第37話 抗うクジラ

 「こいつは表じゃ製造が禁止された魔道具でな。鉄の鎧くらいならぶち抜けるんだが……」


 トゥルトゥットファミリーのボス──ジカルドの手には、回転式拳銃が握られていた。

 セファリタに向けた銃口から硝煙が立ち昇る。


 回転式拳銃を眺め、まだ息のあるセファリタに視線を移す。


「ウチに喧嘩売ったバカがどんな面してんのかと思えば、良い女じゃねえか。俺の女にしてやろうか?」


 冗談めかすジカルドを、セファリタが鼻で笑う。


「最近キューティクルな少女に夢中なんだ。ジジイはきつい」


「そうか。死ね」


 再度弾丸が射出された。

 セファリタが弾丸を紙一重で避け、ジカルドに戦斧を叩きつける。


 だが、その戦斧がジカルドに届くことはなかった。


「……」


 他のマフィアとは毛色の違う、鎧を纏ったガタイのいい巨躯の男に大盾で防がれたから。


「ウチの用心棒は優秀だろう? ガンターは精鋭揃いの王国騎士団で一軍を任されていた男。そこらの傭兵とは格が違う」


 寡黙な男──ガンターは戦斧を押し返し、長剣を振るった。


 セファリタが後方へ飛び退くも、そこにジカルドの撃った弾丸が迫る。

 避け切れず、咄嗟に左腕で受けた。


「くっ」


 弾丸が体を貫通することは無かったが、鎧が砕けた。

 露になった腕から血が滴る。


 更に怯んだところへマフィアの火魔術と土魔術が襲い掛かった。


 情け容赦のない総攻撃。

 一対一などという行儀の良い戦い方はマフィアには通用しない。


 セファリタは火炎の中でも耐えて見せたが、それは鎧の性能によるところが大きい。

 鎧の一部が砕けた今、生身で受けるわけにいかない。


 腰を落とし、脚の筋肉に溜めていたマナを一部開放。

 身体強化によって爆発的に加速。

 魔術の間隙を縫って一直線にガンターへ接近し、上段の一撃を振るった。


「……!」


 速度と重量の乗った重い一撃が、大盾で防いだガンターを押し込む。

 上段の一撃で視線を上に誘導し、死角になった下方から尻尾を叩きつける。

 剣に反撃をもらわぬよう、大盾を持つ手の外側から脇腹へ。


「……ぐはっ!?」


 ガンターが呻く。


 一方、セファリタの速度を捉えられず、今になってジカルドが回転式拳銃を向けたが……


「──!」


 セファリタが口を大きく開き、声を発した。

 指向性を持った音波がマフィアたちの鼓膜を破る。


「ッ!?」


 出血した耳を押さえるマフィアたち。


 セファリタはその隙をついてガンターに攻め立てる。

 戦斧を大盾で防がせ、視線誘導とガンター自身の大盾によって生まれる死角から尾を叩き込んでいく。


 岩塊さえ砕く尾が、着実にタフな男へダメージを蓄積させていった。

 だがそれでも倒れない。

 並外れた耐久力。

 山を相手にしているようだった。


 次いで幾度目かの攻防で、尾が脇腹を捉える寸前。


 ガンターの脇腹を覆うように岩の鎧が現れた。


「無詠唱か……!」


 ガンターの行使する土魔術の硬度は平凡な魔術師のそれとは比較にならなかった。

 マフィアの土魔術を砕いた尾ですら受け止められる。


 戦斧と尾による連撃が、途切れた。


「……俺のいたところじゃ、無詠唱は前提だった」


 戦斧を押し返しながら放ったガンターの突きが、セファリタの露わになった目を狙う。


 セファリタは押し返された勢いを利用して後ろ回し蹴りを繰り出し、ガンターの腕を逸らした。

 そのまま尾を顔面に叩き込む。


 急所に当たれば致命の一撃。

 ガンターの守りは堅いが、敏捷性ではセファリタに分があった。


 しかし尾がガンターの顔を捉えようとした瞬間。


 セファリタの背に、弾丸が直撃した。


「がはっ」


 鎧が砕け、背から伝わった衝撃が肺の空気を吐き出させた。


 前方に蹌踉けたところをガンターの蹴りが迎え撃ち、足が腹部に突き刺さる。

 衝撃が内蔵まで届き、焼かれるような激しい痛みが走る。

 痛みの熱が内側から込み上げ、口内に鉄の味が広がった。


 更に吹き飛ばされた先に土魔術の岩塊が迫る。

 もろに喰らい、車に轢かれるに等しい衝撃がセファリタを襲う。

 肉体が破壊されるような、一瞬思考力が奪われて痛みすら考えられなくなる程の衝撃。


 自身の数倍以上重量のある岩塊に弾き飛ばされ、何度も地に体を打ち付けて転がる。

 その度にダメージを受けた内臓が悲鳴を上げた。


「……っ」


 勢いが消え立ち上がろうとするも、脳が揺らされて頭がふらつき、限界を迎えた体には力が入らない。




「舐めた真似しやがって……」


 ジカルドが耳を押さえて、倒れるセファリタに怒りを向ける。


「どう殺してやろうか」


 勝敗は決した。

 あとは死に体の女一人、生まれたことを後悔するだけの苦痛を与えて殺すだけ。


 ジカルドがセファリタに近づこうと踏み出した。


 そして、その足を止める。


「おいおい、あれで動けるわけねえだろ……」


 その破壊力故、製造が禁止された魔道具の弾丸を三発。

 更に自身の数倍以上の重量を誇る岩塊をその身に受けて尚。


 視線の先では、セファリタが地を押して立ち上がろうとしていた。


 ◇


 セファリタが膝に手をついて、頽れそうになる体を支える。

 体が上げる悲鳴に耳を塞ぎ、限界を訴える思考に鞭を打つ。


「ここで倒れてしまえば……」


 当初の目的は盗まれた金を取り戻すことだった。

 しかしセファリタが最も嫌忌する、唾棄すべき行いを目の当たりにして考えは変わる。


 実際に目にした被害者は倉庫にいた子どもたちだけ。

 しかし、コーハンが繁栄するその裏で、トゥルトゥットファミリーに奪われてきた命や尊厳は計り知れない。

 人身売買が認められていない以上、その売り先も当然闇。

 子どもを商品として扱っている現状を見た今、噂にある麻薬カルテルや盗賊団との繋がりも現実味を帯びてくる。


 野放しにすれば被害は増え続ける。


 まだ、倒れるわけにはいかない。


「誰の目にも止まらぬ暗いところで、泣いている者たちを……」


 正義さえも目を瞑り、誰も彼らを見ようとしないなら。


「明かるい場所へ連れ出すことさえ、叶わない……!」


 彼ら彼女らの痛みを知る自分が、向き合わなくてどうする。


 地を強く踏みしめ、震えを押し殺す。


 出し惜しみできる局面は越えた。


 ならば。


「……己をべて、抗いの火を熾そう」


 リスクなど考えず、持てる全てを。


 セファリタの鎧が紫の粒子となり、体へ還る。

 そして、残された右腕の鎧が発火した。

 逆襲の紫炎が延焼し、腕から戦斧へ。


 セファリタが燃やしているのは、マナ。

 通常の火魔術のようにマナへ火元素の性質を与えるのではなく、マナそのものを燃やしていた。

 それを可能にするのは、地獄で獲得した抗う力。

 鎧や戦斧を生み出す紫の力だった。


 代償は尋常ならざるマナ消費と、意識が飛び兼ねない程の激痛。


 並みの人間なら一分と持たぬ消費速度だが、セファリタのマナ総量は生来多い。

 更にそのポテンシャルを引き上げているのが種族的な特性だった。


 生物の一般的な構造であるマナ結晶。

 そこから全身を循環するマナとは別に、筋肉中にマナを蓄えることができる。

 セファリタはそれによって循環するマナの持つ恒常性の規定値を超えて、マナを扱うことができた。


 戦斧を薙ぐ。

 紫炎が燃え広がり炎の壁が立ち上がる。

 追撃の弾丸も火魔術も土魔術も、その一切を焼き尽くして阻んだ。


 ガンターがその特異な紫炎を見て訝る。


「無詠唱……否、魔術じゃ、ない……?」


 火と何らかの元素の複合。

 それとも違う、得体の知れない力に冷や汗が流れた。


 そしてそれはジカルドも同様だった。


「何故立ち上がる? トゥルトゥットファミリーが潰れれば『ターコイズの瞳』を巡って争いが起こる。それを理解してんのか?」


 カカラオ湖の守護獣を制御する力。

 利権が転がり落ちれば、当然それを我が物にせんと複数の勢力が動き出す。

 一大勢力であるトゥルトゥットファミリーがその力を持っているからこそ、他の勢力を抑止できている。


「混乱の抑止力でもあるんだぞ? 俺たちは……だ」


 銃口を向けてジカルドが言い切る。

 間違ってはいない。

 多くの者たちも同じ考えに至ったからこそ、現状があるのだから。


 セファリタは『ターコイズの瞳』など知らない。

 どうでもいい。

 だが、その後の言葉は認められなかった。

 歩んだ道のりが、苦しんだ経験が、それを拒絶している。


 ジカルドに射殺すような鋭い眼光を向けた。

 そこに込めたのは慷慨と軽蔑。


「貴様らが必要な悪だというのなら……」


 思い出すのは……売り飛ばされ、実験台にされた日々。


 力尽きていく同胞。

 昨日聞こえた声が聞こえなくなり、明日に怯えて眠ることもままならず。

 来ない助けを願う空虚な日々。


 訪れた役人に縋り付き、愛想笑いとともに見放され。

 大義に殉じる筈の者からも目を逸らされた絶望。


 そして今は、倉庫に捉えられ怯えた子どもたちの表情が過る。


「貴様らに虐げられる者たちは必要な犠牲か? それとも、不要な存在か?」


 何だかんだと理由を並べて苦しんでいる者から目を逸らし、その犠牲の上に築いた楽園で胡坐をかいて酒を呷る。


「そんなものが罷り通るのなら……」


 楽園を築く方法は他にもある筈だ。

 それを探そうともせず、「楽だから」と楽園にいる傲慢な者が現状維持を選び続ける。

 犠牲を黙認し続ける。

 悪を正当化し続ける。


 ……許せるものか。


「それは、正義の怠慢だ!!」


 紫炎が一層苛烈に燃え上がる。

 激情に呼応した紫炎はどこまでも広がり、豪邸すらも焼いていく。


 セファリタが地を蹴る。

 燃えるマナを開放した脚から紫の火の粉が飛び、目にも止まらぬ速度でガンターに肉薄。

 邪魔が入らぬよう、回転して周囲に紫炎を展開。

 紫炎纏う戦斧を斜に振り下ろした。


 大盾で防がせたところに死角から尾の一撃。

 これまで通りの攻勢を仕掛けようとしたが……




「……それを喰らう訳にはいかん」


 ここにきて初めて、ガンターが避けた。

 後方に下がり、戦斧のリーチから逃れる。


 大振りを躱されたセファリタの重心が崩れた。


 防がず、躱す。

 ここ一番の重要な局面で、これまでの定石を崩す。

 経験の多さが戦闘の駆け引きを巧みにしていた。


 大振りの一撃故に、戦斧による二撃目は遅い。

 隙だらけの相手。


 だがガンターはここで油断しない。

 相手は人族じゃない。

 戦闘の主導権を握られない為に必ず尾を叩きつけてくる。

 戦斧を受け止めずに避けた今、大盾による死角はない。

 ならば視線が戦斧に誘導された状況で警戒すべきは対角。


 尾を力強く叩きつけて大振りの隙を埋める戦い方の厄介さは身に染みている。


 警戒を悟られぬよう視線は向けず、関節視野で注意しつつ懐に飛び込む。

 尾が視界の隅に入った。

 予測通り、戦斧の対角。


 即座に岩鎧を纏えるよう意識する。


 しかし。


 尾が、ゆらりと反転した。


 いつの間にか手首を捻っていたセファリタ。

 振り下ろした斧刃が反転し、ガンターに向けられている。


 そして。


 尾が斧頭へ強かに打ち付けられる。

 戦斧から紫の烈火が噴気して立ち上がり。

 大振りで振り抜いた姿勢から、返す戦斧が振り上げられた。


 人族には不可能な体勢から繰り出される、初見殺しの二連撃。


「……っ!?」


 ガンターの視界の隅に移った尾は予備動作の最中だった。

 尾を逆へ振って助走をつけ、筋肉中のマナを開放。

 更に踏み込む足、振り上げる腕。

 燃えるマナを開放し、紫の火花を散らして。

 これまでの一撃を遥かに凌駕する渾身の斧撃が、ガンターを襲う。


 最初から狙っていたのだろう。

 戦斧と尾による視線誘導。

 厄介だった攻勢すらも、戦闘の全てがこの一撃を決める為の布石。


 細かなマナの制御をしている状況じゃない。

 ガンターは大盾を割り込ませ、更に全身を岩鎧化した。


 しかし紫炎纏う戦斧は大盾を溶かし、滑らかな切り口で造作無く両断。

 止まらぬ戦斧は岩鎧さえ焼き尽くす。

 そしてガンターの肉を、骨を。

 深く、断ち切った。


 振り抜かれた戦斧の延長線上に、紫の火と血飛沫が舞う。




 ガンターが倒れると、二人を囲む紫炎が掻き消えた。


「次は貴様だ」


 セファリタがジカルドに戦斧を向ける。


「現実もわかってねえガキが。甘っちょろい理論振り翳してやりたい放題か?」


「反抗期なんだ」


「タチの悪いおもちゃ買ってもらいやがって」


 引き金を引く。

 しかし回転する弾丸はセファリタの発火する右手に焼かれた。


 紫炎が強く燃え上がる。

 これで一つ、巨悪を滅ぼし、己と同じ境遇の者を減らせる。


 長きに渡りコーハンを支配し、裏で非道を行ったトゥルトゥットファミリーに終止符を。


「──鯨鯢げいげい壊劫えこうの淵にて声をむ……」


 全身の燃えるマナを開放。

 終焉齎す紫炎を散らす戦斧を薙ぎ払い、振りかぶる。

 重心が大きく後ろへ。


 尾を全力で地に叩きつけ、反動で強引に踏み込む。

 重心を戻す力を破壊力に変換。

 燃えるマナと力の全てを集約させ。


 戦斧を、振り下ろした。


鯨火いさなび……!」


 大地に叩きつけた瞬間、クジラが鳴いた。

 戦斧から劫火が噴き上がる。

 荒ぶる紫炎は鯨波の如く。


 悉くを焼き尽くす抗いの火が、ジカルドとマフィアたちを呑み込んだ。




 そうして倒れた者も大地も。

 紫炎の通った跡、クジラの残響こだまする世界は黒く煤けていた。




 セファリタの右腕と戦斧の紫炎が掻き消える。


 集中が途切れた瞬間、異常なまでの倦怠感と痛みが襲ってきた。

 体がふらつくが、何とか持ち堪える。


 あとはラヴィポッドを見つけ、子どもたちを連れて帰るだけ。

 トゥルトゥットファミリーが消えた今、領主も味方をしてくれるだろう。


 だが。


 霞む思考を巡らせていたところへ、男が現れた。


「到頭くたばったかトゥルトゥット」


 頭にバンダナを巻き、ケープマントを靡かせる乱入者。


「……んで」


 焦土と化した一帯を見渡し、その視線がセファリタに向けられる。


「お前、邪魔になりそうだから今のうちに殺しとくわ」


 研ぎ澄まされた殺気。

 喉元にナイフを突きつけられたような緊張感に総毛立つ。


 男はまだ何もしていない。

 それでもわかる。


 ガンターより、遥かに強い。


 万全の状態での一対一なら届くかもしれない。

 だが力の反動で満身創痍の今戦えば……殺される。


 男が一歩踏み出し、セファリタが歯噛みする。


 絶体絶命。


 しかし視界の端に、おかしな光景が映った。


 異変には男も気づいたようで、振り返る。


 トゥルトゥットファミリーのアジトを焼き尽くす紫炎。

 それが、アジト内の一角に吸い込まれるように消えていく。

 不自然な現象。

 摂理に反した炎の動きに眉を顰める。


 やがて紫炎が消え、黒く煤けたアジトから虚しく煙が上がった。


 造次の静寂。

 その後。


 アジトが、大爆発を起こした。


 重く低い轟音が響く。

 瓦礫が吹き飛び、爆風が吹き荒れ。

 黒煙とともに広がる灼熱が刹那の夕焼けを運ぶ。


 更に異変は続く。


 爆炎から巨大な炎塊が飛び出した。


「たーまやぁ~~!!」


「いぃやあぁぁぁぁぁぁっ!?」


 謎の炎塊の背には、ご機嫌なラヴィポッドと絶叫を上げるターコイズの髪色をした少女が乗っていた。

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