第36話 アジト突撃

 セファリタはこんもりと膨らんだ服を上から撫で、トゥルトゥットファミリーのアジトを少し離れた建物の屋上から眺めていた。


 裏路地や高層建築の一室といった隠れ家的なアジトではない。

 広大な敷地面積をもつ大豪邸。

 側には二棟の巨大なレンガ造りの倉庫。

 広い中庭にはプールまで備え付けられている。


 カカラオ湖に住まう守護獣の制御。

 コーハンにおいて最も重要な役割を代々担っているからこそ、彼らの勢力は拡大の一途を辿り、領主ですら容易に手を出せない組織へと至った。


 引き返すなら今が最後。

 だがセファリタにそんなつもりは毛頭ない。


「やるか」


 マフィアに気づかれない限界の位置まで近づき、スーと息を吸い込む。


 そして、


「──」


 人族には聞き取れない周波数の声を発した。

 広がる声が障害物に当たり、その反響で障害物の位置を特定。

 空間を把握し、庭などアジト外部の情報を取得していく。


(……やはり水中に比べると把握し難いな)


 正門前には人員が配置されているが、それ以外はドーベルマンやシェパードといった警備兼護衛用の大型犬が数頭いるくらい。

 その他に把握できる構成員に警戒している様子はない。


(襲撃など久しく受けていないのだろう。警備は手薄だが……)


 問答無用で制圧するなら警戒の穴を突くべきだが。


(無いとは思うが、奴らが大人しく金を返すのなら交戦の必要はない……逃走経路だけ頭に入れて、まずは正面から金の返還を求めるのが筋か)


 外周を移動しつつ情報を集め、構造を頭に叩き込んでいく。


 すると。


 構成員によって倉庫が開かれ、倉庫内部の情報が不鮮明ながらも流れてきた。


(……なんだ、子ども?)


 複数の小さな人影。

 枷を掛けられているのか両手を揃えている。


 マフィアの構成員であろう大きな人影が、小さな人影を蹴りつけた。


(人身売買にまで手を染めているのか……!?)


 セファリタの表情に嫌悪が滲み出る。

 捕らわれている少年少女を哀れんだだけではない。


 かつて地獄へ売り飛ばされた、悪しき記憶が蘇ったから。


 思い出すだけで胸中が黒く濁っていく。

 握った拳に力が入り、爪が皮膚を破った。


(……いや、まだそうとは言い切れない)


 自身の境遇故に悪い方へ想像したが、判明しているのは子どもが倉庫に詰め込まれているという事実だけ。

 何れにせよ酷い扱いだが売り物にしていると断定はできなかった。


(確かめねばな)


 子どもたちが何のために集められているのか。


 アジトを訪れた本来の目的さえ忘れる程の激情。

 それを外へ漏らさぬよう己を律する。


「んっ」


 お腹がくすぐったい。

 まだ愛情を堪能しているラヴィポッドを服の上から撫でると、荒れていた心が静まっていく。


 マフィアに見つからぬよう倉庫へ回り込んだ。




 アジトから見て裏手。

 倉庫に張り付いていたセファリタが動き出す。


「そろそろおあずけだ」


 ラヴィポッドを服の中から出し、少し離れた位置に立たせる。

 とろんと目を蕩けさせて涎まで垂らしているのはご愛嬌。


 セファリタがファスナーを閉めて倉庫を見据える。

 前方へ向けて鎧を纏った右手を伸ばした。

 暗い紫の粒子が発生。

 やがて粒子は形を変え、斧を模る。


 そして黒く巨大な片刃の戦斧が現れた。


 その斧刃は邪竜の鉤爪。

 天を裂き、大地を叩き割り。

 蔓延る毒に抗った逆襲の刃。


 セファリタは片手に持った戦斧を引き摺り、助走をつけて振るう。

 角運動エネルギーの乗った大振りの一撃が、倉庫の壁を容易く破壊した。

 重い衝撃音が響いた後パラパラと瓦礫が落ちる。


 強引に穿たれた穴の奥では、子どもたちが身を寄せ合って怯えていた。

 倉庫の外では、意識を取り戻したラヴィポッドがセファリタの怪力に怯えている。


 セファリタはどちらの反応も気にせず、紫の粒子となって消えゆく戦斧を手放し倉庫内へ踏み入る。

 子どもたちの元へ歩み寄り、しゃがんで目線を近づけた。


「私は敵じゃない。君たちは自分の意思でここに来たのか?」


 子どもたちはセファリタを信用すべきか判断できず、怯えたまま互いに視線を合わせた。

 少し待つと、女の子が恐る恐る口を開く。


「……ち、違います。急に、馬車に、押し込まれて」


 教えてくれた女の子の頭を左手で撫でる。


「そうか、辛かったな。君たちをどうするつもりなのかは聞かされたか?」


 監禁されて張り詰めた極限の精神状態。

 頭を撫でられる安心感と優しい言葉がそれを解し、女の子の涙腺を緩めた。

 涙を拭いながらぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「わ、わから、ないです。でも、商品って……」


「教えてくれてありがとう」


 商品。

 その言葉でセファリタの意志が固まった。


 かつての己と近い境遇の不幸な子どもたち。

 そんな子どもたちを見て何もしない、情けない自分でいたくない。

 セファリタはかつての己に手を差し伸べられるまで、成長したのだから。


 だから、子どもたちに言う。

 捕まっていた時、一番欲しかった言葉を。


「ついてこい。必ずここから連れ出してやる……!」


 子どもたちに喜びや期待、安心が広がる。

 まだ不安な子もいるようだが、他の子に手を握られて立ち上がった。


 セファリタは皆が歩けそうなのを確認して先導する。

 外に向かう途中、倉庫内をビクビクと覗き込んでいるラヴィポッドを見てつい頬が緩んだ。


 しかし。


「ひぃぃぃぃ!?」


 外で何かを見たラヴィポッド。

 驚きのあまり跳ね上がったかと思うと、着地するなり逃げて行ってしまった。


「おい、ガキが一人逃げたぞ!」


「めんどくせーな……ってこれどうなってんだ?」


 ラヴィポッドが見たのは倉庫破壊時の音を聞きつけてやってきたマフィアだった。

 二人ともラヴィポッドを追いかけていたが、一人はそのまま追い続け、もう一人は壁の惨状に気づいて立ち止まる。


 倉庫内を確認するマフィアと、セファリタの目が合った。


「あ? なんだテメェ、どこから入って来やが……」


 マフィアが何か言い終えるより先に、飛び出したセファリタがその顔面を掴んで地に叩きつけた。

 後頭部を強かに打ち付けたマフィアの体から力が抜け、倒れ伏す。


「喋るな。子どもたちが怯える」


 セファリタは立ち上がり、さてどうしたものかと顎に手を当てる。


(ラヴィポッドを探しに行きたいが……)


 チラッと後方の子どもたちを確認。


 ぽかんとしたり怯えたり、戸惑ったり。

 皆一瞬にして終わった戦闘に驚いていた。

 一部男の子の中には「すげー!」と興奮している子もいる。


(こっちの子どもたちが優先だな。ラヴィポッドはあれでいて優れた魔術師だという話だし、いざとなればゴーレムも使える。大丈夫……だよな?)


 話を聞いた限りラヴィポッドは戦力として期待できる……筈なのだが。

 どうにも普段の様子を見ていると心配になってしまう。

 マフィアに捕まって泣き叫んでいる姿がありありと浮かんできた。


 首を横に振り、想像を振り払う。


(今考えなければいけないのは子どもたちの逃げ先か。どこを頼っても危険を押し付けることになる……)


 脱退した傭兵ギルドに頼むわけにもいかず。


 どこへ逃がそうとも、子どもの口から人身売買についての情報が洩れる可能性がある以上、トゥルトゥットファミリーが放っては置かないだろう。


 誘拐された子どもを預けるなら軍など公的な機関に任せるのが一番安全だが、領主でさえトゥルトゥットファミリーの悪事に目を瞑っているのなら、最悪の場合引き取ってもらえない可能性もある。


「こりゃなんの冗談だ……?」


 考えていると、数人のマフィアが駆け付けてきた。

 壊れた倉庫と外に出ている子どもたち、地面に頭をめり込ませた仲間の姿を確認して睨みを利かせる。


「子どもたちを逃がそうと思ってな。しかし当てがなくて困っているんだ」


 威圧も意に介さず、セファリタは考えをそのまま口にする。


「ああ? この状況から逃げ切れると思ってんのか? ウチにちょっかい出した時点で終わりなんだよ。奇跡的にここから逃げ出したところで、トゥルトゥットファミリーがいる限りお前らが安心して寝れる場所なんてねーぞ」


「……一理あるな」


 コーハンにおいては実際にそれだけの権勢を振るっている。

 セファリタもそれを理解しているからこそ、こうして頭を悩ませているのだから。


「トゥルトゥットファミリーがいる限り……」


 マフィアの言葉を反芻する。

 そして、気づいた。


「なら、トゥルトゥットファミリーがいなくなればいいんじゃないか?」


 簡単なことだった。


「……自分が何言ってんのか理解してんのか?」


 それによって生じる諸問題。

 またその際に出る被害を考えればこそ、今までトゥルトゥットファミリーと事を構える勢力はいなかったのだろう。


「他に打開策が思いつかない」


 セファリタは子どもたちに「離れていろ」と告げて前に出る。


 体を囲むように紫の粒子が立ち昇り、その身に全身鎧を纏う。

 振るった手には片刃の戦斧が現れた。




「お前、やっぱ噂の化け物傭兵か」


 恐ろしく強い傭兵の噂はマフィアの耳にも届いていた。

 今のセファリタの姿は伝え聞いていた特徴そのもの。


「傭兵は辞めた」


「じゃあただの化け物でいいな。化け物退治は専門外だが……」


 控えていたマフィアたちが詠唱を開始し、それぞれの足元に九芒星の魔術陣が現れた。

 その内一つの頂点が輝き出す。

 五人全員、輝く頂点の位置は同じだった。


「くたばれ」


 先頭のマフィアの言葉を合図に、五つの火炎が放たれる。

 並走する火炎が合わさり、一つの大火炎となってセファリタに襲い掛かった。


 大火炎が、セファリタを呑み込む。


「呆気ないもんだな」


 遠くからでも熱がマフィアの皮膚にジリジリ伝わる。

 魔術を直接受けていなくとも感じる茹だるような熱さ。

 五人の火魔術をまともに受けたセファリタが生きていることはまずないだろう。


 マフィアがたばこを咥え火をつける。

 アジトに潜り込んだネズミを駆除し、一服。


 ……といきたかったところだが。


「……どうなってる」


 開いた口からたばこが落ちる。

 無理もないだろう。




 火炎の中に、戦斧を引き摺る人影を見たのだから。




 それは火炎の中を悠然と進む。

 やがて火魔術が消えると、そこには何事もなかったように漆黒の全身鎧が歩いていた。


「っち、もっとだ! 死ぬまでぶちかませっ!」


 火魔術のみならず、土魔術による岩塊まで放たれた。


 しかし。


 大振りの戦斧が、岩塊の悉くを叩き割った。

 大振りの勢いを利用して回転しもう一撃。

 間に合わない場合は尾を叩きつけて砕く。

 

 魔術の雨の中を、流れるような連撃で切り拓く。


 最後は地に叩きつけた戦斧の柄を蹴り上げ、大きく振りかぶる。

 そこから繰り出された大上段の一撃が大地を割り、その衝撃でマフィアたちが打ち上がった。


 先頭にいたマフィアは辛うじて避けたが、攻撃の範囲外からバタバタと落ちていく仲間を愕然と見ていることしかできなかった。


 セファリタが近づき、マフィアに戦斧を突き付ける。


「言い忘れていた。金を返せ」


 子どもを見つけてからというもの、助けなければという思いに駆られて見失っていた。

 アジトへ来た本来の目的はラヴィポッドの金を取り戻すこと。

 そちらの問題も並行して解決したい。


「……何のことだ?」


 本当に心当たりがないのか怪訝に眉を顰める。


「貴様らの仲間が一昨日いっさくじつ、少女から金を奪った。それを返せと言っている」


「……確認してやる。少し時間をよこせ」


「ああ。さっさと持ってこい」




 アジトへ戻る男を見逃して暫し。

「金を持ってこい」と言った筈が、マフィアたちをぞろぞろと引き連れて帰ってきた。


 注文と違う。

 だが、まあそんなことだろうとは思っていたので驚きもしない。


 その中には、ボスの風格を漂わせる男もいた。

 首にはストールを巻いており、彫りの深い顔に太い眉が特徴の苦み走ったダンディな男。

 彼こそトゥルトゥットファミリーのボス──ジカルド。


 ジカルドがセファリタの側に手下を蹴り飛ばす。


「ウチのもんが失礼したな。そいつは好きにしろ。はした金で面倒持ち込みやがって……他のはこっちでケジメつけさせる」


 そう言って小袋を放る。

 ジャラッと音を立てて落ちると、内側で硬貨が弾み幸せの舞を踊りだした。

 間違いなくラヴィポッドのものだろう。


「……」


 セファリタは蹴り飛ばされたマフィアを無視し、小袋を拾い上げた。


 その時。


「っ!?」


 軽い爆発音が響き、セファリタのこめかみに強い衝撃が走った。

 ヘルムが砕け、痛みに歪んだ顔の一部が曝される。

 蹈鞴を踏み、こめかみを押さえ。

 頭を揺らされ、ぐらつく視界と込み上げる吐き気に耐えてジカルドを睨み付けた。


「こいつは表じゃ製造が禁止された魔道具でな。鉄の鎧くらいならぶち抜けるんだが……」


 そう言ったジカルドの手では、回転式拳銃が硝煙を上げていた。

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