微笑む。


「何をおっしゃいますか。潘家撲滅の危機を救ってくださった、言わば私たちの救世主。潘充儀が取り返したいと言っていた物のお手伝いをするのは当然のことです」


 雪玲は以前から聞いてみたかったことを尋ねてみた。


「ねえ、巫水は潘家とどういう関係なの?」


 ただの侍女にしては潘家に対する思い入れが強いように感じるのだ。


「……私は元々潘家の傍流で、本家の三男に嫁ぎ寡婦となったのです。潘家の九族の一員でもあり、朱亞は義妹でして……今回、ちょうどいいお目付け役だったわけです」


 夫を亡くし本家にもいづらいが、実家に帰ることもできず。巫水にとっても潘家にとっても、侍女として後宮に行くのは新たな人生を始めるのにちょうど良かったのだ。


 それなのに、わがままな末娘のせいで大変な事態になるところを、たまたま出会った雪玲に救われたのである。


「そうだったのね……。朱亞がどうなったかはわからないけど、私は巫水がいてくれて本当に良かったよ。いつもありがとう」


「ふふっ。私もですよ。あなたのことは本当の妹のように思っています」


 微笑みあっていた二人だが、やることがある。


「そうしましたら、五虹には宴会会場で見張りをしてもらいましょう。詳しい話をしたら巻き込んでしまいますが、そのくらいなら大丈夫かと」


「うん。じゃあ、計画を立てよう」



 ◇ ◇ ◇



 饗宴当日。


「少し遅れる旨を伝えてきてほしい。先に会場へ向かって卓にいたずらされないか見張ってくれ」


 そう言って五虹を送り出すと、巫水は包みを抱え蝴蝶宮へ向かった。


 少し離れてついていった雪玲は、物陰からその様子を見守る。


 巫水が蝴蝶宮の侍女へ耳打ちをすると、他の侍女や使用人たちも集まってきたようだ。巫水がこちらをチラッとみて呟いた。


 ――いまのうちです


(ありがとう、巫水!)


 周囲に誰もいないことを確認し、塀をよじ登る。入口の方に人が集まって騒がしいが、建物内はしんとしているようだ。


 誰かに見られたらきっと『あられもない姿』というやつになっていると思いつつ、雪玲はなんとか塀を乗り越え、敷地内へと降り立った。


(ふう、かっこよくとはいかなかったけど、よしとしよう)


 靴を脱いで片手に持ち、足音を忍ばせながら室内を素早く移動する。


 衣裳部屋に到着すると、宝玉であしらわれた箱は以前と変わらない場所に置いてあった。


(あった!)


 蓋を開けると、そこには天衣が綺麗に折りたたまれてあった。


(西王母に怒られるところだった……やっと取り戻せた! 雹華、返してもらうわね)


 そのまま天衣を羽織り、さきほどの塀の場所まで行くと軽々と飛び越えて降り立った。だが、天衣は脱ぎ、また折りたたむ。


(こんなところを見られたらまた取られちゃう。しばらくは隠しておこう)


 巫水へ目配せをすると、蝴蝶宮の侍女たちに手を振って別れていた。


 急いで睡蓮宮に戻り、饗宴へ出る支度をする。巫水も到着するや否や、雪玲の崩れた髪を整え始めた。


「巫水、蝴蝶宮の侍女たちはどうやって足止めしてくれたの?」

「ふふっ、賄賂を渡したのです。裳州は成り上がり貴族と揶揄されるだけあって、潤沢な資金がございます。潘充儀はお菓子くらいにしかお金を使いませんが……後宮から金子の支給があるだけではなく、潘家からも毎月かなりの資金援助があるのですよ。崔家にだって負けていません。今回はそれを盛大に使ったというわけです」


 何かを渡しているだろうと思ったが、雪玲はお菓子のお裾分けくらいに考えていた。


「え? そんな大切なお金をこのために使ってくれたの?」

「こういう時に使うべきお金なのですから問題ありません。饗宴には側近を連れて行きますから、蝴蝶宮に残っている侍女たちは忠誠心がそこまで高くないのです。潘充儀から高価なかんざしを数十本下賜されたから、良かったらお近づきの印にお分けする。その代わりに、うちの主の噂をなにか聞いたらこっそり教えてほしいとお伝えしたまで。

 でも、実際は教えてくれなくてもいいんです。ただの目くらましですから」


 にっこり笑って巫水が言う。


「潘家の者は潘充儀に、いえ、雪玲さまに足を向けて眠れません。潘家撲滅を救ってくださった大恩人。その方の願いを叶えるのは道理でございます。お役に立てて何よりでした」


(……ありがとう、巫水)


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