第10話 火の化身
先に逃げていた子どもたちの落ち着きのない様子を感じ取り、ラヴィポッド一行が何事かと近づく。
ゴーレムが味方だと知っている子どもたちは、その接近に気づき手を振った。喜ぶ様子はなく、何かを訴えるような悲痛な表情。
嫌な予感を感じたハニは手を振り返し駆け出す。そして子どもたちをかき分けて進むと、そこに広がる惨状に息をのんだ。
「なに、これ……」
赤い面積の方が多いのではないか。そう錯覚するほど血に塗れたアロシカが、燃料が切れたように呆然と立ち尽くしていた。その前には小屋でアロシカを追い詰めた隊長格のゴブリン騎士が倒れている。
騎士として訓練を積んできた相手に、今日初めて剣を握ったアロシカが辛勝を収めた。辺境の村で誰に気づかれることもなく燻っていた圧倒的な才。何としてでも芽吹く前に積んでおこうとしたゴブリン騎士の判断は間違っていない。戦いの中、驚異的な成長を続けて騎士を降すなど誰が想像できようか。
アロシカは朦朧とする意識の中、耳なじみのある声に振り返った。
「なんか、こいつ追っかけて来たんだけど、楽勝だった……」
ゴブリン騎士に剣を向け、顔半分を真っ赤に染めた笑顔でそれだけ言うとドサッと倒れた。
「アロシカ!?」
ハニがアロシカの背に手を回し、上体を起こす。目を背けたくなる痛々しい生傷を確認すると、
「水と布を持ってきてください! できるだけ清潔な!」
遅れて駆け付けた村人に指示を出す。
ハニの厳しい声音。只事ではないと理解した女性が、ゴーレムに預けていた荷物の中から水と衣服を取り出してハニの元まで走った。
「ハニちゃん、持ってき、たよ……」
夥しい血溜まりに言葉を失い、言われたものをハニへ手渡そうとしたまま固まってしまう。
「ありがとうございます」
ハニが傷口を洗い、布を巻いてこれ以上血が流れないよう応急処置をする。医療知識のないハニにできるのはこれくらいだ。
「ラヴィポッドちゃん! 私たちはいいからアロシカを乗せてドリサに向かって! 全速力で!」
気迫の籠った声を掛けられ、ラヴィポッドの肩がビクッと跳ねる。
「で、でも楽勝って言ってましたし寝てるだけでは……」
「そんなわけないでしょ! こいつすぐ強がんの。バカだから!」
「わたし一人だと迷っちゃうかもって話は……」
そもそもラヴィポッドが村人と行動を共にしているのは一人だと迷ってしまうかもしれないと懸念したから。
「急いでお願い!」
「はぃ!」
勢いに押され、ラヴィポッドはクレイゴーレムからストーンゴーレムの肩に乗り移る。クレイゴーレムの手のひらに衣類を乗せ、その上にアロシカを横たえてそそくさとドリサへ向かった。
「アロシカ……」
ハニが走り去る二体のゴーレムの背中を見つめて呟いた。声が風に掻き消される。けれど揺らがぬ祈りは風をも振り切って。
◇
騎士の一団が街道を進んでいた。重い全身鎧に身を包んだ騎士と、ローブを纏った魔術師が馬を駆る。先頭の騎士が手にするアーモンドのような形の盾──カイトシールドにはモグラをモチーフにした紋章が描かれていた。ドリサ辺境伯を象徴するものだ。
「副団長が出陣することになるとは。辺境伯様は今回の件、それほどの事態だとお考えなのですね」
「らしいな。商人の話では、エユの村がゴブリンに占領されてるとのことだ。警戒するのも頷ける」
若い騎士と副団長が目的地の現状に思いを馳せる。
ドリサ騎士団が西方の村──エユの村へ派兵されたのは、ある商人から齎された情報を危険視してのことだった。
曰く、エユの村から人々が消え失せ、ゴブリンが闊歩している。
「その商人はよく逃げられましたね」
「索敵に長けた傭兵を雇ってたそうだ。即座に引き返したのは英断だな。さすが名うての商人といったところか」
魔族に村が襲われることはそう珍しいものではない。対策としてドリサ辺境伯は領内で税を納めている村に数人の騎士を駐留させている。コストがかかることや、騎士という貴重な人材を多く必要とするため他領ではあまり見られない施策。
手厚い施策を講じているにもかかわらず起きた事態だからこそ、今回の一件は問題だった。
「エユの村に駐留していた騎士までやられたとなると、数か質か。どちらでしょうね」
ドリサ辺境伯は自身も凄腕の剣士であり、ドリサ騎士団の訓練は厳しいことで有名だった。それ故騎士の質や士気が他領より高い。ドリサの騎士なら数倍の数のゴブリンを相手にしても撃退できる。ではエユの村で何が起きたのか。数百規模のゴブリンの軍勢に呑み込まれたのか、異様に強い個が現れたのか。
「さあな。どちらも想定せねばならん。最悪なのは……魔王軍が動き出していた場合だ」
「魔王軍、ですか」
最も恐れるべきは、魔王軍が水面下で動き出している可能性。
魔王軍傘下の訓練を施されたゴブリンなら、人族の騎士同等の強さであってもおかしくない。更に言えば、魔王軍が直接動いている場合エユの村を襲撃したのはゴブリン以外という可能性もある。数種類の魔族による侵略行為だったが目撃したのは偶々ゴブリンだった、というだけの可能性。
「かつての戦で人族も魔族も大きな被害を出したが、お互い開戦できるくらいには立て直している。いつ火蓋が切られてもおかしくはない」
「魔王軍の目的は、人族の支配なのでしょうか」
「それもあるだろうが……当時王国軍に所属してた方から聞いた話だと『王都に奴らの欲する何かがあるんじゃないか』とも言っていた。四大精霊様の恩恵を多く受けられる王都の土地か、俺達には知る由もない国宝の類を狙っているのかもな」
そうして部下と情報を共有していた副団長の目に、何かが映った。
「なんだ……?」
巨大な人型の何か。それが二体、土煙を巻き上げ重苦しい足音を響かせて接近していた。
「と、トロールでしょうか!?」
若い騎士が巨大な種の魔族である可能性を示唆する。
「いや、違う……」
だんだん鮮明に見えてくる巨人の姿。その二体の内の一体、土の巨人に見覚えがあるような気がして副団長は注意深く目を細める。警戒してか、持ち手を守るよう柄に小さな盾がついた長い両刃の剣──バックソードの柄頭に手をかけた。
「副団長! あれは……ゴーレムです!」
後方にいた魔術師の叫びで、副団長も土の巨人の正体を確信する。
「っ! 重装部隊前へ、死んでも止めろ! 魔術部隊は詠唱を開始、各々最大火力の魔術だ!」
なぜゴーレムが。失われた魔術ではなかったのか。幾つもの疑問を飲み込み、ゴーレムが敵であった場合を想定し動き出す。ゴーレムの進行方向には騎士団の守るべき土地、ドリサがあるのだから。
団員たちが副団長の号令で下馬し、速やかに陣形を組む。
魔術部隊が後方で両手を広げて何やらブツブツと唱え始めた。すると魔術師の足元に光の幾何学模様が現れる。円の中には九つの角をもつ星──九芒星が描かれている。九芒星の角のうち一つが強く輝きを放っており、魔術師によって強く輝いている角の位置は違う。
重装部隊はマナによる身体強化を行い、ゴーレムの進行を妨げようと構えた。
その陣形を見てかゴーレムが横にずれて向かってくる。
重装兵がゴーレムの正面に位置取りを変えるも、再びゴーレムは横にずれる。
絶対にここを通すまいとする重装兵とゴーレムの意地の張り合い。それを何度も繰り返していると、ゴーレムの動きが加速していく。やがて高速で反復横跳びしながら走っているような、奇怪な動きで迫ってきた。
「っち! なんなんだあの動きは!?」
翻弄される重装兵。
魔術師の詠唱が終わるより先に、ストーンゴーレムが魔術師に迫る。
間一髪でストーンゴーレムの進路を塞いだ重装兵。そこへ石の巨腕が振るわれた。
「「「ぐ、ぬ、おおおおおぉぉ!」」」
重装兵の大盾とストーンゴーレムの拳がぶつかり火花を散らす。まるで大砲のようなパンチ。頑強な装備で身を固め、肉体を鍛え上げた重装兵数人ががりでも押さえきれない。重装兵の背を騎士が支えて助力するが、それでも押し込まれ踏ん張る足は地面を削る。
「放て!」
殴りかかってきたことからストーンゴーレムを敵と判断。重装兵がつくった時間を無駄にはしない。詠唱が終わったのを見計らって、副団長はゴーレムに剣を向け号令を飛ばす。
そして魔術師の上空から岩石が、正面からは竜巻、水流、火炎が。四属性の魔術の嵐がストーンゴーレム目掛けて放たれた。
「ひぃぃぃぃ!? ……あ、火じゃーん! ラッキー!」
騎士団が決死の覚悟で立ち向かう中、激しい戦場に似つかわしくない可愛らしい少女の声が響いた。
◇
尻が痛まぬようストーンゴーレムの手のひらでうつ伏せになっているラヴィポッド。ストーンゴーレムの指の間から前方に目を凝らしていると、何やら大勢の人が見えてきた。
「お~、人がたくさん。ゴブリンみたいなカッコしてる……」
ゴブリン騎士と同じく鎧を着こんだ人族。騎士が集団で馬を駆る姿に圧倒された。
「このままじゃ危ないね。ぶつかっちゃわないようにずれて」
騎士団に用はない。一刻も早くアロシカをドリサへ送り届けなければならないのだ。万が一にもぶつからぬようゴーレムに指示を出し脇にずれる。しかしどういう訳か騎士団もずれて道を塞いでくる。
ゴーレムはラヴィポッドからの指示を継続して再びずれるも、重装兵に道を塞がれてしまう。
「なんで!? 当たり屋ってやつ!?」
折角避けているのに何故態々あたりに来るのか。そういえば、と母から聞いたことを思い出す。態とぶつかって因縁を吹っかけてくる悪い人のことを。戸惑っている間にもゴーレムは命令を遂行するため全力で動く。
「お、遅れたらハニさんに殺される! なんでもいいから進んで!」
言いつけを守れなかったらどうなるのか。ラヴィポッドが身震いする。ハニはそんなことしないが。
そうして、どうしてもぶつかりたい騎士たちにストーンゴーレムが殴り掛かった。
「ひぃぃぃぃ!?」
大盾と拳の衝撃で思わず顔を伏せるラヴィポッドだったが、前方からの強い光で顔を上げる。
視界に大規模な魔術陣が幾つも展開されており、絶望で白目を剥きそうになった。だが火の魔術を見てハッっと思い出す。
二代目を錬成した目的を。クレイゴーレムの進化に必要な素材を。
「……あ、火じゃーん! ラッキー!」
今ラヴィポッドが求めている進化素材はストーンゴーレム用の「銅」とクレイゴーレム用の「火」または「氷」。
御誂え向きな一流魔術師の火魔術が目の前にあるとなれば、最強ゴーレムへの進化を目指すものとして見過ごす訳にはいかない。臆病なラヴィポッドの恐怖心を好奇心が勝り、活き活きとし始めた。
(石は邪魔だね。食べちゃったら二体目のストーンゴーレムになりそうだし)
「ストーンゴーレムはでっかい石を止めて! クレイゴーレムは火を食べて!」
ストーンゴーレムが降りぬいた拳を引っ込めると、
「うおっ!?」
全力で抗っていた騎士たちは、突如力を緩められ前のめりに倒れた。
すかさずストーンゴーレムが跳躍し、上空から飛来する岩石をその身に受ける。底なし沼に沈むように、ストーンゴーレムの体に岩石が呑み込まれていく。
「え! 銅じゃなくても食べれるの!?」
てっきり石板のマテリアルという項目に書かれたものしか吸収できないと思っていた。
「今度何食べれるか試してみよ!」
何を吸収できるのかは検証が必要だ。
ラヴィポッドはストーンゴーレムの手のひらからヒョコッと頭を出し、下の様子を窺う。アロシカに魔術が当たらぬようクレイゴーレムが背中で魔術を受けていた。
竜巻と水流がクレイゴーレムを押し込み、巨体が踏鞴を踏む。しかし火炎だけは土の体に呑み込まれ、クレイゴーレムの体温を上昇させていった。
全ての魔術を受け切った時、クレイゴーレムが上空にアロシカを放る。
次の瞬間、燃えるように熱くなったクレイゴーレムの体から火の粉が飛び散り、火炎の渦に包まれた。
巨大な炎塊が揺れる度、熱された景色もまた揺れる。世界が歪み、地獄にでも連れていかれるのではないかと不安を掻き立てる異様な光景。
「おおー!」
アロシカをキャッチして着地したストーンゴーレム。その上でラヴィポッドが目を輝かせていた。
一方、ストーンゴーレムに踏み潰されそうだった騎士たちは這う這うの体で逃げ出し、動悸が治まらぬまま炎塊を見上げて絶句していた。荒く息を吸うと、熱された空気が喉を焼く。ここはすでに地獄なのか。苦悶の表情は騎士の内心を寸分違わず映し出していた。
この場の全員が注視する中、炎塊が弾けて熱風が広がる。
そこに生まれたのは炎そのもの。二本の腕が生えた大きなオタマジャクシのような形の炎だった。後ろへ細く揺らめく炎は尾のよう。火の玉から火の腕が伸び、焼き固まった土の仮面と腕甲を身に纏っている。
「きゃんわいー!」
大興奮のラヴィポッド。顔の横で両手を組み、目がハートになっている。
「じ、地獄の使者だとでもいうのか……」
片や副団長は火の化身を前に戦意を失いかけていた。
ラヴィポッドが二代目の石板を取り出し、刻まれた名を読む。
「フレイム、ゴーレム……!」
推察通りストーンゴーレムとは別の進化を果たした二代目。
「あの人たちが追いかけてこれないようにできる?」
ラヴィポッドの命を受け、フレイムゴーレムの仮面の奥で瞳がチカチカと点滅する。
フレイムゴーレムが颯爽と騎士団に接近し、円を描くように周囲を飛び回り始めた。
「くっ、水だ! 水魔術を撃て!」
相手が何であれ火である以上は水が有効な筈。副団長の機転で水元素に適性のある魔術師が詠唱を開始する。
水球、水流、水矢。それらがフレイムゴーレム目掛けて放たれるが、ひょいひょいと躱される。宙を自在に飛び回る相手。的が大きいといえど捉えるのは至難の業。
手こずっている間に、フレイムゴーレムの軌跡をなぞって発生した火の輪が騎士団を囲い込んだ。騎士の背丈を優に超える火の壁。内側は熱気で満たされ、茹だるような暑さに汗が噴き出る。騎士たちは蒸し焼きになる前に鎧を脱ぐ。脱ぎ捨てられた鉄の鎧が、触ると火傷するほど熱されていく。
「なーいす」
ラヴィポッドが、戻ってきたフレイムゴーレムに両手の親指を立てて称賛する。フレイムゴーレムも火でできた手で親指を立てて返した。
「今のうちにずらかるよー!」
必死で消火活動している騎士団を尻目に、ラヴィポッドは上機嫌でドリサへと向かった。
「すみません団長。あなたに頼ることしかできぬ不甲斐ない部下をお許し下さい……」
揺らめく炎の中から薄っすらと見えるゴーレム、その背中が遠ざかっていく。やがてドリサにたどり着くのだろう。しかし副団長はドリサが荒らされるとは微塵も考えていなかった。
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