第35話 愛情の受け皿

「その子のお金を持って行った犯人がわかったって」


 翌々日、傭兵ギルドを訪れたラヴィポッドとセファリタに朗報が舞い込んだ。


 セファリタは受付嬢からの報告に目を丸くする。


 ラヴィポッドも同様に続く言葉を待っていた。

 自分が話さなくても誰かが話してくれる時は任せる。

 人見知りの常套手段だ。


 尚セファリタは鎧を纏っていない。

 一昨日はゴーレムを警戒して完全武装していたに過ぎず、外で鎧を解かなかったのは鎧が特殊なものだと知られたくなかったからだった。

 

「随分早いですね」


 事情聴取が済んだとしても、一日二日で傭兵ギルドまで情報が回ってくるとは思わなかった。

 進捗だけでも聞ければと思い、やってきたのだが大きな収穫だ。


「規模が大きかったから兵士の対応も早かったんじゃない? 最近様子がおかしい守護獣様の対策のために開発してた兵器の誤作動だったらしいけど、最初はテロかもって噂も流れてたし」


 ラヴィポッドはちょっとやらかした、くらいにしか思っていないが周囲の反応はその程度では収まらなかった。

 家屋が突然吹き飛び、夏にもかかわらず周囲一帯が凍り付く。

 人によっては人生最大の大事件だろう。


 だが騒動が事実と異なる形で沈静化されているということは、ラヴィポッドの件がゼルドから領主のような位の高い者へ伝えられたのだろう。

 そのことを受付嬢は知る由もない。


「そ、そうかもしれませんね……」


 事実を知っているセファリタが何とか愛想笑いを浮かべる。


「……それで犯人は?」


 誤魔化すように話の続きを促した。


 すると受付嬢は僅かに口ごもり、犯人が所属する組織の名を口にした。


「……トゥルトゥットファミリーよ」


「厄介な……」


 セファリタが渋い表情で眉間を押さえる。


「トゥットゥルットゥ?」


 首を傾げるラヴィポッドに受付嬢が説明する。


「トゥルトゥットファミリーはコーハンじゃ最大級のマフィアなの。麻薬カルテルや盗賊団と繋がってるって黒い噂もあるけど、カカラオ湖の守護獣様を鎮めたり豪商とのパイプを持っていてコーハンの物流にも一枚噛んでるから、誰も手を出せない」


 麻薬カルテルやら盗賊団やら物流やら、ラヴィポッドにはわからないことが多いが中でも気になる単語があった。


「しゅ、守護獣様ってなんですか……?」


 精霊のように様付けで呼ばれる存在。

 獣とついているからには動物なのだろう。

 畑を荒らす害獣を除き、動物好きなラヴィポッドの興味を引いた。


「守護獣様は大昔からこの湖に生息していて、コーハンが魔族や旧帝国に攻められた時に何度も助けてくれてるの。だから私たちは敬意を込めて守護獣様って呼んでるんだけど、最近はカカラオ湖に浮かぶボートを見境なく襲ったりしていて不安定みたいなのよね……」


「あ、頭おかしくなっちゃったんですかね……」


 ラヴィポッドはふむふむと理解してる感を出しておく。


 要するにコーハンにとって大切な守護獣様を制御できるのがトゥルトゥットファミリーしかいない上、経済の発展、維持に大きく貢献しているので例え悪事を働いていようが領主や騎士、兵士でさえ手を出し辛い相手という訳だ。


「ま、まあお金ならまた稼げばいいし……」


 気を使った受付嬢の言葉にラヴィポッドが愕然とする。


「わ、悪い人がわかってるのに、お金返してもらえないんですか……?」


「うーん、残念だけど今回は運が悪かったと思って諦めるしかないかも……ほんと、嫌になる」


 遣る瀬無い気持ちは受付嬢も感じていた。


 しょんぼりと項垂れるラヴィポッド。

 金を盗んだ犯人が明確に判明してるのに、よくわからない理由で返してもらえない。

 言いようのない理不尽を感じた。

 偉ければ、権力があれば何をしても許されるそうだ。


 セファリタは組織の名を聞いてから何やら考え込んで沈黙していたが、肩を落とすラヴィポッドを見ると尻尾を巻き付けて胸の前まで運び、抱っこした。


 ラヴィポッドの頭に柔らかくもずっしりしたものが乗せられ、顔の上半分を包み隠されて前が見えなくなる。


「そうですか。相手がトゥルトゥットファミリーでは仕方がないですね。今日は休んでラヴィポッドの今後について話し合おうと思います」


「それが無難だね」


 セファリタは受付嬢に告げてカウンターを離れた。

 ラヴィポッドを片手で抱えたまま、ギルド内の記載台で用紙を一枚選んで粛々と記入していく。

 ラヴィポッドも胸を持ち上げて用紙を覗き込むが、何のことやらわからない。


 セファリタがペンを置き、用紙を持って受付に戻る。


 そしてサッと用紙をカウンターに置いた。


「ん? どうしたの……?」


 なになに、と用紙に目を通した受付嬢の目が驚きのあまり飛び出した。




 その用紙の上部には、『脱退届』とある。




「約一年、お世話になりました……!」


 セファリタが深々と頭を下げる。

 抱えられているラヴィポッドは更に押し潰され、胸の谷間にスポッと頭が呑み込まれた。


 傭兵としてあちこちを巡り、コーハンに来てから一年間。

 ギルドには感謝してもし切れない恩ができた。

 一度頭を下げただけでは伝えられないくらい。

 それでもそこに感謝の気持ちをできる限り込める。


 散々世話になっておいて、急な脱退の申し出。

 失礼な話だが、これはセファリタなりのケジメでもある。


 セファリタが頭を上げると、ラヴィポッドの頭が完全に隠されて頭部のない怪物のようになっていた。


「セファリタ、まさか……」


 何故突拍子もなく脱退届なんてものを提出してきたのか。

 一年間の付き合いでセファリタの為人を理解しているからこそ、意図に気づいた受付嬢の顔が引き攣る。

 先程までの会話も、表向きは受付嬢が何も知らないということにするためだろう。

 セファリタは理性的な雰囲気を醸し出しているが、時々こうして滅茶苦茶なことを仕出かすのだ。


「皆さんに迷惑は掛けられませんから」


 笑顔でそう言ってもう一度頭を下げ、傭兵ギルドを出ていく。

 どこかに所属せず、身軽な方が動きやすい。

 これからセファリタがやろうとしていることは、周囲の人間を危険に晒す可能性があるから。


 受付嬢の寂しそうな視線が背中に刺さるが、振り返ることはしない。

 全てが上手い方向に転がれば、終わった後でまた顔を合わせることもあるだろう。

 傭兵ギルドに再加入する未来だってあるかもしれない。




 外に出ると、セファリタがラヴィポッドの脇を支えて持ち上げた。

 スポッと頭が胸の谷間から抜け、窒息しかけて青くなった顔色が回復していく。


 顔をブルブルと振って生き返ったラヴィポッドとセファリタが向かい合った。


「金を取り戻せなければ、私たちはいずれ食費で破産する……」


 ラヴィポッドはセファリタの迫力に負けてとりあえずコクコクと頷いておく。


 実のところ正しい金銭感覚が身についておらず、自分の食費が如何にセファリタのお財布事情を圧迫しようとしているかわかっていなかった。


 たった二日。

 しかも初日は夕食のみ。

 それだけでセファリタが強硬手段に出る程だというのに。


 ある程度のことなら言われるがままに頷くラヴィポッドだが、続く言葉には頷けなかった。


「トゥルトゥットファミリーに、殴り込むぞ……!!」


 ラヴィポッドはきょとん、とした後その意味を理解して顔を引き攣らせていく。


「ひぃぃ!? こ、怖い人たちのとこに行くんですか!?」


「ああ」


「や、やです!」


「じゃあどうする? 金を節約するか? ラヴィポッドは毎食一人前で我慢できるのか?」


 ラヴィポッドの顔が絶望に染まる。

 よくよく聞いてみれば至極普通の食生活。

 それを我慢と呼んで良いのかすら疑問だが。


「な、なんてこと言うんですか!」


 毎食一人前だなんて以ての外。

 ラヴィポッドは成長期の只中。

 たくさん食べても小柄なままなことを考えると、食事の量を減らすのは本当に死活問題なのかもしれない。


「なら力尽くで取り返すしかないだろ!」


「わ、わたしは行きたくないです! 危ないんですから! 傭兵さんだけで行ってください!」


 とんでもない我がまま。

 そもそもセファリタに付き合う理由はない。

 ラヴィポッドを放り出して、はいさようならで済む話なのだから。


「私が一人で行ってどうする! 大体もう傭兵は辞めた! 晴れて無職だ! これから私のことはセファお姉たんと呼べ!」


 しかしセファリタにラヴィポッドを放り出すという考えはないようだ。

 昨日出会ったばかりの少女のために職まで投げ打って、この街で最も敵に回してはいけない相手と戦おうとしている。

 どさくさに煩悩を紛れ込ませているあたり、余程ラヴィポッドを気に入ったのだろう。

 それか度を超えて面倒見の良い性格なのか。


「な、なんかやです!」


 純粋な子どもの勘が、セファリタの疚しい気持ちを感じ取った。


「ぜ、絶対に行かないんですからっ!」


 続けてラヴィポッドは決意を表明し、セファリタの手から逃れようと手足を振り回して暴れた。


 このままでは埒が明かないと判断したセファリタが、ふーと息を吐く。


 そして、奥の手に出た。




「……本当に仕方のない奴だ」




 トップスの腹部に付いたクジラの尾びれモチーフのファスナーを下ろす。

 ジジジと縦に割れるように開いた穴から、染み一つない美肌が曝された。


「な、なにを……?」


 警戒するラヴィポッド。

 その後頭部が捕まれ、顔を服の中に突っ込まれた。

 左右から服を被せられて包み込みこまれる。

 服の中にはセファリタの匂いと熱気が籠っており、母の温もりに飢えたラヴィポッドはその心地良さに蕩けて眠ってしまいそうになる。


 すると、ラヴィポッドが逃げられないのを良いことに、セファリタが走り出した。

 このままトゥルトゥットファミリーのアジトに向かう腹積もりなのだろう。


「~~ッ!」


 くぐもった声を上げながら抵抗するラヴィポッド。

 ここで諦めてはマフィアの元へ、怖いおじさん集団の元へ連れていかれてしまう。

 それだけは嫌だ。

 心地の良い誘惑に耐え、根気強く手足を振り回して暴れる。

 意地でも逃げ出そうと必死に藻掻いた。




 だがそんな時、が起こった。




「?」


 ラヴィポッドの目の前。

 視界を埋め尽くすセファリタのお腹、その中心。

 そこに位置する綺麗な縦長の臍。


 そこから、タラーと白く不透明な液体が垂れてきた。


 甘ったるい匂いが服の中に広がる。

 極上のアロマか。

 そう錯覚するほどのリラックス効果がラヴィポッドの鼻孔から全身に行き渡る。


 体から力が抜け、昂っていた感情が凪いでいく。

 絶対に逃げ出そうという決意さえ、ふにゃふにゃと萎んでいった。


「こ、これは……」


 ラヴィポッドは甘い匂いにクラクラしながらも、何故かその白い液体から目を離すことができなかった。


 数年前に母が失踪。

 まだまだ甘えたい盛り。

 頑張ったら褒めてほしいし、調子に乗った時は叱ってほしい。


 愛情の受け皿は、満たされていない。


 そんなラヴィポッドが子どもの本能に抗える筈もなく。

 まるで体を乗っ取られ、大いなる力に導かれているようだった。


 そしてついに、白い液体を垂らすセファリタの臍に口を近づけ……


 ◇


「世話の焼ける……」


 セファリタが聖母の如き慈愛に満ちた微笑みを湛え、ラヴィポッドを撫でる。


 ラヴィポッドを一目見た時、内に眠っていた何かが目覚め、お腹が疼いた。

 その正体に気づくまで、そう時間はかからなかった。


 セファリタは種族的に母性が強く、愛情深い。

 彼女も彼女で溢れる愛情の受け皿を探していたのかもしれない。


 満たされていく。


 需要と供給。

 ただそれだけの話だった。


 こうして無事。

 セファリタはすっかり大人しくなったラヴィポッドを服の中に突っ込んだまま、金を取り戻すべくトゥルトゥットファミリーのアジトへ向かって赤く輝く湖の湖畔を駆け抜けた。




 ──マッコウクジラの母は子クジラがなかなか深海へ潜らないのを見ると、母乳を飲ませながら一緒に潜ってあげるというが……


 白く不透明な液体の正体は、セファリタにしかわからない。

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