第41話 カカラオ湖の守護獣
キヤからの頼みでクアルの護衛を引き受けることになったラヴィポッド。
同性ということもあり護衛を兼ねてセファリタを含む三人、領主邸の同じ部屋で寝泊まりすることとなった。
「よ、よろしくお願いします……」
両手を膝の上に置き、頭を下げる。
「よろしく頼む」
「よろしく。ごめんね、迷惑かけて」
食卓を囲み、改めて挨拶を交わす。
ラヴィポッドとしては少々落ち着かない。
セファリタと同じ部屋で暮らすことにも慣れていない段階で、更にあまり親しい間柄ではない人物の追加。
自分の匂いが染みついた毛布じゃないと落ち着いて眠れないのと同じく、慣れていない部屋だと安心できない。
寝床を転々とするのは、本意ではなかった。
(大丈夫かな……)
新たに寝食をともにすることになったクアルを覗き見れば、整った顔立ちが勿体ないくらいの無表情。
意地悪をしてくることはなさそうだが、無表情故に圧を感じる。
怒っているように見えるのだ。
このメンバーで上手くやっていけるか。
不安が大きかった。
「迷惑なんてことはない。トゥルトゥットファミリーの元では軟禁状態だったそうだが、辛くはなかったか?」
一方で賃貸契約を解除し、職に止まらず家まで失ったセファリタ。
彼女はクアルの精神状態が心配だった。
具体的にどのような暮らしだったかは知らない。
実態がどうあれ、多感な時期の少女が自由を束縛されるのは相当なストレスだろう。
しかしクアルは首を横に振る。
「外出は禁止されてたけど必要なものは用意してくれる。私があそこにいればターコイズの瞳を巡って争いが起きるのを防げるから、受け入れてた」
当たり前にあった暮らし。
家族がいて、友達がいて。
時折仕事を手伝っては家族三人並んで眠る。
そんな日常を取り上げられて、初めは「自分の運命だから」と割り切ることなどできなかった。
押し込められた部屋で年相応に泣き叫び、喉も涙も心も枯れた後。
どれだけ泣いても誰も助けてくれないとわかって。
ターコイズの瞳に触れ、漸く自分の使命を理解した。
受け継いだ力がコーハンにとって大きな意味を持つことも。
クアルが閉じ籠ることで争いを未然に防げるなら構わない。
時間はかかったけれど、そう思えるようになった。
「立派だな。ご両親は……?」
「トゥルトゥットファミリーに脅されて、抵抗したけど最終的に屈して私を売った。仕方ないことだから恨んではないけど、どんな顔して会えばいいかわからない。それに迷惑もかける」
「そうか……恨んでないならターコイズの瞳を巡る争いが落ち着いた後、会っておいた方がいい。抱くのがどんな感情であれ、向き合えるのは両親が生きている間だけだ」
「……考える」
「ああ」
……
何とも言えない沈黙が訪れ、ラヴィポッドが気まずそうに二人の顔色をチラチラと窺う。
すると今度はクアルの方から口を開いた。
「二人は、どういう関係?」
クアルの護衛として雇われた、臆病で小さな少女と高潔で大きな少女。
セファリタはわかる。
だがラヴィポッドまでクアルの護衛だという。
種族的にも顔つき的にも、親子や姉妹には見えない。
ラヴィポッドも護衛であることから、貴族の子とその護衛という線もないだろう。
考えれば考えるほど謎な組み合わせだった。
「わ、わたしたちですか?」
ラヴィポッドがセファリタを見る。
するとセファリタも見つめ返した。
ラヴィポッドの可愛さに庇護欲をそそられ、頬がだらしなく緩むのを辛うじて堪える。
キリッとした表情の中に熱っぽいものが見え隠れしていた。
危険な香りに気づかぬラヴィポッド。
セファリタとの関係を改めて聞かれると、ラヴィポッド自身どういう間柄なのかわからなかった。
「え、えっと……つ、ついこの前この街にきて困ってたわたしをセファリタさんが拾ってくれました」
「ふーん」
クアルは適当に相槌を打ち、ジトっとした目をセファリタに向ける。
急にマフィアに引き取られ、知らない大人の顔色を窺った日々。
表情から感情の機微を見抜く能力が自然と身についた。
その能力が遺憾なく発揮され、セファリタがラヴィポッドに抱く少々行き過ぎた愛情を察知する。
「セファリタ」
「なんだ?」
「なんでもさもさちゃんを拾った?」
「私の赤ちゃ……んん゛っ、困っている子どもを見過ごせなかっただけだ」
露骨な咳払い。
クアルの目に宿った疑惑の色が濃くなる。
完全に不審者を見ている時のそれだった。
その視線がキングサイズのベッドに移る。
三人用の部屋に一つだけ用意されたベッド。
「シングル三つにするか聞かれてキングサイズを即答した時から違和感はあった」
セファリタの身長が高すぎて普通のベッドだと奥行が足らず、体を丸めるか斜めにでも寝るしかない。
そのためのキングサイズかとも思っていたが、今ならその動機がハッキリわかる。
「不純」
ラヴィポッドと同じベッドで寝ようという魂胆だろう。
「な、なにを勘違いしている。人族用に作られたベッドではサイズが合わないのだから仕方ないだろう」
「ふーん……」
「……そ、そうだ、最近カカラオ湖の守護獣様が荒れているという話だが、クアルなら原因を知っているんじゃないか?」
到頭疑惑が晴れることはなく、セファリタが強引に話題を変える。
それは目下コーハンを悩ませている話題。
守護獣と意思疎通ができるクアルなら詳しい話を知っているかもしれない。
「誰かがカカラオ湖に気味の悪いものを流してる」
「……気味の悪いもの?」
なんとも漠然とした表現に眉を顰めるセファリタ。
「具体的にはわからない。ピノが言ってた」
「ピノというのは……守護獣様の名前か?」
「そう」
「しゅ、守護獣様ってどんな見た目なんですか?」
気になっていた守護獣の話題が出てラヴィポッドも質問する。
「すごく大きい」
「そ、そうなんですね……」
ざっくりとした説明にガッカリだったが、
「私の護衛してくれるなら、会うことになる」
「た、たしかに!」
本物に出会えるのなら楽しみに取っておくのも一興。
気を持ち直したラヴィポッドの表情が明るくなる。
コーハンを訪れてからというもの、楽しかったのは湖畔での食事まで。
どうせ旅の日程を遅らせたのなら観光も楽しみたい。
守護獣もマスコットくらいに思っていた。
「なんなら今から行くか?」
「い、いいですね!」
セファリタの提案。
浮かれるラヴィポッドとは対照的に、クアルが眼を丸くした。
「……私、部屋から出ていいの?」
トゥルトゥットファミリーからは解放されたが、ターコイズの瞳が狙われるのは変わらない。
当然外出は禁じられるものと思っていた。
「キヤから許可はもらっている。その場合、私たちの他にも遠巻きに護衛をつけるそうだが、構わないか?」
「……構わない」
軟禁生活を送っていたクアル。
外を自由に歩き回れたら、と想像を膨らませたことは一度や二度じゃない。
多少見張りがつくくらい、今更なんとも思わなかった。
「決まりだな」
「お、美味しいお店知ってますよ!」
「食事が目的ではないが、帰りに寄るのも悪くない。メインは三品までが条件だ」
「た、食べてないのと一緒じゃないですか!」
クアルは楽しそうに話す二人を見て、自然と頬が緩んだ。
◇
目立つ髪色を隠すためフードを被ったクアルが先頭を歩く。
その陰に隠れてご機嫌なラヴィポッドがルンルン腕を振って続き。
セファリタは最後尾で二人の背を見守っていた。
クアルが立ち止まり、露店に並べられた雑貨を眺める。
「これ、いい」
「か、かわいいですね」
クアルが気に入ったものを指で示し、ラヴィポッドも目をクリクリとさせて確認する。
こうして寄り道をするのは何度目か。
クアルはその役目上、守護獣と接触する必要があり外を歩くことは珍しくなかった。
しかしそこに自由はなかった。
目的以外で店に立ち寄ることは禁じられ、欲しいものがあれば別途マフィアが用意する。
全ては襲撃のリスクを抑えるため。
気になったものがあれば足を止め、感想を言い合う。
そんな何でもない日常が楽しくて仕方がなかった。
少女二人のショッピング。
微笑ましい二人の背に、音もなく影が迫る。
ローブを身に纏い、フードを目深に被った男。
その魔の手がクアルに伸びた。
(またか……)
内心で呆れたセファリタが動く。
男の正面に回り込み、腕と後襟を掴んで引く。
前傾姿勢になった男の鳩尾に、膝を鋭く食い込ませた。
「うぐっ!?」
その威力と大きなセファリタとの身長差が相まって男の体が浮く。
耐え難い激痛が男を襲うが、腹部への一撃では気絶することもできず。
体をビクビク痙攣させ、嗄れた呻き声を上げた。
そこへキヤの手の者が現れ、迅速に男を回収して去っていく。
(外出許可はこの手のバカを誘き出すためだろうな)
トゥルトゥットファミリーが壊滅してからそれほど時間も経過しておらず、クアルの外出が決まったのも突発的。
どれだけ情報を早く入手したとて、襲撃者が入念な計画を練る時間はない。
況してや現在地は人目につく街中。
この状況で手を出してくるのは様子見のために送り付けた捨て駒か、功を急ぐ愚か者くらいだろう。
捨て駒の場合、碌な情報は引き出せない。
だが、愚か者であった場合はその者が所属する組織の炙り出しと、叩き潰す大義名分を得られる可能性がある。
防戦を避け、逆に攻勢に出るなどと考える野心的なキヤのこと。
僅かでも敵対勢力の情報を得たかったのだろう。
(小者ならどれだけ来ようとも問題ないが……)
気がかりなのは、デイルアの存在。
(あの赤髪の男は厄介だ。万全の状態の今、負けるつもりはない。だがあれほどの実力者が仲間を引き連れ、裏をかいてクアルを攫おうとしてきた場合、果たして阻止できるものか……)
物思いに耽るセファリタ。
その様子を雑貨屋の店主が愕然と見ていた。
襲撃者が現れてからの一部始終を目撃してしまったから。
マフィアが幅を利かせていたとはいえ、衆目集まる中での暴力沙汰などそうそう見る機会がない。
彼らも表向きは控えていた。
突如として現れた暗殺者然とした男。
そしてその男を事務作業でもするかのように淡々と沈めた大きな少女。
関わってはいけない気がして、店主は平時を装いながら接客を続けた。
一方、セファリタに背を向けるラヴィポッドとクアルは呑気に雑貨を吟味していた。
「そろそろ行くぞ」
セファリタが止めなければ、クアルはいつまでもショッピングを続けてしまう。
「……わかった」
渋々湖へ向かうことにしたクアル。
後ろ髪引かれるようにチラチラと雑貨屋を振り返りながら歩み始めた。
「も、もうすぐ守護獣様に会えるんですよね」
「うん」
「うひゃー」
ラヴィポッドは期待に胸を膨らませ、あれこれと守護獣の見た目を想像しながら軽快な足取りでカカラオ湖に向かった。
◇
透き通り、宝石のように煌めくカカラオ湖。
木製の桟橋に立ったクアルが雫型のネックレス──ターコイズの瞳を握った。
淡い輝きが溢れ出し、止まる。
まるで水底まで届いた光が湖を持ち上げたように、水面が大きく揺らいだ。
「しゅ、守護獣様のおなーり~?」
ラヴィポッドが水面を見つめる。
すると水面が隆起し半球状に膨れ上がる。
風船が割れるように水が弾け、飛沫を上げながらいよいよ巨大生物が姿を現した。
ワニのような頭部。
細長い口には円錐形の鋭い牙が並び。
前傾姿勢の巨体を、筋骨隆々の逞しい二本の脚が支えて浅瀬に立つ。
二本の腕は発達した脚に比べれば小さい。
しかしその鉤爪は他の生き物を殺めるには十分な殺傷能力を持つ。
後方では胴体と首を合わせた程に長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。
そして最も特徴的なのは背中から生えた半円形の帆のようなものだろう。
背から伸びた幾つもの棘のような骨を皮膚が覆う、珍しい骨格。
スピノサウルスのような姿の巨大生物が獰猛な瞳で来訪者を睥睨した。
「ひぃぃぃぃ!?」
ピノという名前から、勝手に可愛げのある姿を想像していたラヴィポッド。
想像に反してゴーレムすら噛み砕いてしまいそうな怪物が現れ、戦慄。
ブワッと髪を逆立て、一目散に逃げだした。
前も見ていなかったのか木に激突。
その木を背にしてガクブルと震えながら守護獣を振り返った。
「……いい加減諦めたらどうだ小娘。何度来ようと馴れ合うつもりはない」
カカラオ湖の守護獣──ピノがクアルに拒絶の意思を示す。
「別にいい。それでもピノを見ておくのが私の役目だから」
ピノはフンッとつまらなそうに鼻を鳴らし、その視線をセファリタへ向けた。
興味のなさそうな視線が一転、厳しいものに変わる。
爬虫類の如き縦長の瞳孔がセファリタを凝視する。
「貴様か? 湖に気味の悪いものを流しているのは」
「違います……何故みな私を疑うのでしょうか?」
金の行方について話していた時、ラヴィポッドにも何故か一瞬疑われた。
傭兵を信用しない者が一定数いるのは承知しているが、それとも違う。
いきなり身に覚えのない言い掛かりをつけられる体質にでもなってしまったのだろうか。
約一年コーハンに住んでいたセファリタは守護獣について話を聞く機会も多かった。
近頃では物騒な問題を引き起こしているが、それでも討伐の話が一切上がらない程に人々から感謝されている。
話を聞くうち、少なからずセファリタも敬意を持っていたのだが。
「……似て非なるものか」
困り顔で肩を落とすセファリタから、ピノが目を逸らした。
間違いだったらしい。
疑いの晴れたセファリタだが、どこか釈然としなかった。
続いてピノが視線を向けるのはラヴィポッド。
離れた所為もあり、豆粒のように小さく見える体が未だにガクブルと震えていた。
「随分喧しい小娘を連れてきたな……ん?」
ピノが目を凝らす。
すると何かに気づいて細めた目を見開いた。
その瞳には、数え切れないほどの複雑な感情が綯い交ぜになっている。
驚愕、離愁、歓喜。
本来なら共存することのない感情。
それらが同時に湧き上がり、ピノの脳裏にある情景を浮かばせた。
それは遠い過去の記憶。
かつて彼が心を許した一人の少女。
今のカカラオ湖よりもずっと小さな湖の側。
まだ小さくて弱虫だったピノをからかって笑う、心清らかな少女との思い出。
失った時を取り戻そうとするように、記憶の中の彼女に近づこうとするように、ピノの体は無意識に歩み始めた。
ラヴィポッドが逃げた距離をたったの数歩で詰める巨体。
しかし縋る様な足取りは、ピノを実際よりも幾分小さく思わせた。
「ひぃぃぃぃぃ!?」
ラヴィポッドは間近に迫った怪獣の迫力に跳びはね、背を向ける。
そのまま頭を抱えて蹲った。
ピノの方へ突き出されたお尻がブルブルと小刻みに震えている。
「……顔をよく見せてくれないか?」
ピノが声をかけるも、返事は尻の震えだけ。
このまま待っていても無駄に時間が過ぎてしまう。
尻尾をそっとラヴィポッドに巻き付け、顔の前まで持ち上げた。
怯えるラヴィポッドをじっと見つめる。
そして確信した。
一目見たとき、電流のように体中を走った感覚。
それが錯覚ではなかったと。
「生き残りが、いたのか……」
震える声。
もう胸の内から零れ落ちてしまっていた希望。
小さな少女の体がそれを思い出させてくれた。
「た、食べ残しってことですか……」
ピノの想いは伝わらず。
ラヴィポッドは目をギュッと閉じ、両手を合わせて己の無事を祈った。
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