第21話 瘴気の木
「なんで、ここに……」
汚染地帯の中心。
聳え立つ樹木にユーエスが瞠目する。
「エデンエイヴァが……」
「? え、エデンエイヴァって九個の世界を結んだ神話の木ですよね。もっとおっきいと思ってました……」
ラヴィポッドが首を傾げる。
母が寝かしつけてくれる時にしてくれるお話。
その中にエデンエイヴァという巨木が九つの世界を結んだという話があった。
母の話ではもっと、想像もできないくらいに巨大な木だった。
目の前にある木は瘴気を放っており、異質な気配こそ感じられるが大きさは普通の木より少し大きい程度。
それでもユーエスは目の前の樹木がエデンエイヴァだと確信しているようだった。
「本物じゃないっていうのは、わかってるんだ。けど……」
本物がここにあるわけない。
けれど過去に実物を目にしているユーエスだからこそ感じ取れる何かがあるのだろう。
「そ、そっくりさんってことですか?」
「
「どうしましょう?」
「切り倒す。エデンエイヴァとの繋がりはわからないけど汚染地帯の原因なのは確かだから」
判断するや否や気を引き締め樹木に近づくユーエス。
ラヴィポッドはその陰に隠れながらおずおずとついていった。
すると、ユーエスがラヴィポッドを隠すように手を伸ばした。
なぜ制止されたのか分からずキョトンとするラヴィポッド。
そんな二人の前に、瘴気を放つ木の陰から男が現れた。
その佇まいに一切の隙は無い。
すらりとした背格好、切れ長の双眸で二十歳前後の美丈夫。
肩あたりまで伸びたウルフカットの髪はやや青みを帯びた黒。
一見して人間のようにも見えるが、髪を掻き分けて覗く二本の角が何か別の種族であることを証明していた。
細い角は根本が黒く、先端にかけて蒼みがかっている。
身に纏う青、白、銀を基調とした和装は、冷たい目元の男を更に凛として冷徹に印象付けた。
はだけたような着物の上衣。
二の腕のあたりに切れ込みが入り、垂れた袂にはアヤメ柄が薄っすらと浮かぶ。
男の細身な体系が際立つパンツルックに、膝下は鎧。
剥き出しになった爪先立ちの黒い獣脚には青いラインが浮かび上がっており、悪魔というものが存在していたならこのような足をしているのではないかと思わせるような、異質な足で地を踏みしめていた。
妖しさと工芸品のような美しさを併せ持った魔性を放つ男は、ラヴィポッドと二体のゴーレムを一瞥する。
「ほう。まだ動くゴーレムが残っていたとはな」
そしてユーエスに視線を移す。
「……お前がユーエスか?」
尋ねられたユーエスは怪訝に目を細める。
「そうだけど。君は? 魔族、でいいのかな?」
「ああ」
「名前は?」
「ユウビ」
「へー、オウギって言われるかと思ったんだけど。魔王ってもっとやばいの?」
オウギは当代魔王の名。
ユーエスはユウビの強さ、危険性を察知し、魔王である可能性すら考慮していた。
一目見て相手が格上だと理解してしまったから。
魔王でないというのなら、ユウビより上に立つ魔王の実力はいったいどれほどなのか。
魔王軍と武力でぶつかることになれば、その時点で人間は敗れたと言っても過言ではないのかもしれない。
「……さあな。久しく会っていない」
「そっか。で、汚染地帯のド真ん中で何やってたの?」
「お前を待っていた」
ユウビの返答を聞き、ユーエスは諦めたように手の中で魔術を練り始めた。
「ドリサ近郊で何かしたら騎士団長が出てくるだろうから、来たら殺しとけって話?」
「察しが良くて助かる」
「察しの良さに免じて見逃してくれない?」
「難しいな」
「残念」
言葉とは裏腹に、ユーエスには逃げる気など毛頭ない。
「聞いてもいい?」
ユーエスの言葉に、ユウビは視線だけ向けて続きを促す。
「瘴気をばら撒く目的は?」
「世界を在るべき姿に戻すためだ」
ユーエスが辺りを見る。
汚染地帯に入ってからこれまで、草木が枯れてモノクロになった世界を歩いてきた。
時折見かける動物は変異の結果か体に凶器を宿し、植物は殺傷力の高すぎる溶解液を持っていた。
「この光景が、正しい在り方だって?」
「これは必要な過程に過ぎない」
瘴気に世界が飲み込まれてしまったなら。
どれだけの犠牲が出るか、想像したくもない。
それを「過程」だと言い切るユウビに不快感さえ募る。
「……ごめん、わからないや。わかりたくもない」
「それでいい。俺の歩んでいる道など、碌なものじゃない」
互いに譲れないものがあると悟り、動き出す。
ユウビは手に包むようマナを収束させ、蒼黒い球体を生み出した。
「染まれ」
人差し指から順に指を折る。
ユウビの雰囲気故か妙に艶めかしく感じられる指が球体を潰した。
瑞々しい果実を潰したように、球体が弾けて魔術が溢れる。
ポトポトと落ちた魔術が地面に広がり、蒼黒の水溜りが形成される。
「闇元素……?」
人間の多くは火、水、土、風のいずれかの元素に適性を持って生まれるため、それ以外の元素を使う魔術師を見ることは珍しい。
しかしユーエスは立場上珍しい元素の魔術師を見ることもあり、闇元素の魔術を目にしたことがあった。
だがそれとも何かが違う気がして。
瞬きも忘れ、相手の動きを待った。
「魔族はマナを喰らう」
ユウビが呟く。
「だが……」
蒼黒の魔術がドロドロと支配域を広げる。
恐怖が具現化したような怪しい魔術。
様子を窺っていたラヴィポッドは冷や汗を流し、唾をゴクリと飲み込む。
水溜まりが広がるにつれて徐々に首を強く締められていくような、息の詰まる恐怖と緊張感に耐え切れずストーンゴーレムに攀じ登って颯爽と距離をとった。
「魔術を喰らうものは、見たことがあるか?」
ユウビは淡々と。
感情を感じさせぬ声音で告げると、親指に付着していた蒼黒の液体を舐め取った。
雫が舌先に絡めとられ、唇の内側へと連れられる。
するとユウビの体がドロドロと溶け、蒼黒の水となって水溜りに沈んだ。
水溜りが勢いを増し、急速に広がる。
対するユーエスは練っていた魔術を上空へ放った。
回転する風に包まれた水球が、汚染地帯の半球状になった霧を越え、遥か上空で四散した。
時を同じくして、辺り一面が蒼黒に染まる。
「っ!」
ユーエスは背後に気配を感じて剣を振った。
水溜まりから浮かび上がってユーエスの首を狙っていたユウビ。
その腕を断ち斬ったが、手応えは薄い。
まるで水を切っているような。
切断された腕は宙で蒼黒の水となって落ちる。
ユウビの全身も水となって沈み、再びユーエスの背後に現れた時には腕が再生していた。
「救難信号か?」
ユウビが手の中に作った蒼黒球を投げる。
手から離れる寸前、蒼黒球が弾けた。
水を掬うように放たれた魔術が飛沫となってユーエスを襲う。
「逆だよ。逃げてって」
ユーエスは腕を払い、突風を巻き起こした。
吹き飛ばされるかに思われた蒼黒の水。
しかしぶつかると風魔術は蒼黒に染まってしまった。
不可視の魔術が唐突に色づき、風は勢いを失って水溜りに落ちていく。
「厄介だな。己の力を過信せぬ者は」
「どの口が」
ユーエスが剣を水溜りに突き刺し、剣を中心に風魔術で暴風を起こそうと試みる。
だが魔術は発動しなかった。
正確には発動した魔術が蒼黒の水に触れた瞬間に力を失っている。
「魔術を無力化する魔術? ちょっと笑えない」
「
「かもね」
ユーエスは飛ぼうとするも、水溜りが邪魔して足元で魔術が起こせないことに舌打ちした。
魔術に頼らずに跳び、足以外を支えて自身の体を浮かせる。
「どうくる?」
ユウビの魔術は地上戦なら全てを支配できるほどの影響力、範囲を持つ。
しかし空なら。
蒼黒の水をどれだけ自在に操れるのか。
ユーエスのように水流を扱うことが出来たとしても、地上での戦闘に比べれば攻撃は断続的なものになる。
甘い相手ではないと理解しているが、活路を開くにはそこに期待するしかない。
水を出せばユウビに利用されるだろう。
ユーエスは剣に風を纏わせ、薙ぎ払う。
三日月型の風刃を地上へ放った。
ぼんやりとユーエスの方へ顔を向けていたユウビ。
その胴が両断され、水となって滴った。
凪いだ水面に波紋が広がり、唐突にピシャっと飛沫が上がる。
真上に打ち上げられた水が落ち、再び飛沫が上がる。
飛沫の感覚が速まり、
「なんでこう、最近は滅茶苦茶な魔術師の相手ばっかりなのかな」
苦笑を浮かべたユーエスが風を起こして霧を散らそうとするも、風魔術は蒼黒に染められ取り込まれる。
「霧に囲まれたら落とされる……」
ユーエスが空を飛んでいるのも魔術によるもの。
魔術を無効化する霧に体を覆われれば落ちるしかない。
「魔術は無効化されるし、実態がないから物理的な攻撃も当たらない」
高度を上げて逃げながら打開策を講じる。
魔術は蒼黒に染められる。
ユウビ本体を斬ることは水を斬るに等しい。
「時間稼いでマナ切れ……も狙えないか。一度使った魔術を制御してるだけだからマナの消費も少ない」
大規模な魔術を行使すれば相応のマナを消費する。
連続で使用しているのなら更に負担は大きくなるが、ユウビが魔術を使ったのは恐らく最初の一回のみ。
「魔術を使わせた時点で詰み? 発動される前に倒す。マナの制御を乱す……僕の手札じゃ無理。あの魔術で無力化されない魔術を戦いながら構築する……現実的じゃない」
最も現実的な勝ち筋は、ユウビが魔術を行使する前に倒すこと。
だがそれはもう手遅れ。
他の案も今のユーエスでは実行できない。
考えれば考えるほどユウビの厄介さが浮き彫りになる。
「どこかに閉じ込められれば……」
倒すことは出来なくとも、動きを封じることは出来ないか。
そう考え始めて周囲を見たユーエスの目にストーンゴーレムが映る。
当然その肩の上で震えるラヴィポッドも。
ずっと戦いを見守っていてくれたのか、目が合った。
ストーンゴーレムがそろりそろりと後ろに逃げようとしているのは、気のせいだと思いたい。
ユーエスは薄く笑顔を浮かべると風魔術を使った。
◇
(何か閃いたな。この手の相手は油断ならない)
霧に紛れたユウビは、ユーエスの感情の機微を捉えて警戒を強める。
魔術を悉く潰され剣すら通用しないと理解して尚、勝負を捨てていない。
心を乱さず冷静に状況を分析する者がどれだけ厄介か。
(情報通りなら使える元素は水と風。俺の相手はさぞやり辛いだろうが……)
すると空高くへ上昇していたユーエスが止まり、その周囲に風が渦巻いた。
荒れ狂う風が蒼黒の霧に触れる。
(そうきたか)
蒼黒に染められ、ユウビの魔術に溶け込むかに思われた風魔術。
しかし暴風は、霧を吹き飛ばした。
(魔術の風によって副次的に発生した自然の風……)
ユウビが無力化していたのはマナによって生み出された魔術。
それ以外を変質させることは出来ない。
下方の霧に紛れて風を凌いだユウビのもとへ、暴風を纏ったユーエスが迫る。
(だがそれは悪手。先にマナが尽きるのはお前だ)
副次的な現象に頼っている分、狙った効果を得るには通常の魔術よりも多くのマナを消費してしまう。
霧が落ち、地上に水溜りが広がる。
そこから姿を現したユウビ。
蒼黒の水溜まりが足に染み込んでいき、全身に巡る。
水溜りが全て吸収された頃には、手足に蒼黒水の鎧を纏っていた。
一方、ユーエスの周囲で吹き荒れる暴風に水魔術が混ざり飛沫が舞う。
渦巻いていた魔術が止まったように見えたのも束の間、その威力の全てを後方に向けて急加速。
流星の如き突きがユウビの胸を狙う。
知覚することすら困難な神速の一撃。
ユウビは背後を確認して舌打ちする。
ユーエスの狙いに気づいたから。
液化して避ければ、瘴気の木を倒される。
やむを得ず、突きを真正面から受け止めた。
剣先を掴み、もう片方の手で地面を掴む。
破壊的な威力で後方へ押し込まれるも、手足の三点で踏ん張り地面を抉りながら勢いを殺していく。
剣を受けた腕の鎧が剥がれ、筋繊維がブチブチと切れる。
腕に現れた裂傷からは血液が噴き出し、巻き上がる土煙に暗い赤が混ざった。
そしてユウビの背が瘴気の木にぶつかる寸前。
突きの勢いが完全に消えた。
「……お前のマナで、この威力をあと何度引き出せる?」
暗に「そっちのマナが切れる方が先だが、無理をしてこの程度か」と皮肉を言う。
「一億回」
口の減らないユーエスに、地面を掴んでいた手を振り上げる。
蒼黒水の籠手。
その鋭利な爪をユーエスは間一髪、剣から手を放し腰に差していた短剣で防いだ。
短剣が砕けるも、極僅かに生まれた時間で顔を逸らすことに成功。
頬に裂傷が刻まれるも、重傷には至らなかった。
飛び退いて距離を取る。
ユウビは残されたユーエスの剣を握り潰して砕く。
「それ結構高いんだけど」
顔を引き攣らせ眉をピクピクとさせるユーエス。
「そうか。悪いことをした」
ユーエスの立場なら金銭の問題など気にする必要ないだろうに。
心底困ったような表情を浮かべているのが不思議だった。
だがユウビが戦闘中に情けをかけるわけもなく。
武器を失ったユーエスに攻め立てる。
蒼黒水を封じるためユーエスが再展開した暴風。
その中に飛び込み、爪撃と悪魔脚の蹴りを打ち込む。
無手での激しい攻防。
暴風による抵抗で動きが多少鈍るが、それでも蒼黒水の籠手と悪魔の脚を持つユウビに分がある。
ユーエスの腕や足に生傷が絶えず増えていき、表情に焦りが見えてきた。
「お前のような男は動揺を顔に出さないと思っていたが、違ったらしい」
「そんな感じに見えてた? 心理戦とか苦手なんだ。素直だから」
「ふざける余裕はあるらしいな」
いよいよ防戦一方のユーエス。
焦っているというより、痺れを切らしたような表情で攻撃を捌く。
その最中、ユウビは不自然にユーエスの口が動いていることに気づいた。
何かを話しているようで、しかし声は聞こえない。
「……あの娘と話しているな?」
かつて風魔術で少し離れた相手へ声を届けていた者を思い出す。
恐らくそれを行なっているのだろう。
「バレた?」
「大方逃げろとでも言っているのだろう? 随分懐かれている」
ユウビに悟らせないよう撤退を促しているのだろう。
それでもラヴィポッドが逃げていないところに、彼らの信頼関係の厚さが垣間見える。
「し、信頼されすぎて困ってるんだ……後でみっちり説教しないと」
妙に歯切れが悪い。
心なしか微妙な表情に見える。
「まだ勝てる気でいるのか?」
「勝つでしょ。僕、手段とか選ばないよ?」
「ぬかせ」
ユーエスの腕を弾き爪撃を繰り出す。
このままがら空きの腹部へ突き刺されば、大穴を穿つであろう。
だがその攻撃は幼い声に止められた。
「てぇーーーーっ!!」
ユウビが声の方へ視線を向けると。
視界を歪ませる程の豪火が、ユウビを焼き尽くさんとしていた。
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