第3話 ゴーレム、起動!

 草木から香る爽やかな香りと、土から香る籠ったようなそれでいて心地よい香り。自然が放つ芳醇なアロマが癒しを運ぶ、木の家の中。


 ラヴィポッドは食卓でとある分厚い本を読んでいた。足がぷらぷら揺れている。何度読み返したかわからない土の魔術書。初級者向けから上級者向けまでの魔術を網羅した非常に高価な魔術書だった。


 魔術書の内容は難解で文字を追っても頭に入ってこない。文字が飛び去ってしまう感覚。代わりにやって来た睡魔が夢へと引き摺り込もうとする。


 そのままなら眠ってしまうところ。しかし母が魔術書に挟んでくれたわかりやすいメモ書きのおかげで、なんとか眠らずに内容を再確認できた。


 今目を通しているのは上級者向けのその先。形式的に記載されただけの、殆どおまけ扱いの項目。


『ゴーレム錬成』の頁。


「ゴーレム。作成者の命令に忠実な、マナを動力とする自動人形」


 古代から錬成方法は伝わっており、実際に起動していたとされる風化したゴーレムの残骸も発見されている。


 しかし、現代においてゴーレム錬成は実用的な魔術ではない。記載された手順通りに魔術を行使すれば確かに錬成自体は可能なのだが、すぐに崩れて土塊に戻ってしまうからだ。


 かつて自動人形というロマンに魅了された研究者は多かった。けれど長い期間実績も上げられず予算が削られると、研究者は着実に数を減らしていった。


 ゴーレムを語れば鼻で笑われる時代。ゴーレム錬成を知った土魔術師の大半は、そのロマン溢れる人形を夢見てひっそりと錬成を試みる。そして崩れた土塊を見て、鼻で笑う側へと身を移す。


 メンタルの弱いラヴィポッドのことだ。嘲笑されたなら、諦めてしまったかもしれない。だが幸か不幸か、ラヴィポッドは人里離れた森の中でひっそり暮らしてきた。馬鹿にされるどころか他者との関わりすらなく、諦観に満ちた空気を吸わずに済んだ。


『また失敗しちゃったー!』


 言葉とは裏腹に、顔に土を付けて笑う、今より幼いラヴィポッド。


『じゃあ次はどうしてみたらいいと思う?』


 母はしゃがんでラヴィポッドと目線を合わせると、光を反射する絹糸のような銀髪から、ふわりと安心する匂いを漂わせた。


 ラヴィポッドは首を傾げてふらふらと左右に揺れる。そして楽しそうに口を開いた。


『ん~……もっかいやってみたらいいと思う!』


『ふふ、そうだね。出来るまでやってみよっか』


 母は目を細めてラヴィポッドの頭を撫でる。


『うん!』


 いつかゴーレムを錬成したいと目を輝かせると、母が楽しそうに聞いてくれたから。ラヴィポッドにとってゴーレム錬成は届きうる目標であり、夢であり、


 ある日を境に帰ってこなくなった母と再会できた時、褒めてもらうための口実だった。


 魔術書によるとゴーレム錬成に必要なものは、


「えと、用意しなきゃなのは『土人形』と『マナ結晶』、『術者じゅちゅしゃの血液』に『術者じゅちゅしゃのマナ』」


 マナ結晶とは、マナを持つ生命に備わるマナの循環器。言わば体液を循環させる心臓に近い機能を果たしている。しかし血管のようにマナを巡らせる管は存在しない。マナ結晶から放出されるマナは皮膚、肉や骨など全身を巡り、マナ結晶の持つ恒常性がそれを一定の割合に保っている。


 つまりマナ結晶は生き物全般に存在する器官であり、用意すること自体は簡単だ。ラヴィポッドの場合は、その辺の野うさぎや鹿を狩れば調達できる。初めてゴーレム錬成を試みたのは随分と前のこと。その為マナ結晶は既に調達済み。


 血液とマナは自身のものを使うだけ。


 そして残る土人形の材料としてラヴィポッドが期待を膨らませているのが、モグラ王から頂戴した『ギンガの灰』だった。


「普通の土じゃゴーレムが動くにはマナの巡りが悪かったから、土を改良したりしてみたけど、だめだった……」


 ゴーレム錬成に必要な四つの触媒の中で、今のラヴィポッドに最も改良の余地が残されているものは土人形だった。


 術者の血液の質は食生活などで改善できるかもしれないが変化の実感が薄く、重点を置こうとは思えない。


 マナの質を高める方法や、マナを多く込める為にマナ総量を上げる方法は皆目見当もつかない。


 マナ結晶に関しては、より多くのマナを内包した生き物のものを使用するのが良いと魔術書に書いてある。だが、そういった生き物は総じて強大であるため、怖くて調達できない。


 残るは土人形に使用する土。土であれば、魔術で土壌の成分を調節できる。但し作物に適した土については何となく理解してきたのだが、ゴーレム錬成に適した土とは何か。様々な状態の土で挑戦を繰り返すしかなく、未だに臨む結果は得られていなかった。


「頼むよ~」


 祈りながら、輝く黄金の土──ギンガの灰を三分の一ほど取り、湿らせて捏ねる。ぐにゃぐにゃと三頭身のデフォルメされた人型に成形し、『土人形』を作る。その胴体に『マナ結晶』を埋め込んだ。家に保管してあった中でも一番大きい、母が狩った巨大熊のマナ結晶。


 続いて血を垂らす。ペティナイフを親指の腹に突き立て、僅かに食い込ませて皮膚を破る……予定なのだが。


「ふ~、ふ~」


 変な息が漏れていた。恐怖と緊張で目は座り、ナイフを持つ手は震えている。


「やるぞ~。さん、にぃ、いち……」


 カウントダウンで自らを鼓舞し、タイミングを強制する。


 しかし。


「……っはぁ~」


 できなかった。無念。食卓に突っ伏し、意味もなく止めていた呼吸を再開する。


 そのうち鼻血でも出てきた時にやろう、と思ったところでふと口に指を突っ込む。奥歯を触るとぐらぐらと動いた。ちょうど生え変わりの時期だ。土を捏ねた後の手だが、ギンガの灰だったからか変な味はしない。母がいれば間違いなくお行儀の悪さを叱られただろう。歯茎を触って指を抜くと、たらーと指と口に唾液の橋が架かった。


「らっきー」


 その指先には狙い通り血がついている。唾液が混ざっていて少し汚いのはご愛敬。これから錬成されるゴーレムへ事前に謝罪の念を送る。動き続けるゴーレムに仕上げることで禊とさせてもらおう。


 べちょ、と土人形に親指の腹を押し付けて『術者の血液』も用意完了。


 食卓に土人形を寝かせ、両手を翳す。目を瞑って集中。『術者のマナ』をありったけ注ぎ込んだ。マナを使いすぎれば気絶してしまうので、あくまでも倒れない範囲で。


「マナが、増えてる?」


 ギンガの灰のマナ伝導率の高さに驚き、眉がピクッと動いた。込めたマナが増幅している。


 魔術の起動に十分な量のマナが溜まり、土人形が輝きを放つ。視界を覆い尽くすほどに広がった光は、やがて吸い込まれるように消えた。


 プシューとガスが発生し、土人形が徐々に巨大化していく。


「あ、やっば……!」


 巻き込まれないよう家を飛び出し、振り返った。


 巨大化を続ける土人形。家に収容できない大きさまで膨れ上がり、ミシミシと木材が呻く。バキッと悲鳴を上げて屋根が吹き飛んだ。


 土人形を覆っていたガスが晴れる。


 顕現したのは主の命を待ち、膝を折って佇む巨躯。厳めしくも、安心立命の境地に至った騎士の如く。主に害為す悉くを堰き止め、主を妨げんとする遍く障壁を粉砕する。


 守護者然とした土人形を陽光が照らす光景は神話の一ページを彷彿とさせた。


 その姿まさしく、


 ──ゴーレム。


「でっか~」


 手で庇を作って見上げる。今まで何度か試したことはあったが、ここまで大きくなったことはない。立ち上がれば七、八メートルはあるだろう。


「……動かないのかな?」


 眺めていても動く気配がない。ラヴィポッドはゴーレムに近づくべく家の扉を開いた。屋根が消えた家。日が差し、風通しの良くなった屋内。


「外?」


 家の中に入った筈では?


 目をぱちぱちとさせて後ろを確認するが、もちろんそちらも外だ。


 家は何処いずこへ。


 ゴーレム錬成に成功した興奮と、家の惨状を目の当たりにした衝撃で、頭がおかしくなりそうだった。


 ぶるぶると頭を横に振って気を取り直す。緊張しているのか足音を立てぬよう慎重に、佇むゴーレムの足元へ歩を進めた。


「おお……!」


 ゴーレムの逞しい足に触れ、硬質な手触りに感嘆を漏らす。つついてみたり、たたいてみたり。喜びが爆発し、頬ずりまでしている。


 そうして顔を離すと、あるものに気づく。


「なんだろ、これ?」


 床を這っていた管を拾い上げた。握ると、ぶよぶよとした柔らかい感触が返ってくる。目視で辿ると、管はゴーレムの腹から伸びていた。


 軽く引いてみる。ぶちっと腹から千切れた。


「ひぃ!?」


 驚きのあまり管を放り、尻もちをつく。とんでもないことをしてしまったのではと冷や汗が出る。


 すると千切れた管の両端が絡み合い、小さく纏まっていく。光が管を包み、やがてコトッと何かが落ちた。


 それは、小さな石板だった。管が変質したのだろうか。


 ラヴィポッドは立ち上がり、強かに打ち付けた尻を摩りながら石板に近づく。恐る恐る長方形の石板を拾い上げると、何やら文字が書いてある。文字の向きに合わせ、長い方の辺が横になるよう持ち替えた。


「この文字、マナで書いてある。くれい、ごーれむ……ゴーレムの名前かな?」


『クレイゴーレム』という文字を撫でると、マナを感じ取れた。石板に刻まれているものはそれだけではない。


「なんか、棒と……マテリアル、火、石、氷?」


 ラヴィポッドが棒と形容したもの。長方形に塗りつぶされたそれは、何かの量を示すゲージのようだった。


 その下には『マテリアル』という文字が刻まれ、そこから枝分かれするように三本の線が伸びる。その線の先にはそれぞれ『火』、『石』、『氷』の文字が刻まれていた。


「ふむふむ、なるほど」


 然も石板の全てを把握したかのように呟く。実のところ、何のことやらさっぱり分かっていなかった。


 脳裏に疑問符を浮かべ、石板を顔にぶつかるくらい近づけて見つめていると、地鳴りがした。蹌踉めきつつも、かろうじて揺れに耐えながら顔を上げる。


 先刻まで動く気配のなかったクレイゴーレム、その窪んだ眼窩に光が灯る。次の瞬間、地面に超重量の負荷をかけながら立ち上がった。体に乗っていた木片がパラパラと落ちる。


「おお~!」


 ラヴィポッドが目を輝かせる。


 クレイゴーレムには首がなく、胴体と頭部が直接繋がっている。短めの二の腕は細く、対照的に長めの前腕ぜんわんは太く楕円形に膨れていた。その手には四本の指。太く大きな胴体は丸みを帯びており、胴体に対して短めの足が逞しく巨体を支えていた。


「かわいい!」


 巨躯故の迫力はありつつも、全体的に丸みを帯びたシルエットはどこか愛嬌を感じさせる。


「お願い聞いてくれるのかな!?」


 ラヴィポッドが興奮して、


「手、挙げてみて!」


 と指示を出してみる。


 クレイゴーレムが主人の命に従い動き出す。記念すべき初任務。両手を挙げ、途中引っかかってしまった家の壁を吹き飛ばした。更に家の風通しが良くなる。壁一面と屋根のなくなった、中途半端な囲いのことを家と呼べるのかは疑問が残るが。


 クレイゴーレムの膂力で風が吹き、ラヴィポッドの銀の髪が靡く。己の不注意にほとほと呆れ果て、死んだ魚のような目でゴーレムを見つめる。


「あー気持ちぇ~」


 現実逃避の呟きをしたラヴィポッド。声が寂寞となって辺りに漂った。

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