第19話 汚染地帯
数日かけてやってきた汚染地帯。
目の前には視界を遮るほど濃密な瘴気が立ち込め、毒々しい紫の霧が半球状に展開している。
外側から内部の様子は窺えないが、生存本能がこれでもかと警鐘を鳴らす。
迂闊に踏み込むものはいないだろう。
「うーわ。チビ、お願い」
「わ、わかりました」
ユーエスに促され、ラヴィポッドがフレイムゴーレムを呼び覚ます。
顕現した灼熱。
放出された熱でゆらゆらと視界が歪み、フレイムゴーレムを中心に一定範囲の瘴気が掻き消えていく。
「よかった」
そう言って一安心するユーエスの傍ら、ラヴィポッドは肩を落とす。
瘴気を散らせなければ調査も中止になるのでは、と期待していたが思うようにはいかない。
「これなら予定通り調査できそう、だけど……」
ユーエスは露わになった瘴気内部の様相に口を噤む。
そこでは大半の植物が枯れ、色味の少ないモノクロのような世界が広がっていた。
その中にあって鮮血を思わせる真っ赤な花弁が異彩を放つ。
また、赤い蕾をつけた植物の内側には鮫のように尖った牙が生えており、液体を滴らせて怪しく蠢いていた。
液体はどうやら強力な溶解液のようで、落ちたそばからジュウ……と煙が上がる。
食虫植物のようだが虫だけに止まらず動物すらも呑み込んでしまうだろう。
……人族でさえも。
ラヴィポッドはゴクリと唾を呑む。
「や、やっぱりやめたほうが……」
「僕も遠慮したいとこだけどさ、危険だからこそ今のうちに何とかしないとね」
もし瘴気の規模が拡大し続けたら。
ドリサが、延いては人族の活動領域から彩が奪われ、モノクロの世界に変えられてしまう。
被害を抑えるにせよ原因を探るにせよ、規模が小さい間に済ませるのが望ましい。
待機組の騎士と別れ、ユーエスとラヴィポッドは汚染地帯に足を踏み入れた。
「普通の植物は……」
ユーエスが枯れた草を掴むと、砂で出来た細工のようにパラパラと崩れた。
「瘴気内じゃ生きていけない、と」
気になるのは枯れた植物と、蠢く真っ赤な植物との間の差異。
何故赤い植物は瘴気に耐えられるのか。
瘴気への耐性を持っていたのか、瘴気すら養分にしてしまう種なのか。
或いは、そもそも瘴気によって生まれた植物か。
他にも考えられる可能性は多岐にわたり、現状では絞り切れない。
真っ赤な植物を観察していると、蕾に変化が起こった。
はち切れんばかりに蕾が膨らみ、ガタガタと震え出す。
「やば……!」
嫌な予感がしたユーエス。
ラヴィポッドを抱えて逃げようとすると、既に逃げていた。
臆病故の危機察知能力の高さ。
それが今は有難い。
ユーエスも跳び退くと、一泊遅れて蕾から溶解液の砲弾が吐き出される。
二人が先刻までいた場所に着弾し、枯れ草が一瞬にして溶け土地が禿げる。
「ひぃぃ!?」
凶悪すぎる挨拶にラヴィポッドが悲鳴を上げた。
「出でよ! ストーンゴーレム!」
急いで呼び覚ました石の巨人に攀じ登り、肩の上で人心地つく。
その間にユーエスは風魔術で加速。
真っ赤な植物の太い茎を、速度を乗せた一刀のもとに断ち切った。
斬られた側は何が起こったかもわからぬ、鎌鼬の如き疾風の剣筋。
真っ赤な蕾が落ちて萎れていく。
「帰りに一本持ってこうかな」
この場でいくら考えても真っ赤な植物が何なのか、答えは出せない。
学者に解析を任せるべきだろう。
「つ、土も持って帰った方がいいんじゃないですか?」
「あー、この感じ土壌も汚染されてるっぽいね」
植物は大抵土から養分や水を吸い上げるのだから、変質に土が関係している可能性は高い。
土いじりをしていたラヴィポッドはそのあたりに気づくのが早かった。
「意外と積極的じゃん」
「もう一回来たくないですから……」
成果を持ち帰れなければ、再調査ということも有り得る。
それだけは。
それだけは何としても避けたい一心でラヴィポッドは調査に臨んでいた。
「同感。こんな息が詰まりそうな場所は初めてかも。さっさと終わらせよっか」
「は、はい」
どんどん瘴気の中心に進む二人。
途中何度か植物の奇襲を受けた。
溶解液の砲弾を撃ってきたり、蕾を広げて直接食らいついてきたのだ。
それらをフレイムゴーレムが火球で受け止め、ストーンゴーレムが茎を引き千切る。
怯えていたラヴィポッドもゴーレムたちの活躍にはニッコリ。
汚染地帯の禍々しい雰囲気を少しだけ忘れて楽しんでいた。
そこへ、新手が出現する。
目にも止まらぬ速度でラヴィポッドの眼前に肉迫したのは、虫の怪人だった。
その外見は虫をそのまま二足歩行の人型にしたというよりは、虫をモチーフにした全身鎧が動いていると形容した方が近いか。
二つの複眼に、アリのようなアギト。
頭には二本の角が生えている。
鎧のように見えるのは発達した外骨格。
指先は鉤爪のように尖っており、人族の皮膚を裂くことなど容易だろう。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
突如として現れた怪人と目が合い、ゾワッと肌が粟立つ。
ゴーレムに指示を出す間もなく迫った怪人の手が、ラヴィポッドの首に伸ばされた。
しかし更に上回る速さで割って入ったユーエス。
怪人の顔面を掴むと、上方に水を噴出して急転直下。
水流となって地面に激突した。
激しい水飛沫が上がる。
後頭部を打ち付けられた怪人の外骨格が砕け散る。
瘴気のような紫色の体液が地面に広がり、毒々しい池の中心で怪人は沈黙した。
「食人植物がいるんだから獲物もいるとは思ってたけど」
外敵を排除する、または動物から養分を取り込む等何らかの必要性があるからこそ、殺傷能力の高い植物が生まれたのだろう。
捕食対象がいて成立する進化。
その捕食対象が、襲い掛かってきた虫怪人なのかもしれないが。
「硬った……こんな化け物何体もいたら人族なんて滅びるよ……」
ユーエスなら倒せる。
怪人のスピードや硬度を見たところ、ラヴィポッドもビビッていなければ倒せるだろう。
ドリサ騎士の上位層でも辛勝を収められる。
部隊を編制しての多対一なら上位層でなくとも対処できる。
だがそれだけだ。
武を生業にしているものの中でも一部の強者だけが勝てる怪人。
それが何百何千といた場合、民を守り抜くことは難しい。
虫のような外見のためか、いやな想像をしてしまう。
どこかに巣があって怪人がワラワラ湧き出してくるような。
加え、真っ赤な植物の獲物が怪人なのだとしたら、溶解液は怪人の硬質な外骨格すら溶かすということ。
躱せていたから良かったものの、食人植物の脅威度を見直すべきだろう。
「チビ、ビビってないで反撃しないとやばいかも」
「そ、そんなこと言われましても……」
余裕があるならいざ知らず、この先では一瞬の判断遅れが命取りになる。
しかしラヴィポッドも好きで怯えている訳じゃない。
ストーンゴーレムの肩の上から怪人の亡骸を覗き見てブルリと震える。
「む、虫の顔ってデカかったら悪魔みたいなんですね……」
悪鬼の如き凶悪な顔つき。
「ダルムさんとどっこいどっこい……」
ダルムと怪人が並んで手招きしていたら辛うじてダルムを選ぶくらいの差。
「本人には言わないことをオススメするよ」
あんまりな評価にユーエスが苦笑する。
気を取り直して進むと、巨大なシカとクマが争っていた。
「あれってシカとクマだよね?」
「害獣ですね。何回も畑を荒らされたんですから」
ラヴィポッドのシカを見る目は厳しい。
荒れた畑の惨状を思い出しただけで怒りがフツフツと沸いてきた。
「そうなんだ……」
ユーエスは、ストーンゴーレムを斬ったときと同じくらい怒っているラヴィポッドに若干たじろぐ。
「あの動物たち明らかに普通じゃなくない?」
「そうですね」
ラヴィポッドは余程シカが嫌いなのか返事が素っ気ない。
ユーエスが言いたいのは動物たちの外見についてだった。
シカは角が刃物のように変質しており、顔や足、体の所々に鎧がついている。
クマも兜と籠手を着けており、上顎の二本の牙は異常に発達して口に収まりきっていない。
戦闘に特化した変異。
動物たちの体に現れた鎧のようなものには見覚えがあった。
「あの鎧みたいなのってさっきの怪人と似てない?」
「似てますね」
怪人の外骨格と同じ素材感。
瘴気による影響とみて間違いないだろう。
二人が見ていると戦闘は佳境に入った。
シカが頭を振って角を叩きつける。
枝のように分かれた刃物による幾つもの斬撃。
対するクマはシカの刃物のような角を掴んだ。
そんなことをすれば手がズタズタに切れてしまう。
しかしクマの分厚い皮膚のおかげで軽く出血する程度に収まっていた。
そしてクマはそのままシカを持ち上げ、遠心力を乗せて地面に叩きつける。
更に倒れたシカの横っ面に手を振り下ろしてトドメを刺した。
シカの顔についた鎧のような外骨格が砕け散り、頭部が拉げる。
獲物を仕留めたクマは戦果に有り付く間もなくラヴィポッドを睨む。
ギラギラした獰猛な瞳。
格好の獲物を見つけた捕食者の眼光。
射竦められたラヴィポッドは震え上がり、少し後ろに下がって隠れた。
クマがラヴィポッドを逃すまいと四足で駆け、ストーンゴーレムと激突する。
クマの振るった手とストーンゴーレムの拳がぶつかり、拮抗した強大な力が鬩ぎ合う。
ジリジリと火花が散り、やがて蓄積された力が弾けた。
仰け反ったのは、ストーンゴーレム。
「ひぃぃ!?」
押し勝ったクマが追撃を仕掛けようと踏み出す。
その瞬間、クマの銅が横一文字に切れた。
クマを中心にして先刻までとは対角の位置にユーエスが現れる。
吹き荒れるユーエスの速度を殺す風の強さが、彼がどれほどのスピードで移動したのか物語っていた。
「特殊な溶解液を持つ食人植物。スピードと耐久、力も兼ね備えたバランス型の怪人に、ストーンゴーレムを上回るパワーの猛獣。思ってた百倍やばいんだけど、これ何とかなるのかな……」
瘴気の内部は想像を絶する魔境だった。
少なくとも人族が生き残れる環境ではない。
中心はどうなっているのか。
悩むユーエス。
一方ラヴィポッドは恐る恐るクマの死骸に近づき、兜を剥がそうとする。
「ふぬっ……!」
しかし被っているのではなく皮膚と同化している兜はそう簡単には取れない。
「何してんの?」
「ストーンゴーレムに被せたら絶対カッチョイイと思いませんか?」
「それはイカスね」
ユーエスの琴線にも触れたようだが、今は丁寧に剥ぎ取りをしている場合ではない。
「急いでるし、また今度にしよっか」
その言葉にショックを受けたラヴィポッドはストーンゴーレムの肩に乗って進み出すも、何度も何度も名残惜しそうに振り返っていた。
そして瘴気内部の怪物を退けながら進む二人の目に、瘴気の中心に聳えるものが見えてきた。
それは、一本の木だった。
大きめだが巨木と言うほどではない。
しかしどこか貫禄があり神聖さすら感じられる。
御神木として崇められていても可笑しくないような風格が漂っていた。
……瘴気さえ発していなければ。
瘴気を発していることで神聖さが裏返り、世界を汚染する呪いの木としての不吉さを孕んで佇んでいた。
「おお~」
やっと辿り着いた中心。
そこに聳え立つ木を見上げて関心するラヴィポッド。
「なんで、ここに……」
ユーエスは目を見開く。
普段は飄々としている彼のこと、余程驚いているのだろう。
その瞳には淀んだ色が混ざっていた。
恨みか、憎しみか。
ラヴィポッドは見たことのないユーエスの表情に首を傾げるばかりだった。
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