第6話 捕らわれの子どもたち
ゴブリンが小屋を開け、ブルブル震える麻袋を放る。「いたっ」と袋の中から乱暴な扱いへの不満が漏れ聞こえた。それを相手にせず、ゴブリンは麻袋を持っていた腕を揉み、続いて手首を振る。運搬中ずっと振動していたため、余計な疲労が蓄積していた。
ガタン、と扉が閉められゴブリンが離れていく。
床に落ちて尚も震え続ける麻袋。そこに注目が集まっていた。
既に小屋の中にいた子どもたちのものだ。一口に子どもたちと言っても、成長期の彼ら彼女らは年齢が少し違うだけでも印象がガラリと変わる。中学生くらいの子もいれば、四、五歳程度の幼児まで様々だ。
年少組は、それ以上逃げられないというのに壁に体を押し付けて身を寄せ合っている。
他に、失意に沈み瞳から光を失ってしまった子も見受けられた。
そんな中、麻袋に一人の少年が近づく。キリッと気の強そうな目つきをした茶髪の少年。十歳のラヴィポッドより二つか三つ年上だろうか。
動き出した茶髪少年に子どもたちの視線が集まる。
皆が見守る中、茶髪少年が慎重に麻袋の紐を解く。
すると袋の口がドサッと落ち、中から出てきたのは銀髪プリン頭の少女、ラヴィポッド。頭を抱えたままふと上げた視線が、茶髪少年の視線と交錯する。
「ひぃぃ!?」
「おわっ!?」
弾かれるように距離をとって壁にぶつかるラヴィポッド。壁を背に、両手両足を大の字に広げて張り付いたまま震えている。
茶髪少年は一瞬呆気に取られてポカンと口を開くも、すぐに気を取り直してラヴィポッドに近づく。そして声を掛けようとした矢先、ラヴィポッドが口を開いた。
「な、なんでこんなとこに連れて来たんですか……?」
「……は?」
茶髪少年の開いた口が塞がらない。どうやらラヴィポッドは誘拐犯を誤解しているらしい。比較的正気を保っていた子どもたちから、くすくすという笑い声が零れる。
ペースを乱された茶髪少年が頭をガシガシと掻いた。
「ちげーよ、俺たちも攫われた。攫ったのはゴブリンだ」
「ゴブリン?」
ラヴィポッドが首を傾げて復唱する。
「知らねーのか?」
「し、知ってます。見たことはないけど緑の怖いやつですよね……?」
ゴブリンについて、母から聞いたことがあった。他種族の子どもを攫う怖い生き物だと。
一般的な家庭でも、子どもがゴブリンに近づかぬよう、とても恐ろしい生き物なのだと言い聞かせることはよくある。しかしそれが今回は裏目に出た。ラヴィポッドの顔が蒼くなる。そんな怖い生き物に捕まってしまったなら、もう助からないのではないかと。
「ああ。あいつらはマナを喰って成長する。特に人族の子どものマナを好むらしい。俺たちを飼い殺しにしてマナを喰い続ける腹だろうから、たぶん死ぬこたぁねー。つれーけど耐え抜くぞ。必ず隙見っけて俺が何とかすっから」
ラヴィポッドは茶髪少年の口調の粗さに怯む。しかし頼もしい言葉には、恐怖を和らげる力もあった。
「す、すごいですね……これ飲みますか?」
もし見つかってしまったら。そう思うと逃げだすことすら怖い。助けてくれるのなら、茶髪少年にはぜひとも頑張ってもらわねば。他力本願。何もできないならせめてと首に掛けていた水瓶を差し出す。
茶髪少年が差し出された水瓶を見ると、ラヴィポッドに視線を移す。不安そうに眉を下げての上目遣い。よくよく見れば、なんと愛らしい顔だろうか。くりくりとした垂れ目に、控えめな大きさの唇。背丈よりも一回り大きな服を着た彼女の姿は小動物を思わせ、「俺が守ってやらねーと」という庇護欲を掻き立てた。
トゥンク。
生まれて初めて、胸が高鳴った。辺境の村人故に、新たな出会い自体珍しい。狭い世界に吹き付けた
「い、いらねぇ」
顔を逸らしたため表情は伺い知れないが、耳がほんのり赤く染まっている。
「そ、そうですよね。いらないですよね……」
断られて露骨に落ち込むラヴィポッド。
しょぼくれた顔を目にすると、茶髪少年の胸が痛んだ。その表情を変えたくて、何か言おうと考えている間に機を逸する。
子どもたちの中でも最年少の少女が、ラヴィポッドの裾を掴んでいた。
「それ、飲んでもいいの?」
衰弱死しない程度の、必要最低限の食事しか与えられていないのだろう。痩せ細った体は水分を求めている。
「ど、どうぞ」
ラヴィポッドが水瓶を手渡すと、少女は両手で受け取って少しだけ口にした。
「美味しい……!」
ここでは味付けされた食事など出されない。口に広がる甘みと酸味は、普段でも美味しいと感じたのだろうが、極限状態だと至高の飲み物にさえ思えた。
その様子を見ていた子どもたちが水瓶に群がる。他の子の分が無くならないよう、皆少しずつ口にしている。それでも人気の野菜ジュースはあっという間に飲み干されてしまった。
「あ……」
名残惜そうに声を漏らす茶髪少年。何故素直になれなかったのだろう。
「へー、アロシカってあーいう子がいいんだ?」
茶髪少年──アロシカの隣に少女が歩み寄った。
「ハニか。そんなんじゃねーよ」
アロシカよりも大人びた少女──ハニはアロシカのことを見ず、微笑む視線はラヴィポッドへ向けられている。
「ふーん」
適当な、しかしどこか含みのあるような相槌。
見透かした態度が気に食わないのか、アロシカはハニの横顔を一瞥して口を尖らせる。
「んなこと言ってる場合じゃねーだろ」
「こんな時だから明るいこと考えるの」
「相変わらずのんきだな」
緊張感のないハニ。アロシカが「単独のゴブリンに襲い掛かる」などの軽率な行動を取らないのは、彼女が側にいたおかげだ。ゴブリン一人になら勝てるかもしれない。けれどその後に待っているのは首謀者の処刑と、苛烈さを増す監禁生活だろう。
安全に脱出するにはゴブリン集団の規模と、生活サイクルを把握する必要があった。
時間をかけて調べたいが、懸念もある。
(一番早く大人になんのは、お前なんだぞ……)
ゴブリンは人族の子のマナを好む。つまりゴブリンからすると、子どもは成長するにつれて価値がなくなっていく。村の大人たちは女と男数名を残して殺された。
ゴブリンが人族をどの年齢から大人と判断するか定かではない。最年長のハニが処分される、もしくは子を産む側に回されるのは今日明日かもしれなかった。
焦りは募る。
小屋に迫る気配が、更にアロシカを急かした。
閂が外され、扉が開く。薄暗い室内に微かな光が差し込み、漂う埃が鮮明に映った。
一瞬にして緊張は最高潮へ。子どもたちが壁際に散った。ラヴィポッドもその中に混ざって逃げている。
明かりを背にし、影の濃くなったゴブリンが小屋に足を踏み入れる。ゴブリンが一歩進む度、子どもたちが身を竦ませる。不興を買ってしまったが最後、何をされるか。胃のあたりから悪寒とともに暗く不快なものが込み上げる。行動原理のわからぬ相手への恐怖が場を支配した。
「今日の飯は……」
小屋の中ほどまで来たゴブリンが嗄れた声を発し、舐めるような目で子どもたちを見回す。
そうしてゆっくりと動く視線がラヴィポッドを捉えた。
「新入りってのは、てめーだな」
「ひぃぃ!?」
ゴブリンが冷笑を浮かべ、怯えるラヴィポッドに近づく。比較的綺麗な身なりから判断したのだろう。
アロシカの拳が力強く握られる。手入れも出来ず伸びた爪が皮膚を破り、血が流れるほどに。ゴブリンが子どもを連れ出そうとする度、皆が逃げ出せる未来を想像してギリギリのところで耐えてきた。ゴブリンの情報を掴むまでの辛抱だと。
しかし動きの制限された環境で得られる情報は限られており、時間だけが過ぎる日々。募った焦燥感は溢れる寸前まで溜まっていた。
ゴブリンの手が伸ばされ、ラヴィポッドを掴もうとした。
その時。
アロシカの内側で感情を塞き止めていた何かが決壊した。踏みしめた足が地を抉り、飛ぶように駆け出す。一刻も早く、ゴブリンがラヴィポッドに触れる前に。
意志を遂げるため、本能でマナを動かしていた。地を蹴る動作と同時にマナを足裏から噴出して爆発的な加速、最速でゴブリンに迫る。
ラヴィポッドへ向けて伸ばしていたゴブリンの腕と後頭部を掴み、体を捻って振り向きながら顔面を地に叩きつけた。
「ゲギャッ」
ゴブリンが悲鳴を上げ、一瞬強張った手足が伸びるも、脱力する。そうして一度は動きを止めたゴブリン。しかしまだ息はあったらしく、弱弱しくも地を押して立ち上がろうとしていた。
そうはさせまいと、アロシカはゴブリンが腰に佩いた木の棍棒を奪い、振るう。
子どもたちが目を背けた。
薄暗い室内に鈍い音が響く。青色の血が飛び散り、滴が弾けて室内を染める。
動かなくなったゴブリンと、肩で息をするアロシカ。決断したのはアロシカ本人だが、生々しくこびり付いて離れない手の感触が体中を這い回って怖気立つ。
皆が絶句し、奇妙なまでの静寂が訪れる。それを破ったのは冷静な声音だった。
「みんなー、逃げるよ。早くしないとゴブリンが来ちゃうから」
手を叩いて注目を集め、ハニが言った。
「やっべぇじゃん! うおおおぉ!」
やんちゃな男の子が慌てて駆け出すも、ハニが襟首を掴んで止めた。
「痛って!? なにすんだよハニ姉」
「慌てない。落ち着いて、離れないようにしてね」
ハニは村の子どもたちの姉的存在なのか、皆素直に言うことを聞く。そわそわと落ち着かない様子ながらも、勝手な行動に出るものはいなかった。
一人を除いて。
「やっば! ぬおおおおおぉ!」
先刻の男の子と同じようなことを口にして走り出すラヴィポッド。
ハニが襟首を掴む。
「こら」
ラヴィポッドは捕まりながらも、逃げるべく一心不乱に足を動かし続ける。
ハニがため息を吐き、軽々と持ち上げた。容姿からは想像もつかない怪力。地を離れたラヴィポッドの足は未だ忙しなく動いたまま。落ち着く様子のないラヴィポッドを、小屋の扉とは反対に向けて下す。動いたままの足で駆けていき、奥の壁にぶつかると漸く大人しくなった。
「みんなも逸れそうな子がいたら止めてあげて」
子どもたちがこくりと頷く。
その反応に満足気な笑みを浮かべたハニは、続いて放心したアロシカの背を叩く。
「ほら、いくよ。こういう時は私よりもアロシカが引っ張ってくれた方がみんな安心するんだから」
背に伝わる軽い衝撃で、アロシカに纏わりついていた気味悪いものが霧散していく。気を取り直すように首をブルブルと振った。
(まだ、終わりじゃねえんだ……!)
ゴブリンを一人倒しただけ。皆を守りながら、ゴブリンに気づかれぬように逃げなければならない。乗り越える壁はまだ幾つもある。立ち止まっている暇などなかった。
意志を固めたアロシカは血振るいした棍棒を肩に担ぎ、心配いらないと笑って見せる。
「よしっ、全員で脱出すっぞー。ついてこい来いお前ら!」
「「「うおおおおお!」」」
アロシカが棍棒を掲げる。ハニが呼びかけたときよりも士気が高かった。主に男子の。そこにはラヴィポッドも混ざっており、気づいたアロシカが照れ臭そうに鼻を掻く。
意気揚々と小屋を出ようとしたアロシカだったが、表情を硬くして背にした子どもたちを庇うよう手を伸ばした。
「下がれ」
子どもたちが一歩後退り、ラヴィポッドは最奥まで飛んで逃げていく。
「気づくの早えだろ……」
悪態を吐くアロシカを他所に、数人のゴブリンが現れた。先刻のゴブリンよりも大きく屈強な体格。胸部と関節部、手足には鉄の鎧を装備しており騎士然とした出で立ち。手にするのは盾と西洋剣もしくは槍。丁寧に磨き上げられた刃は、容易に命を刈り取るだろう。
ゴブリン騎士は倒れたゴブリン、それからアロシカを見やる。瞬時に状況を把握し、
「家畜風情が」
太い声でそれだけ言うと、アロシカに斬りかかった。
アロシカは棍棒で受ける。が、武器同士がぶつかり合う感触すらなく、初めからそうであったように棍棒が断ち斬られた。
「っ!」
咄嗟に腕を盾にして防ぐ。そんなことをすれば両腕が斬り飛ばされてしまう。棍棒がどうなったのか見ていなかったのか、とゴブリン騎士はアロシカの選択を鼻で笑った。
しかし。
袈裟に振られた剣が腕を両断することはなかった。剣が腕を捉えるとガキンッ、と鉄と鉄がぶつかり合うような硬質な音を響かせてアロシカが吹き飛ぶ。
奥まで逃げていたラヴィポッド。ちょうどそこへアロシカが飛んできた。
「えぇぇー!?」
よりにもよって何故一番離れたここへ、と顔を引き攣らせる。
非力なラヴィポッドではアロシカを受け止めきれないだろう。無理に受け止めようとしてぶつかればとても痛い。かと言って受け止めなければ、アロシカは勢いよく壁に激突してしまう。
迷ったのは一瞬だった。
スッ、と横にずれる。
先ほどまでラヴィポッドがいた場所をアロシカが通り抜け、強かに壁へ体を打ち付け地に落ちる。痛む体を叱咤し、片膝をついて起き上がると咳き込んだ。
ラヴィポッドはしゃがんで、アロシカの顔を心配そうに覗き込む。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、お前も無事でよかった」
アロシカに他意はない。強い痛みを覚える中、ラヴィポッドへ気を配って見せる度量の広さは称賛に値する。
その筈だが、ラヴィポッドは後ろめたさで苦笑いした。逃げるように視線を彷徨わせ、木製の壁に大きな穴が開いていることに気づく。
「み、見て。ここから逃げよ! このためにあえて避けたんだから!」
アロシカの肩を叩き壁の穴を指さして、呼吸するように嘘をついた。
「……」
アロシカが半眼でジトっとした視線を向ける。
冷や汗を流したラヴィポッドは罪悪感を誤魔化すため、
「すたこらさっさ~」
我先にと穴に顔を突っ込む。
頭だけを外に出したラヴィポッドへ、小屋の周囲を取り囲んでいたゴブリンたちの注目が集まった。
一人たりとも逃がすまいと警戒していたゴブリンたち。殺気立った空気を正面から浴びたラヴィポッドはピタリと動きを止めた。
「あ、あはは。お疲れ様で~す」
ゴブリンに労いの言葉をかけて頭を引っ込める。
「めちゃめちゃ罠でした!」
小屋に撤退し、落ちた板材を穴に押し当てて塞ぎつつ、慌てて報告するラヴィポッド。
アロシカの物言いたげな視線は変わらない。
二人がそんなやり取りをしている間に、ハニを含め子どもたちはジリジリと壁際に追い込まれていた。
ゆっくりと近づくゴブリン騎士はアロシカに冷徹な目を向ける。
「あれをマナで受けるか。人族の才能の芽は摘んでおかねば」
マナによる身体強化。それ自体は然程難しい技術ではない。しかし剣をマナで受け止めるとなると話は変わる。全身のマナを腕に集中させ、魔術でマナに火や水の概念を与えるのと同じく、硬質化させる。それを戦いの中で咄嗟に行うには、並外れた瞬発力と判断力、緻密な制御力、そして先天的なマナ総量の多さが不可欠。
加えてそれを為したのが経験の浅い子どもであるとなれば、戦士としての才は計り知れない。人族とゴブリンは敵対関係にある。将来、敵になる可能性を考慮するなら、ここで殺すのが最善手。
アロシカに迫るゴブリン騎士。
「っくそ」
絶望的な状況を前にしてアロシカが吐き捨てる。ゴブリン騎士一人にすら到底力及ばない。にもかかわらずゴブリン騎士は複数。外に待機しているゴブリン騎士も合わせれば、その数は二十を超える。
わかっていた筈なのに。この事態を招いたのは自身の衝動的な行動。遅すぎる後悔が膝にのしかかり、立ち上がる力も湧いてこない。
一方、ラヴィポッドはゴブリン騎士の放つ重苦しい気配に怯み、
「た、助けて……」
ポケットから出した石板を両手で握って呟いていた。
そしてゴブリン騎士が剣を振り上げたとき、断続的な地響きが起こり始めた。揺れと音が少しづつ大きくなる。子どもたちもゴブリンも皆、得体の知れぬ不安を抱いていた。それはまるで巨大な何かが近づいてくるような……
「な、何事だ!?」
外に待機させているゴブリン騎士たちの悲鳴まで聞こえ始め、声を荒げるゴブリン騎士。
確認のため、一人のゴブリン騎士が小屋を出ようと動く。
その瞬間、入り口付近の天井が崩れた。軋む間もなく天井を木片に変えた何かは勢い止まらず、外の様子を窺おうとしていたゴブリン騎士を叩き潰した。
身を揺るがす轟音と同時に衝撃が広がり、激しく散る木片から顔を守るように手で覆う。手を退けたものの視界に映る、理不尽な破壊を齎したものは。
巨大な土の拳だった。
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